9.誘導
フェリクスとイルメラは民家の屋根を伝い、先回りすることにした。
幸いにも、今日も雲が空を覆っている。夜の曇り空をわざわざ注意して見ようとする人は少ない。その点は獣人も人間も同じだった。
夜の空を静かに跳ぶ、二つの影。
犯罪者たちから死角になる曲がり角で再び地に下りた二人は、道を歩いてくる彼らと真正面からぶつかるように歩き出す。
フェリクスらの姿に気付いた犯罪者たちは、T字路を逆方向へと進み始めた。人間に間近で姿を見られることを懸念しての行動だろう。すかさず、その後を追う二人。
犯罪者たちが歩く速度を上げれば、二人もそれに合わせる。ただし、いたずらに距離は詰めない。向こうが自分たちを認識できる距離を置き、ただ黙って着いていく。
一定の距離を保ちしばらく歩き続けていると、不意に男が立ち止まり、振り返った。蝋燭の火をそのまま移植したような色の目には、明らかな敵意が滲んでいる。
「さっきから何だお前ら。喧嘩売ってんのか?」
かかった。
フェリクスは内心でほくそ笑みながら、犯罪者たちに近付いた。
「気に障ったのなら謝る。俺たちには売るような物などない。あんたたちの後をつけていたのは、確認したいことがあったからだ」
フェリクスの真意を探るように、男の眉間に皺が寄る。
「少し、あんたたちと話がしたいんだ」
警戒しているのか、男の顔つきは厳しいままだ。しかし女の方は、興味津々といった様相でフェリクスらを眺めている。
「いいんじゃない? 問題があれば、後で殺しちゃえばいいんだし」
あっけらかんと、恐ろしいことを言い放つ女。こちらを試しているのか、それともこれが素なのか。おそらく後者だろうとフェリクスは踏むが、この程度で怯むほど彼らも弱くはない。
「俺たちは、あんたたちの正体を知っている」
フェリクスが告げた瞬間、男がフェリクスの服の胸ぐらを掴んでいた。しかし、それでもフェリクスは動じない。
「……てめぇ。何者だ」
「俺たちは、あんたらの後を追ってやって来た。言わば仲間だ」
「なっ!?」
二人の目が驚愕で見開かれる。しばらくの沈黙の後、男は低く静かな声で言った。
「仲間ってことは、お前らもあの牢の中のどこかにいたってことか?」
「そうだ」
フェリクスは努めて淡々と答える。気取られたら、そこで終わりだ。
男の手に込められていた力が緩み、フェリクスは解放された。男は女の方に顔を向け、視線だけで言葉を交わす。
再び訪れる、沈黙。男の目が上を向いた。フェリクスの言葉を吟味し、逡巡しているようだ。
「なるほど……。俺たち以外の奴にも、声をかけてたってことか」
不可解な男の言葉に、フェリクスの眉がピクリと跳ね上がった。だが幸い、男には気付かれていない。非常に気になる言葉だが、仲間の振りをする以上、ここで問うてはならない。
「よしわかった。信じるぜ。この際仲間は多い方が良い。ところでお前ら、種族は?」
「俺は狼。こっちは鷹だ」
フェリクスが答えると、女の表情が一気に明るくなった。
「やった、同族じゃーん! 私、コンファス。あんたは?」
「……イルメラだ」
「仲良くしようねイルメラ」
「あ、あぁ」
歓喜の声と共に、コンファスに抱きつかれるイルメラ。馴れ馴れしく肩を組まれ、困惑気味だ。
――耐えろ。
フェリクスは目でイルメラに訴える。同時に、コンファスに関する情報を思い出していた。
彼女は、裕福層宅で強盗と放火を繰り返した犯罪者。その金は全て自身を飾る装飾類に使っていたという。彼女の犯行で、六人が犠牲になっている。その中には、獣人王の古くからの知り合いも含まれていたらしい。
「それにしても、なかなか上手いこといかねえよな。こんなにたくさん餌がうじゃうじゃしてるってのによ」
「それは仕方がないよ。獣人の私らと同じく、人間も知恵があるんだもん。その辺に歩いているのを見境なく襲ったりしたら、逆に私らが狩られちゃうかもじゃん? 人間は私らより非力っぽいけどさ、やっぱり数は圧倒的に向こうの方が多いわけで。数の暴力には勝てないよ」
二人のやり取りを聞いていたフェリクスは、すかさず口を挟む。彼らがこの話題を出してくれる時を待っていたのだ。
「そのことなんだが。俺たちは昼間、ある場所に人間を誘導して、眠らせてあるんだ」
「何!?」
「えーっ! 本当!? どこどこ!?」
「少し離れているが、向こうの山の麓に廃病院がある。そこだ」
フェリクスが住宅街の奥の方を指差すと、つられて二人もそちらに視線をやる。もちろん、人間云々は狂言だ。しかし、廃病院は実際に存在する建物だった。
