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11.異能

 イルメラは目を閉じる。

 闇に慣れない目に頼るくらいなら、いっそのこと見なければ良いと開き直ったのだ。

 本能が彼女に告げるのは、鷹の狩りの仕方。

 大きな獲物は高い場所から落とすか、もしくは落ちるように仕向け、地に叩きつけて仕留める。

 コンファスは必ず、もう一度イルメラを抱えようとしてくるはずだ。彼女はイルメラの顔が気に入らないらしい。特に顔を狙ってくるだろう。

 イルメラは、ずっと薄汚い灰色の町で過ごしていくのだと信じて疑わなかった。でも、彼女の生活は一変した。勇壮な獣人王に仕える兵になることができた。

 その獣人王が、直々に命令を出してくれた。しかも極秘任務だ。責任感の重圧より、嬉しさの方が強かった。獣人王に育てられたというフェリクスと行動を共にするのは、少し複雑な気分ではあったが。

 こんなところで、倒れてしまうわけにはいかない。

 イルメラは昂っていた己の精神の温度が、冷えていく音を聞いた気がした。

 耳に届くのは、タガーダとフェリクスが激しくやり合う音。その衝突音にわずかに混じり、羽が空気と擦れる音が聞こえた。そして、近付いてくる『彼女』の匂い。

 イルメラはコンファスの動きを、全身で感じ取っていた。

 おそらく、チャンスは一瞬、一度だけ。

『これ』を知られてしまったら、必ず相手は慎重になる。戦いが長引けば、視力が効かないイルメラの方が圧倒的に不利になるだろう。だから、この一撃を絶対に外すことはできない。

 イルメラの周囲の空気が、流れた。


 来た――。


 その瞬間、イルメラは背中の羽に全ての力を注ぎ込んだ。

 足を踏ん張り、拳を強く握り、背から突き出る衝撃に耐える。

 瞬きをする間もなく、神々しい白銀の羽がイルメラの背から生えてきた。それはまるで、死神の鎌が幾重にも重なっているかのような羽だった。


「なっ!?」


 コンファスの眼前に突然広がる、眩い白銀。軌道を変えることができず、コンファスはイルメラの羽に突進し――そして、羽の刃が彼女の全身に何本も突き刺さる。

 全身のあらゆる箇所を串刺しにされ、コンファスは悲鳴を上げる間もなく絶命した。

 これこそが、イルメラが獣人王の城の兵になれた理由だった。彼女には特別な能力があったのだ。

 羽の硬質化。

 鋭利なイルメラの羽。それは何本もの刃物を背負っているのと同義だった。

 イルメラは白銀の羽を大きく動かし、突き刺さったままのコンファスを振り落とした。物言わぬ屍となったコンファスの身体と同時に、大量の血飛沫も(くう)を舞い、地を赤に染める。

 イルメラはコンファスの方へと振り返らず、ふらふらと壁際まで移動する。コンファスの鉤爪の攻撃は、イルメラの体力を確実に減らしていたのだ。彼女の背の白銀は、一瞬で元の茶の色に戻ってしまった。


「この能力ちからを使うと、やっぱり披露が激しいなぁ。そっちは頼んだよ、フェリクス」


 煤で汚れた壁にもたれ掛かったイルメラは、微笑しながら静かに瞼を閉じた。







 タガータが振り下ろした腕は空振り、地を抉った。フェリクスは何とか横に身を捻り、攻撃をかわしたのだ。

 フェリクスの脳は、目まぐるしく動いていた。

 パワーはあちらが上。そのうえ左腕も折られた。条件だけで見ると、圧倒的にこちらが不利。だがフェリクスにはあと一つ、『能力』という切り札がある。

 タガーダも素早いのだが、フェリクスの方がわずかに速い。しかしこのまま追いかけっこを続けていたら、体力が尽きた時にあちらに勝敗が上がる可能性は極めて高いだろう。

 まだ動ける今のうちに、何とか手を打たなければならない。

 フェリクスはタガーダに背を向け、階段へと向かった。一気に踊り場へと跳躍し体を捻ると、同じように踊り場から二階へと跳躍する。


「おいおい。敵前逃亡かぁ?」


 余裕の表情を滲ませながら、タガーダもその後を追う。

 二階へ上がったフェリクスは、闇の中微かに映る光景に安堵した。彼にとって都合の良い間取りが広がっていたからだ。

 長い廊下の左右には、かつて病室だったと思われる部屋がいくつも点在していた。下の階と同様にドアは壊され、窓も尽く割られているようだ。暗くて廊下の先の方までは見通せないが、一階の様子を考えるとおそらく同様の光景が続いているだろう。

