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16.少女の独白

 拠点のマンションへと戻ってきた一行。ライツは無言のまま、霧羽を抱いたフェリクスをリビングへと誘導する。

 フェリクスは抱えていた霧羽を、そっとソファーに下ろす。霧羽の顔を覆っていた彼の服を取ると、再び白銀の狼の顔が現れた。

 霧羽はまだ、目を覚まさない。


「色々と()きたいことはありますガ、まずは彼女の手当てを優先させた方が良さそうでスネ」

「頼む」


 ライツは横たわる霧羽の前に膝立ちになり、彼女の傷の様子を確認する。

 胸の下から腰付近まで斜めに入った傷口は、既にほぼ塞がっていた。だが傷口周囲に付着した乾いた血が、その傷が幻ではなかったことを告げている。獣人に備わっている、凄まじい自己治癒能力の賜物であることは明白だ。

 思わず顔を見合わせる三人。そして、さらに彼らの目は丸くなる。

 霧羽の姿が、音もなく人間のものへと戻ったのだ。フェリクスとイルメラが見慣れた、あの愛らしい顔立ちの人間に。フェリクスは慌てて彼女から顔を逸らした。彼女は服を身に着けていないのだ。


「へえー。あんたも結構純情だったんだ」

「うるさい」


 からかうイルメラの脇をすり抜け、壁にもたれ掛かるフェリクス。若干顔が赤いことについては、イルメラは触れなかった。あまりからかうと後々が面倒そうだと判断したからだ。

 イルメラは自室から自分の服を持ってきた。サイズは霧羽より少し大きめだが、この際仕方がない。イルメラとライツの二人で、何とか霧羽に服を着せることができた。

 霧羽の長い黒髪は濡れたままで、ソファーの繊維を少しずつ湿らせていた。それをライツがタオルで優しくふき取っていく。

 その時だった。霧羽の目がうっすらと開いたのだ。三人は思わず小さく息を呑む。


「あ……れ……? ここは……」

「あたしたちの家だよ」


 できる限り、いつもの調子で答えるイルメラ。彼女は内心焦っていた。今の返事に変なところはなかっただろうかと。


「鷹来さんたちの……?」


 呟き、ライツに視線を送る霧羽。彼女と霧羽は初対面だ。どう説明したものかと一瞬迷ううちに、ライツが口を開いた。


「私は蒼の従姉の、白亜と申しマス。二人の保護者といったところデス」


 優しい笑顔を浮かべ、サラリと嘘をつく。

 少し無理があるような気もするが、とりあえず彼女の前ではそういう設定でいくらしい。フェリクスとイルメラは視線を交差させる。

 三人の中で一番小柄な少女が『保護者』などとは怪しいにも程があるが、ここで口を出すとさらにややこしい事態を引き起こしそうなので、それについてはライツに任せることにしよう――と目と目だけで暗黙の協定を結んだ。


「あの……私」

「まだ起き上がらない方がイイ。あなたは怪我をされているのデス」


 ソファーに手を付いて起き上がろうとする霧羽を、ライツがすかさず制した。しかし霧羽は続ける。


「私……は、殺したのですか」


 霧羽の口から紡がれた言葉に、たちまち部屋の空気は凍った。


「私が、あの獣のような人に、噛み付いて――。あの人は、死んだのですか? 私が、殺したのですか?」

「霧羽ちゃん……あんた……」


 イルメラの緋色の瞳が激しく揺れる。

 彼女は覚えていたのだ。あの一連の出来事を。獣人に姿を変え、オンヴァの首に噛み付いたことを、霧羽の記憶の回路は記してしまっていたのだ。

 部屋に渡る沈黙。誰も霧羽に答えることができなかった。

 オンヴァにとどめを刺したのはフェリクスだ。しかし霧羽がいなければ、彼女がオンヴァの気を逸らしていなければ、成しえなかったことだろう。

 どういう返答をするのが彼女にとって最良なのか。誰も瞬時に判断することができなかった。

 沈黙を肯定と受け取ったのか、霧羽は唇を噛み締め、俯く。その時だった。


「殺していない」


 無機質なフェリクスの声に、霧羽はハッと顔を上げる。ライツもイルメラも、壁際で佇む彼を注視した。


「お前は、誰も殺していない」

「狼上さん……」


 先ほどよりも力を込めて言うフェリクス。霧羽の眉尻がわずかに下がる。


「まだ信じられないけれど、私は、人間ではない……。そして私を見ても特別に驚いていない鷹来さんたちも、きっとそうなのですよね?」

「霧羽ちゃん、その……」


 はっきりと真正面から問われ、イルメラは口ごもる。フェリクスもライツも、霧羽から絨毯に視線を逸らすことが精一杯だった。

 彼らの反応は是だと、霧羽は受け取った。そんな彼らに小さく微笑んで、霧羽は優しい声で言った。


「私には、妹がいたんです。一つしか歳が離れていないせいか、いつも一緒でした。妹は少し我侭なところがあって喧嘩もよくしたけれど、それでも私は妹が――露花(つゆか)が大好きでした」


