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黄梁の夢  作者: 深江 碧
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 李高が酒を勧めると、王賢は深緑の杯に注いだ酒を一口口に含んだ。酒で唇を湿らせる。すぐ隣で演奏する楽の調べも、胡夜の美しい舞も目に入らないままに語り出した。

「あれは三年ほど前に北方への大遠征があった時のことだ。大軍を率いて北方の異民族との戦いに大勝利した時の話だ。蓮丹将軍、今は大将軍になられたのだったな。その武勇伝はお前も聞いたことがあるだろう」

 王賢の問いに李高はゆっくりと頷く。

「それはそうだ。あの大遠征には俺も武官として従軍していたのだからな。恐らく戦況の流れはお前よりも詳しい」

「それならおれの説明は不要だな。そうだ、その大遠征の時のことだ。我らが蓮丹将軍は北方の異民族に大勝利を収めた。多くの部族の首領の首を挙げ、数万の異民族を斬首し、奴らの都にまで攻め込んだ。異民族の集めた金銀財宝を奪い、女子どもは奴隷として都に連れ帰った。おれはその頃文官として宮廷で働いていたが、蓮丹将軍が都の大通りを凱旋する勇ましい姿には心が震えたぞ。もしもおれが武官だったならば、おれは喜んで蓮丹将軍のお供を申し出ただろう」

「だったらお前も部屋に閉じこもって詩や書ばかり読んでいないで、槍の一つでも振るえるようになったらどうだ? もっともそんなへっぴり腰では将軍の荷物持ちにさえなれないだろうがな。路地裏で木の棒を振り回しているそこらの子どもの方が、よっぽど体力があると俺は思うぞ」

「言うなよ。おれにはこの優秀な頭脳と美しいものを見分ける目、言葉を自由自在に操る舌、溢れる詩才、風雅を愛する心があるからいいんだよ。お前こそ軍議ばかりやっていないで、少しは高官に取り入る方法を考えたらどうだ。いくら腕が立つからって頭が回るからって、蓮丹将軍から目を掛けられているとはいえ、いつまでもそれで上手く行く訳がないだろう。大体あの胡夜とか言う異民族の踊り子だって、素晴らしい天女の舞を舞う抜群の才能を持ちながら、陛下の寵愛を受けられなかったんだから。高官からも貴族からも敬遠されて、厄介払いされてお前のところに来たんだよ。そうじゃなきゃ、一介の武官であって風流の何たるかを知らぬお前のところに何ぞ、踊り子の女を寄越すはずはないんだ。それこそ宝の持ち腐れだからな」

 お互いに散々の言い様だったが、気の置けない二人の関係からしたらまったく不自然なやり取りではない。歯に衣着せぬさっぱりした物言いを、李高も王賢も好んでお互いを認め合っているのだから。

「厄介払い? 胡夜が何か問題を起こしたのか? お前は宮廷で胡夜のことを知っていたのか」

「直接会ったことはないが、話だけは聞いたことがある。噂によると胡夜という踊り手は、三年前の大遠征の時に北方から連れ帰った捕虜の一人で、宮廷に来てからも奴隷として踊りの師に就いて舞を習っていたらしい。元々美しい舞を舞うことで有名だったが、この三年の間に舞いの才能が認められて陛下の御前で舞うようになったらしい」

「ちょっと待て。陛下の目に留まるくらいなら、胡夜は陛下のみならず貴族達からも気に入られてたんじゃないのか。胡夜は風流とは無縁である俺のところにどうしてやって来たんだ。宮廷で貴族達にもてはやされて、その天女の舞とやらを舞えばいいだろう。こんな古くて広いだけの屋敷で舞うよりも、宮廷の陛下の御前で舞っている方が胡夜のためにも、皆のためにもなるではないか。どうして粗忽者の俺のところなんぞ来たんだ。おかしいだろう!」

 李高は口角泡を飛ばして訴える。王賢は眉を寄せて身をよじらせる。

「わかったから、話は最後まで聞け。そこで問題となって来るのが、さっきの厄介払いされた理由だよ。そうこの子には大きな問題があってな。奴隷として都に連れて来られた時から口も効かなければ、にこりともしない。舞いは抜群に上手いが、人としての情緒に欠ける。このおよそ人らしくない態度が陛下や官僚たちの気に障ったんだよ」

「気に障る? 確かに胡夜は笑わないししゃべらないとは思っていたが。それだって奥ゆかしく恥ずかしがり屋なだけだろう? 俺だって上司に愛想笑いをするのは苦手だし、話すのだって苦手だ。それと同じようなものだろう」

