エピローグ
ウォクオートの街の北門。イルメラと霧羽は、巨大な白い門柱に背を預けて待ちぼうけていた。
「本当に遅いねー、あいつら」
もう何度目かになるかわからない呟きを洩らすイルメラに、霧羽は苦笑で答えることしかできない。空を見上げると、清々しいほどの晴れ間が広がり、温かな光が等しく大地に降り注いでいた。
獣人王とクアンドとの戦いが終わった後、フェリクスらは街や城に転がっていた遺体を埋葬する作業に追われていた。臭いは元より、伝染病の危険もあるかもしれない、一刻も早くこの街から離れた方が良いと控えめに忠告したライツだったが、フェリクスとイルメラは頑なにそれを拒んだ。
確かに放っておいても、野鳥や動物たちが肉の部分は処分してくれるだろう。雨や風が、骨以外の彼らの痕跡を消し去っていくだろう。だが長年育ってきた街を、そして城の見知った獣人たちをこのまま捨て置いて行くことなど、二人はできなかったのだ。
街には生き残っていた獣人も何人かいた。彼らの手も借り、フェリクスたちは次々と城壁の外側に遺体を埋葬していった。
獣人王が放った犯罪者たちの遺体も中にはあった。囚人用の手錠が嵌められていたので、そう判断した。手錠に繋がれた鎖は引き千切られた後があった。おそらく、牢から放つ際に獣人王がやったのであろう。
だが、犯罪者たちの遺体はこれが全てではないとフェリクスらは考えていた。生き残った犯罪者はいるはずだ。彼らはウォクオートの街を出て、別の街に向かった可能性が高いとフェリクスらは踏んでいた。もしくはどこかで既に、盗賊まがいのことをやっているかもしれない。城に捕らえていた犯罪者たちを把握していたわけではないので、今さら追うこともできないのだが。
結果として巻き込んでしまった形になった霧羽には、執拗に「無理はしなくていい」と言っていたフェリクスだったが、霧羽は毎回微笑でそれを流し、埋葬の手助けをしていた。
それでも結局全ての埋葬を終えるのに、一ヶ月近くを要してしまった。
イルメラの隣で空を見上げていた霧羽だったが、彼女の瞳はまったく違う世界を映していた。
『こちらの世界』のことを何も知らぬままやって来た彼女。少しも後悔していないと言えば、それは嘘になる。
日本で平穏な暮らしを生きてきた霧羽には、獣人たちの数多の遺体が転がる光景は、刺激が強すぎた。何度胃液を吐きたいと思ったかわからない。それでも育ってきた時代を捨て、フェリクスらと共に居ることを決めたのは他ならぬ自分自身だと、彼女はただその心のみで耐えていたのだ。
(露花。私、頑張るから。頑張って、生きるから)
心が折れそうになる前に、彼女はいつも亡き妹を想う。おそらく、妹も自分と同様に獣人だったのだろう。露花と共にこの世界に来たかったと考えてしまうが、彼女の死がなかったら、そもそもフェリクスたちと出逢えていない。
自分の存在がもしかしたら世界に『歪み』を与えてしまっているのでは――という恐怖もあった。でも、クアンドはまだ生きている。今この瞬間も、『歪み』をその身に受け止めているのかもしれない。
人間ですらなくなってしまった、時の罪人。霧羽は少し、クアンドに対して申し訳ない気持ちを抱いてしまう。
不意に、霧羽の頭に何かが触れた。霧羽が我に返ると、イルメラが霧羽の頭に手を当て、口の端を小さく上げていた。気遣われているのだと察した霧羽は、静かに微笑むことで彼女の心に応える。
露花が殺されて、自分は一人になってしまったと絶望した。でも、今は一人ではない。
イルメラはまだ獣人形態を上手く維持できない霧羽を気遣ってか、彼女の前では極力人間形態で過ごしてくれていた。霧羽が初めて会った時と同じ、あの赤毛の少女姿だ。
その『人間』の少女二人が待っているのは、他ならぬフェリクスとライツだった。
今日、彼らはこの街を発つ。
城塞都市ウォクオートは、住民のほとんどの死と獣人王の死により、完全に街としての機能を失ってしまった。獣人王の力の象徴とも言えた高く聳え立つ城壁も、今は巨大な棺桶と大差ない。
街を復興させていこうと誰も言わなかったのは、城に次元トンネルがあるからに他ならない。
次元トンネルのある部屋の扉の前に、フェリクスらは幾つもの瓦礫を積み上げ、容易に立ち入ることができないようにしていた。
獣人王の祖先が創ったという次元トンネル。時代を越えることができるそれは、絶対に他の者に知られてはならぬと、彼らは強く思っていた。
だから、この街を離れるのだ。
埋葬を手伝ってくれた生存者にも、この街を出るようにと勧めていた。廃墟となり誰も近付くことがなくなれば、あの扉の存在もなかったことになるだろう。現にフェリクスやイルメラも、獣人王に説明されるまでその存在が事実だとまったく思っていなかったのだ。
クアンドはあれからどうなったのか。正直なところ不明であった。だが、獣人王は言っていた。クアンドは次元トンネルを使い、時の歪みを受け止めた時に姿を現すと。ならばこのまま次元トンネルが使われずにいれば、問題はないはずだ。そうフェリクスたちは結論付けた。
