表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
22/26

21.欠如していた記憶

 フェリクスは色が変わるほど強く手を握り締め、ギリ、と奥歯を噛む。イルメラは呆然としたまま、身体は小刻みに震えている。

 心酔していたと言っても過言ではない獣人王に裏切られたのだ。彼らの心は今まさに踏みにじられ、傷付けられてしまった。

 獣人王の言葉は止まらない。


「『人間を食らうと力を得ることができる』などとわざわざ虚偽の情報を与えたのも、主らの全力を引き出すためのものにすぎん」

「虚偽……」


 その偽の情報に、犯罪者たちだけでなく、自分たちもどれほど踊らされ、心を乱されていたのか。やり場のない怒りが、フェリクスの腹の底から沸々と煮えたぎる。


「しかし、あまり過去の人間を食い散らかされるも困るのでな。目立たぬようにと制限をかけておった。結果、彼奴らの行動はおとなしすぎたようであったが。それでも『歪み』を生み出すには十分すぎるものであった」


 突如出てきた不可解な単語に、眉間に皺を寄せる面々。しかしその意味を問う間もなく、獣人王はゆっくりと玉座から立ち上がり、手を広げた。


「そう、全ては余が仕組んだもの。主らの野性を目覚めさせるためと、もう一つ、大事なものを呼び出すための、な」


 フェリクスは膝が崩れそうになるのを懸命に堪えていた。畏敬の念を抱いていた獣人王の口から紡ぎだされる言葉は、かつてないほど彼を苦しめていた。


「獣人王様は、俺を助けてくれた。命を救ってくれた。そのご恩は忘れたことはありません。ですがこれはあまりにも――!」

「何を言うておるのだ。余はお前の命など救ってはおらぬ」

「え……?」


 硬い声で言い放った獣人王の言葉を受け、今度こそフェリクスは固まった。


「余は、お前を拾っただけだ」

「だから、それが――」

「荒野に横たわる無数の屍。血と臓物で穢れきった大地の中に横たわっていたのがフェリクス、お前だったな。あの光景は、お前一人が生み出したのだぞ?」


 驚愕に目を見開くフェリクス。全身に氷水を浴びせられたかのようだった。しっかりと足をつけて立っていたはずの地が、足元から崩壊していくような錯覚さえ覚えた。


「お前の持つ第三の目で、あの場にいた者たちを争わせたのだ。小さな町の住人共が殺戮を繰り広げているとの報せを受けた余は、それを自ら確認しに行っただけのこと」

「あ……」


 震える手でフェリクスは額を押さえていた。


『あいつ、目が三つあるぞ』

『気持ち悪ぃ。ただの盗っ人じゃなくて化けモンかよ』


 突如、フェリクスの脳内で再生される男たちの声。最初は霞がかっていたその姿が、徐々に鮮明になっていく。


『あいつは獣人なんかじゃない。化け物だ』

『早く殺せ。俺らの暮らしを脅かす前に、殺してしまえ』

『殺せ。殺せ』


 脳内の声も男たちの姿も、次第に数は増えていく。最終的にフェリクスは、冷たい表情をした無数の男たちに取り囲まれていた。


 ――ああ、思い出した(・・・・・)


 フェリクスは理解した。これは過去の映像だと。

 失われていた幼少期の記憶が、蘇った瞬間だった。記憶という名の濁流が一気に頭の中を支配する中、しかしフェリクスはいや――と否定する。失われていたわけではない。信じたくなかった現実から、自分は目を反らし続けていたのだ。




 ※ ※ ※


 フェリクスが元々住んでいたのは、ウォクオートの街ではない。ここから離れた場所にある、もっと田舎の小さな街だ。

 非常に大規模な戦争の後、極端に数を減らした人間。生き残った人間たちは、育ってきた土地を捨てた。だがバラバラになった人間たちは、ほとんどがまた新たな集団を作り、暮らすようになっていた。どの時代でも、弱い種族は個々で生きるより集団で暮らした方が生存率は上がる。

 そして長い年月を経て、ついに獣人へと進化を遂げた人間たち。数も戦争前ほどではないにせよ、爆発的に増えていった。しかし彼らはばらばらになることを嫌い、一つの街にとどまり続け、発展をさせてきた。

 それが、巨大都市ウォクオートの前身だ。それでも集団でいることを嫌い、街を出ていく者はいた。そういう者たちが集まり、各地に小さな村や町がポツポツとできていく。それがフェリクスの生まれた町だった。



 フェリクスの額に第三の目が表れたのは、彼が七歳になったばかりの頃だった。

 両親は金色に光るその目を異様なほど不気味がり、そして畏れ、即座にフェリクスを捨てた。幼い彼は絶望したが、その心に侵食されることはなかった。このまま死んでしまおうとは微塵も思わなかったのだ。むしろ『生きたい』という本能が、彼の胸の内に充満していた。それはかつて、絶滅しかけた人間が抱いていた想いと同じだったのかもしれない。

