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遺跡潜りと荒廃世界の旧式人形《ロストオートマタ》

 キュルキュルキュル、という微かな擦過音と共に、視界に薄汚れた白が広がった。


 次いで鼻腔が捉えたのは芳ばしい香り。この香りは知っている、確か珈琲と呼ばれる黒い液体が放つもの。




「おはよう。良い朝だね」




「おはようございます、マスター」




 体を起こし、主人がカウンターテーブルに寄りかかってカップの中身を啜る姿を認識する。


 彼女は右手に持っていたタブレットをテーブルに置き、左手のカップはそのままにこちらへと歩いてきた。




「調子はどうだい?」




 再びカップの中身、推定珈琲とやらを嚥下して、ニコニコと微笑みながら私の寝ていたベッドへと腰を下ろす。彼女のその年齢と社会的立場に似つかわしくないあどけなさは、本人の資質によるものか、大きく丸い銀縁眼鏡によるものか。おそらくは両方だろう。




「そうですね。すこし関節に滞りを感じます」




 言われた通り首を回し、腕を回し、体の調子を確認する。大きな問題はなさそうだが、ギシギシと嫌な音が体内で小さく鳴っているのが懸念材料。


 それを伝えると、彼女は一気に珈琲を飲み干して、私の胸を撫でる。




「うん。測定値に異常はないけど、君がそう言うのなら後で確認しておこうか」




「お願いします、マスター」




「任された」




 テキパキと胸や腕に貼られていたシートやチューブを外され、服を手渡された。前をボタンで留めるタイプのシャツにデニムのショートパンツ。最初は一人で着るのに苦戦したそれらも、今ならば問題なく着ることができる。私が慣れた手付きでボタンを対応する穴に通す様子を、彼女は満足そうに見つめていた。




「マスター、本日の予定は?」




「この後、頭の硬いお偉いさん方との会合があるよ。実はあまり時間がなくてね、だから今すぐ君をメンテできない。ごめんね」




 時間がないというその言に反して、彼女はガリガリと珈琲の豆を挽いている。なにやらこだわりがあるようで、この作業だけは私にも、他の機械にも任せない。コーヒーミルで挽かれた粉をお湯が通って、嗅ぎ慣れた香りが立ち昇る。落ち着く香り。




「どうだい、君も飲むかい?」




 淹れる過程をじっと見ていたのをどう思ったのか、彼女はにっこりと笑って、新しいカップを掲げる。そう言われても、残念ながら私はそれを飲めない。


 いや、一応、飲むこと自体は可能だ。けれどその美味しさも分からないし、吸収もできずにそのまま排出するしかないのだから、摂取する意義もない。彼女はそれを分かっているのに、ときおりこういう意地悪な質問を投げ掛けてくる。


 だから私はいつも通りに首を振って、そして彼女もいつも通りに、どこか寂しそうに笑った。




「まあ、仕方ないか。やっぱ味覚もいつか作るべきかなぁ。いやでも、味を楽しむ思考回路がなければ味覚があっても意味ないか。ただあれは本能に根差しているものだから……」




 ぶつぶつと呟いて、彼女は思考の海に沈む。それは彼女の癖で、こうなるとしばらくはこのままだ。それに考えている最中に邪魔が入ると不機嫌になるし、拗ねれば引きこもりかねない。変なところで子供っぽいのだ。


