勇者の顛末
白銀の剣が、漆黒の異形の体に突き刺さった。
「ぐおぉぉぉぉぉ!」
深く、深く、突き刺す。
魔王の核を壊すように剣を捻ると、抵抗していた体がピタリと動きを止める。そして魔王の指先から静かに崩壊が始まった。
勇者の肩に食いこんでいた魔王の爪もサラサラと崩れていき、縫い留められていた体は自由を取り戻す。
「はあっ。はっ……」
致命傷ではないものの、すぐに治癒しなければ失血死するだろうと勇者は思った。
だが、ここで倒れる訳にはいかない。
目の前で崩れていく魔王の姿を見ながら、勇者は意識を研ぎ澄ませた。背後には魔王討伐の為に集められた仲間たちがいる。
勇者が召喚されるまで今代の勇者と呼ばれてきた、聖王国の王子ユリアス。滅多に森から出る事のない森のエルフであり弓使いのジル。少年の姿のまま時を止めた、炎禍の魔術師と呼ばれるマルク。そして回復士であり、聖教会に属する聖女のエルザ。みんな五年に及ぶ長きの間、共に魔王と戦ってきた仲間たちだ。
――仕掛けてくるなら、今だろう。
咄嗟に飛びのいた勇者のいた場所に、大剣が襲い掛かる。
「何を……するの」
傷ついた左肩を抑えながら聞く。
「ちっ。大人しく斬られていれば、苦しまなかったものを」
憎々し気に言うユリアス王子は、今まで勇者の前では一度も見せたことのないような冷徹な瞳で勇者を見下ろした。
そこには魔王城に突入する前に、勇者を労り愛を囁いた王子の姿はない。
「なぜ……なぜ私を殺そうとするの? この世界を救ったのに!」
「得体の知れぬ異世界の者が勇者など、誰も認めぬからだ」
勇者の慟哭を気に掛けるそぶりも見せず、王子は冷たく吐き捨てる。
「だったらなぜ私を呼んだの!? 私だってこんなところに来たくなかった!」
「好きで呼んだ訳ではない。聖剣の担い手が、たまたまお前だっただけの事」
勇者召喚の儀。
そう呼ばれる儀式が行われたのは五年前の事だ。
この世界では何百年かに一度「魔王」と呼ばれる存在が生まれる。生まれた瞬間から、「魔王」は人と敵対しその世界を壊そうとする。そこに理念や信念、ましてや理屈などはない。ただひたすらに破壊するのだ。
魔王が生まれると、それまではこちらから攻撃しなければ無害だった魔物たちが狂乱した。普段は子供たちがペットとして飼えるほど大人しい角ウサギも、魔王の出現と共に人間に牙をむくのだ。
五年前もそうしたペットとして飼われている小さな魔物たちの狂乱から、魔王の誕生が知らされた。
この世界の誕生から存在する、神が人に授けた聖剣。
それを祀る聖教会の行う勇者召喚の儀式では、聖剣の周りに勇者候補が集まる。そしてその鞘を抜ける者が聖剣の主となり、魔王と戦うのだ。
なぜ勇者「召喚」の儀なのか。
誰もが当たり前の言葉として使っていたその言葉の意味を知るのは、儀式によって誰も聖剣の鞘を抜くことができず、さらには王国中、いや世界中の誰にも抜くことができなかった聖剣を持ったまま呆然と立ちすくんでいる一人の少女が発見されてからの事だ。
聖剣は選ばれた勇者でなければ神殿の外に持ち出すことはできない。なぜなら盗もうとした不届き者が聖剣を神殿の結界の外に持ち出すと、たちまちその体は聖なる火に包まれ燃え尽きてしまうからだ。しかも彼らは魂だけの存在になっても、永遠に聖なる火に焼かれる苦しみを繰り返すと伝えられている。
だから聖剣はいつ誰が勇者として選ばれてもいいように解放された場所に置かれていた。
そして誰も聖剣を見ていないその一瞬の間に、忽然とそこに一人の少女が現れた。聖剣の鞘を抜いた、その状態で。
少女は呆然としながらも、自分はこの世界の人間ではないと主張した。
確かに少女の服装は奇妙で、持っている物も不思議な物が多かった。
この世界の人間と比べると、凹凸が少なく、薄っぺらい顔の少女。凡庸で、おもしろいことなど何もないのにいつも薄笑いをしている気味の悪い少女。
だがそれでも、少女は勇者だった。
剣など握ったこともないと言っていたが、聖剣を手にした少女は誰よりもうまく剣を操り、勇者候補であった者も誰一人少女に勝つことはできなかった。
聖王国は勇者に魔王の討伐を託し、共に旅をする仲間を集めた。
それから五年。
勇者は聖王国の王子ユリアスと恋仲になった。そして晴れて魔王を討伐した暁には王子と結婚し、聖王国の王妃になるだろうと噂されていた。
だがそのユリアスは、嫌悪感を隠そうともせず、勇者を見つめている。
「私を愛してるって言ってたのも嘘だったんだね」
「お前のように魅力のない女を、本気で愛するわけがなかろう。ましてや礼儀作法も知らぬ者を、愛妾ならばともかく、王妃にするなどという戯言を信じる方がおかしいのだ」
