表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
23/26

22.同士討ち

 獣人王は、何も間違ったことは言っていない。ただ、今まで自分が深く追求をせず、勘違いしていただけだ。

 フェリクスはギリと奥歯を噛み、強く拳を握る。己の不甲斐なさが、弱い心が、ただ許せなかった。


「自分を責める理由は何もない。お前は皆の内に眠る野性を目覚めさせただけ。殺し合いを始めたのは、お前の幻覚に惑わされた脆弱な獣人共だった。ただそれだけだ」


 全てを思い出した。受け入れた。それでも獣人王が告げた言葉に、フェリクスの全身は震えた。

 目の前に広がっていた、死屍累々の光景。過去の映像は彼の中の罪悪感と混ざり合い、おぞましさを増してフェリクスに襲いくる。


「フェリクス、特にお前の能力は素晴らしい。余とお前で、この世界を混沌の地に変え、その覇者となろうぞ」


 しかし過去を受け入れたところで、獣人王が言っていることは理解できなかった。

 そもそもなぜ、自分らをわざわざ過去の世界に放ったのか。死闘を繰り広げるのならば、今の世界でも十分ではないか。適当にそれらしい理由を付けていれば、獣人王の命令ならば――フェリクスは間違いなく彼に従っていたであろう。


「呆けた顔をしておるな。数日でも虚弱な人間どもの中で暮らして、腑抜けたか?」


 違う。元々、俺はこうだ。腑抜けてなどいない。

 言い返そうにもフェリクスの意思は声にならず、掠れた息が出てくるだけ。その隣で、イルメラが気丈にも声を上げた。


「獣人王様は、いったい何をなさろうとしているのですか……」


 フェリクスとの会話に割って入るような形になったが、特に気分を害した様子もなく、獣人王はイルメラへと顔を向ける。


「歪み、だ」

「歪み?」

「次元トンネルを使うことで生じる歪み。それを余は待ち侘びていた」


 説明を受けるも、まだ理解できるような内容ではなかった。彼らは獣人王の言葉を待つことしかできない。


「過去に行くこと――。それ事態が今の世に歪みを引き起こすのだ。小さな歪みは、やがて(さざなみ)のように後の世に広がっていく。だが、既に存在している我らの世界がその余波を受け、急激に姿を変えるということか? そうではない」


 獣人王はゆっくりと瞬きを繰り返しながら続ける。その顔には余裕すら浮かんでいるように見えた。


「過去に行き出来事を変えても、それは現存する我らの世界とは『異なる時間軸』となる。次元トンネルを作り出した者は、過去が変わっても『今の世界』は変わらないという、その矛盾に気付いた。そのことを調べていくうちに、さらにその人間はもう一つの重大なことを知る。『世界が変わらない矛盾』を解消するべく、『今の世界』と『改変された世界』が揺り動こうとすることに、な」

「世界が、揺り動く?」


 大きすぎるスケールの話に、イルメラを始め、皆は即座に獣人王の言葉を理解することができない。それでも、彼らは懸命に耳を傾け続けた。全ての鍵は、この獣人王が握っているとわかっていたからこそ。


「左様。我らが今足を付けているこの世界の他に、『時間の干渉を受けて歴史の流れが変わった』世界が、見えない壁の向こう側にあると考えたらよいだろう。その世界同士が、一つになるべく引き寄せられるのだ。異なる時間軸の世界が一つになるため、衝突するとどうなるのか? 間違いなく膨大な力が双方の世界にかかり、消滅することだろう。だからその人間は世界の消滅を回避するため、自ら犠牲となることを選んだのだ。それが次元トンネルそのものを生み出してしまったことに対する、せめてもの罪滅ぼしだと」


 フェリクスらは目を見開いた。次元トンネルに関しては、元々詳しく知っていたわけではない。それでも世界を動かすことのできるそれが、まさか人の手で作られたものだとは思ってもいなかったのだ。


「その人間は歪みを自らの身体で受け止めることで、世界を歪みから守る存在になった。誰かが次元トンネルを使う度に、異なる時間軸の世界同士が動こうとした。様々な時間の流れが、その者の身体へと流れこんでいった。その人間により、今この瞬間まで、世界は均衡を保てていると言えよう」


