異世界でジャンヌ
村の朝はいつだって早いけれど、それにしたって今日の早さはまた格別だった。
だって、山の端にひっかかった月の女神の作り給うベールはいまだ分厚く、太陽の神はまだ月の女神の褥でまどろんだままだ。あらゆる神々の王にして、太陽の神の父である大空の神さまが仕事をしろとたたき起こすまでは、彼は愛する女神を離さないに違いない。
「……はぁ」
ふと途切れたおしゃべりの中、大きなため息が出てきた。
「おっきなため息」
領主代行館にある井戸に小さな桶を放り込み、ロープでひっぱりあげて水甕にうつす作業は重労働なのでおしゃべりはせめてもの慰めだ。その合間のことだった。
ため息をつきたいのはみんな同じだ。昨夜のことが思い出されて、みんな少し声を落とした。
「フアナのところは男手が二人でしょう? 大丈夫?」
「ありがとう。父と兄が行ってくれたから大丈夫よ」
領主代行館の金には時間を知らせる以外にもいくつか役割があって、領主の要請に応じて村人を集めるときにも鐘は鳴らされる。
昨夜、その鐘が突然なって村人を一堂に集めると、男手を二人ずつ賦役として出すようにと言われたのだ。今すぐに、と。
それからはてんやわんやの大騒ぎだった。
どこどこは13歳になったばかりの末っ子が行ったのだとか、あそこはおじいさんしかいなくて、罰を科せられるのだとか。
「戦いになるのかしらね」
一人がぽつりと言って、どきりとした。ここは辺境で、川沿いが国境線になっている。
「まぁ、戦いだったとしても今回だってすぐに帰ってくるわよ! この前だって結局にらみ合いですぐに帰ってきたじゃない?」
と、場を和ますようにいわれた声色に、みんなは口々にそうね、と頷いた。口にすると精霊は無邪気に叶えてくれる。悪いこともよいことも、精霊には人の世界のことは知らないのだから。
それからまた、みんなが意識して話をいつもの井戸端会議の内容に変えた。なるべく悪いことを口にしないで、いい言葉だけが精霊の耳に届きますように。
水汲みを終えてロバを引いて門を出たところで、あまり聞きたくない声に呼びかけられた。一瞬気づかなかったふりをしようかと悩むけれど、
「フアナ」
もう一度声をかけられ、それは無理だと悟った。一緒に門を越えた友達が大丈夫? と心配そうにするのを大丈夫よと顔だけで応える。一呼吸おいて、振り返った。
待っていたのは馬にのった男だ。テオという。
「おはよう」
あんまり長話をする仲ではないので、挨拶をするだけして、すぐに家へ戻る道に向かう。テオはそれを引き留めるように声を荒げた。
「あの気味悪い山小屋は片付けたんだろうな」
「今日の仕事が終われば片付けに行くわ」
「はやくしろよ! 結婚したらお前なんか、どうなるかわかってんだろうな!」
一つ覚えの脅し文句を残して、テオは領主代行館へと帰って行った。何か言わないと気が済まないのだろう。
彼は、村人が礼を尽くすのは自分が偉いからだと思っている。まぁ、実際彼の父が今の領主代行なので、それを継ぐテオはいずれ本当にそうなのだけど、評判は悪い。
今はまだいい。彼の父が生きている間は、私は「神々の娘」として丁重に扱ってもらえるだろう。でも、そのあとは?
私の異質さを両親が問題にしたのは、四歳のときだった。私は覚えていないけど、育てていた大麦の根元を何を思ったのか私が楽しそうに踏みしめていたのだそうだ。
大麦はもちろん横倒しになり、両親は思わず私を抱き上げた。
「フアナ、どうしてそんなことをするの?」
「だって、おおきく育つって」
「そんなことをしてはだめよ。麦も生きているの。踏まれたら苦しいわ」
「でも、そのほうがいいって!」
ごにょごにょと、両親には理解できない単語を交えながら私はそう訴えたらしい。
両親は私を祭司さまのところへと連れて行った。
幸いなことに、人のよい老祭司は、私の話を真剣に聞いてくれた。
戦争のない国。食べ物に困らない生活。夏は涼しく、冬はあたたかく、飼料の必要もなく疲れない不思議な乗り物で移動をして、夜も明るく、その場にいながらどんなにも離れた人とも話がでる国。
「そなたのその声は、おそらく神々の国の言葉なのだろう」
その年の秋、私が踏んだ麦が、目に見えて太く、大きく育っているのを見て、祭司様はおっしゃった。
「よいか、フアナ。そなたは神々の娘。神々の国の言葉はこの上もなき奇蹟じゃ。めったなことを他言してはならぬ」
強く念をおされ、私はそれ以降、慎重に言葉を選んだのだけれど、そのうち段々ともともと知っていたことなのか、それともかの国で知ったことなのか、本当に混じってわからなくなって、でもって私はそのうち大事な事に気づいた。あれは神々の声なんかじゃなくって、単に某アイドルグループが村を作ったり島を開拓したりする番組のちょっとした豆知識だったことに。
