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社畜だけど君を守るためなら、勇者だって殺して見せる

 彼女の叫びを耳にした瞬間、なにかが弾けた。


 逃げたいとか、どうせ勝てないとか、仕事を失うとか、そんなことは脳内から吹き飛ぶ。


 ただ、目の前の少女を助けたい。


 彼女に矜持があるように、オレにだって小匙一杯分かもしれないが矜持があるのだ。


 絶望的なまでに勝ち目がなくても、立ち向かってみせる。




 たとえ、その敵が自分の上司であり、世界を救った勇者であったとしても……。







 また、夏が来た。




 油蝉の鳴き声が遠く聞こえる。


 エアコンの効いた部屋にいるというのに、鳴き声だけで肌が焼けてしまいそうだ。




「ったく、うるさいな」




 オレは悪態をつきながら、布団をかぶり直す。


 本来であれば社畜として仕事と格闘している頃合いであるが、大変喜ばしいことに今日から三日間は夏休み。こうして、惰眠をむさぼることができる。


 そう、今年も夏休みは三日間しかない。一年間、馬車馬のように働かされ続け、ようやく手に入れた貴重な休暇である。


 このまま、惰眠を貪っていて良いのだろうか?




「っていっても、やることもなんにもないけど」




 一人、寝返りを打つ。


 無論、休みを満喫しようと行動は起こした。


 日程が決まり次第、すぐに友人に連絡をとってみたが、悲しいかな。誰とも予定は合わなかった。こうして横になっている間にも、彼らは仕事をしているか、それとも、他の予定――たとえば、恋人と甘い逢瀬を満喫している。




「……別にいいさ。一人でも満喫してやる!」




 しかし、開き直ってみたものの、実家に帰る暇もなく、世間様は盆休みの真っ最中。


 どうしたものか、と考えているうちに、ふと気が付けば、時計の針が12を指していた。夏バテか日ごろの疲労が押し寄せてきているのか、食欲はないのに腹の虫だけが鳴っている。




「はぁ……昼飯を買いに行くか」




 考えてみれば、普段の昼食は10秒のエネルギー補給で完結していた。コンビニであれやこれや悩むのも休暇中の特権なのかもしれない。できるだけ前向きに思案しながらアパートから出ると、真っ白な日差しが無防備な顔に直撃した。




「――ッ」




 目が眩む。


 くらり、と酔ったように地面が揺れた。反射的に腕で顔を覆い、目を細める。


 そう、視界を塞いだのが間違いだった。


 その一瞬のすきに、大通りから何かが飛び込んでくる。トラックだと気づいたときには、すでに遅い。






 夏休み初日――オレは、死んだ。




 そう、死んだ。


 しかし、オレは生きていた。


 いや「生きていた」という表現には語弊がある。


 では、死んでから蘇った? これも少し違う。




 トラックに肉体を粉々にされ、気づいたときには、見知らぬ女の胸でおぎゃーと泣いていた。つまり、「転生」だ。


 オレは歓喜した。なにせ、いままでは残業代も出ず、休みなしに15時間労働なんて日常茶飯の社畜生活だった。そんな苦しいだけの日々に終止符を打っただけでなく、20数年間積み上げられた知識を活かして、新たな人生をスタートさせることができる! そう考えただけで気分が高揚し、未来が輝いて見えた。




 しかし、それは最初だけ。


 今生の世界は、身分制度がハッキリ定められていたのである。


 騎士の子は騎士に。


 職人の子は職人に。


 農民の子は農民に。


 もちろん、多少だが職業選択の余地はあった。


 優れた才を認められると、借金まみれの鍛冶屋の息子も騎士になれるし、税にあえぐ農民の子が政務官になれる。


 ――けれど、現実は非情だ。


 そうやって成り上がれるのは、皇国に籍のある者だけ。


 オレみたいな奴隷は奴隷のまま。


 戸籍がなく、家畜同類の奴隷に明るい未来はない。




「おい、十六番! なに、ぼさっとしてるんだ! 八つ裂きにされてぇのか!」




 怒声が坑道に木霊する。オレは一気に現実へと引き戻された。




「すみません!」




 オレは謝罪の言葉を口にすると、石炭をトロッコに詰める作業を再開する。腕は鉛のようで、目もしょぼしょぼしたが動き続けた。次に止まっている姿を見られたが最後、あいつらに殴られるのは明白だ。内心、溜息を吐く。社畜時代も理不尽に怒鳴られたり、休みなく働かされたりしてきたが、なぜ第二の人生でも似たような目に合わなければならないのか。




「……いや、いまは本当の社畜か」




 オレは口の中で呟くと、苦笑いを浮かべた。




 奴隷番号 十六番。


 それが、今のオレを示す唯一の証。




 一応、五歳になるまでは平凡な家庭だった。


 ところが、オレたちの街に奴隷商人が来襲し、大人たちは皆殺しにされたのである。


 オレは助かったが、兄や妹たちとも引き離され、以後、十年――こうして毎日、狭い坑道にもぐり、石炭を掘りだしてはトロッコに詰め、外に運び出す奴隷生活を送っている。坑道は、いつも湿った土埃のせいで息苦しい。筋肉を酷使するせいか、身体の節々が痛くてたまらなかった。


