24.終焉
声の出処は、霧羽だった。獣人王のみならず、フェリクスらも咄嗟に意識をそちらに奪われる。
「霧羽ちゃん、まさか――」
イルメラの呟きと同時に、変化が起きた。オンヴァに襲われた時と同様に、霧羽の全身はみるみるうちに変わっていく。
彼女の本来の姿――狼の獣人のものへと。
霧羽の変化を目の当たりにした獣人王は、目を見開いた。
霧羽の全身から、碧の光が放たれたのだ。それは放射状に広がり、謁見の間を蹂躙する。
全身でその光を受け止めたフェリクスたち。それは非常に温かく、森林の匂いを感じるような優しい光だった。
「これは……? 霧羽ちゃん?」
イルメラは気付いた。光が彼女の傷付いた羽を、みるみるうちに癒していくことに。
「そうカ……! 霧羽さんも能力者だったのでスネ!」
極限の状況で開花した霧羽の能力に、堪らずライツが声を上げた。
稀に獣人が持って生まれる能力は、血筋では決まらない。突然変異みたいなものだ。霧羽に備わっていても何ら不思議ではなかった。
フェリクスが自身で潰した第三の目も、同様に蘇生されていく。額に渦巻いていた痛みが姿を消していく様子が、フェリクスには容易に感じ取れた。
イルメラを傷付けた罪悪感に苛まされ、自分で壊した目。
化け物だと恐れられ、殺されかける要因となった金色の目。
一度捨てたものが、再び戻ってきてしまった。平素であったのなら、フェリクスは顔をおもいっきり歪めて拒否をしていたであろう。しかし今この瞬間、金色の目が戻ってきたことにフェリクスは歓喜すらしていた。
フェリクスはクアンドに向かって跳躍する。霧羽が変化している間も、クアンドは一切動いていなかった。青白い光が刀身全体を包み、滞留している。
空に浮いた状態で、フェリクスは叫んだ。
「俺を見ろ、クアンド!」
全身を鎧で覆ったクアンドは、その顔も厚い兜で覆い隠していた。それでも、クアンドは見えていないわけではない、盲目なわけではない、とフェリクスは考えた。むしろそうであることを祈るしかなかった。
復活した金色の目を見開き、フェリクスは真正面からクアンドを視線で射とめた。
そのタイミングで、百獣の王が咆哮する。再びフェリクスの能力の暴走を誘発しようと、あらん限りの声を響かせる。しかしそれは、すぐに阻止されることとなった。
「させまセン!」
自分から注意が逸れた隙を利用して密かに接近していたライツが、至近距離から小さな小瓶を獣人王に投げつけた。オンヴァの死体を燃やした時に使った、あの炎だった。
「ぐおああああああ!」
青の業火に焼かれる百獣の王。彼の苦悶の声が謁見の間を埋め尽くす。
「おのれ! おのれおのれおのれえ! ライツめええええ!」
怨嗟の絶叫を響かせ、燃え盛りながらもライツへと距離を詰める獣人王。しかしライツは逃げない。青に包まれた獣人王を見据え、少し悲しげな表情になっていた。
「なゼ、獣人王様はそこまでしテ――」
言いかけて、ライツは口を噤んだ。
聞いても理解できないだろうと踏んだのだ。
得体の知れぬ破壊衝動に苛まされる獣人は、少なからずいる。そして犯罪者のタガータのように、その衝動に従い、罪を犯す獣人も知っている。
おそらく、獣人王もその類であるのだろうと思ったのだ。
非常に歪んだ、それでいて激しい破壊衝動――。
「戦闘能力のナイ、獣人としては最弱な私を長年お使いくださリ、誠にありがとうございまシタ」
そこで深々と頭を下げたライツは、さらに懐から小瓶を取り出した。血のように赤い液体が、小瓶の中で怪しげに揺れていた。
「私に様々な道具を与えて下さリ、その知識を授けてくださったコト、生涯お忘れ致しまセン」
獣人王がライツを側近として置いたのも、フェリクスやイルメラと同等の理由であった。
血気盛んな獣人が大半を占める中、彼女の冷静で落ち着いた性格が、自分の理想の世界を作る上で欠かせないだろうと判断したからだ。そのようなこと、今さらライツが知る由もないが。
ライツは小瓶の蓋を開け、獣人王に向けて中身を一気にぶち撒けた。
獣人王を焼き尽くさんと燃えていた青の炎が、その液体により瞬時に消えた。代わりにパキパキと音を立て、赤色の氷が彼の全身を覆っていく。
「絶対零度の息を吐くといウ、大蜥蜴から抽出した液体デス。護身用にト、私に青の炎と赤の氷を渡してくださったことガ、仇となりましたネ」
氷漬けになった獣人王に、ライツは寂しげな視線を送った後、踵を返す。
百獣の王はそれっきり、動くことはなかった。
フェリクスの幻覚が効いているのか。定かではないが、クアンドは動かない。
復活した羽を再び硬質化させたイルメラが、クアンドに向かって飛んだ。それとほぼ同時に、フェリクスもクアンドに向けて腕を突き出した。
時の流れをその身に受ける者に、世界の動きを止めようとしている者に、獣人の攻撃が通用するのかはわからなかった。それでも、彼らは迷わなかった。
ガキン!
