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20.告げられる真実

 イルメラが戻ると、フェリクスたちは、北門のすぐ手前まで移動していた。ここまで走ってきたのか、三人とも息が乱れている。人間形態の霧羽は、とりわけ苦しそうな息使いをしていた。

 イルメラは三人が街に入る直前で合流できたことに、小さく安堵した。


「みんな! ちょっとここで止まって!」


 上空から降ってきたイルメラの声に、三人は同時に視線を跳ね上げる。彼女の只ならぬ気配を察知したのか、険しい顔のまま皆は足を止めた。


「どうでしタ?」

「……あたしもよくわかんない。ただ、見たままを言うね。街の人たちが殺されていた。それも数人とかのレベルじゃない。目に見える範囲に生きている獣人がいなかったほどだ。あれは――虐殺だ」


 イルメラの声は硬い。彼女の表情とその報告に、三人の顔が強張る。


「何があったのとか、理由とか、私には推測もできない。事態を引き起こしたそれらしい奴も見つけられなかった。ただ、一刻も早く獣人王様の所へ向かうべきだとは思う」

「手遅れになっていないことを祈るばかりですネ……」


 ライツが思わず洩らした不吉な言葉に、フェリクスが反応した。


「街とは違い、城には手練が揃っている。能力者もいるんだ。獣人王様はきっと大丈夫に決まっている」


 フェリクスのそれは、半ば自分に言い聞かすような口調だった。最悪の事態を今は考えたくないという彼の内面が、わずかに表情に滲み出る。


「申し訳ございませんフェリクスさン。私としたことが軽率でしタ。確かに獣人王様ご自身、大変にお強いお方デス。きっとご無事であるはずですよネ……。その城までのルートですガ、状況がわからない今、できる限り人目に付かない道を選んで行くべきでショウ」

「裏道ならあたしに任せて。昔は路上で生活してたんだ。あんたらよりは知ってるつもりだよ」


 イルメラの提案に三人が無言のまま頷くと、一行はすぐさま移動を開始した。

 先頭にイルメラ、続いてフェリクスと霧羽、殿(しんがり)はライツだ。イルメラは三人の走る速度に合わせ、低空飛行で皆を先導する。


「霧羽サン、申し訳ございまセン。まさかこのような事態になっているトハ――」


 小走りで移動しながら、最後尾のライツが霧羽に声をかけた。


「い、いえ、そんな。ライツさんが謝るようなことでは……」

「城に着いたラ、霧羽さんはすぐに私の部屋にご案内致しマス。我々が事態を把握するまデ、私の部屋に隠れていた方が良さそうデス」

「確かにそうだね。獣人王様のことは私たちに任せて。ライツは霧羽ちゃんを頼むよ」


 会話を聞いていたイルメラが振り返ると、ライツは了承したと頷いた。

 高い城壁から少し離れ、細い路地裏に入る。石を敷き詰めた路地裏にも、幾つかの遺体が転がっていた。遊んでいたのであろう、複数の子供らが固まった状態で倒れているのを発見した時は、堪らず三人は歯軋りを洩らしていた。霧羽は出来る限りそれらを見ないようにして走り続けた。

 やがて、大きな城門が皆の視界いっぱいに広がる。

 城壁同様に、白い巨大な石を積み上げた堅牢な造りの門。だがそこにも、門を見張っていたのであろう虎の獣人兵士二人の遺体が転がっている。白い城門には血飛沫の花が咲いていた。

 ことさら、三人の表情は険しくなった。あまり会話はしたことがなかったが、それでも城のに仕える兵士たちの中には、顔見知りの者も少なくはない。


「ねぇ、もしかしたら、城の中まで?」

「――っ!」


 イルメラの言葉と同時に、フェリクスは駆け出していた。


「フェリクス! 一人で先行すると危険だ!」


 慌ててイルメラたちも彼の後を追う。

 眼前の巨城は、不気味なほど静かだった。人の話し声一つ耳に入ってない。代わりに聞こえるのは、怨嗟の声を上げているかのような、気味の悪い風の音のみ。

 巨大な扉の閂は抜かれ、地に放られたままになっている。獣人が出入りする都度閉められる扉は、今は全開のまま風を中へと(いざな)っていた。

 城の中も、むせ返るような血の臭いで溢れていた。走っていたフェリクスたちだったが、その臭いに思わず足を止めてしまうほどであった。

 猫、狐、烏――。どの獣人たちもフェリクスやイルメラ同様にその力を認められた、実力者ばかりだ。だが彼ら顔馴染みの兵士たちは、変わり果てた姿で大理石の冷たい床に伏していたのだ。