 フェリクスは獣人王に拾われるまで、町の人々から様々な物を盗み、何とか生命を繋いできた。

 第三の目に他人に幻覚を見せる力があるということは、盗みを繰り返していくうちに理解していった。

 力を使うと、盗みの成功率は格段に高くなる。いや、ほぼ一〇〇パーセントだった。それでもフェリクスは自身の目を忌々しく思い、極力それには頼らないようにしていた。能力を使うことで、自分が獣人から益々離れた存在になってしまうのではないかと、心の奥底で怖れていたからだ。第三の目があろうとも、それでも自分は獣人には違いないと、強く思っていた。

 盗みに失敗し、捕まってしまったあの日こそが、フェリクスの運命の日だった。

 フェリクスが住んでいた小さな町の役人たちは大変に傲慢で、その立場を利用して理不尽な暴力を振るうのを躊躇わなかった。

 当時は第三の目を上手く隠すことができなかったフェリクス。必然的に、彼の第三の目はすぐに役人の目に留まることになる。役人の狼の獣人の男はフェリクスのそれを見ると目を細め、狡猾な笑みを浮かべた。

 フェリクスは、その場で死罪を言い渡された。人を殺したわけではないと抗議するも、狼の獣人は笑顔のままフェリクスの腹に拳をめり込ませた。


「確かにお前は誰も殺してはいない。だが、金を盗んだ。町の獣人たちの生活が化け物に脅かされたのだ。我々は化け物から住民を守る義務がある」


 狼の獣人――逃亡していたウルステッドの兄――は、苦痛に呻き横たわるフェリクスを見下しながら、そう告げたのだった。







 町の外に広がる荒野に、処刑の場は設けられた。

 狼の獣人はわざわざ、公開処刑という方法を選んだ。

 役人たちの理不尽な暴力に怯えながら暮らしてきた獣人たち。役人たちも彼らの抑圧された心に、何となく勘付いてはいた。だから自身より弱い者が痛めつけられるところを見せることで鬱憤も晴れるだろう、同時に楯突く気持ちもこれで益々なくなるだろう、と非常に思慮の浅い考えの結果だった。

 化け物の子供が処刑されると聞き、大勢の住民がそれを見ようと集まった。憐れみの目を向ける獣人は年配の女性数人程度で、他は皆、憎悪や畏怖、狂気をその目に宿したものばかりだった。

 後ろ手を縄で縛られたフェリクスが役人と共に観衆の前に現れると、地を轟かすような合唱が始まった。


「殺せ! 殺せ! 化け物を殺せ!」


 フェリクスは両親に捨てられてから、感情をほとんど表さなくなっていた。それでもこの狂気に塗れた観衆たちを前に、彼の歯は噛み合わず、音を鳴らしていた。


 そしてついに、それ(・・)は起こった。


 フェリクスの第三の目から、突如閃光のように眩い光が放たれたのだ。フェリクス自身にも、何が起きているのか理解できなかった。彼の金色の目は、観衆たちを一人残らず見据えていく。彼の目に射止められた者たちは、たちまち幻覚の世界に迷い込み、発狂を始めた。

 極限の精神状態が引き起こした、フェリクスの能力の暴走だった。

 実のところ、フェリクスの記憶の欠如はこの暴走の後遺症も原因の一つであったのだが、そのことを本人が知る由もない。

 やがて幻覚に惑わされ怖れた者が一人、隣に居た男の頭部を殴った。殴られたその男は白目を剥き、地に倒れる。獣人の一撃は人間のそれとは違い、非常に重い。殴られた箇所も悪かったせいか、その男の生命活動は呆気なくそこで終わってしまった。

 幻の世界で苦しみもがいていた人々の中で、その男の死は形を変え、さらなる恐怖を生み出した。そして狂気は、次々と連鎖していく。

 幻の世界の恐怖から逃れようと暴れる獣人たち。彼らの手は見境なく、近くの獣人たちに振るわれる。自身に降りかかった痛みを払い除けるべく、さらに暴れだす別の獣人。

 フェリクスの処刑場となるはずだった荒野は、一瞬にして凄惨な殺し合いの場へと発展した。その獣人同士の争いに、フェリクスも巻き込まれてしまった。目の前で発狂しだした獣人たちを目の当たりにしたせいで、逃げ出そう、という考えに辿り着くことができなかったのだ。

 サイの獣人の攻撃がフェリクスを直撃する。彼の腕や胸骨は、その一撃で呆気なく折られてしまった。

 幻覚に惑わされた獣人たちは、立っている者を優先的に狙っている。フェリクスはその場に倒れてやり過ごすことにした。しかし全身に広がる激しい痛みが、いつしかフェリクスの意識を支配する。数分と待たず、彼は気を失ったのだった。



 ※ ※ ※


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