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永遠の誓約

 風に舞うのは美しい金色の髪だった。


 風が遊ぶに任せて、少女らしさを残した女性はふわりと笑っている。


 腰まで届く金色と、陽に殆ど焼けていない白磁の肌とが、その身に纏う純白の衣と合わさって実に幻想的だった。








 否、今すぐに消えてしまいそうなほどの儚さが彼女にはあった。








 だが、そうでありながら、まるで淡雪のごとく消え失せてしまいそうな儚い美貌でありながら、彼女の青玉を溶かしたような、青空を写した様な瞳は、強い晄を宿していた。


 ここは彼女のための箱庭。


 彼女のための聖域。








 ……そう、ここは、彼女という哀れな贄を囲うための、美しく整えられた檻なのだ。








真字(マナ)






 彼女の名前を呼ぶ声が聞こえた。


 硬質な印象を与える低い声は、それでもそこに含まれた彼女への確かな慈愛によって優しく響く。


 長い髪を、純白の衣を翻して振り返った彼女の視界に映ったのは、黒髪の男だった。


 威圧を与えるほどの長身は、細身に見えて鍛え上げた筋肉に包まれている。


 彼女はそれを知っている。


 感情があまり動かないその仮面のような表に僅かばかり浮かぶ、己を案じる色を感じとって、彼女は笑った。








 その微笑みはまるで、この世の穢れを何一つ知らないと言うべき程に透明だった。








 彼女は、真字と呼ばれた少女は、どこまでも美しく微笑む。


 まるで、微笑むことしか知らぬように、その笑みはあまりにも愛らしく、麗しく、清廉とした美しさを有していた。






「何かありましたか、佳瑠(カル)






