うちの姪が魔王をやってまして。
「私、大きくなったらおじさんと結婚する!」
なんて話はお酒の席や親戚の集まりでたまに聞いて、ちょっとした笑い話になるものだ。親馬鹿にも似た姪自慢であり、ありふれた話だと言える。
ただ、うちの姪はちょっと変わり者だった。
「私、大きくなったら魔王になります。おじさんは秘書をやってください」
今思い出しても、ちょっとズレた子だと思う。うん、いや、まあ、可愛いんだけどね。
恋人がおらず結婚の予定がない僕にとって、姉の子供である姪は、まるで自分の子供のように愛しいものだった。
「そっか、それじゃあ姪ちゃんが魔王になって僕の会社を滅ぼしてくれるかな」
当時からブラック企業に務めていた僕は、そんなふうに軽い調子で返してしまった。
結局のところそれは、おじさんと結婚するだとか、お姫様になるだとかと変わらない。
子供らしい、夢見がちで、可愛い願いだ。きっと当時やっていたゲームか、ハマっていたアニメがそんな感じだったのだろう。
その日は結局、ふたりで魔王と秘書ごっことして、僕の会社の本社ビルを爆破するシナリオで遊んだ。
それは子供時代の想い出であり、いつか色あせて、そんなこともあったと懐かしむだけのものだ。
そう思っていた時期が、僕にもありました。
「姪ちゃん、その格好は……?」
「見ての通り、魔王になりました」
ごっこ遊びから数年後。
可愛い姪は、とんでもないことを言い出した。
今、僕が長年暮らしているボロアパートの部屋の真ん中では、あの頃より少し成長した姪が腕組みをして、仁王立ちをしている。
その格好はいつも僕のところに遊びに来るお嬢様学校の制服なんかではなく、やたらと黒色が主張する、ゴシックドレスのような鎧のような、不思議な格好だった。
言ってしまえばファンタジーの世界でありそうな衣装であり、魔王というよりは、魔法剣士か姫騎士かといったところだろう。王冠をつけているから、姫騎士が近いのか。
黒髪黒目で日本人らしかった姿は、髪色こそ同じだけど、目の色は紅に変わっている。
スリットから見える年頃の女の子の生足の眩しさからなるべく目を逸らしつつ、僕は彼女に言葉を投げた。
「えーと……コスプレ? 姪ちゃんにはまだそういうきわどいのは早いと思うよ。それとカラーコンタクトは視力低下のリスクもあるからね?」
「違いますっ! 本当に魔王になったんですから!!」
「そういうのが今の流行りなの? あ、今日泊まっていく? それなら姉さんにきちんと言っておかないとダメだよ。この間も姉さんに黙って来ただろう?」
「ママには今日はちゃんと言って……じゃなくて! ほんとなんですってば!」
「はいはい、ちょっと待ってね。今片付けるから」
少し大人びてきたと思ったけど、まだまだそういう遊びが好きなお年頃らしい。
アパートなのであまり騒げないけれど、付き合ってあげるくらいはしたい。
とはいえ、来ると思っていなかったから、少し散らかってしまっている。仕事帰りで疲れているけれど、まずは片付けをしないと遊ぶには狭い。
「だから違います!! ほら、見てください!!!」
見ろと言われたから、片付けの手を止めて相手を見た。
慌てた様子の姪ちゃんが手のひらをこちらに差し出してくる。ちょうどお菓子でも貰うような格好だけど、それは間違った解釈だった。
「煉獄」
最近の子は難しい言葉を知ってるなぁと思ったのは、ほんの一瞬だった。
瞬きをするほどの時間で、彼女の手のひらに黒炎とも呼ぶべきものが出現する。
ゆらめく炎は明らかな高熱で、冬の寒さが厳しいアパートの一室をぐんぐんとあたためていく。安っぽい部屋の景色が、ぐにゃりと歪んだ。
つまり目の前にある炎は、紛れもなく本物ということだ。
「ええと……手品?」
「まだ言いますか!?」
「ダメだよ姪ちゃん。火は危ないし、火災報知器が鳴る前に止めようね」
「ふぐぐ……だから本当に魔王なんですってば! いきますよ!!」
キレ気味にベランダの窓を開けて、姪ちゃんは手のひらの炎を投げ捨てる。
綺麗な投球フォームからの投擲は、黒炎を遥か高空へと上らせた。
「爆ぜなさい」
ぐっと姪ちゃんが拳を握った瞬間、曇天に華が咲いた。
黒い炎が己を膨らませ、言葉通りに爆ぜたのだ。
生憎の空模様は一瞬で消し飛ばされ、向こう側にいた太陽が顔を出した。
明らかな破壊と、衝撃。そして素手で炎を投げるという芸当。
紛れもなく目の前で起こったことは出鱈目であり、魔王でもなければ不可能と言えた。
「……マジ?」
「マジです」
ようやく僕が信じてくれたことが嬉しいのか、姪ちゃんはドヤ顔で発展途上の胸板を張って、むふぅと鼻息を吹き出した。