戦いを知らぬ世界で生きていた少女を、励まし支えたのはユリアスだった。時には厳しく、時には優しく。
そんなユリアスに少女が恋をするのは、必然であったのだろう。
少女の告白に、ユリアスは「私から言わねばならぬのに、先に言わせてしまってすまない。私も君が好きだ」と応えた。そして二人は恋人同士になって、旅の仲間にも祝福されて。
恋人同士とは言っても、二人の関係は清らかなものだった。魔王を倒す為の旅の中でそんな余裕がないというのもあったけれど、ユリアスが結婚するまで少女を大事にしたいと言ったのだ。
少女もそれを信じた。けれど――
「全部、嘘だったんだ……。じゃあ私が望めば、魔王を倒した後に帰れるっていうのも嘘なの?」
咎めるような勇者の視線に、魔術師のマルクは肩をすくめた。
「元々、俺たちが呼んだ訳じゃなくて聖剣が勝手に呼んだからね。帰り方を聞きたいなら、そこの聖剣に聞きなよ」
意思無く物言わぬ剣であることを承知で言う。そこには勇者への好意のかけらもなかった。
「それよりあっさり殺しちゃうなんて惜しいなぁ。せっかくの異世界人なんだからさ。色々と研究してみればいいのに」
ペロリと唇をなめる幼げな顔は狂気に彩られている。炎禍の魔術師――それは彼が炎の魔術を得意としていて敵を殲滅することからつけられた異名だが、災いのような存在という意味も含まれているのを少女は知らなかった。
魔術を極めることに夢中になるあまり、他人の命など何とも思っていない狂人。時を止める魔術を生み出すために、国を一つ滅ぼしたのは有名な話だ。
「魔王が斃れた今、人同士の争いに興味はないな。私は先に帰らせてもらうよ」
帰還符を手にしたジルは、そう言って姿を消した。
エルフは同族以外には興味を持たない。分かってはいたことだけれど、それでもずっと一緒に戦ってきた仲間をあっさり見捨てる態度に勇者は失望する。
勇者は、残る一人に視線を向ける。
「エルザ……」
「魔王を斃してくれてありがとう。でもあなたのその強大な力は、国にとって脅威になってしまうの」
女同士だということで、今まで色々な相談に乗ってもらった。恋の悩みも。それは、偽りだったのだろうか。
「それに……知っていた? ユリアスは私の婚約者だったのよ。聖女は王家に嫁ぐ習わしだから、私も次代の聖女が育てばユリアスと結婚するはずだった。でも、実際にはあなたが現れて、私たちの結婚は白紙に戻ってしまったけれど」
「知ら……なかった……最初に言ってくれれば良かったのに」
そうすれば、好きにならなかった。
こうして裏切られることも。
「言ってどうなるの? 勇者であるあなたが望んでいるというのに、替えの効く聖女である私が、何を言えるというの?」
聖女というのは、その国で一番回復力に優れた者のことだ。神殿に属しているとはいえ、神の啓示で選ばれたわけではない。
「エルザ……ごめん……」
「だからあなたが私にユリアスとの仲を相談する度に、あなたなんか死ねばいいのにと思っていたわ。聖女失格ね」
親友だと信じていた相手からの拒絶に、勇者は傷ついた肩の痛み以上に、心に痛みを覚えた。思わずかみしめた唇から血の味がする。
「そろそろ引導を渡してやるか。ジャンヌ、手に持った聖剣を捨てろ」
ユリアスの言葉に、勇者は顔を伏せたまま動かない。
「ジャンヌ、命令だ! 剣を捨てろ!」
焦ったようなユリアスの声に、勇者の方が小刻みに揺れる。
笑っているのだ、と気がついた時には、勇者はその顔を上げて狂ったような笑い声をあげていた。
「な、なぜだ! 勇者の証はその額に刻まれているはず」
「あははっ。勇者の証だって。ばっかみたい。隷属の証じゃないの」
「お前――知っていたのか!?」
「……知ってたよ。気がついた時から、そうじゃなければいいって願ってたけど」
「我々を騙したのかっ」
「どっちが騙したんだろうね。私のこと好きって嘘ついたり、望めば帰れるって言ってみたり。……大方、魔王を倒すまでは勇者に味方でいて欲しいってことだったんだろうけど」
ジャンヌと呼ばれた勇者は、かつて浮かべた事のない皮肉げな笑みを浮かべた。
「ばっかみたい。夢みたいにカッコイイ王子様の恋人ができたって浮かれちゃって。……ばっかみたい。美人の親友と弟みたいな子が、いつも支えてくれてるって安心しちゃって。ほんと……私は馬鹿だ」
ツウッとその黒い瞳から涙がこぼれる。
「だけどさ。賢いとこもあるの。私はジャンヌ・ダルクなんて名前じゃない」
「なんだとっ!?」
「それは私の世界で、救った王子に見捨てられた可哀想な聖女の名前だよ」
だから隷属の証は発動しない、と勇者は嗤った。