まさか、そんな事実を祭司様にするわけにはいかなくて、悶々としてる間に祭司様は老齢のためになくなられて、そのときになんともはた迷惑は遺言を残した。
曰く、テオと結婚するように、と。
三の鐘が鳴る頃には、私は最低限のことを終わらせてテオのいう「気味悪い」小屋についた。かの国の技術を試すために司祭さまに貸し与えられた小屋で、山の中に、半分崖に埋まってたっている。
私は突き当たりの壁に手をかけて少し押し込む。左にスライドさせれば隠し扉が開く仕組みだ。板のつなぎ目で細工されているので、ちょっと見ただけではわからないようになっている。
窓もないし、暗闇だけど慣れているので、手探りで残っていた蝋燭に火を灯した。この蝋燭はちょっと細工がしてあって、蝋燭の芯の中央部分を空洞にしてある。空気が入り込んで、明るくなるという記憶があったので作ってみたのだけど、これはアタリだった。芯が太くなることと、可燃性が上がることで光が強くなったのだ。
燭台に乗せて振り向いたその時だった。何か風が通り抜けるような、ヒュッとした音がして――
「動くな」
低い声が、耳元でした。
「……え?」
蝋燭で照らされた中には、二人の男がいた。片方は私の正面にいて、左手に大きな剣を下げている。抜いてはいない。もう一人は私のすぐ前にいた。大きな長いなにかを、私ののど元に押しつけている。
「大きな声は出すな。一人か」
言葉を発したのは目の前の男だった。若そう――と言っても私よりも幾分か、というところだから、二十歳ぐらいだろうか。背は高くて、がっしりとしてる。黒い髪なのはわかった。
「応えろ」
私の喉に凶悪なそれを突きつけている男が言った。でかい。私のそばにいて、胸元しか見えないってどういうこと?
「ひ、ひとりです」
声が裏返る。暴力的な恐怖を、こういう突発的な状況で感じたことはないし、これからもないと思ってた。それこそ、戦いがおこって、村に攻め込まれたりしない限りは。
「ここはお前のものか?」
「――」
やばい、怖い。声を出そうと喉が動くたびに押しつけられた剣が存在を主張する。足が震えて、立つのも困難だ。光がゆらゆらこっちもずいぶんと揺れていると思ったら、震えているのは足だけではないようだった。
でも、答えないと。着ている服装をみれば、この二人の男が貴族階級であることは、貴族を直に見たことがない私にだってよくわかる。そして、貴族にとって農民わたしがいかにちっぽけな存在なのかも。
「あ、の、あの」
目の前の男の人が少しだけ剣呑な空気を和らげて後ろの男に向かって言った。
「剣を納めろ」
「――しかし」
「そこまでおびえさせては話も聞けん。――娘。離しはするが、逃げられると思うな。彼の剣を抜く速さを実感したいというなら止めはしないが」
こくこくこく、と迷わず頷いた。ええ、もちろん、私が踵を返して外に向かおうとしてもそのリーチの長さでは無理な事は私でも想像できる。体の大きな人は総じて動きがゆっくりだというけれど、両手を伸ばした指先から指先までがその人の身長だと言われてるぐらいだ、その背の高さを考えたら……
「お前の強さは知っている。よもや私に、その距離でなければ娘を取り逃がすとでもいうまいな?」
「――はっ」
からかうような声色に、男は素直に剣を私ののど元から離してくれた。でも私の後ろ、出入り口の前に立ち、私の退路を断ってしまう。
命じた男は満足そうに頷き、私に近づいてきた。大きく三歩。それだけで私のすぐ手の届く所に来る。
「面白いものを持っているな。私が知っているものよりも明るい……これはなんだ」
「ろ、蝋燭です」
答えると、男はそれぐらい知っていると言いたげに眉を顰めた。
「ろ、蝋燭以外に見えますか!?」
「――いや。質問をかえよう。なぜ明るい?」
そうは言われても、困った。これはかの国で得た知識だ。それは祭司さまの口を経て伝えなければならないものだ。私が神々の娘として扱われている以上は。
「なぜ答えない」
どうしようか、神々の娘と呼ばれていることぐらいは説明してもいいのだろうか。いっそごまかすか、と悩んだけれど、嘘はなるべくつかないほうがいいと思い直す。
「――祭司さまのご意向によって、固く禁じられておりますので」
国と、教会はまた別の組織だ。なので、貴族相手でも、これは立派な答えになる、はず。
男はふむ、と頷いた。どこか楽しそうににやりと笑う。
「ならば、一緒にきてもらうしかないな」
いっしょにきてもらうしかないな
一しょに来てもらうしかないな
一緒に来てもらうしかないな?
「………はぁっ!?」
思いがけず、私の声は、後ろの男のそれとシンクロした。




