キスから始まる妖精物語
昔々、妖精達と私たち人間は共に力を合わせ、平和に暮らしていました。これは、この世界に住む人間ならば、まず間違いなく知っているだろう物語。妖精の国の物語の冒頭だ。この物語によると、妖精達は人間達とは比べ物にならないほど強力な魔力と、空を舞う光の羽を持っていたのだと言う。
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――ズガァァァァン!
「ぐあああああああ!」
とある森の奥にある古びた神殿の入り口前。ほんの数秒前まで静寂に満ちていたその場所に轟音が響き、土煙が舞った。その轟音は、盾と剣を持つ戦士の姿を模した五メートル程の石像が振り下ろした剣によるものだった。その威力は凄まじく、なんとか直撃を免れたボロボロのマントを纏う少年を衝撃だけで吹き飛ばしてしまうほどだった。
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この物語の特徴は、おとぎ話ではなく、昔話であることだ。そう、妖精達は遥かな昔、この世界に確かに存在していたのだ。しかし、今となってはその妖精に会うことなど叶わない。なぜなら、妖精はもうこの世界に存在していないからだ。
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「ぐ……! くそがっ……!」
衝撃で吹き飛ばされ、マントも紺色の髪も埃まみれになりながら神殿の硬い床を何度も跳ねるように転がる少年。身体中に走る痛みを悪態をつきながら堪え、なんとか立ち上がろうとするも、右足の更なる激痛がその邪魔をした。
「な……嘘だろ……!?」
少年が黄金色の目をしかめながら見るのは、自らの右太ももに突き刺さった拳ほどの大きさの石片だった。どうやら、先の一撃と共に砕けた物が右足に刺さってしまっていたようだった。明らかな重症。しかし、少年の受難はそれだけにとどまらなかった。
――ズシン……ズシン……
「はは……絶体絶命……ってやつか?」
先程剣を振り下ろした戦士の石像が、少年へと止めを刺すべく、ゆっくりと歩み寄っていたのだ。
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だが、妖精達の痕跡は世界中の至るところに残されている。遺跡や、遺物。これらの多くは、強力な守護者と呼ばれる存在に護られており、探索には大きな危険を伴う場合が殆どだ。
危険を省みず、ときに高額で取引されることすらある遺物を求め、世界中を旅する者達は遺物探索者と呼ばれた。
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――ズシン……ズシン……
「くっ……これでもくらいやがれ!」
地面から起き上がることもままならない少年が、腰のホルスターから魔力弾を撃ち出す銀色の銃を構え、石像の顔へと引き金を引く。
――ガギギギィン……
石像は、銃口から撃ち放たれた魔力弾を防ぐことすらしなかった。それもそのはず。
「こんなの防ぐまでもないってか……」
放たれた魔力弾は、石像を僅かに傷つけるのみで殆ど効果を為していなかった。
――ズシン……ズシン……
少年が何度か銃撃を放ちながらじりじりと後ろへと這うように進む。石像の歩みは遅いもののどんどんと距離が詰められていく。右足の傷からは止めどなく血が流れ、眼前には確実に死をもたらすだろう敵が少しずつ迫る。もはや詰みの状況だった。
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妖精達が何故この世界から姿を消したのか。それは、多くの歴史家や、遺物探索者達が調査を続けている今でも明らかになっていない謎だった。ただ、遺跡に残されている壁画から、何か大きな戦いの後、人間と妖精の時代が終わりを告げたのではないか、という説がもっとも有力なものだ。
色々な説が飛び交っていたあるとき、妖精達の歴史の真実を追い求める一人の優秀な遺物探索者の女が独自の調査の末、妖精の姫の最後の地の存在を突き止めるに至った。
その情報は、強力な守護者達に護られた遺跡に残されていたものだった。彼女は守護者達との激闘の末、なんとか生還を果たしたものの、その際の負傷は彼女を遺物探索者からの引退に追い込むこととなった。