「皆がお前くらい単純ならばいいんだがな。胡夜の場合は笑うどころか泣きもしなければ怒りもしない。およそ感情と言うものが読み取れない。いくら舞が素晴らしいからって、見てる方は面白くないんだよ。おまけに口も効かなくて、何を考えているかさえわからない。不気味ささえ感じる。そこで最初は胡夜のことを誉めそやしていた宮中の者たちも徐々に気味悪がってな。いつか寝首をかかれるんじゃないかと恐れ出した。だからと言って胡夜の舞が素晴らしく、みすみす殺してしまうのも惜しい。何やかんやで揉めた結果、お前のところに押し付けることに決まったらしい。お前のような鈍感男なら胡夜を気味悪がることも邪険にすることもない。それに武官のお前ならば自分の身は自分で守れるだろう、という上の判断だ。そしてその判断は見事に当たった訳だ」

「当たった? 俺は胡夜に何もしていないぞ」

「その繰り人形のような胡夜と一緒に平然と暮らしていること自体がすごいことだとおれは思うぞ。まあこの屋敷の使用人たちはどう思っているかわからんが、少なくとも屋敷の主人であるお前は気にも掛けないのだから。胆が据わっているとしか思えないな」

「そんなものなのか?」

 李高は王賢を見やる。王賢は深緑の杯で酒をあおる。

「そんなものだ。お前が胡夜と上手くやれるのならそれでいいし、やれないのなら別の方法を考えればいい」

「なるほど」

 胡夜はこうしてたらい回しにされてきた訳だ。今の話を聞いてか聞かずか、胡夜は顔色一つ変えずに黙々と舞を舞い続けている。月明かりの光の下、露台のそばにある小さな桃の木の花が甘い香りを漂わせている。露台から見える屋敷の庭はひっそりと静まり返っている。都の大通りの喧騒もここまでは聞こえてこない。言葉が途切れ、王賢はぐいと杯の酒をあおった。李高は王賢の言葉の続きをふと考える。

 もし胡夜が都に馴染むことなく故郷を思い主人に牙を剝くようなことがあれば、その舞の才能は惜しいが反逆者として首を刎ねなければならない。現に戦場で李高も数知れない異民族の首を刎ねてきた。年端もいかない少女の首を刎ねるのは気が引けるが、上の命令であれば仕方がない。恐らく胡夜の監視の意味もかねて、李高が選ばれたのだろう。李高は舞を舞う胡夜に視線を向ける。

「胡夜は三年前の大遠征の時に連れて来られた異民族の娘だったのか。道理で髪の色も瞳の色も肌の色も顔立ちも我々とまったく違う訳だ。俺も胡夜の事情はずっと気になっていたが、口を効かないから聞くに聞けなくてな。聞くのを諦めていたんだ。お前の話を聞いてようやく合点がいったよ」

 李高はくっくと声を立てて笑う。その大きな声に楽器を演奏していた楽人たちや、隣にいた王賢でさえ驚く。当の噂の主の胡夜は変わらぬ表情で踊り続けている。

李高はおもむろに手を伸ばして桂魚の揚げ物をつまむ。それを口に放り込み頭からばりばりと音を立てて噛み砕く。わざわざ使用人たちが南方の商人から買い取った桂魚は、煮物、蒸し物にしても旨いと聞く。もちろん小魚の揚げ物であれば骨まで食べられて捨てるところがないと料理人からの薀蓄を耳にしている。

「お前なあ。今のおれの話ちゃんと聞いてたか?」

 呆れたような王賢の声を聞き流しながら李高は指についた油を舐めとる。

「聞いているさ。俺の耳はまだそこまで遠くはないさ」

「そうか? とてもそうには見えないけどな。まあ戦場に出るお前のことだ。こんなような噂にいちいち振り回されていたら身が持たないかもしれないけどな」

 李高が驚くと思っていたらしい王賢は心持ち肩を落としたようだ。

「十分驚いているさ。俺も大遠征には従軍しているが、その時は大した手柄も上げられなかった。大遠征の折に蓮丹将軍が異民族の女子どもを監視しながら大勢連れ帰ったのも覚えている。だが俺は所詮一介の武官だ。その後、異民族たちがどこでどのように暮らしていたかは知らない。胡夜のようなあの時の捕虜にこうして実際にお目に掛かるのは初めてだと思ってな」

 李高は胡夜の容貌を改めて見る。大遠征の折戦場で見かけた異民族たちの姿を思い浮かべる。彼らも胡夜のように髪と瞳の色が鮮やかな者たちがいた。異民族といえど様々な部族がいる。胡夜に似た姿の者もいれば、李高に似た黒目黒髪の者もいた。しかし多くの捕虜を連れ帰ったにも関わらず、都では彼らの姿を見ることはすくない。都で見る異民族の姿と言えば、隊商を引きつれた商人か、旅回りで大道芸を見せる芸人、各国の大使などそれくらいしか思い出せない。李高が考え込んでいると、王賢が口を開く

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