その仕草はいつもと変わらない、僕の可愛い姪そのもの。しかし彼女が今振るった力は、どういうわけか常識の範疇から大きく逸脱していた。
「約束通り、魔王になりました。ちょっと日本じゃ難しかったので別の世界でなってきましたけど!」
これは褒めればいいんだろうか、呆れればいいんだろうか、それとも怒るべきなんだろうか。
「だからおじさんも約束通り、私の副官をやってくださいね?」
「え、えーっと……」
どうしよう。その場だけの遊びだと思って返していたとは言いづらい雰囲気だ。まさか大真面目に魔王になってくるとは。
姪ちゃんは僕の歯切れの悪さが気になったのか、首をかくんと可愛らしく傾けて、
「ダメなんですか……?」
「いや、ダメっていうかね……」
「あ、そうでした。もうひとつ約束がありましたよね。任せてください、すぐ済みますから」
「へ? あっ……!」
言われてから、昔のことを思い出した。
僕は魔王になると言い出した姪ちゃんに、自分の会社を滅ぼしてほしいと頼んだのだ。
「えーっと、本社ビルはあの方角……あ、あれですね。よーし、本気出しちゃいますよ。こほん……黒き源流に宿りし昏きものよ、我が約定に従いて、厄災の担い手とならん……」
「待った待った!? なにする気!? なんかすごい物々しい言葉唱えてるよね!?」
「え、全力の魔法で消し去ろうかなと……具体的にはあの本社ビルの空間を闇の魔力で満たして、あそこにいるであろう重役の皆さんに一通りこの世の地獄のような苦しみを味あわせて、いっそ殺してと泣いて許しを乞うても無視してじわじわとなぶってやろうかと思っています。大丈夫、他に被害は出ませんから!」
「思った以上に残虐だ……!?」
いい笑顔で語っている辺り、本気なのだろう。
なるべく子供にはそんな話を聞かせないようにしていたけど、ふとしたときにこぼしていた愚痴が聞こえていたこともあり、姪は僕の会社のことを結構嫌っているのだった。
「ちょっと落ち着こう、姪ちゃん。あんな会社でも一応社会の歯車のひとつで、なくなったら困る人がいるから」
残業代は出ないし仕事はキツいし上司は怖いし、決していい会社だなんて言えないけれど、それでもあの会社も、社会の一部だ。
うちの仕事で助かっている人がいるのも本当だし、僕だって安いとはいえ給料はもらっているのだ。
他の社員さんたちに迷惑をかけてまで、滅びてほしいとは本気で思っていない。いやちょっと思ってる。思ってるけどそこまでしなくてもいい。少なくとも、姪に誰かを殺めてほしいとまで思わない。
「むぅ……気が変わったんですか?」
「あー……そういうことにしておいて」
「おじさんは優しいですね。私ならきっと許さないと思います。実際許してません、おじさんのお仕事のせいで、私が何度寂しい夜を過ごしたか……」
まるで嫁みたいな言い分だけど、ようは仕事が忙しくて構ってもらえなかったときに寂しかったということだろう。叔父としてはちょっと嬉しい。
よよよ、と一通り泣き真似をしてから、姪は改めて僕に笑顔を向けた。
「とにかく、信じてくれたのなら良かったです。それじゃ、行きましょうか」
「ええと、どこへ?」
「決まっているでしょう。魔王といえば、お城です!」
高らかに宣言して、姪ちゃんは手を振り上げた。
流れるような動きで振り下ろしながら、彼女は指を擦り合わせる。
ぺちゃっと、可愛い音が鳴った。
「……姪ちゃん?」
「ゆ、指パッチンは練習中なんです!」
残念ながら、格好よくキメることはできなかったようだ。
魔王という肩書きを持っても、ちょっと抜けているところは変わらないらしい。
「で、では、改めて……来なさい、招来の門」
指を鳴らすのは諦めたらしい。紡がれた言葉がボロアパートに染みたと思うと、それが来た。
色のあせた畳からせり上がるようにして、扉が現れたのだ。
赤黒く、不思議な装飾がなされたそれは、どこかおどろおどろしい印象がある。
明確な存在感を放つその門は、紛れもなくこれから非日常が幕を開けるというしるしだった。
「約束通り、秘書になってくださいね、おじさん」
「あー……これ、すぐに帰ってこれる? 明日、仕事朝早いんだけど」
「向こうとあちらでは時間の流れが違いますから、大丈夫ですよ♪」
こちらの疑問に笑顔で答えて、彼女は僕の手を取ってくる。
姪に付き合うことは慣れているし嫌ではないけれど、魔王の秘書なんて、ただの社畜のおっさんにできるのだろうか。そもそも、なにをすればいいのやらだ。
「恐怖と暴力……こほんっ! 夢と冒険の世界へ! れっつごーですよ!」
「今の前半、聞かなかったことにしていいのかな……!?」
不安と疑問を嘲笑うかのように、重苦しい音を立てて扉が開いた。




