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4.vs鰐

 元の獣人の姿となったアルガルは、すかさず近くに居たフェリクスに向け、太い腕を振り下ろす。その動作だけで空気が震えた。


「フェリクス!」


 思わず声を上げるイルメラ。しかし、フェリクスはそれを片腕で受け止めていた。いつの間にか彼の顔も、元の姿である狼へと変わっている。


「生きて俺たちの世界へ帰るか、それともこちらの世界で屍となるか。最後の選択だ。選ばせてやる」

「犬ッコロに連れて帰られるなんて、まっぴら御免だぜ。お前が死ね!」


 アルガルが大きく身を捻った。

 丸太のような太い尾が鞭のようにしなり、横からフェリクスに襲いかかる。


「――っ!?」


 咄嗟に真上へと跳躍するフェリクス。

 彼が今いた場所を、唸り声のような音を上げながら太い尾が過ぎていく。

 空振った尾は、勢いがついたままコンクリート壁に衝突した。壁は放射状にひび割れた後、まるで砂糖菓子のようにボロボロと崩壊を始める。

 そのまま民家の屋根上へと着地したフェリクスは、無残な姿に果てたコンクリート壁を横目で見やる。

 今の一撃をまともに受けていたら、全身の骨がバラバラになっていたことだろう。


 ――厄介な奴め。


 心の中で悪態を付くと、アルガルから少し離れた場所へと着地する。そのまま姿勢を極限まで低くし、地を蹴った。

 隼の如き速さで駆けたフェリクス。アルガルとの距離が一気に縮まる。

 アルガルが反応を見せた時には、既にフェリクスの拳がアルガルの顎にめり込んでいた。アルガルの視認速度を超えた速さで、アッパーを繰り出したのだ。


「ぐっ――!?」


 衝撃によろめきつつも、アルガルは腕を横になぎ払う。同時に彼の長い尻尾も、それ自体が意思があるかのように(うごめ)いた。フェリクスは慌てて後ろに跳び、一旦距離を取る。あの尾の一撃の威力を知った以上、迂闊に受け止めるわけにもいかない。

 フェリクスが引いたその一瞬の隙を突き、アルガルは少女の前に佇んだままの、イルメラ目掛けて突進した。咄嗟に両腕をクロスさせ、防御体勢を取るイルメラ。しかし――。


「くっ!?」


 非力な人間の姿のままだったイルメラの体は、その衝撃で羽のように宙を舞った。


「イルメラ!」


 彼女の細い体は、為す(すべ)もなくアスファルトに叩きつけられた。フェリクスの背筋に冷たい感覚が這う。

 防御体勢を取っていたとはいえ、彼女は人間形態のままだった。今の一撃で瀕死になっていてもおかしくはない。

 アルガルはイルメラには目もくれず、彼女の後ろに横たわったままだった少女を片手で抱き上げた。アルガルは、少女を食らう機会を虎視眈々と狙っていたのだ。

 イルメラの元へ駆け出そうとしていたフェリクスだったが、慌てて少女の方へと方向転換する。


「おっと狼さんよ、そこで止まりな。少しでも動いたら、この人間の頭が胴体からサヨナラすることになるぜ」


 アルガルの大きな手は、少女の頭を悠々と掴んでいた。はったりではないとフェリクスは判断した。

 彼は元々、何人もの獣人の命を奪ってきた卑劣な犯罪者。迂闊に動いてしまえば、少女の命の花はたちまち散らされてしまうことだろう。

 主導権を握られてしまったフェリクスは、苦々しく舌打ちを洩らすしかない。


「俺がこいつの腹を食うまで少し待ってろ。人の食事タイムは邪魔しないのがマナーってもんだろ?」


 顎を上げ、アルガルが(わら)う。彼の顔は勝利を確信していた。

 そのアルガルの後方で、イルメラが音もなく立ち上がった。先ほどのダメージが残っているのか、顔は苦悶に歪んでいる。しかし、何とか動けるほどのダメージですんだらしい。フェリクスは心の中で安堵の息を吐く。

