世界征服はかくありき
職業、ゲームシナリオライター。
その実態は、かくも厳しいものである──。
「なあ……どうだ? もう一回……」
午前七時。薄暗い自室。
窓から差し込む朝日を背に、潤んだ瞳でこちらを見下ろす幼い少女。俺の体に馬乗りになったまま、何かをこらえるかのように、彼女の手はベッドのシーツをキュッと握りしめている。
「ほら……もっと、ちゃんと見てくれ。でないと、わからぬであろう……?」
少女はズイっと身を乗り出し、愛おしむように、慈しむように、“それ”を俺の眼前へと持ってくる。ほんのりと熱を帯び、独特の匂いを発する“それ”に顔を近づけて、ぼんやりと視認。頭上から彼女の髪がさらさらと降ってきて、頬を撫でる感触がこそばゆい。
「……昨日も遅くまでやっただろ……?」
「まだだ、まだ……満足、できぬのだ」
まったく、こちとら精も根も尽き果てたと言うのに。若いって恐ろしい。待ちきれないと言わんばかりに目を輝かせる少女。その頭をやや乱暴に、クシャっとひと撫でしてやると、「ふにゃっ」と猫のような鳴き声が漏れた。
ああ、もう、我慢出来ない。
そしてそのまま伸ばした手で、目の前の“それ”をしっかりと掴み──。
「朝っぱらから印刷したての原稿持ってくんなーーーっ!!!」
「ふにゃーーーっ!!?」
力いっぱい、頭上へと放り投げた。
「な、ななななんてことをするのだ貴様! 昨夜のリテイクを踏まえて寝ずに書き上げた、世界征服への貴重な第一歩なのだぞ!?」
「その熱意だけは認めるが、クオリティが追いついてない。これじゃ世界征服どころかそこらの幼稚園すら支配下に置けないだろうな」
「くっ、さすがは世界……楽しませてくれるではないか」
「そういう強キャラ感はちゃんと強くなってから出そうな?」
部屋いっぱいに舞い散る原稿用紙。ちょこまかと室内を駆け回り、飛散したそれをせっせと拾い集める少女──神楽木かぐやの姿を眺めながら、ため息をひとつ。
世界征服。
かぐやが口癖のように言うそのスローガンは、もちろんその言葉通りの意味ではない。彼女いわく、自分が書いた物語を世に広めることで、自分という存在を知らしめたいのだと。それゆえの、世界征服。
よくわからない理論ではあるが、極端に言えば世界中の人間が同じ物語を読んだ時、そこには確かにひとつの“世界”が生まれる。その新たな世界がこの世に広まり根付くことは、言ってみれば世界征服のようなものかもしれない。
しかしそれは、この幼い少女が目指すには、あまりにも無謀な夢物語。そんな荒唐無稽な計画に、なぜだか俺は加担してしまっているわけで。
「とにかく、寝起きで目を通しただけでもわかるくらいには、上げてきたシナリオの出来はダメダメだ」
「ぬう……会心の出来だと思ったのだが……」
「そうだな、描写の文章力や会話のテンポは評価できる。正直その歳なのが信じられないくらいだ」
「むふふ、よせよせコウ、褒めても発展途上のこのまな板しか出ぬぞ」
「いや出すなよもっと惜しめよ……」
むん、と得意気にその絶壁を張るかぐや。なんとも価値の低い板である。
──改めて言おう。職業、ゲームシナリオライター。それが俺、高坂浩の今の肩書である。とあるゲーム会社にて、中小タイトルのソーシャルゲームを運営する人間の一人だ。
ソーシャルゲーム、略してソシャゲ。スマートフォン用のゲームとして、家庭用ゲームにはない手軽さを売りに、近年急速に成長してきたジャンル。しかし今やそのソシャゲにも、他タイトルとの差別化を図るため、美麗なイラストや豪華な声優陣──そして、読み応えのある物語が求められるようになってきた。空を旅する青いファンタジーや、英霊と共に戦う運命的な伝奇などがその部類に当たる。
世の中は今や、多くの物語で溢れかえっている。日々数多のストーリーが発信されて、消費されていく。しかしそうなると、今度はそれを作り上げる人間が必要となってくる。が、面白いシナリオを継続的に生み出せる人間なんて限られている。俺だってまだまだだ。その結果、多くのソシャゲ運営はライター不足に苦しむことになる。現に俺たちのプロジェクトがそうだった。
そんな、絶望にも等しい状況の中、俺はかぐやに出会った。世界征服を声高に叫ぶ彼女は、まだまだ素人もいいところだった。けれどもその中に確かに光るものを感じた俺は、彼女を一流のシナリオライターに育てようと決意した、のだが。
「……とりあえず確認したいのは、一応ハイファンタジー……異世界の世界観が売りのウチのゲームで、なぜ唐突に登場人物たちが江戸時代にタイムスリップしてるのかってことだ」
