Nai
なんとなく自分さえ何とか生きていけていられればいいと思っていた。起きて、仕事いって、美味しいもの食べて、好きな音楽を聴いて、一人で自由気ままに生きてきて、これからもそうやって生きていくものなんだと思っていた。
何故、私のだらしない部屋に親戚でもなんでもない男の子がいるんだ。いや、連れてきたのは私なのだが…。
佐々木陽菜。現在27歳。中小企業に勤めるOL。この世に生をうけてから3次元の恋人なし。趣味はアニメ鑑賞と好きなアーティストの追っかけ。特に可愛いわけでもなく、友達も多いわけではない。一人焼肉もヒトカラも全く抵抗なく行ける一人大好き人間。
そんな私がこの少年を連れてくることとなったのは、少し遅めの夏休みとシルバーウイークをあわせて9連休となった3日目、少し身体を動かそうと少し都会から離れたところへと山に入ったときのことだった。
山登ってる私可愛いとか少し勘違いしてる系の女共と同じルートを進みたくなく、わざと道を外れた斜面を進んだ奥深く、少し休憩しようと開けたところに、泥だらけ、擦り傷だらけで倒れた少年を見つけた。
よく見れば、ぶかぶかのTシャツに、少し赤黒く汚れた裸足、かろうじて息はしていたが苦しそうな顔を見て、ただ事ではないと判断した。
私は周りに人がいないか確認をするが、本来人が通る道から大きく外れた場所だ。
だけど、と携帯電話をみるとアンテナマークは3本しっかりと表示されていた。救助は何とか呼べそうだった。
しかし、小さく冷たい手が私の足をつかみ、「死なせてください。」と今にも消え入りそうな声で彼は訴えた。私は思わず携帯電話をしまってしまった。
そこで何故私の家に連れ帰ろうと思ったのか思い出せない。ただ、彼を放ってはおけなかったし、他の人に任せてはいけない気がしたんだと後から振り返るとそう思う。
気付いたら彼を自分の車の後部座席に乗せて家に帰ってきていた。
車内に乗せてすぐ、水を飲ませ、身体をウェットシートで拭いたりしていたわけだが、彼はポーッとまるで魂が抜けているかのように、いや、人形のようにされるがままに、抵抗も特にせず私を受け入れており、車を走らせてからはスヤスヤと寝ていたのをみて安心して帰宅したわけだが、これ、誘拐犯とかにされてもおかしくないことに気付き、今に至る。
やばい。さっきから脳裏に浮かぶのは『少年誘拐犯!!アニメ大好きOLは現実でも少年好きだった』という週刊誌の中吊り広告。いや、確かに美少年キャラ好きで家にもフィギア飾ってあるけど、そんな、現実は違うもん!!ほら、山から連れてきた子を見ても何も思わないわよ!!長いまつげ、目を閉じていても分かる大きな眼、傷だらけとはいえ白い肌、柔らかいほっぺ…、あれ、この子、凄く整った顔だ。
もっとよく見ようと顔を覗き込んだら、彼の真っ黒な瞳が開いた。
「あ、あ、あ、あ、あ、いや、えっと、その、あの…、その、なんでもなくて、その、んがっ。」
「あわてすぎです。少しおちついてください。」
まだ幼さが残る可愛らしい声に似合わない口調で、私にそうなだめる。
「ご、ごめんささい。」
「ちゃんと日本語つかってください。」
「ごめんなさい…。」
「いえ、こちらこそ。やまおくにすてておいてもよかったものをわざわざひろっていただき、ありがとうございます。」
彼は、ベッドから上体だけ起き上がってそう言った。
「まだ、その、起き上がるのは、しないほうがいいんじゃない?怪我もひどいし。あ、それに、服、泥だらけだったから今洗ってて、とりあえず上に私のTシャツ着せただけで…。」
少年はあたりをくるりと見渡す。干しっぱなしの洗濯物や、開けっ放しで放置された郵送物を見て、少し苦い顔をした。
「ここが、あなたのへやですか。少しちらかってますね。」
「働く女性の一人暮らしなんてそんなもんよ。」
さらに彼の顔に似つかわしくない険しい顔で私を見た。
「ひとりでくらしてるとはおもえないくらいひろいおうちですが。」