 アルガルは完全に油断しているのか、彼女の動きにまったく気付いていない。フェリクスは気取られないよう、あえて視線をイルメラにやらず、じっとアルガルを睨み続ける。

 アルガルはフェリクスに注意を向けつつ、指先を少女の顎に当て――。

 刹那、アルガルの頭上目掛けてイルメラが跳んだ。同時に、イルメラの容姿が大きく変貌を始める。

 全身が羽毛で覆われ、口が嘴に変形する。背中から生えてくるのは、栗色の勇壮な鷹の羽。そして彼女の両足の先からは、大きな(かぎ)爪が弧を描くようにして伸びた。

 イルメラは鋭く大きな鉤爪を、背後からアルガルの両肩に深く食い込ませる。


「ぐあっ!?」


 両肩を突如襲った激痛に耐えかねたのか、アルガルの腕から少女が解放された。フェリクスはその時を待っていた。すかさず少女の元へと走り寄る。


「このっ――!?」


 アルガルはフェリクスの動きに気付くが、既に遅い。素早く少女を抱き、フェリクスは後ろに跳ぶ。

 一度手に入れた『食料』を奪われ憤慨するアルガルだったが、イルメラがさらに鉤爪に力を込めたので、追うことは叶わない。

 イルメラは両の足の爪をアルガルの肩に食い込ませたまま、背中の羽を羽ばたかせた。アルガルの巨体が、みるみるうちに地から離れていく。


「くっそ重たいねアンタ! ダイエットしてくれ!」

「ぐっ――!? 離せ!? 離しやがれこの鳥!」


 イルメラはがっちりと鰐を掴んだまま、さらに上空へと昇っていく。アルガルは空中で必死に抵抗を試みるも、イルメラの鉤爪はまるで返し(・・)のある鎌の如く、彼の肩に深く食い込んだまま離れない。

 フェリクスは人目につかぬよう、少女をとある民家の門の後ろに下ろした。照明が付いていないので、家人はもう就寝していると判断した。気を失った少女が他の人間に見つかったら、十中八九事態はややこしくなる。何せ、少女はアルガルの姿を見ているのだ。故に、フェリクスはあえて少女を起こさず、そのままの状態で隠すことにしたのだ。

 少女が目を覚ます気配がまだないことを確認すると、フェリクスはイルメラたちの後を追うため、その民家の屋根上に飛び乗った。

 空の上では、イルメラがフラフラと軌道をぶれさせながらも、アルガルをぶら下げたまま飛翔を続けていた。


「イルメラ、あっちに向かえ!」

「あっちってどっちだい!?」


 頼りなさすぎる鷹の声に、思わずフェリクスの眉間に皺が寄った。マンションや民家の屋根上を足場にしながら、フェリクスは彼女の後を追う。


「左だ! 竹薮がある。そこに落とせ!」

「タイミングは!?」

「俺が合わせてやる!」

「そうかい。じゃあ後はヨロシク!」

「離せこの鳥がああああ!」


 大雑把すぎる打ち合わせの後、アルガルの怒声には一切構わず、イルメラは飛翔速度を上げた。フェリクスはまるで猫のように跳躍を繰り返し、彼女の後ろに着いていく。

 夜の街の空を飛ぶ、異形の者たち。しかし、その姿に気付く者はいなかった。

 月でも出ていたら夜空を見上げる人間は多かっただろうが、幸か不幸か、今宵は曇り空。風情も面白味もない空を注視し続ける奇特な人間は、この近辺にはいなかった。


「あれだ」


 フェリクスの声で、イルメラは神経を視力に集中する。

 闇の中、イルメラの瞳にうっすらと浮かび上がってきたのは竹林。住宅街の一角にポツリと存在するそれは、獣人界の森と比べるとまさに猫の額ほどの広さでしかない。しかし、一時的に人目から遠ざかるには、充分すぎる広さだ。


「おとなしくあたしたちと帰れば良かったのに。馬鹿だね、あんた」


 呆れたように、そして、少し寂しげに。囁くように呟いた後、イルメラの足から鰐が乱暴に振り落とされた。

 おびただしい量の赤色が、アルガルの両肩に空いた穴から溢れ出す。血は紺色の空をキャンパスにして、染みのように一気に広がった。しかし、それは一瞬だけであった。

 その血に追随するように、マンションの屋上から滑空する大きな影。弱々しい街の明かりを背負い、フェリクスは夜の空を舞った。

 次の瞬間、鋭い爪の生えた狼の腕が、鰐の背中から腹を破り、突き抜けた。

 夜空に渡る、鰐の断末魔。それはどこか鳥の声を彷彿とさせるものだった。

 無の表情を変えることなくアルガルの腹から腕を一気に引き抜いたフェリクスは、さらに空中で鰐の顔面目掛けて蹴りを繰り出す。

 竹薮の緑の上に降るのは、赤い雨と異形の巨体。

 竹薮で睡眠を取っていたカラスたちが驚き、闇の中へと飛び立っていく。

 重い衝撃音と共に、土埃が舞い上がった。仰向けに倒れた鰐の獣人の口から、舌がだらしなく外に出る。アルガルは、それっきり動くことはなかった。

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