 問いかける声は柔らかく、穏やかで。


 彼女の浮かべる表情と相まって、あまりにも優しく響いた。


 だが、その優しさは歪だった。


 あまりにも歪で、美しく整いすぎていた。




 男はそこには触れずに、ただ、静かに彼女を見下ろしている。


 紫紺の双眸が彼女を見下ろし、そして、どこか悲しげな晄を宿していた。






「何故お前は笑う」


「佳瑠こそどうして、そのようにしかめっ面ばかりなのですか」


「……この世界はお前にとって、決して優しくなど無いだろうに」


「妾はこの世界を愛しいと思っています。生きとし生きるもの全て、この世界全てが、妾にはただ、愛おしいのですよ」


「……」






 何の気負いもなく、本心からと解る口調で告げた彼女に、男は何も答えなかった。


 ただ、答えの代わりのように、ギリと歯を噛みしめる。


 その音を聞いていながら、彼女は相変わらず、花が綻ぶように笑っている。








 男は知っている。








 彼女の美しい、人形めいた清廉とした面差しに浮かぶのは、常に笑顔だけであることを。


 彼女はそれ以外の表情を浮かべない。


 元から知らなかったのか、それとも捨ててしまったのか。


 答えは、所詮彼女とは赤の他人である男には解らないことだった。




 世界は残酷に美しい。


 今日も明日も、世界はその姿を変えることなく続くだろう。


 いや、続かなければならない。


 この世界に生きる者達がいる限り。


 数多の人々に祈りを捧げられる聖山(この場所)がある限り。








 世界には、滅ぶことすら、許されぬのだ。








 世界は、命が生きる限り、澱みを抱え続ける。


 その澱みから魔物は生まれる。


 そして、その魔物を浄化し、世界の均衡を保つ者達が、この聖山に住まう一族。


 巫覡の一族と呼ばれる彼らは、いつからか聖山に住まい、世界の浄化を担っている。


 ゆえに、世界は滅びず、人々は祈りを捧げる。


 捧げられる対象者達はただ、己が勤めを果たすために、日々を生きる。




 無論、聖山に座していて全ての魔物を浄化することなど出来ない。


 だが、巫覡の一族である彼らが聖山で勤めに励めば、それだけ、聖山は力を増す。


 聖山は世界の中心。


 そこから広がる浄化の力が、世界の均衡を保つのだ。






「……くだらん」


「相変わらず口が悪いですね、佳瑠」






 男が忌々しげに呟いた一言に、彼女は笑った。


 やはり彼女は笑顔しか浮かべない。


 男はそんな彼女を、まるで痛ましい何かを見るように、見つめた。




 男は知っている。


 かつて彼女も、年相応の感情を露わにすることがあったのだということを。


 男と、彼女に近しいごく僅かの人々だけが、それを知っていた。


 彼女もまた、ただの人間であるのだという、あまりにも当たり前のことを。








「姫巫女様」








 男が彼女に何かを告げようとした瞬間、遮るような声が響いた。


 二人が振り返れば、そこには、恭しく頭を垂れる年配の女の姿があった。


 彼女の身の回りの世話をしている乳母だった。


 乳母といえども、彼女と己の間に明確な一線を引いて接しているので、特別な親しさはない。


 彼女が幼かった時分はそういったものがあったかもしれないが、今はない。




 姫巫女、と彼女は呼ばれている。


 この聖山で、巫覡の一族のその中で、姫と呼ばれ、巫女と呼ばれる、ただ一人の存在。


 最も尊く、最も神聖な存在と呼ばれる、穢れ無き姫巫女。


 それが、彼女だ。




 美しく残酷な世界の具現のように、儚い美しさで微笑む巫覡の姫。


 神の託宣をその身に受けることはないけれど、彼女は紛れもなく姫巫女だった。


 誰よりも強く浄化の力をその身に宿し、この聖山に住まうだけで世界の均衡を保つ存在。


 彼女の存在は世界の希望であり、救いであり、そして。






「……世界など、滅んでしまえば良いものを」






 まるで、この世の全ての絶望を詰め込んだかのような声で、男は呻いた。


 呻いたことすら、己が呟いたことすら、自覚していないようだった。


 それほどに自然に、当たり前のようにこぼれ落ちた、男の本音。


 それを耳で拾いながら、彼女は何も言わなかった。


 いつものように、柔らかく微笑むだけだ。




 彼女の微笑みに触発されるように、男の指先は、腰に佩いた剣の柄を弄んでいた。


 まるで虚無か空虚を思わせる黒塗りの剣は、決して大振りでもなければ長くもない。


 拵えそのものはいたって普通の剣であった。


 だというのに、人目を惹く。


 否、人の意識を、吸い寄せる。


 ……ただしそれは、畏怖を抱かせるだけの、空恐ろしさを孕んでいた。




 その剣は、全てを滅ぼす為の剣。


 選ばれたものだけが持つことを許される、聖山の秘宝。


 この世に切れぬものはなく、この世に滅せぬものはない。


 そう言われる、妖刀の類に等しい、神器であった。




 男が腰に佩いている時だけ、剣は実に大人しい。


 男の手を離れたその瞬間から、触れることさえ出来ぬほどの威圧を放つ。


 そのように不可思議な剣を、男は当たり前のように佩き、そして、忌々しそうにその柄を指先で弾く。






「ねぇ、佳瑠」






 不意に、彼女が男を呼んだ。


 男は静かに、己より随分と低い場所にある彼女の瞳を見つめた。


 空色の瞳は、いつもと変わらぬ美しさでそこにある。


 生身の人間らしい感情を感じさせない透明な微笑みを浮かべて、彼女は男を見上げる。




 細い指先が、男の頬を撫でた。


 まるで慈しむように、乞うように、指先が男の頬をなぞり、唇に触れる。


 すぅっと男の目が細められ、睨むような風情になる。


 けれど彼女は気にした風もなく楽しそうに笑うと、鈴を転がすような美しい声で、告げる。








 その言葉は、不思議なほどに感情が欠落していながら、何故か奇妙に熱量を孕んでいた。










「その日が来たら、ちゃんと、妾のことを、殺してくださいね?」








 それが正しいことなのだと言うように、彼女はやはり、美しく、笑った。


 男は何も答えない。


 ただ、能面のように感情をそぎ落とした瞳が、ひどく暗い決意を刻んで、彼女を見ていた。


 真字、と男は彼女を呼んだ。


 けれど続く言葉はなく、彼女は乳母と共に去って行く。


 去って行く彼女の背中に伸ばしかけた腕を、男はただ、痛みを堪えるように、引き戻すのだった。












 崩壊に至る世界の中枢で微笑む姫巫女の望みを叶えられるのは、それを望まぬ男だけだった。

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