「ま、私たちは一度退けることに成功したわけですシ。仮にまた現れてもなるようになりますヨ」とのライツの軽い言葉に皆は同調し、考えるのはそこでやめた。
「お待たせいたしまシタ」
聞き慣れた穏やかな声に、霧羽とイルメラは同時に顔を上げる。そこには荷物を背負ったフェリクスとライツの姿があった。二人ともイルメラと同じように、人間形態を取っている。
「もう。本当に遅いよ。何やってたんだ」
口を尖らせるイルメラに、フェリクスは冷たい眼差しを返してきた。
「念入りに出発の準備をしていただけだ。鶏頭のお前では想像できなかっただろうがな」
「誰が鶏頭だ! あたしは鷹だって言ってんだろ!」
「まあまあ、イルメラさン。遅くなったことは謝りマス。私の方は説明に手間取ってしまいまシタ」
「説明?」
「はイ。私たちに着いて行きたいと申し出てきた住人がおりまシテ」
「あぁ……」
察したのか、イルメラは言葉少なに頷いた。
彼らはこの街を発つ。だが、目的地はまだ決めていなかったのだ。自分たちと共に行くより、まずは近くの街に行く方が安全だとライツは住民たちを説得し、ようやく抜けてきたところだった。
当てのない旅に、これ以上の人数を増やしたくなかったというのも本音ではあった。人が多くなれば多くなるほど、問題は発生するものだ。
「ま、あたしらは流浪の旅ってやつだね。あたしは霧羽ちゃんも一緒だから、楽しみだよ」
「相変わらず能天気な奴だ」
頭の後ろで手を組み、にこやかに言う赤毛の少女に、フェリクスは小さく嘆息した。そしておもむろに、隣の霧羽の前まで移動する。
「そういえば、その――霧羽」
初めてフェリクスに名を呼ばれた霧羽はきょとんとしたまま、動かない。しばらくした後、ようやく我に返った霧羽の頬は朱に染まっていた。
「は、はいっ。何でしょう?」
「お前の世界――いや、お前の時代にあった『ソフトクリーム』は、この世界でも食べることはできるか?」
唐突すぎる質問に、思わず目を点にする霧羽。この狼の獣人は一体何を口走っているのだと、イルメラもライツも、口をポカンと開けている。イルメラとライツはともかく、霧羽の反応に居心地が悪くなったのか、頬を掻きながらフェリクスは小さな声で続けた。
「その、俺、食べ物の味に感動したのは、実はあれが初めてだったものでな……」
幼い頃から、過酷な環境で生きてきたフェリクス。菓子など子供が好む味の食べ物など、今までに食べたことがなかった。たまたま過去の世界のコンビニで選んだ、甘くて冷たくて柔らかいソフトクリームは、彼の人生においてかなり衝撃的な物だったのだ。
「過去の世界にあった食べ物なら再現できると思ったんだが――無理か?」
「材料と、あと冷やすことができれば、作ることは可能だと思いますけれど――」
「そうか。材料があれば作れるんだな?」
「は、はい。……たぶん」
「よし。それじゃあ出発しよう」
くるりと向きを変えたフェリクスの肩を、イルメラは慌てて掴んだ。
「ちょっと待って。行くってどこに?」
「もちろん、ソフトクリームの材料のある所だ」
「えーと……フェリクス、ここ大丈夫?」
イルメラは自分の軽く頭をトントンと叩きながら首を傾げる。だがフェリクスは至極真面目な顔のまま続けた。
「俺は本気だ。当てもなく彷徨うより、目的がある方がお前らも動きやすいだろう?」
言われ、イルメラとライツは顔を見合わせる。
「私は良いと思いますよ。美味しいソフトクリームを作る旅。楽しそうです」
霧羽が笑顔で肯定したことで、少し得意顔になるフェリクス。そんな二人の反応を見たイルメラとライツは、苦笑することしかできなかった。何だか上手いこと説得された気もする。
「わかりましタ。今こそ、私があちらの世界から持ち帰っていた料理本が役立つ時デスネ」
「相変わらず準備がいいね……」
荷物袋からサッと本を取り出したライツに、思わずイルメラは脱力してしまった。
「でも、それに載っていますか?」
「おかずかラお菓子まで幅広く掲載されている本を選んできましたカラ」
霧羽に得意げに答えた後、ライツはパラパラと本を捲り始める。しばらくページを行き来していたライツの目が、不意に止まった。
「ありましたヨ! まずは……ふム、牛乳がいるのデスカ」
「牛乳かー。じゃあ最初の目的地は、牧場のある村か町で決まりだね」
「なるほど。あの味は牛乳からできていたのか。いや、それにしては甘かった気がするのだが――」
ソフトクリームのことで神妙な顔になるフェリクスの様子がなんだかおかしくて、霧羽はつい声を洩らして笑ってしまった。つられてイルメラも大きな声で笑いだす。
「なんだお前ら……。笑うな」
照れ隠しでくるりと背を向け歩き出したフェリクスに、三人も慌てて続いた。
人間の姿をした獣人四人は、笑顔で広い荒野へと足を踏み出したのだった。
終