「私の城みたいなものだもの。住みたい家に住んでやろうと思って、思い切ってファミリー向けのマンションの部屋買ったんだもの。ただ、ほとんどの部屋は漫画とかDVDとか趣味のものがおいてある物置部屋と化しているけどね。」
「おねえさん、まだわかいよね。」
少年は険しい顔から一変し、困惑した顔で何かいいたそうな雰囲気だった。
「若いって言っちゃあ若いかもしれないけど、いや、君の若いの基準がわからないからね…。ってか、君名前何?君とか言いづらいし。」
ききなれた声が全く違って聞こえた。
「少し痛い目を見ないと分からないようね。」
「お前にはどうせ戸籍もない。ここしか居場所はないんだ。」
ずっと信頼してきた人達。かつてはこの人たちが全てだった。
けれど、俺は大きな夢をつかみたくなった。この檻から出たくなった。
「応援…、ずっとしてくれるっていってたじゃないか。」
そこで強い衝撃が頭を襲った。
赤黒い世界が視界を覆う。
「ぼくには、名前がない。」
彼はしばらく黙り込んだ後、そう答えた。
「いやいやいやいや、そんなわけないじゃない。なんか恥ずかしい名前とかなの?」
しかし、彼は何も言わなかった。
私は地雷を踏んだようだった。まさか、名前聞くことが地雷だとは思わないじゃないですか。
「好きなようによんでいいですよ。」
少年はかなしそうに微笑んだ。
「いやいやいやいや、そんなこと出来ない出来ない!!その顔で言われたら無理だって。」
「じゃあ、もう『ない』ってよんでくれていいよ。どうせ、ぼくには何もないから。おうちもかぞくも、なにも、ない…。」
私は彼を優しく抱きしめた。
「何もなくない。私があなたの家族になる。ここにも住んでいいよ。」
彼に聞きたいことはたくさんある。けれど、彼の気持ちに整理がついてからでいい。
私が思っている以上に彼は何かを抱えてる。
「うん。わかった。おねえさん、名前は?」
「陽菜。私の名前は陽菜だよ。」
「ひ…な?」
「あの、えっと、私、ずっと応援してますから!!だから、アンチとかに負けないでください!!」
その人はいつもお客さんとしてきてくれていた。そのときは珍しく自由に出来る時間が少しだけあった。
「お姉さん、いつも来てくれてるよね。こないだも最前で、見てたの、俺知ってるよ?もしかしてさ、このウサギの封筒の手紙くれる『ヒナ』さんって君?」
彼女は顔を真っ赤にして、あわあわと日本語になっていない奇声をあげて、その場を逃げるように離れて去ってしまった。もし、あの『ヒナ』さんだったなら、お礼が言いたかった。
仕事以外、外に出れない俺にとって彼女の手紙は外の世界を知る大切なものの一つだったから。
「ありがとう、ひなさん。」
「いやいやいやいや、そんな、なんていうか、その。」
ピーピーピーピー
洗濯機から音がした。私はそっと抱きしめていた彼から離れた。
「あ、君の服、乾燥までおわったけど。」
「はい。そのまえにおふろおかりしていいですか?ふいてもらったとはいえ、山の中、さまよったんで。あと、ぼくのことはやっぱり『ない』ってよんでください。ひなさんに、いみのある名前にしてほしい。」
「ふぇ、あの、その、いやいやいやいや、私がそんな。」
すると、小さな手で私の手を握り、大きな瞳でじっと見つめ、
「おねがいします。かぞくになってくれるんでしょ?」
と、天使の声でおねだりされたら、私はもう「はい。」の一択しかなかった。
「死体すら見つからない?」
部下から報告を受けた初老の女は苛立ちを感じていた。何も与えず、崖の上に建てた山小屋に閉じ込めたはず『商品』が、靴と壁に血で書かれた遺言を残し失踪した。
むりやり外に出た形跡、外を出てすぐの崖には崩れた跡があり、崖下に血痕も残っていた。しかし、肝心の『商品』がない。あの崖から落ちたらひとたまりもないのは想像に難くない。
それに『商品』には山小屋に閉じ込める前から食事をろくに与えていなかったため、もし崖から落ちた後、多少意識はあったとしても今の今まで無事に生きている確率はほぼないはずだ。
どこへ消えた?どこへ逃げた?自分以外『あれ』に逃げ場も頼れる人も何も存在しないように縛り付けてずっと育ててきた。