「まさカ、城の中までこのようナ……」

「あたしらがいない間に、何があったんてんだ!」


 理解できない凄惨な現状を前に、苛立ち乗せイルメラが床を踏み付けた。音を立てひび割れた床は、何も語らない。


「ライツ、行動を変えよう。おそらくもう、安全な場所はない」


 物言わなくなった同僚たちを見つめたまま、フェリクスは小さく呟く。彼の言葉の意図を瞬時に理解したライツは頷いた後、霧羽へと向き直る。


「霧羽サン、前言撤回デス。私の側から絶対に離れないでくだサイ。どこに不審者が潜んでいるかわかりまセン」

「は、はい」


 気丈に返事をする霧羽だったが、その顔は病人のように青褪めていた。人間の姿でないとはいえ、遺体を見るのは彼女は初めてのことだ。それも数えきれないほど複数なうえ、どれも綺麗な状態ではない。今彼女は、この場に立っていられることの方が奇跡だった。

 それでも霧羽は、こみ上げてくる胃液を懸命に堪えていた。この世界に来ることを選んだのは自分なのだ。そう言い聞かせるように、白くなるまで手を強く握りしめる。


「……走る」


 短く宣言した直後、フェリクスは駆け出した。皆もそれに続く。

 行き先は最初から決まっていた。おそらく獣人王がいるであろう、謁見の間だ。

 城の中央、横幅の広い階段にも何人かの獣人が絶命した状態で転がっていた。四人はその横をすり抜け、血で濡れた階段を駆け上がる。

 階段を上りきった正面に、大きな扉が構えていた。この扉の向こう側が謁見の間。今その扉は、きっちりと閉ざされている。フェリクスは殴るようにして勢いよく扉を開けた。

 転がり込むようにして謁見の間に入ったフェリクスの第一声は、悲鳴に似た叫びだった。


「獣人王様!」


 はたして金色の玉座に、百獣の王は腰掛けていた。フェリクスたちに犯罪者追跡の命を出した時と同じく、威風堂々と。


「帰ってきたか、フェリクスにイルメラよ。ライツもご苦労であった。待ちわびておったぞ」


 ゆっくりとした動作で獣人王は玉座から立ち上がり、手を広げて三人を出迎えた。普段と変わらぬ獣人王の態度は、まるで扉の外の世界と隔離されているようだった。


「獣人王様……?」


 落ち着き払った態度が、逆に皆の心に不安を生み出した。もしかして獣人王は、城の、そして街の異変に気付いていないのだろうか。

 いや――。

 フェリクスは心の中で(かぶり)を振る。それはありえない。獣人王ともあろう者が、身体に染み込んでしまいそうな、この強烈な血の臭いにまったく気付かないなど。ならばなぜ、獣人王はこの異変に平然としていられるのか?

 イルメラがフェリクスの服の裾を軽く摘む。フェリクスが横目で見ると、彼女の顔は色を失い、呼吸が乱れていた。フェリクスは拳を強く握りながら一歩踏み出し、獣人王に問う。


