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獣人の追跡者たち  作者: 福山陽士


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15.異変と終焉

 にたりと笑みを浮かべたまま、オンヴァが霧羽の元へと進む。

 だめだ、それだけは。彼女が食されてしまう事態だけは、絶対に阻止せねばならない。何としてでも、守らねばならない。

 フェリクスとイルメラは人間形態を維持したまま、ふらつきながらも立ち上がった。


「イルメラ。ここはやむをえない」

「……うん。さっさと終わらそう」


 小声で短くやり取りを済ませた二人は、オンヴァを睨みつける。

 人間形態のままでは、オンヴァには到底敵わない。二人は元の姿に戻ることを決意したのだ。霧羽や、他の人間に見られてしまうことを覚悟のうえで。

 全身に力を入れ、本来の姿に戻ろうとした、その時だった。


「な、なんだ!?」


 それまで余裕の態度だったオンヴァが、突如焦燥の声を上げた。そして二人も、眼前の光景に目を見張った。


「どういうことだ……これは……?」

「霧羽ちゃん?」


 瀕死の重傷を負った霧羽の体。血の海の上で横たわる彼女の体が――みるみる内にその形を変えていくのだ。

 水溜りに投げ出され濡れそぼっていた長い髪は、まるで意思があるかのように蠢き、急激に短くなっていく。同時に、色素も抜けていっていた。黒だった髪が、徐々に白へと。

 指の先からは刃物の如く鋭い爪が伸び、細い指を白い体毛が覆っていく。

 全身の骨格は一回り大きくなり、彼女が身に着けていた服は破れ、地にはらりと落ちた。

 霧羽は、白銀の毛並みが美しい、狼の獣人へと変貌を遂げたのだ。

 三人は目の前で起きた変化にただ驚愕し、目を見開く。


「なんだ? こっちの世界の人間ってやつも、本当は俺らと同じ獣人だったのか……?」


 掠れた声で呟くオンヴァの疑問に、答えられる者は誰もいない。

 霧羽の体が小さく震える。そして音を立てず、ゆらりと立ち上がった。

 人間の時より幾分か明るさを増した茶の瞳は、焦点が合っていない。意思のない人形を彷彿とさせる姿に、イルメラはたまらず喉を鳴らした。


「霧羽……ちゃん……?」


 瞬間、霧羽が咆哮する。声は雨音を裂き、漆黒の空へと舞い上がる。死の淵に追いやられた霧羽の魂が、生きたいと叫んでいるかのようだった。

 霧羽の一連の行動を、目を見開いたまま眺めていただけのオンヴァ。食らおうとしていた人間のありえない変化に、彼の脳は混乱していたのだ。

 そのオンヴァの元に疾風の如き速さで駆けた霧羽は、彼の二の腕に牙を突き立てた。


「ぐおっ!?」


 突然の霧羽の攻撃に怯んだオンヴァ。我に返ったフェリクスはその隙を見逃さず、すかさず駆け出した。霧羽が落としたナイフを拾い上げると、オンヴァの背に銀の刃物をねじ込む。


「ぐっ――!?」


 獣人の強度を考えると致命傷にはならないだろうが、それでも動きを鈍らせるには充分な一撃だった。

 背と腕から同時に襲いくる鋭い痛みから逃れようと、オンヴァは激しく身を(よじ)る。そして腕に噛み付く霧羽をどうにかするため、彼女の顔面を掴もうとした。それより一瞬早く、霧羽はオンヴァの頚動脈に噛み付いた。

 堪らず絶叫する、オンヴァ。霧羽を何とかして引き剥がそうと、腹に拳を叩き込む。


「霧羽ちゃん!」


 手負いの獣人の一撃は強烈だった。獣人化してもなお華奢だった霧羽の身体は再び宙を舞い、地に倒れた。そのまま気を失ってしまったのか、起き上がる気配はない。

 フェリクスはオンヴァに刺したナイフを一度引き抜くと、とどめを刺すべく心臓に向けてナイフを繰り出す。

 しかし、オンヴァもフェリクスの行動は読んでいた。腕を横になぎ払い、フェリクスを牽制する。オンヴァが腕を振るう度に、空気が唸った。

 このままでは埒があかない。だが何とかして今とどめを刺さなければ、オンヴァは逃げ出してしまうだろう。獣人の姿のまま、夜の街へと。

 人々が絶叫しながら逃げ惑う不吉な未来が、一瞬にして想像できてしまった。

 何としてでもそれを阻止するべく、フェリクスはナイフを持っていない左の拳を、オンヴァの顔面に向けて放った。だが、オンヴァの掌にフェリクスの拳はきれいに収まってしまう。

 完治していないフェリクスの腕が悲鳴を上げた。しかしその痛みに耐え、フェリクスは肉薄していたオンヴァの頬にナイフを突き立てた。おまけとばかりに、立ち上がっていたイルメラが傘の骨をオンヴァの背に突き立てる。