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――ズシン……ズシン
石像のゆっくりとした足音が響く。少年はその足音を聞きながら、更に後ろに下がる。すると、やがて背中に硬いものが当たり、視界の右端に棒のような何かが入り込む。
「もう下がれないか……ん? なんだ? 剣……?」
少年の視界に入ったのは、神秘的な気配を放つ剣の柄だった。何故こんなところに剣が、と疑問を浮かべながら振り向く少年に更なる驚愕が訪れる。
「これは……魔昌石……なんてデカさだ……!?」
背後にあったのは、遺物ほどの出力はないが、日用品に多く利用されている魔具に必要となる鉱石である魔昌石の塊だった。
「でもなんでこんなところ……に……なっ……!?」
少年が巨大な魔昌石を見上げていくうちに、ある場所で目を見開くこととなる。
「女の……子……!?」
魔昌石の内部に、祈るような姿勢で目を閉じる腰ほどまでの金髪の裸の女の子が封じられていたのだ。
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彼女が遺物探索者を引退してしばらく。彼女は結婚し、息子が生まれていた。
彼女は、自分が幼い頃に聞いた妖精の国の物語を、同じように自分の息子へと語った。息子は、幼かった頃の彼女のように、目を輝かせて妖精達の物語に聞き入った。彼女が語ったのはそれだけではなかった。彼女は自分が遺物探索者として体験した出来事や、調べあげた妖精の国のことも息子へと語ったのだ。
そんなある日、彼女の息子は一つの夢を持った。それは、母の意志を継ぎ、妖精達の歴史の真実を解き明かすため、遺物探索者になりたいと言うものだった。
彼女には止めることなど出来なかった。夢を語る息子の姿が、かつて、遺物探索者になると決めた自分の姿に重なってしまったからだ。
それから、数年をかけ、彼女は自分の持っていた技術と知識の多くを息子へと伝授した。
そして、母が愛用していたマントと銃を受け継ぎ、少年は旅立った。
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少年が呆然とした表情で女の子を見上げる。少年より幾分か年下に見えるその女の子は、まるで芸術品のように美しく神秘的だった。
――ズシン……ズシン……
「っ!」
呆けてしまっていた少年が、石像の足音にはっとなる。気づけば石像は少年の目前まで迫っていた。
「ここまできたのに……」
石像が動けない少年を叩き潰そうとゆっくり剣を振りかぶる。
「ここまできたのに……!」
石像の剣が少年へと降りていく。
「終わって……たまるかああああ!!」
少年は、無意識のうちに魔昌石に突き刺さっていた剣の柄を掴み、それを石像へ向け振り抜いた。
――キィィィィィン!
高く、澄んだ音が響く。瞬間、剣閃が走る。細く鋭いそれは、石像の身体を通り抜け、神殿の入り口方向の壁に当たる。そして。
――ズゥゥゥン……
石像の身体が真っ二つに裂け、崩れ落ちた。
「え……?」
少年が今起きた出来事を理解できず、手に握る美しい剣へと視線を落とす。
「この剣……まさか、遺物なのか……!? うぁっ……」
その直後、少年の視界が霞み地面へと倒れ込む
「駄目だ……血が……」
少年の這ってきたあとに残る酷い出血の跡。それは、今も止まらず流れ出しており、血溜まりになりつつあった。
「こんなところで……母さん……ごめん……」
明らかな致命傷に少年が遂に諦め、目を閉じる。そのとき、瞼越しに柔らかい光が降り注いだ。
「なんだ……?」
朦朧とする意識の中、少年が瞼を開く。すると、先程まであったはずの巨大な魔昌石が、内部に封じられていた女の子だけを残し、ゆっくりと光の粒子となって消えていく光景が目に入った。
「魔昌石が……消えていく?」
呆然と少年が呟く。その声に反応してか、魔昌石の中にいた姿勢のまま宙に浮かぶ女の子がゆっくりと目を開く。
「……」
どこか眠たそうな表情の女の子が無言のまま、背中の光の羽を静かに羽ばたかせ、ふわりと少年の側へと降り立つ。
「君は……」
「私と……契約を……」
女の子は、朦朧としている少年へと覆い被さるように。
そっと。
キスをした。
このキスが、彼らを中心とした世界と妖精を巡る物語の始まりだった。