「西洋の世界観は好かん」
「クライアントの不可侵領域にガッツリ一石投じてきやがった」
こいつ、自分の仕事がどういうものか理解しているのだろうか。いやそもそも、勝手に時代背景を変えにかかってくるライターなんぞ聞いたことがない。確かにかぐやは働くには幼すぎる年齢だが、昨今の創作の世界では中学生絵師なんかも出てきており、実力と信用があれば仕事は回ってくる。
その信用の部分は未来への投資として目をつむるが、肝心の実力においてもここまで癖があるとは思わなかった。面倒を見る側としては、実に頭が痛い案件である。
「……じゃあ、タイムスリップ後に主人公の仲間の男キャラ達が根こそぎ女体化を遂げている理由は?」
「可愛いキャラのほうがウケるのであろう? もえ、というやつだな!」
「江戸時代で美少女ゲーっていうコンセプトは斬新だがウチでやるには荷が重すぎるわ」
はぁ、と盛大にため息をひとつ。この業界にいると、数多くの天才に会う機会があるが、強い才能を持つ人種は、総じてどこか俺たち一般人の常識で測れない部分が存在する。
そして目の前の幼女、神楽木かぐやは、“自分の好きなものしか書けない”タイプの天才だった。
「……とりあえずこれはボツ。今日の夜までに修正よろしく」
「またか! またそうやってコウはいたいけな幼女をいじめるのか!」
その幼い顔立ちに似合わない形相で、がるると唸り声を上げるかぐや。それを尻目にせっせと出社の準備を整えていると、コンコンとノックの音。
「もう、朝からお盛んねえまったく」
部屋の入口から聞こえる野太い声。その方向に目をやると、フリフリのエプロンを身に着けた、長身長髪の“男性”の姿。右手に携えたお玉がなんとも家庭的である。
「……おはようございます、管理人さん」
「はい、おはよ。朝ごはんできてるから、二人とも早くいらっしゃい」
「おおっ! めしか! 腹が減っては戦はできぬからな!」
言うが早いか、すてててと部屋を飛び出していくかぐや。ちびっこは元気だなあ、と失いつつある学生時代の輝きを憐れみつつ、妙に肩幅の広いオネエさんと共に追いかける。
「……でも、なんとかかぐやちゃんもここに慣れてくれたみたいでよかったわあ」
「慣れてくれたんですかね、あれって」
「何言ってるのよう、アンタに対しては慣れるどころかすっごく懐いてるじゃないのっ」
もう、と弾んだ声で肩を小突いてくる管理人さん。俺は予想以上の衝撃の重さに軽くよろめきながら、前を走るかぐやを見やる。
俺が──俺たちが暮らしているこの建物は、今しがた俺の肩に深刻なダメージを与えてくれた、素敵なオネエさんが管理するシェアハウスである。シェアハウス、と言うとかなりイマドキに聞こえるが、その実態は古き良き長屋形式の日本家屋で、夏は暑く冬は寒い。しかしその分家賃も安く、管理人さんによる愛情たっぷりのご飯まで食べられるため、貧乏な一人暮らしにはとてもありがたい環境となっていた。
だからこそ、数ヶ月前、管理人さんが突然かぐやを連れてきたときには、住人一同は大層驚いた。ほとんどが社会人のこのシェアハウスに、彗星の如く現れた幼女。ここでの暮らしは、以前にも増してかなり賑やかになった。
「わあっ、かぐやちゃん。コウさんに管理人さんも。おはようございますっ」
「うむ、おはよう真白。今日も今日とて人畜無害な笑顔だな!」
「ほ、褒めてくれてるんだよね……?」
と、苦笑しているのは雪城真白。俺と同じ頃にここに来た住人で、今年から社会人となった女の子である。どうやら先に食卓に着いていて、俺たちの分も取り分けてくれていたようだ。天使か。
「悪いな、俺たちの分まで」
「いえ、ご飯はみんなで食べたほうが美味しいですから!」
「天使か」
「へっ!? 天使!?」
ついうっかり思った言葉が漏れてしまった。だが心から感じた気持ちなので悔いは無い。今もこの場にいないもう一人の住人とは正反対である。社会人は優しくされると弱いのだ。
「そうねぇ、まあ、蕾香ちゃんがいないのは残念だけど、朝ごはんにしましょ」
エプロンを外しながら、管理人さんも食卓に着席。一枚布が無くなるだけで、やたら綺麗な長髪と、たくましいワガママボディとの対比が際立って見えるが、気にしてはいけない。家庭的な頼れる管理人さん、という素敵な事実だけで十分である。
「ではっ、栄光ある世界征服を目指して!」
白米の入ったお茶碗を掲げ、野心を抱く幼女が叫ぶ。
かぐやは己の願いのために、俺は自分の仕事のために。
「「「いただきます」」」
これは、ちょっとばかり古びたシェアハウスから始まる、幼女と世界征服を目指す物語である。