硬い金属音が鳴り響く。二人の攻撃は片腕だけで遮られてしまったた。フェリクスの幻覚は効果がなかったのか、それとも振り払ったのか。定かではないが、クアンドが再び動きだしたことだけは確かだった。
その巨人の鎧は見せかけではなかった。フェリクスの爪が欠け、イルメラの羽も先を失ってしまう。
音に気付いたライツが慌てて駆け寄りながら、懐から新たな小瓶を取り出した。
無色透明の液体は、ライツが持っている最後の切り札だった。体液が強烈な酸で構成されている鯰から取った、全てを溶かすとされる液体。これを使えば、強靭な鎧も意味をなさなくなるはずだ。しかし巨人は既に力を溜め終わったのか、その大剣を頭上まで振り上げようとしている。
ライツは祈った。どうか間に合ってくれ――と。
その小瓶を、いきなり横取りした者がいた。
ライツが気付いた時には、クアンドに向かって駆ける霧羽の後ろ姿があった。ライツは霧羽が状況を好転させるために動いたのだと、すぐさま理解した。
クアンドと獣人王、どちらからも距離を取っていた霧羽は、この謁見の間の状況を俯瞰するように見ていたのだ。そして咄嗟に判断した。ライツは切り札になる道具を持っている。そして駈ける速度は、おそらく自分の方が速いと。
霧羽は小瓶の蓋を放り捨てた。クアンドの真正面に来たところで、腕を横一線に薙ぐ。
透明な液体が、クアンドの手甲や甲冑を濡らした。しゅううという音と同時に煙が発生し、天井へと昇っていく。それは鎧の一部が溶けたことを示していた。
「ナイス霧羽ちゃん! 小さな隙間さえあれば十分だよ!」
「いくぞ、イルメラ!」
再び地を蹴ったフェリクスとイルメラ。二人の攻撃は、同時に欠けた鎧の部分に突き立った。
「このまま押し込むよ!」
「うおおおおおお!」
群青色の鎧の隙間を縫って刺さっていたフェリクスの腕とイルメラの羽は、ついにクアンドの腹を貫いた。
一瞬の、静寂。
次いで悲鳴のようなひび割れの音の後、花吹雪の如く蒼の鎧が粉々に砕け散る。
「やった!?」
着地しながらイルメラが声を上げる。だが喜ぶ間もなく二人はすぐに身を捻り、床へと転がった。
クアンドの鎧の下から現れた漆黒の物体が、針の如く二人に襲いかかったのだ。直撃は避けることができたものの、クアンドからは少し離れてしまった。
「……これは」
鎧の下から露になったクアンドの『本体』を見て、皆一様に絶句する。
砕け散った鎧の上には、幾つもの細い蟲のような闇が蠢いているばかりだったのだ。
獣人王の祖先だというクアンド。しかしそこにいたのは、もはや獣人とも人間とも呼べぬ存在であった。
時の歪みをその身で受け止め続け、人間であることをやめさせられたその闇は、砂を擦るような音を立てながらゆっくりと移動を始める。クアンドが現れた、ひび割れに向かって。
これを、どうするべきか。フェリクスたちは互いに視線を交わし逡巡するが、動く者はいなかった。
獣人王の言ったことを信じるのならば、時の歪みを受け続けているクアンドの存在が消滅してしまうと、この世界そのものがどうなってしまうかわからない。故に、誰も動くことができなかったのだ。それにおそらく、クアンドは既に戦意を喪失している。あの巨大な鎧は身を守るためのものだけでなく、実体のない体で大剣を握るためのものだったと彼らは悟った。
四人の視線を受けながら、クアンドの『本体』は瞬く間にひび割れに吸い込まれていった。それを追いかけるようにして、ひび割れた鎧も、そして大剣も。
それらを吸い込んだ後、ひび割れはまるで最初からそこになかったかのように、音もなく姿を消した。
「終わった……の?」
イルメラの小さな呟きは、広い謁見の間に大きく響き渡った。