 突然、身の上話を始めた霧羽に戸惑いの表情を浮かべる三人。けれども今は彼女の話に耳を傾けるべきだと判断し、無言のまま続きを促した。


「私と露花は、二人だけで暮らしていました」

「二人で?」

「はい。両親は露花が高校に入学した直後、事故で……」


 それでも、大人になるまで二人で暮らしていくには充分なお金は残してくれましたから、と小さな声で補足する。保険金のことだが、獣人界にはそのようなシステムがないので、彼らには何のことだかわからない。彼女の家は大層裕福だったのだろうと、三人は解釈した。


「露花は、私に残された最後の家族だった」


 どこか遠くを見ながら、消え入りそうな声で霧羽は言う。


「でも一週間ほど前、露花は殺されてしまいました。アルバイトの帰りに、何者かに襲われて。……許せなかった」


 目を伏したまま発せられた最後の声は、どこまでも硬いものだった。三人の耳が少し痛く感じたのは、果たして錯覚か。


「私にはもう、露花しかいなかった。露花が全てだった。あの子がいてくれたから、両親がいなくなっても挫けずにやってこれた。それなのに――。だから、許せなかった。露花の命を奪った存在が、どうしても許せなかったんです。例えそれが、野性の動物であったとしても」

「だから、夜に出歩いていたんだね」


 イルメラに頷き、霧羽は続ける。


「警察を信用していなかったわけじゃないんです。ただ、自分の手で復讐したかった。何としてでも、露花の仇を取りたかった……」


 刃物を持ち、夜な夜な街を彷徨っていた霧羽。彼女は、妹の命を奪った『犯人』を自ら探しだし、復讐しようとしていた。激しい憎しみが、彼女をそのような行動へと突き動かしていたのだ。

 思い返せば、フェリクスらはあまり人目のつかない場所で霧羽と会うことが多かった。霧羽もまた、フェリクスらと同じ者を追っていたのだ。その正体が獣人であるとは微塵も思わずに。


「ナイフ一本だけで立ち向かうなんて、無謀だとわかっていた。動物相手に復讐だなんて、なんて馬鹿なことだろうとも思っていた。例えやり遂げても、何も生まれないこともわかっていた。でも、いても立ってもいられなかったんです。どうしてもこの手で、妹の無念を晴らしたかった。あんな……あんな無残な姿にされてしまった露花の無念を」


 最後の方は声が震えていた。涙を堪えているのか、霧羽の顔は歪んでいる。

 フェリクス達は言葉をかけることができなかった。

 そこまで強い決意を抱いていた少女。自分が獣人であることなど気付いていなかった、非力な人間。それでも頼りない刃物一本だけで、妹を食い殺した恐ろしい生物に立ち向かおうとしていたのだ。

 霧羽の胸の内に渦巻く決意と大きな悲しみは、部屋を媒介して三人の心に伝わった。イルメラは堪らず、霧羽を優しく抱き締めていた。


「あたし馬鹿だからさ、こんな時どういう言葉をかけてあげたら良いのかわかんない。でも……霧羽ちゃんには、あたしらがいる。確かに血の繋がった家族はいなくなってしまったかもしれないけれど。それでも、あたしらは霧羽ちゃんの仲間だよ」