 フェリクスは早速、目の前の病室に飛び込んだ。

 ガラスを踏んだのか、パキリと音が鳴る。当然、照明などない。薄暗い中、タオルやゴミなど、様々な物が散乱しているのをフェリクスはかろうじて確認する。

 フェリクスを追って、タガーダも病室に入った。タガーダが入った瞬間を見計らい、フェリクスは壁に拳を打ち込んだ。

 簡単に崩れ去るコンクリート壁。不揃いに空いた穴の向こうには、また同じ間取りの病室が広がっている。フェリクスは大きく口を開けた壁の中に迷わず飛び込んだ。

 崩れた瓦礫を後方に蹴り、タガーダの動きをほんのコンマ数秒の間止める。一瞬だけ足を止めたタガーダだったが、その口元は嘲りで上向いていた。


「怖気づいたのか? そんなガキの逃走劇みたいなことをしても無駄だってーの」


 フェリクスは後ろを振り返らない。また先ほどと同様に正面の壁に穴を空け、飛び込んだ。

 その後もフェリクスは病室の壁を潜り、奥へ奥へと進んでいく。穴を潜り抜ける際、瓦礫を後方に蹴飛ばすのも忘れない。そのささやかな妨害をものともせず、後を追い続けるタガーダ。

 無言のまま、真っ直ぐな追いかけっこは続く。

 フェリクスは時おり後ろを振り返り、タガーダの様子を確認する。飽きてきたのか、その顔から笑みは消えていた。視線をフェリクスから外さぬまま、虫を払うかのように瓦礫の妨害を粉砕し続けている。

 タガーダの視線は動かない。真っ直ぐとフェリクスに固定されている。その視線はもう逸れることはないだろうと、フェリクスは感じ取った。

 移動できる部屋が残り三部屋となったところで、ついにフェリクスは仕掛けた。

 おそらく、ここの廃墟に侵入していた者が持ち込んでいたのであろう。今度は瓦礫ではなく、無造作に置かれてあった丸椅子をタガーダに向けて蹴飛ばした。タガーダの腕の一振りで、粉微塵になる丸椅子。

 その破片に混じるようにして、フェリクスは一気にタガーダの懐に入り込んだ。

 タガーダには、その行動は自殺行為にしか思えなかったであろう。タガーダが嬉々として腕を振りかざした、その時だった。

 フェリクスの額の中央が、わずかに縦に割れたのだ。


「――!?」


 それを見てタガータの表情が驚愕に染まる。フェリクスの割れた額から現れたのは、第三の目と呼ぶべきものだったのだ。

 その色は、黄金。

 全てを居抜き、見透かすような光を湛えた目だった。

 タガーダは蛇に睨まれたカエルの如く、金の目に射竦められた。






   ※ ※ ※


「頼む。殺さないでくれ」


 地に這い蹲った状態で、タガーダに切に懇願する兎の獣人の男。赤い目よりもさらに色濃く腫れ上がった血の滲む顔は、もはや原型を留めていない。タガーダはさらに彼の脚を踏み付けた。

 兎の獣人が命の助けを乞うたのは、自分のものではない。部屋の隅で互いに抱き合い震えている、彼の妻と子供の命だけは助けてくれと、懇願したのだった。


「あぁ、わかった。殺さない」


 タガーダは素直に男に答える。ほんのわずか、男の表情から硬さが消えた。タガーダはその顔をたっぷりと見たあと、微笑する。


「今は、殺さない。三十秒後に殺す」


 一瞬で絶望に堕ちた兎の獣人の首を、タガーダは躊躇することなく腕を振るって刎ねた。部屋の隅の方で、悲鳴になりきれていない小さな声が上がった。

 他人の命を自分の掌で転がすことの、何と愉快なことか。神というものがいるのならば、常にこのような愉悦に浸っているということだろうか。羨ましい、とタガーダは思った。

 タガーダは獣人の中でも、特に破壊衝動の強い獣人だった。その衝動を抑えることなく、今日までやってきた。自身の本能に逆らうなど、微塵も考えたことはない。

 理性というものが、何とこの世をつまらなくしているのか。己の内に渦巻く衝動を開放するのが、獣人としての正しい姿ではないのか。獣人とは、獣が知性を持っただけの存在ではないか。

 胸の内にもやもやとしたものが発生する。その気持ちを吹き飛ばすかの如く、タガーダは兎の母子二人の身体を、続けざま腕で突き刺した。


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