 仕方ないので、勝手ながら彼女のタブレットを操作し、会合の時間を確認する。怒られるかもしれないが、きちんと間に合うように現実に引き戻さなければ。




 だけど、そんな配慮は必要なかった。タイミングの悪いことに、彼女の思考を遮るかのごとく来客を知らせるチャイムが鳴る。


 彼女は苛立ちを隠すことなく舌を打って、玄関へと向かっていった。




 ──駄目ですマスター、それに出てはいけません。




 ふと、なんの脈絡もなくそんな考えが浮かんだ。けれどそれは口に出されることはなく、私は彼女を見送った。見送ってしまった。


 なんだろう、この思考は。心臓(ろしん)が早鐘を打つ。身体中を冷却水が駆け巡る。


 止めるべきだと脳CPUが叫ぶが、私の体はその声に従わない。それらの異常は、私の体に動作を促す力もなくて。


 まるで録画した動画を見ているように、ただ状況が進んでいく。




「──逃げろ、エル!」




 やがて耳を打つ主人の声。かすれた、微かな、それでも届いた指示。


 慌てて玄関へと向かう。それはあまりにも突然で、呑気な彼女にはあまりにも珍しい切羽詰まったもの。


 非常事態。命令には従うべきだが、それ以上に現状を確認することを優先した。




 ──確認するまでもない。




 走りながら、私の脳内回路は駆動し続ける。




 ──何が起きたのかなど知っている。




 急激に頭部の熱が高まり、ショートするような痛みが苛んでくる。




 ──見てはならない。向かってはならない。




 原因不明の巨大な負荷によって、脳内で警告音がけたたましく鳴っている。視界を埋め尽くす赤いエラーメッセージ。




 ──それは、




 ◇ ◆ ◇ ◆ ◇




「──ル。エル。起きて。エル!」




「え、ぁ、あ……」




 肩を揺すられ、視界に映るのは見知った顔。焦燥と不安とが入り交じったようなかんばせは、私が再起動したのを見てそっとほころんだ。




「良かったぁ。どうしたの、うなされてたけど」




「……少々、嫌な夢を見まして」




 答えつつ体を起こす。思考領域に異常はなし。首を回し、指を曲げ、体の状態を確認しているところで、彼女が目を丸くしていることに気付いた。




「夢って、エルも夢を見るの?」




「ええ。正確には貴女達が見るような夢ではなく、メモリーの整理の際に生じる記憶の再生ですが」




「ほえー」




「それより、調理中だったようですが。焦げますよ」




「わわっ、そうだった!」




 話題を変えるために指摘すると、彼女は慌てて鍋の下へと戻る。


 その背中を見ながら、私は頭の鈍痛を自覚した。……強い負荷がかかっている、処理が追いついていない。


 原因は考えるまでもなく明白だ。あの時の光景を追再生しないように注意しながら、冷却水を普段より多く輸送する。


 それでも思考を強制終了できないのは、そう作られたからで。この時ばかりは“彼女”に恨み言をこぼしたくなる。こぼせたら、どれだけ良いことだろう。




 ……あれから、私の生活は激変した。否、世界が一変した。




 辺りを見渡す。雑踏を歩く人々、街頭に響く機械音声、宙を駆ける車。私の記憶に残されているそれらは、今や影も形もない。砂漠を闊歩しているのは殆どが野犬たち、聞こえてくるのは遠吠えで、空を支配しているのは大怪鳥。


 築き上げられた文明は崩れ去り、人類は地球の支配者の座から退いた。




「よし、完成!」




 遠い目になっていたのが、聞こえてきた一声で現実に引き戻される。漂ってくるのは芳醇な香草の香り。


 私を起こした彼女は、鼻歌を歌いながら炉の空気弁を閉めている。排出される蒸気がこちらに当たらないように気を付けてはいるが、やはり熱気が溜まるのは避けられない。彼女も上はタンクトップ一枚だというのに汗で肌を濡らしている。


 かつての技術レベルを知っている身としては、このような蒸気機関は不便としか思えない。しかし、現在ではこれが主流であるらしい。




「今日の朝ごはんはー、シュヴルの香草焼きのサンドイッチだよっ!」




「かなり贅沢に使っていますが、その香草は商品のハズでは。良いのですか?」




「良いのっ!」




 私の言葉に、彼女は子供のように頬を膨らませて、かと思えばすぐさまにへらと緩ませる。それはとても楽しみなのだと、満ち溢れる好奇心を隠そうとしない笑い顔だ。




「なんたって、今日は遺跡(・・)に潜れるんだから。景気付けってやつですよ」




 またもや鼻歌を歌いながら大口を開けてシュヴルサンドを食べる様に、はしたないですよと注意する気も起きない。それほどまでに純粋な、私の見るそれとは違う、光り輝く“夢”に彩られた瞳。




「久しぶりにコーヒーだって用意しているんだよ」




 先ほど見た夢のせいだろうか。無意識のうちに、私の身体は珈琲という単語に反応した。ピクリと跳ねた肩と軽く握られた両手を見て、彼女は一瞬驚いた後、にやりと意地悪く笑う。




「なんなら、エルも飲む?」




 そうやって、かつて私の主人だった“彼女”と瓜二つの彼女は、いつも通りに、“彼女”と同じように問いかけてくる。


 だから私はいつも通りに首を振ろうとして、それを思いとどまった。




 何故かは分からない。どう考えても意味がない。だというのに。




「では、いただきましょうか」




 気付けば私はそう言っていて、彼女はシュヴルサンドを取り落した。分解する前に受け止める。




「──なにそれ、いつも断ってたのに、どんな心変わり!?」




「さぁ、どんなものでしょうね。それとも、やはり貴重な珈琲を私に飲ませるのは勿体ないですか?」




「そんなことないよ! えへへー」




 何が嬉しいのか、彼女は今日一番の笑みを浮かべながら、私が持つ食べかけのサンドを無視して珈琲を淹れ始めた。手慣れた手付きでミルを回し、カップを二つ用意してドリップする。そして出来た珈琲を、やけにニコニコしながら差し出してきた。




 香りは、正直なところ記憶にあるそれに遥かに劣る。それでもしっかりと豆を使っているだけで、今では上等な部類なのだが。


 彼女の視線を浴びながら、その黒い液体を口に含む。




「……やはり、分かりませんね」




 予想通り味はまったく認識できない。貴重品を無駄にしただけだ。にも関わらず、自分は笑っている。


 故障だろうか。でも、悪くない。


 そう思うのは、彼女も笑っているからだろう。




「よーしっ! 今日の遺跡探索、頑張ろうね!」




 彼女は嬉しそうにそう言って、自らの分を一気に飲み干した。




 ……あ、むせた。

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