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黄梁の夢  作者: 深江 碧
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 春の月明かりに照らされた都の大通り。その通り沿いにある大きなお屋敷の露台では、楽の音と酒の香りとで満たされていた。

赤、青、黄、白、黒の五色に色付けされた美しい布がひるがえり、美しい踊り子が手足を動かすたびに空気を含んでふんわりと広間に広がった。琵琶、琴、太鼓、笛などの様々な楽器を奏でる楽人たちが、耳に心地よい音曲を演奏している。

これが最近都で流行っている曲なのだろうか。風流にはあまり縁のない武官の()(こう)からしたら、音曲の良し悪しなどわからない。音楽とはすなわちその場の余興として客たちを盛り上げれば良い、書や画、詩なども同じくその場に花を持たせられればそれで良い、という合理的な考え方の持ち主なのだ。

他にも風流と呼ばれるものは、書や画、詩、工芸など数限りなくあるが、どれも武官の李高からしたら何が良くて何が良くないのかさっぱりわからない。女性の美人、不美人でさえわからない粗忽者である、と豪語している。

李高は何かある度にそう言って国の偉い文人たちとの慣れあいを避けてきた。李高からしたら国内の文化的な議論よりも、国外に迫る異民族討伐の作戦会議の方がよっぽど重要だ。つい先日も都の北にある長城へ部下たちを引きつれて行き、長城に詰める兵たちから北の異民族の動きについて情報を集めてきた。つい数日前に都の中央に報告をしてきて、ひと月ぶりに屋敷に帰って来たところだ。

ひと月ぶりに屋敷の者たちは李高が生きて帰ったのを大いに喜び、楽人まで呼んで宴を開いた。屋敷の料理人が腕を振るい、使用人たちはその料理を秘蔵の器に盛り、とっておきの美酒を用意した。主人の帰還を喜ぶ宴とは名ばかりで、使用人たちの息抜きの宴であるのはわかっている。それを咎めるほど器の小さい李高ではない。武官である以上は、いつ戦場で命を落とすかわかったものではない。明日をも知れぬ命なら、今生きている喜びを屋敷の者たちと共に分かち合おうとする気持ちもわかっているつもりだ。

露台に広げられた敷物の上には、山海の料理と酒の数々が並んでいる。使用人たちはさっさと退席している。今頃料理を出し終わった屋敷の使用人たちも、どこかで酒盛りと決め込んでいるのだろう。露台には李高二人たちだけではとても食べきれないほどの料理と、とても飲みきれないほどの酒の樽が並んでいるのも、使用人たちの手を煩わせないための配慮だった。

その中央では五色の布を身に付けた踊り子が舞を舞い、楽人が楽器を奏でている。夜空には月が白く輝き、庭のあちこちで咲いている花の香りが微かに漂っている。

「こんなような春の景色を歌った詩が、どこかにあったな」

李高はわずかに目を細め、酒の注がれた白い杯に目を落とす。

「珍しいな。風雅とまったく無縁のお前の口から詩の話が飛び出すなんて」

 そばでちびちびと酒を飲んでいた(おう)(けん)が、にやにやと人を馬鹿にするような笑みを浮かべてこちらを見つめている。

「去西の詩か? 円慶の詩か? この場で(そら)んじてやろうか。宴のためにおれが即興で詩を読んでやろうか」

 どちらも詩の大家の作品だろう。面白がる王賢に、李高はひらひらと手を振る。

「やめてくれ。俺は詩を読み説くのは苦手だ。頭を使うと折角の酒が不味くなる」

 李高はそう言って嫌がったが、王賢は許してはくれなかった。

「お前はまたそう言って。これからのご時世、武官でも詩の一つも読めないと出世は望めないぞ。異民族の族長との外交とて、知識は必要となって来るだろう? お前だって科挙試験をくぐり抜けてきたくらいだから、ただの阿呆ではあるまい。科挙の時に役人の前で読んだ詩を、ぜひともおれに聞かせてもらいたいものだな」

 王賢とのいつものやり取りを、李高は酒壺から相手の杯に酒を注ぐことで黙らせる。とろりとした濁った酒が王賢の深緑の杯に満ちる。

武官の知人こそ多い李高だが、文官とは馬が合わないらしい。王賢は文官でありながら他の者と違って、風流を知らない李高を蔑むこともせず、こうして普通に付き合ってくれている数少ない友人だ。

「お前の自慢の歌声ならいつでも聞いてやるけれどな。この宴には家人の呼んだ楽人もいて踊り子もいるのに、音曲を聞かず、彼女の舞を見ないのも悪いだろう」

 李高は先程から楽を奏でている楽人と、その前で美しく舞う踊り子とを指差す。つられて王賢もそちらを振り向く。

「それも、そうだな」

 王賢は釈然としない表情で注がれた酒の杯をあおる。そもそも知人の王賢がこの宴の場にいるのだって、李高が都に帰って来たその時にたまたまこの屋敷を訪ねたからである。李高自らが宴を開くからと言って、王賢を呼んだのではない。使用人たちに無理矢理引き込まれ、李高の相手をさせられているだけだ。

この屋敷では主人の李高より、使用人たちの方が賢い。普段から屋敷を留守にすることの多い武官の李高は、屋敷の管理をすべて使用人たちに任せている。留守の間使用人たちが何をしていてもどうでも良く、良からぬことをしていなければ良いと、李高も大半のことを許しているところがある。

踊り子の動きに合わせて五色の布が舞う。月の光を受けて五色の布は鮮やかに翻り、花の甘い香りも漂いさながら天女の舞のようにも見える。舞っているのはまだ年端もいかぬ少女。髪は月の光を受けて金糸のように黄金にますます輝き、瞳は碧玉のように深い緑色、肌は白く白磁のように輝き、手足は細く長くその華奢な体からは想像も出来ないほど軽い身のこなしだ。顔立ちはほっそりとして西方の異民族を思わせるが、今は都風の朱と翠という鮮やかな色合いの衣服に身を包み、その様子が不思議なほど様になっている。まるで西方に栄えたと言う幻の砂の王国の姫君のように、その美しい姿を追えば夢幻のごとく儚く消え去ってしまいそうにさえ見える。

曲が佳境を迎え、琵琶がひときわ高くかき鳴らされる。やがて踊り子はしゃがんだまま動きを止め、五色の布が音もなく敷布の上に落ちる。音曲の音が途絶える。

 ややあって後、王賢が感嘆の声を上げて手を叩く。

「おれも様々な妓楼に出入りして来たが、こんなすばらしい舞を見たのは初めてだ」

 王賢の惜しみない喝采に、李高も踊り子へ拍手を送る。

「だそうだ。気難しい王賢からお褒めの言葉をもらったぞ。よくやったな、()()

 風流に厳しい王賢は決してお世辞で褒めたりはしない。嘘の吐けない性格ゆえに李高は知人として付き合っているのだ。しかし本音ばかりを口にする性格が災いして出世の道からは遠ざかっていると人々の口に上がっている。

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