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狂喜に笑みを

「――あら、こんな夜中に危ないですよ?」




 からん、と。


 透き通った音に振り向くと、それは壊れた街灯の下へと舞い降りた。


 二匹の黒蝶の描かれた着物を揺らし、美しい鴉の濡羽色の髪を背中に流している。だが、それらに反してこちらへと向けられた少女の瞳は、紅玉のような真紅。その雪のように白い頬に、血の赤と、濡羽色との対比が美しい。


 壊れた街灯からこぼれた残り火が、微かに闇を払った。


 美しい石造りの街として知られる、この王都ミセラリア。その情景の一つである石畳が一面の真紅に染まっている。


 着物の袖口から伸びるすらりとした白い腕には、一振りの太刀。


 血に濡れて刀身はその冷徹な美しさを際立たせ、妖しげな美しさを魅せている。


 その口に妖艶な、それでいて無垢な笑みを浮かべながら、少女は石畳を染める血の中に立っていた。


 その狂おしいまでの美しさに、青年は振り上げられた死神の鎌を幻視する。






「――ここは、殺人鬼が出るそうですから、」






 緩やかに着物の袖を揺らしながら、からん、と。


 下駄の美しい音色を奏でながら、こちらへと歩みを寄せてくる。


 それに気圧されるように後ずさり、青年は知己の忠告を無視したことを後悔するように舌打ちをこぼした。






「――特に、今日のように月明かりのない夜は、」






 ふふ、と少女が笑みをこぼすと、


 その瞳が狂喜に歪み、その唇が狂ったように美しい弧を描いた。






「――こうして、殺されてしまいますよ?」






 ふっと、一息。


 美しい残像を引きながら、闇を切り裂くように血に濡れた太刀が閃いた。


 どこまでも美しい。ただ人を殺すためだけに研ぎ澄まされた機能美の極致。その一切の情を映さない冷酷な一撃が、青年の首を狙って振るわれる。


 もし、そこに目撃者がいたのなら、青年の命はないと悟ったに違いない。


 けれど、




「……あら?」




 と、驚きの声を上げたのは少女だった。


 なぜなら、いつもなら簡単に終わってしまうはずの楽しいひととき――首を裂き、命を儚く散らしたとき――が、終わっていない。まだ、息がある。しかも、一切の慢心なく、自らを褒めたくなるほどの最高のタイミングで放ったはずの一撃を、一振りのナイフで受け止められているのだから。


 その事実に、少女は不思議なものを見るように真紅の瞳を瞬かせる。




「これはまた、めずらしいこともあるものですね」




 狂的な笑みは形をひそめ、少女はこちらに好奇の目を向けてくる。




「そのナイフ。その動き。何よりも――その、狂気に飢えた目。……あなた、私と同類なのですね」




 互いの吐息がかかるほどの距離から、青年は少女の、少女は青年の瞳を直視する。


 二人の視線が絡み合うと、少女はその真紅の双眸を穏やかに細め、青年は舌打ちとともに目を逸らした。




「瞳の奥に、何か見えましたか?」




 少女はこちらをからかうように、笑みを浮かべて訊いてくる。


 そんなもの、訊かなくてもわかっているはずなのに。




「……復讐、か」


「ふふっ、そしてあなたも復讐の劫火に身を晒しているのでしょう?」




 青年の吐き捨てるような答えに、少女は口の端を吊り上げた。


 そして仕切り直しだとでもいうように、鍔迫り合いをしていたところから太刀を引くと後ろへと跳んで青年から離れる。それに追い打ちをかけても碌なことがないとわかっているから、青年は静観するにとどめる。




「同類なのでしたら、私の一撃を受けられたのも頷けます」


「褒め言葉としてもらっとく。んで、その刀を引いちゃくれないか?」


「……あら? どうしてです?」




 きょとん、と少女は呆けたような表情をして首をかしげる。




「いや、殺し合う理由がないだろ。俺はお前を殺せと依頼を受けているわけでも、そこの獲物を横取りする気もない」




 青年は切れ目の瞳を少女の後ろ――街灯の下を赤く染める『モノ』へと向ける。


 それに少女は不思議そうな表情をしながら街灯のほうへと視線を向けると、ああ、と納得したような声をこぼした。




「大丈夫ですよ。私は依頼を受けてこの男を殺したわけではありませんから。何やらおかしなことを言ってくるものですから……」




 ふわり、と。


 少女は春に蕾が花開くように、満面の笑みを浮かべる。




「とりあえず、殺しておきましたっ」


「怖ぇなッ、おい!」




 青年は叫びを上げながら、ここからすぐにでも逃げ出したくなってくる。


 その反応に何を思ったのか、少女は頬を赤らめ、




「か、勘違いしないでくださいね? 私だっていつもこんなにはしたないことをしているわけではありませんよ? た、たまにですからね?」




 と、捲し立てるように言い訳を口にしながら、胸で合わせた手の指を絡ませる。


 その仕草はとても可愛らしいのだが、どうしても言っていることと噛み合わなくて頭が痛くなってくる。




「……殺し合う理由がないと思うんだが?」


「あら、理由ならちゃんとありますよ?」




 こほん、とわざとらしい咳払いをしてから、少女が微笑んでくる。




「……聞きたくないな」


「ふふ、遠慮なさらずに。どうせ、すぐにわかることですから」




 少女は声を弾ませながら、年相応の可愛らしい笑みを浮かべてくる。




「――私が、あなたを殺したいから、ですよっ!」




 そんな告白とともに、夜闇に美しい残像を描きながら白刃が閃いた。


 一息にこちらの懐へと潜り込み、地を這う蛇が獲物に襲い掛かるように地面からほぼ垂直に斬り上げられた太刀が頬をかすめる。それとともに飛来する白くしなやかな足。横薙ぎに振るわれるそれに手を添え、身をかがめることで直撃を避ける。