 ここは最悪だ。


 食糧事情も悪く、雇用主からの暴力や暴言に怯える日々。


 先輩奴隷たちは、とうの昔に全員死んでた。あとから来た奴隷も、ばたばた死んだ。


 その点、オレは二十数年分が上書きされているためか、上手く立ち回ることができた。他の子供たちよりも、上手に手を抜き、適度に休む。ゆえに、雇用主から殴られる回数は格段に少なかった。


 それでも、きっと――大人になる前に死ぬ。


 社会における最底辺の家畜として。


 この暗くて狭い坑道で、惨めに――。




「ふぅ……」




 トロッコを押し、坑道の外に出る。一瞬、外の明るさに目が眩む。


 だが、ここも坑道よりか少し明るい程度。


 そもそも、この街に温かい日光が差し込むことなどない。空一面に覆われた炭鉱の煙が、太陽の光を遮っている。外の職についても、遅かれ早かれ、肺を悪くして死ぬだろう。


 そんなことを考えながら、トロッコを押していると、見張り役が頭を押さえている姿が目に飛び込んできた。彼からは、酒臭さが漂ってくる。




「……まずいぞ」




 これは嫌な予感がする。オレは静かに通り抜けようとしたが、こういうときに限って不運とは重なるもの。自分自身の気配はなるべく消して進んでいても、たまたま劣化したトロッコを押していたのが運の尽き。がらがらと鳴り響く音のせいで、見張り役の目がこちらを向けられてしまった。




「なに、のろのろ歩いてる! こっちに来い!」




 己の酒癖が悪いせいなのに、イライラの矛先を奴隷にぶつける。完全に、とばっちりだ。




「……はい」




 しかし、ここで反論できるわけがない。


 なにせ、こいつは気が済むまで殴り続ける危険人物。以前、こいつの標的にされた可哀そうな奴隷なんて、最後は頭を割られて死んでしまった。


 可哀そう? 助けに入らなかったのはなぜ?


 当たり前だ。助けるわけがない。下手に介入しようものなら、巻き添えを喰らって同じ目に合うのがオチだ。




「にくたらしい顔しやがって、こうしてやる!」




 大きく引き絞った拳が近づいてくる。


 できれば一発で終わればいいな、と無抵抗に眼を瞑った。




 その瞬間。




「――やめなさいっ!」




 酒臭さを吹き飛ばすような、凛、とした声が空間を貫いた。


 転生してから――いや、前世でも聞いたことのない芯の通った声。オレは弾かれたように目を開け、息をのんだ。


 世界が、停止した。


 少女が立っている。


 絹のように滑らかな銀髪は腰まで伸び、ちらちらと燃えるような琥珀色の瞳が射抜くようにこちらを見据えていた。年齢は自分と同じか一つ上だろう。幼く柔らかそうな顔立ちだったが、気品のようなものが薄らと漂っている。


 太陽の光すら満足に届かない灰色の世界で、彼女だけが精錬な輝きを帯びていた。




「なぜ、そこの少年を殴ろうとしているのです」




 かつん、かつんと近づいてくる。


 少女が歩くたびに、スカートの淵についたレースがひらひらと揺れた。穢れを知らない白い素足が見え隠れしていた。




「い、いえ、ちょっと……すみません」




 見張り役は途端、罰の悪そうな表情を浮かべた。




「その……こいつがのろのろしてたんで指導を――」


「緩慢な動きには見えませんでしたよ。


 むしろ、二日酔いを奴隷で発散しようとするのは、いかがなものでしょうか」


「は、はい、申し訳ありません。どうか見逃してください、第三皇女様!」




 第三皇女様っ!?


 今朝、奴隷仲間が話していた内容が瞬く間に蘇ってきた。




――おい、第三皇女 ルリカ・モチヅキ姫が視察に訪れるんだと。


――皇女様は坑道に降りてこないだろう? 関係ねぇよ。


――いやいや、皇国軍の一隊を率いる豪傑だぜ? なにをするか、わかったものじゃねぇ。


――あー、たしか姫の二つ名は……




「死神姫……」




 二つ名が口から零れる。


 豪傑、死神姫――てっきり、筋肉隆々の女性を想像していたが、完全に真逆だ。


 白いきめ細やかな肌は血生臭さをまったく感じさせない。腕は阿修羅像のように細く、触れたら折れてしまいそうだ。身体もオレより二回りも小さい。


 真綿で包まれた姫が精いっぱい背伸びをしている、そんな危うさを感じた。




「こら、なに勝手に口をきいてるんだ!」




 がつんっと拳が降って来た。見事、脳天に直撃する。




「す、すみません」




 オレは「もっと彼女を見ていたい」という想いを抑え込むように、地面にひれ伏した。




「申し訳ありません、姫。あとでしっかり教育をしておきますんで」


「……かまいません。君、顔を上げなさい」




 オレが顔を上げると、彼女は不思議そうに瞳をのぞき込んできた。




「……君、もしかして……」

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