 獣人王はそこで息を継ぐと、わずかに声のトーンを落として続けた。


「その人間こそが、余の先祖である」


 フェリクスとイルメラは息を呑み、ライツは合点がついたとばかりに瞠目した。


「常識を超えた時間の流れをその身に受け止め続けた余の先祖は、もはや人間ではない、まったく別の生命へと成り果てた。いや、もしかしたら受け止めるために、人間であることを辞めたのかもしれぬ」


 獣人たちの間では、お伽噺の中でしか存在しないと思われていた『扉』。今まで誰も、その実体を知ることはなかった。だがその創造主の子孫だからこそ、獣人王は次元トンネルについて詳しかったのだ。

 しかし、最大の疑問はまだ残っていた。

 獣人王の語った祖先のことと、城や街の状況。どうしてもこれらが結び付かない。痺れをきらし、口火を切ったのはライツだった。


「城や街の獣人たちが惨殺されていマシタ。これも獣人王様の計らいなのですカ?」

「そうだ。主らがそろそろ帰還するだろうと見越したうえでのものだ。捕らえていた犯罪者たちを放ち、あらぬ限りの暴力を振るってこいと、余が命令を下した。城の兵士らも応戦していたようだが、善戦している兵には余が自ら牙を突き立てた」


 犯罪者たちはそのまま城を出て、ウォクオートの街に飛び出した。そこでも獣人王の命令の通り、住民たちを手にかけていったのだ。


「なぜ、そのようなことヲ――」


 冷製で穏やかな鼠の獣人が戦慄(おのの)いていた。喉から絞り出すようなその声も、今の獣人王の心を動かすものではない。

 獣人王の目つきが、そこでわずかに鋭さを増した。


「進化の条件とは、命に関わることだと余は思っておる。かつて人間が獣人へと進化を遂げたのも、絶滅の危機に瀕した人間たちが、過酷な世界で生き抜くために姿を変えたからだ」


 そこでフェリクスらはようやく理解した。

 獣人王は『進化の状況』を故意に作り出そうとしていることに。


「余は幼き頃から渇望していた。力溢れる世界を自らの手で創り出すことを。だが、余が自ら手を下していくには、いささかこの世界は広すぎる。だから手っ取り早い方法を選んだのだ。次元トンネルを使用した時にだけ、歪みは引き起こされる。そのわずかな機会だけ、時の流れをその身に受けるそれ(・・)は顕現するのだ」


 フェリクスとイルメラは、一斉に獣人王に飛びかかった。

 人であるとこを放棄した獣人王の祖先がどのような姿をしているのか、そんなことは想像すらできない。しかし獣人王は間違いなく、常識では測りきれないなにかを呼び出し、さらなる殺戮を起こそうとしている。