 さらなる痛みに、怒り狂う豹。

 冷静さを欠いたオンヴァの動きを見切るのは、人間形態のままでも容易かった。

 フェリクスは腕だけを獣人のものに戻す。間を置かず、鋭い爪の生えた腕が、オンヴァの胸にめり込んだ。

 生温かい感触が、フェリクスの腕を支配する。

 オンヴァは驚愕に目を見開く。

 死を前にした彼の顔は凍っていた。

 フェリクスがオンヴァの命を握っていたのは、文字通り一瞬。

 人間を食らった獣人を冷ややかな目で見つめながら、フェリクスは躊躇うことなく、彼の心臓を握り潰した。

 時が止まったかのように、フェリクスもイルメラも静止していた。ただ雨だけが、変わらず降り注いでいる。

 豹は、目を見開いたまま絶命していた。

 フェリクスが腕を引き抜くと、雨の音と共にうつ伏せに倒れ、二度と起き上がることはなかった。

 二人の任務が終わった瞬間だった。しかし、二人には感慨に浸る時間はない。

 霧羽は獣人の姿のまま、気を失っている。


「……どうしよう?」


 霧羽を見た後、迷子の子供のような目をフェリクスに向けるイルメラ。

 フェリクスは腕を人間のモノに戻しながら、霧羽に近付く。


「どうするも何も、このまま置いて帰るわけにもいかないだろう」


 フェリクスは霧羽の肩を軽く揺さぶってみる。しかし、彼女はピクリとも動かない。フェリクスは小さく溜め息を吐いた後、続ける。


「俺も、彼女の正体は(にわ)かには信じられない。なぜ、彼女がこの世界で人間として暮らしていたのかもわからん。だが確かなことは――桃園霧羽は、俺たちと同じ獣人。仲間だ」


 フェリクスは上の服を脱ぎ、霧羽の身体を覆った。一時しのぎだが、このまま狼の身体を曝したままにしておくよりはまだ良いだろう。それに霧羽が今人間形態になってしまったら、彼女は全裸になってしまう。さすがにそれは色々とまずい。


「イルメラ。マンションにひとっ飛びして、すぐにライツを呼んできてくれ」

「何で? さっきのダメージが残っているんなら、あたしが霧羽ちゃんを運ぶよ」

「違う。オンヴァの死体をこのままにしておくわけにはいかないだろう」

「あ」


 途端、イルメラの顔が蒼白になる。

 確かに一刻も早くあの獣人の死体を片付けないと、人間に見つかってしまうのは時間の問題だ。人気(ひとけ)のない路地裏とはいえ、いつ人間が通りかかってもおかしくはない。おまけにフェリクスの腕は血塗れときたものだ。見つかったら間違いなく大きな事件へと発展しまうだろう。


「人が来ないように、俺がこの場を見張っておく。頼む、急いでくれ」

「わ、わかったよ!」


 イルメラはすぐさま獣人形態に戻り、背中の大きな羽で夜の空へと飛び立った。夜、しかも雨となると、夜空を見上げる人間もいないだろう。いないことを祈るしかなかった。事態は緊急を要するのだ。

 イルメラを見送ったフェリクスは、霧羽へと視線を落とす。霧羽はまだ目を覚まさない。

 フェリクスはイルメラの持っていた傘を霧羽に差し、彼女の傍らに座り込んだ。そして糸のように落ちてくる雨粒を、目を細めながら眺めていた。






 フェリクスの隣で眠る霧羽を見て、イルメラに連れてこられたライツは目を丸くし、絶句した。

 ライツも、今は人間形態を取っている。白の髪の少女の姿をした彼女は、元の姿同様にかなり小柄だ。


「とりあえず、先にあれを頼む」


 顎でオンヴァの亡骸を指すフェリクス。ライツはすぐに気を取り直して頷くと、持参した紺色の傘をフェリクスに手渡した。既に全身ずぶ濡れなので今さら感はあるが、ビニール傘より霧羽の顔を隠すことができるので素直に利用する。

 ライツはポケットから小瓶を取り出した。中には空色の液体が怪しげに揺れている。小瓶の蓋を取り、オンヴァの亡骸に液体を数滴垂らす。瞬間、大きな青い炎が上がった。

 獣人界から持参していた、特性の油だった。火を吐く蜥蜴(とかげ)から採取したと言われている、かなり貴重な物だ。

 ライツはフェリクスらと違って、戦闘能力はない。いざという時のための護身用として、彼女は常にこれを持ち歩いていたのだ。

 生きている獣人相手だとその中身を当てることはかなり困難であっただろうが、今の対象は指先すら動かぬ死体。戦闘能力など一切関係ない、容易い作業だ。

 オンヴァの身体は青の炎に包まれた後、一瞬で灰と化した。骨まで残らずに。その灰は雨露に打たれ、地に溜まっていた薄汚れた水と混じり合い、排水溝へと流れていく。


 これで本当に、終わった――。


 フェリクスは心の中で安堵し、天を仰ぐ。

 こちらの世界に逃げてきた犯罪者たちに、全て手を下した。だが、達成感はまったくと言って良いほど湧いてこなかった。

 イルメラも同じ気持ちだったのか、その顔は険しいままだった。


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