「鷹来さん……」

「会って数日なのに、こいつ何言ってんだ、て思うかもしれないけれど」


 失笑しながら言うイルメラに、霧羽は頭を横に振る。


「鷹来さんたちは、私と同じ。でも、私は一体何者なのですか? あなたたちはどこから来たのですか? ううん、どうしてここに――」

「霧羽サン」


 遮ったのは、ライツだった。その声はどこまでも優しい。


「あなたにお話したいコト、こちらもたくさんございマス。しかし今は、ゆっくりとお休みになられてくださいマセ。あなたは大きな怪我をしておいでデス」


 口を開きかけた霧羽だったが、その顔が下を向く。傷は塞がっていたのだが、残り香のように鈍い痛みが意識に仲介してきていたのは事実だった。


「それじゃあ、あたしの部屋のベッドを使いなよ。こんな所で男に寝顔を晒すのは嫌だろ?」


 フェリクスを見ながら言うイルメラの言葉を受け、霧羽の頬がほんのりと朱に染まった。






 なぜ獣人の霧羽は、人間としてこの世界で暮らしていたのか。

 リビングから立ち去る彼女の後姿を視線で追った後、フェリクスは腕を組んだ。


「彼女がこの世界にいることは、お前も知らなかったんだよな?」

「はい、もちろんデス。彼女の存在は完全に想定外デスヨ」


 苦笑しながらライツが答えると、フェリクスは小さく鼻を鳴らした。


「任務は終わったが、どうにもスッキリしないな」

「そうですネ。霧羽さんの体力が回復したら、すぐに獣人界へと戻りまショウ。獣人王様のことが心配デス」


 ライツの言葉にフェリクスも頷く。

 犯罪者たちの牢を開けた人物は、確実に獣人王の城の中にいる。獣人王もそう簡単に不覚を取るような者ではないが、得体の知れない不安は消えない。

 再び沈黙が支配する前に、イルメラが戻ってきた。リビングに入ってきたイルメラに、二人の視線が集まる。


「霧羽ちゃん、すぐに寝ちゃったよ。よっぽど疲れていたんだろうね」

「色々なことが起こりすぎた。無理もない」


 フェリクスの言葉に首を縦に振って答えた後、イルメラはライツに視線を送った。


「ライツ。残りの一人というか、消えちゃった一人の名前は何だっけ?」

「ウルステッドでス」

「狼の獣人だったな?」


 と、フェリクス。ライツは無言のまま頷く。

 フェリクスは蒼の瞳を、ライツへと向ける。


「ライツ。お前、俺たちに隠している情報があるな?」


 何を馬鹿なことを――と、イルメラはライツが穏やかに否定するものだとばかり思っていた。しかし、ライツは答えない。まるで寝起きに水を掛けられたかのような表情のまま、固まっている。

 その反応を見るや否や、フェリクスが動いた。手だけを獣人の物に戻すと素早くライツの背後に回り、首に爪を押し当てる。


「フェリクス!?」


 非難の声を上げるイルメラを無視して、フェリクスは氷の声で告げた。


「答えろ」

「……獣人王様に、この件の口止めはされていないですカラネ」


 ライツは諦めたように両手を上げた。彼女の首に向けられていた凶器は、ひとまず下ろされる。事態を理解できないイルメラは、ただ目を丸くすることしかできない。

 ライツは瞼を閉じ、静かに語りだす。


「我々がこちらの世界に来る時に利用シタ『扉』。あれには『次元トンネル』という別名があるのデス」

「次元トンネル?」


 聞き慣れない単語に、思わずイルメラは復唱する。ライツは大きく頷き、続けた。


「わかりやすく言います卜――。過去と未来を繋ぐ、トンネルでス」

「なっ――!?」


 思わず声を出すイルメラ。フェリクスの眉も大きく跳ねた。


「じゃあ、もしかしてこの世界は、私らの世界の過去か未来ってことなのかい!?」

「過去、デス。こちらの世界は、私たちの世界の、遠い過去にあたりマス」

「…………」


 いきなり言われていたら、きっと(にわ)かには信じられなかっただろう。だが、二人はこの世界に来てから、あえて深く考えないようにしていた疑問があった。

 異なる世界なのに、言葉が通じる、そして文字も読めてしまう謎。

 それは獣人界とまったく異なる世界に来たからではなく、獣人界と時間軸の繋がった世界だったからなのだと、二人は理解した。

 フェリクスは顎に手をやり、ある人物との会話を思い出す。


「扉を出る前に犯罪者が一人消えていた――と、タガーダが言っていた」


 タガーダからその情報を聞いて、その一人は獣人界に引き返したものだとばかり思っていた。だが、その認識自体が誤りであった可能性が濃厚だ。きっとその一人は引き返したのではなく――。


「おそらく次元トンネルから出る前に、『狭間』に落ちてしまったのでショウ。そして消えた獣人――ウルステッドは、この時代とは別の時代に降り立っタ」

「そ、それじゃあ霧羽ちゃんは――」

「その犯罪者と、人間との間に産まれた子供……かもしれない。それだと、彼女が狼の獣人ということにも繋がる」


 どういう経緯で、ウルステッドがこの時代の人間と結ばれたのはわからない。だが、現状それが一番納得のいく仮説だった。


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