「獣人王様……。一体、城や街で何があったというのですか。敵襲ですか? それとも、謀反でも――」

「敵襲でも、謀反でもない」

「では、一体誰がこのようナ?」


 続けて問うたのはライツだ。彼女の背の後ろでは、帽子を被ったままの霧羽が不安げな顔で成り行きを見守っている。

 獣人王は答えず、静かに息を吐き、双眸を閉じた。それだけの動作で、三人の緊張感はピークに達した。今この空間を支配しているのは、間違いなく獣人王であった。


「我らは、野性に目覚めるべきだとは思わんか?」


 太く低い声はそれほど声量があったわけではない。しかし今の彼らには、脳に直接語りかけられていると錯覚してしまうほど強く聞こえた。

 それでもその内容は、この異変を説明したものではない。まったく理解できるものではなかった。

 反応を示さない皆を見据えながら、獣人王はさらに続ける。


「結論を急きすぎたか。いいだろう、少しずつ説明をしてやる。お前らには言っていなかったが、我らの祖先は――実は人間なのだ」


 知っている。次元トンネルについてライツから聞いた時に、フェリクスらは必然的に理解した。今この世界は、かつて人間が繁栄していた場所――。

 だが、なぜ今この瞬間に、それを明かすのか。

 犯罪者たちはどうなったのかと、真っ先にその報告を待っていたのではないのか。もしやこの異変で、そのような命令を出したことすら忘れてしまったのか。

 戸惑い、言葉を見つけられないフェリクスらを置いて、獣人王は顎の(たてがみ)に触れながら言う。


「遥か昔のことだ。人間は世界中を巻き込む大規模な戦争を起こし、一度絶滅寸前まで数を減らした。誇張ではなく、(しん)に滅びる寸前であった。しかしそこから這い上がるため、人間はある道を選択した」

「ある道……?」

「進化だ」


 短いその返答に、皆は思わず息を呑んだ。


「何も特別なことではない。進化とは、あらゆる命が太古から繰り返してきたこと。世界に順応するために、我らは脆弱な人間から進化し、獣人となった。だが、この進化はまだ完成されていないと余は思っている。姿だけでなく、生き方も人間から進化するべきだとは、思わんか?」


 問われても、三人は答えられない。元々返答を求めていなかったのであろう。獣人王は微塵も態度を変えず、言葉を継ぐ。


「我が理想は、弱肉強食の世界。自然のままの形態だ。それこそが最も崇高で、美しいものであると余は信じている」


 落ち着き払った態度で、理想を語り続ける獣人王。

 フェリクスは確信した。この謁見の間の外の異変を、獣人王は確実に知っている。知ったうえで、今彼らに語りかけているのだ、と。


「フェリクス、イルメラ。特に主らの能力は素晴らしい。その能力を有効に利用できる環境を作るべきだ。脆弱な人間を見て感じなかったか? 主らの中に眠る『狩りたい』という本能を。死闘を繰り広げて感じなかったか? 敗者の肉に牙を立て、咀嚼し、血を啜りたいと」


 頭に乗せた金色の王冠のように、獣人王の目は鋭い輝きを放っていた。しかしその獣人王の熱弁も、フェリクスやイルメラの心には虚しく響くばかりで、まったく共感できるものではなかった。

 おそるおそる、イルメラが口を開く。彼女の中ではどうしても繋がらなかったのだ。自分らに犯罪者たちを追わせた事と、今、獣人王が語った理想と、街や城の状況が。


「獣人王様が、あたしらの能力を高くかって頂けているのはわかります。でも正直、突然すぎてついていけておりません。それに、あの、脱獄した犯罪者たちは――」

「わざわざ報告せずともよい。主らのことだ。全て片付けたのであろう? 行く前と違い、随分と良い目になっておる」


 イルメラの言葉を遮り、獣人王は満足気に首を縦に振る。


「余が見込んだ通りだ。やはり、凶悪な犯罪者を使ったのは正解だったようだな」


 獣人王のその言葉に、フェリクスとイルメラだけでなく、ライツも愕然とする。それではまるで――。


「ああ、そうだ。犯罪者どもを牢から解放し過去に放ったのは、他ならぬ余だ。彼奴(きゃつ)らの死んだ目が余の話を聞いただけで生き返っていくさまは、なかなかに愉快であったぞ。自分らこそがこの世界を変えるために放たれた、小さな巻き餌だとも気付きもせずにな」


「……やめろ!」

 

 告げられた事実に、フェリクスは堪らず絶叫する。

 彼は理解した。この百獣の王に利用されていたのだ。自分たちも、そして犯罪者たちも――。

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