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薄命世代  作者: 赤狐
序幕
1/13

形骸

 

 ――踏切の音が聞こえる。

 そっと、線路の先に視線を移した。

 黄と黒の遮断機が、ゆっくりと細長い腕を下ろしている。掠れた二つの赤いランプが交互に点滅し、甲高い警告音を響かせていた。

 僕はその光景を、駅構内に佇みながら、茫漠と眺める。

 足は、白線の外側。

 遮蔽物がなにもないため、冬の寒風が直に吹き付ける。ダッフルコートの襟を、片手で掴んで合わせた。

 周囲に人はいない。寂れたこの駅よりも、急行電車が停まる隣の駅の方がよく利用されることは、以前から知っていた。これからすることは最低限、人には見られたくないし、この駅を通り過ぎる通勤電車でなければ意味がない。

 朝方の空は、足下のコンクリートのように色褪せていた。霞がかった雲に遮られ、白い太陽がさらにその光を失っている。退廃的な空を見上げていると、思考が意識の底に沈んでいくのを感じた。


 どうして、こうなってしまったんだろう。


 ダッフルコートのポケットには、黒く煤けた御守りがあった。袋の内側には、家族との写真が織り込まれている。

 両親のことを思うと、申し訳ない気持ちで一杯になった。

 幼い頃から大切に育ててくれた、父と母。これからさらに、迷惑をかけることになるだろう。最大の親不孝をしてしまうだろう。両親を悲しませてしまうと思うと、胸が塞がるような想いだった。

 駅全体に、汽笛の音が響く。

 音の発信源へと、視線を向けた。点灯を繰り返す遮断機のさらに奥から、銀塗の巨体が近づいてきていた。僕との距離を縮めるにつれて、速度を増していく。雑音混じりのアナウンスが、もう間もなくだと宣告をする。


 気が付けば、すべてが手遅れだった。


 轟音が、ホームの先端に差し掛かった。

 車体の側面に引かれた紫のラインも、フロントガラス越しの運転士の顔も、はっきりと見て取れる。

 鋼鉄の死神は、滞りのない死を与えてくれるだろう。

 確かに悔しさはあった。だけど、救われた。それだけは、否定したくない事実だったから。

 だから、遺書は残さなかった。これが僕にできる、唯一の抵抗だった。

 瞼を閉じて、ゆっくりと冷気を吸った。目を開いて、震える息を吐き出す。 

 そして、眼下に敷かれたレールを見据えた。

 そのまま、一歩を踏み込む。

 なにもない空間に、右足が吸い込まれていく。

 重心を、さらに前へ。自然と体が前傾して、身が引くような寒さを覚えた。

 勢いに任せて、右足をそのまま沈める。全身が倒れ込み、まもなくホームから両足が完全に離れた。


 永遠の跳躍。

 瞬間、世界が静止した。

 ブレーキ音の絶叫も、冬の風の吐息も、全てが掻き消された。

 視界が魚眼レンズのように歪曲して吹き飛び、雪の白さに染まる。その静謐さは、網膜から眼球の裏側、脳髄、心の奥底にまで沁み渡る。

 驚くほどまでに冷たくて、清々しい奔流が、全身を纏っていた。

 これで、救われる。

 そんな陳腐な感情は、微塵も湧かなかった。

 死の間際でさえ、この死すらも餌食になるだろうという、失意の虚無感に埋め尽くされていた。


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