 それはきっと、このウォクオートだけで済むものではない。二人は本能的にそれを察したのだ。

 獣人王は構えを取らず、鋭い牙の生えた口を開けた。

 直後、獅子の咆哮が謁見の間に響き渡る。

 それは先ほどよりも鋭く、頭の内側を抉るような声だった。フェリクスとイルメラは堪らず耳を塞ぎ、膝を着く。


「ぐうううう!?」

「あ……い、痛っ……」


 聴覚が優れているイルメラには、殊更この咆哮は効いていた。

 成り行きを見守っていたライツも、そして霧羽も、耳を押さえ苦悶に顔を歪めている。

 声に呼応し、フェリクスの額が割れた。

 まるで出番を待っていたかのように煌々(こうこう)と見開く、第三の目。フェリクスは懸命に力を制御しようとするが、獣人王の咆哮が彼の精神をかき乱し、上手くいかない。


「フェリクス! それは――」

「離れろイルメラ!」


 フェリクスの悲痛な叫びも、間に合わなかった。

 イルメラは見てしまったのだ。黄金色に輝く、フェリクスの瞳を。

 イルメラの緋色の目は濃さを増していき、輝度の低いルビーのようになる。同時に、表情は硬く冷淡なものへと変貌した。

 幻覚に捕らわれてしまったイルメラ。しかし彼女が幻覚の世界に彷徨(さまよ)い動きを止めていたのは、一瞬だった。

 イルメラは背中の羽を広げ、飛んだ。

 彼女の標的になったのは目の前のフェリクスではなく、彼らの後方で小さくなっていた霧羽だった。

 巨体の(わに)の獣人アルガルをも持ち上げたイルメラの鋭い足は、霧羽の顔を狙っている。

 突然標的にされた霧羽は事態を飲みこめず、身動き一つ取ることができなかった。


「霧羽サン!」


 隣にいたライツが咄嗟に霧羽の上に覆いかぶさる。瞬間、イルメラの鉤爪はライツの背を掠っていた。


「ッ――!?」


 鋭い痛みに顔を歪めるライツ。それでも霧羽を気遣い、声は押し殺した。

 空中で急旋回し、さらなる追撃を狙うイルメラ。直後、フェリクスが後ろからイルメラの両足を掴んだ。その勢いのまま、地に叩きつけんばかりに引き摺り下ろす。


「正気に戻れ、イルメラ!」


 背後から馬乗りになりイルメラの両手首を掴んだ状態で、フェリクスはあらぬ限りに声を上げた。

 一刻も早くイルメラを幻覚の世界から帰還させないとならない。だがどうすれば良いのか、わからない。第三の目を閉じることができれば良いのだが、獣人王の咆哮のせいで強制的に開かれたままになっている。

 彼は今までに、自分の意志で幻覚を解除したことはないのだ。いや、そもそも幻覚を解く方法があるのかさえ定かではない。

 フェリクスが迷ったほんの数秒が、彼女に好機を与える結果となってしまった。

 みるみるうちに硬質化するイルメラの茶色の羽。

 イルメラは凶器となった白銀の羽を、迷うことなくフェリクスへと向けた。

 フェリクスが後ろに飛び退いたのは、風切る音と同時だった。

 イルメラはフェリクスの首の位置で、羽を横薙ぎにしたのだ。少しでもフェリクスの反応が遅れていたら、確実に首を切り落とされていた攻撃だった。


「フェリクスさん! イルメラさん!」


 霧羽の呼びかけにも、イルメラはまったく反応を示さない。濁った緋色の目の奥には、何が映っているのだろうか。

 虚ろな目をした鷹の獣人は追撃をかけるべく、低空滑空でフェリクスとの間合いを詰める。

 下手に横に動くと彼女の羽の間合いに入ってしまう。フェリクスは後退するしかなかった。しかし距離を取ったつもりが、イルメラはもう目前にまで迫っていた。


(速い――!)


 身を捻り何とか直撃はかわすが、羽の先がフェリクスの頬を掠め、血を滲ませた。

 百獣の王とは別の位置で頂点に近い鷹の能力は、やはり非常に高いものだ。イルメラの性格ゆえに今までそれほど強さを実感したことがなかったが、敵になると厄介な強さだと、改めてフェリクスは思った。

 イルメラを殺めるわけにはいかない。だがこのままだと、間違いなく自分が先にやられてしまうだろう。

 フェリクスは犬歯を剥き出しにし、決意した。

 逃げるのをやめたのだ。細い足で床を蹴り、あえてイルメラの真正面に踏み込む。イルメラの羽の間合い、ぎりぎりの範囲外だからだ。しかし真正面ということは、当然イルメラ自身の攻撃がやってくる。

 鋭く伸びた爪を、迷うことなくフェリクスへと振るうイルメラ。


「っ――!」


 彼女の爪はフェリクスの二の腕に突き刺さる。しかしフェリクスは歯を食い縛り、それに耐えた。

 イルメラの手首を強く握り、彼女をその場に拘束する。

 動けなくなったイルメラは、今度は足の鉤爪をフェリクスに向けるべく宙に浮き――。


「浮いてくれるのを待っていた」


 抑揚のない声で告げたフェリクスは、迷いなく再度イルメラの両足首を掴んだ。

 そう、彼女ら有翼人は地から飛び立つ瞬間、わずかに隙が生まれるのだ。

 フェリクスはイルメラを地に叩き付けた。

 多少手加減はしたが、それでも衝撃で床がひび割れる。

 背中から叩き付けられたイルメラ。彼女の硬質化していた羽の一部がキンと甲高い音を立て、床に散らばった。

 イルメラは衝撃で気を失ってしまったのか、動き出す気配はない。硬質化していた羽も元の茶色に戻っていく。砕けた羽の部分からは、じわりと血が滲み出していた。


「すまない、イルメラ……」


 傷付けられた腕を押さえ、フェリクスは力なく呟く。彼女を止めるにはこの方法しか――力づくでの方法しか思いつかなかったのだ。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