13.待つ者
獣人王は金色の玉座に背を預け、瞳を閉じていた。今は王としての衣服は、背を覆うマントだけ。そのマントの下には、鈍色の鉄の胸当てを着込んでいた。
『犯罪者たちが逃げ出した』という情報は、既に城内に知れ渡っている。危険だから、という名目で、獣人王は部下にこのような格好をさせられていたのだ。
獣人王自身も、そこらの兵士では太刀打ちできないほどの戦闘力を持ってはいる。だが、何事にも体面というのは必要だ。
鋭い爪の先で胸当ての表面を軽くなぞったその時、謁見の間の扉が控え目にノックされた。獣人王の誰何の声に、扉の外の人物はキビキビとした声ですぐに答えた。
「第二部隊長、ガエンビです」
「入れ」
入ってきたのは、灰色の犬の獣人。背筋を槍のように真っ直ぐと伸ばした彼は、謁見の間の中心まで進むと膝を付いた。
「ご報告です。城内をくまなく――それこそ、家具や調度品を全てひっくり返す勢いで探したのですが、犯罪者たちを見つけることは適わず……。現在は城下町に七割程度の兵士を向かわせました」
「そうか……。引き続き頼んだぞ」
「はっ! 必ずや捕まえて参ります」
犬の獣人は敬礼をした後、足早に謁見の間を出て行った。
犬の兵士の後ろ姿を見送った獣人王は、皮肉めいた笑みを浮かべる。
見つかるわけがない。犯罪者たちは『扉』を使い、既にここではない世界にいるのだ。どんなに死力を尽くして探そうが、永遠に見つけることなどできないのだ。
しかし今まで隠し通してきた『扉』のことを、無闇に洩らすわけにもいかない。先ほど「城内をくまなく探した」とは言っていたが、それでも『扉』は彼らには見つけることのできない存在だ。故に獣人王は何も知らない振りをして、城内の兵士たちに逃げた犯罪者たちを探させているのだ。
「茶番だな」
百獣の王は低い声で言うと、退屈を誤魔化すかのように頬杖をつく。
「フェリクス。イルメラ、ライツ。早く帰ってこい。余には主らが必要だ」
魔眼という、第三の目を持つフェリクス。羽を刃へと変えることができるイルメラ。そして言われたことを全てそつなくこなし、道具の扱いに長けたライツ。
まだ若い彼らだが、三人とも獣人王にとっては大きな力となる存在だ。彼らが吉報を持ち帰ってくるのを、獣人王は心待ちにしている。
「いや、この際成否は関係ない、な」
ポツリと小さく洩らした声は、謁見の間の端まで届くことなく霧散した。
フェリクスらが拠点としているマンションに、強い西日が差し掛かる。だがライツが調たちしてきた遮光性の高いカーテンを常に閉め切っているので、その光も彼らには影響を及ぼさない。
窓際近くに設置されたベージュ色のソファーに、フェリクスは浅く腰掛け、負傷した腕に包帯を巻いていた。目の前にあるテーブルは強化ガラス製で透明だ。一畳程度の大きさはあるが、デザインのおかげか圧迫感はない。下に敷いてある柔らかなワインレッド色の絨毯も良く見える。
ライツはインテリアに拘るタイプだったらしい。「すぐに引き払うから、必要以上に家具があっても邪魔なだけじゃん」と洩らしたイルメラに、「拠点を守っているのは私ですカラ」と、まるで専業主婦のような眼差しをしながら答えたのだった。
透明なテーブルの上には、救急箱の蓋が開いたまま置かれていた。この救急箱も、ライツがこちらに来てすぐに用意していた物だ。
腕に包帯を巻き付けるフェリクスの眉間には、深い皺が寄っている。獣人は人間より自己治癒能力はずっと高いが、一晩寝ただけで骨折が完治するほど驚異的ではない。多少は動かせる程度に回復したが、それでもまだ強い痛みがフェリクスを襲っていた。
「巻くの大変そうだね。手伝おうか?」
「頼む」
ダイニングに現れたイルメラが問うと、フェリクスは素直に返事をした。ちなみに現在ライツは、近くのスーパーに買い物に行っている。もちろん、人間形態でだ。
イルメラが包帯を巻いている間、フェリクスは沈黙を保っていた。イルメラは巻かれる包帯を見つめているのだとばかり思っていたが、ふと見たフェリクスの目は、焦点が合っていなかった。
「何か考え事?」
「いや……」
イルメラの顔を見ることなく、フェリクスは言葉を濁す。イルメラは小さく肩を竦めた後、フェリクスから離れた。包帯は綺麗に巻かれていた。
感触を確かめるようにフェリクスは指を動かす。手首から先を動かすには特に問題はなさそうだ。
フェリクスは立ち上がり、冷蔵庫へと向かった。ソフトクリーム目当てだ。彼の行動がわかっていたイルメラは、それについては触れない。
「残りは、豹と狼のどちらかだね」
ライツの情報では、豹がオンヴァ、狼がウルステッドという名らしい。どちらかが『扉』を引き返し、どちらかが少女を襲った犯罪者だ。
「人間を襲って食った奴か」
淡々と言うフェリクス。罰が悪そうにイルメラは視線を下げる。フェリクスが先ほど何を考えていたのか、ようやくわかったのだ。仮に引き返したのが豹だった場合、彼は同族を相手にしなければならないということだ。人間を食らった、同族を。
「気にするな。昨日、お前だって同族とやり合っただろうが。そんなことで俺はへこみはしない」
赤の他人だ。
軽く言い捨てると、フェリクスは開封したばかりのソフトクリームを一舐めした。