 頬を撫でる豪速の蹴りに肝を冷やしつつ、青年は逆手にしたナイフを突き立てた。


 大きな蹴りから生じた一瞬の空白。


 その刹那の隙へと滑り込ませるようにナイフを振るうが、それに合わせるように手の中で逆手に握り直された太刀が振り下ろされる。二つは空中で澄んだ音色を奏でながら噛み合い、衝撃とともに弾かれる。


 互いに弾かれた剣を引き寄せると、相手の首を取らんと致死の一撃を放つ。


 それらはまるで磁石が引き合うように二人の間で衝突し、甲高い金属音を響かせながら火花を散らした。


微かに照らされた二人の双眸に、狂喜に酔った己が映る。


 全力を出しても、それに応えてくれる者がいる。


 殺しても死なない者がいる。


 互いに攻撃が当たらないことすら、どうやったら相手を殺せるのかと狂喜を膨れ上がらせる要因の一つにしかなりえない。


 身をかがめ、撃ち出すように少女の心臓目がけて突きを放つと、地面から斬り上げられた太刀によって弾かれる。銀の軌跡を引きながらナイフが宙を舞い、無手となった青年を狙って袈裟斬りが襲い掛かる。


身を沈めながらその斬撃を回避すると、骨を砕くつもりで足払い。少女はそれを後ろへと跳んで回避する。


 逃がすかッ、と地面に達する寸前のナイフを掴み取って首を狙って振り上げると、両手を添えた太刀を大上段から振り下ろしてくる。その守りを捨てた潔さに青年は舌を巻きながらも、口の端を吊り上げた。


 軌道を修正。


 流星の如く、鈍色の軌跡を描きながら降ってくる太刀を、真下から迎え撃つために。


 本来なら、二つが衝突したら弾かれるのは青年のナイフだ。


 そもそも、重量のある太刀を両手で振り下ろしてくるのを、片手で振り上げたナイフで受けることなどまず不可能。


 だから、青年は二つが重なったとき――ナイフから手を放した。




「……え?」




 それに少女は困惑の声をこぼす。


 振り下ろされた一撃はナイフを弾きながら、青年の横を通り過ぎる。


 そして、首へと迫るナイフ――青年が懐に隠していた二本目――の銀色。


 その一撃が首に達する――その刹那、青年は少女の口が狂ったように美しい弧を描いたのを見た。


 青年の頬をかすめるように引き戻された太刀が、こちらのナイフを弾いた。


 それには青年も驚愕の表情を浮かべ、太刀が引き絞られるのを見て頬を引き攣らせる。撃ち出された切っ先が青年の頬をかすめ、浅い傷をつける。微かな痛み。けれど青年が笑みを浮かべると、再び剣戟が繰り広げられる。


 剣先が閃いたと思ったら、火花を散らして迎撃される。


 一瞬でも気を抜いたら、待っているのは致死の一撃。


 されど、それがたまらない。


 美しい残像を引きながら、互いの剣先が霞み、重なり、火花を散らした。


 二人の剣戟は鏡写しのように絡み合いながら、重なる音はその間隔を狭めてゆき、二人の奏でる音色は――美しい重奏へと昇華する。




「ふふっ、楽しいですッ!」




 少女は狂恋に身を焦がし、




「ははっ、そうだなッ!」




 青年は狂喜に牙を覗かせる。


 狂おしいまでの殺意に酔いながら、二人は命を賭けて切り結ぶ。


 示し合わせたように二人は大振りの一撃を放つと、その衝撃で弾かれるままに離れたところへ着地する。




「ふふ、こんなに楽しいのは、初めてです」




 弾んだ息を整えながら、少女は満足げな表情を浮かべる。




「そうかい。んじゃ、終わりにしちゃくれないか?」


「ご冗談を。こんなに楽しいのです。そんなもったいないことはできませんよ」




 と、少女は微笑しながら太刀を下ろして、おもむろに懐へと手を入れる。


 そこから姿を見せたのは一振りの小太刀。漆塗りの鞘から抜き放たれた白銀の刀身は、氷のような透き通った美しさを魅せた。


 からん、と。


 美しい音を響かせながら、少女はふっと穏やかな笑みを浮かべる。


 そして両の手に刀を握ったまま、少女は完璧な所作を以って、美しいお辞儀をなした。






「――さぁ、私を楽しませてくださいね?」

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