イルメラの視力が存分に発揮できるのは、昼間。二人は早起きをして、空からこの辺り一帯を調べていた。犯罪者たちが人目に付き難い場所に潜んでいる可能性を考慮しての探索だった。その事前調査は、二人にとっても重要な意味を持っていた。
獣人形態を誰にも見られることのないまま、街中で犯罪者たちを捕らえるのは不可能に近い。昨晩はたまたま運が良かっただけだ。人目を気にせず獣人形態に戻れる場所が必要だと考えていたのだ。
「なぁるほど! 考えたね君ー! そうだよ。わざわざこんな街中で狩りの機会を伺うより、こっちから人の少ない所に連れて行けば良かったんだよ。どうして気付かなかったのさタガーダ」
「俺のせいかよ!?」
男の名前が出た。フェリクスは即座に、脳に焼き付けていた記憶を呼び覚ます。
タガータ。虎の獣人。強盗を繰り返し、計十八人を殺害。死罪を言い渡され、牢の中で執行される日を待っていた犯罪者。リストの中で最も危険な人物だと、ライツの字で注意書きが足されていた。
イルメラもリストの内容を思い出したのか、その表情は先ほどよりも硬い。
「ところで、他の奴らはどうしたんだ」
フェリクスは無知を装い、二人に問う。少しでも情報を聞き出すためだ。
「んー、知らねえ」
「こっちの世界に来た時には、既にバラバラだったもんね。私とタガーダはたまたま近くに居合わせたってだけ」
「あ、そういえばよ」
タガーダは何かを思い出したように顎を上げる。
「一人、途中で消えてた」
「消えていた?」
「あぁ。『扉』をくぐってからここの世界に出るまで、ちょっと時間がかかっただろ?」
フェリクスもイルメラも同時に頷く。
『扉』の中のことは良く覚えている。
一言で言うなれば、虹色の異空間。
平らな道など何処にもなく、上下左右の感覚が狂ってしまいそうな、ふわふわした中を彼らは通ってきた。いや、実際には歩いてはいない。光の中心に向かって吸い込まれるようにして、彼らは『扉』の外に出たのだ。
「その間にさ、俺の後ろにいた奴が、いつの間にかいなくなっていたんだよ。まぁ、扉から出た時には既に皆バラバラだったから、どこか別の場所に出ちまった可能性もあるけどよ」
「そうなの? 私は気付かなかったけれど」
「お前は前の方にいたからな」
「その消えた獣人は、どんな奴だったんだ?」
タガーダとコンファス、二人の会話にフェリクスが割って入る。
「知らねえ。牢を出てから、他の奴らの顔はほとんど見ずに『扉』に飛び込んだからな。ただ、気配で俺の後ろに一人いるってことだけはわかってた」
おかしい。
フェリクスは密かに眉を顰める。
彼らが牢を出てから『扉』に入るまでの流れが、スムーズすぎる気がしたのだ。先ほどのタガーダの言葉と照らし合わせても、やはりこの脱獄計画を手助けした人物がいると見て間違いないだろう。
「でも怖気づいて戻ったって可能性もあるか。わざわざあの牢の中に戻るなんて、俺は死んでも嫌だがね」
タガーダの言葉に、フェリクスだけでなくイルメラも反応した。
タガーダの後ろにいた犯罪者が、『扉』を引き返した可能性もある――。
もしかしてその犯罪者が、この脱獄計画の首謀者なのだろうか。犯罪者たちが『扉』の中に入ったのを見届けたあと、戻ったというふうにも考えられる。しかし、ずっと牢の中にいた犯罪者がそのような計画を立て実行することなど、果たしてできるのであろうか。
だが、今はそれについて考えを巡らせても仕方がない。フェリクスは軽く首を振り、とりあえずそのことは頭の隅に置いておくことにした。
とにかく、こちらの世界にいる残りの犯罪者はタガーダらを含めて三人、ということになった。人数が一人でも減ったのは、単純にありがたい。
「ねぇねぇ。それはいいから、早く廃病院とやらに行こうよ」
先ほどからコンファスはしきりに山の方に視線を送っていたのだが、とうとう我慢できなくなったらしい。四人は彼女の要求通り、移動を開始することにしたのだった。
「そういえば人間が一人、腸を食べられて殺されていることは知っているのか?」
住宅街を移動しながらフェリクスがさり気なく口にした言葉に、犯罪者二人の目は大きく見開いた。
「マジかよ! もう上手いことやった奴がいんのか!? 誰だよ!?」
「俺も知らん。お前たちじゃないのか」
「違うよー。そうだったらこんなにお腹空いてないよ」
タイミング良く、コンファスの腹の虫が鳴った。
(こいつらでないとしたら、食ったのは残りの一人――豹か狼のどちらかということか)
人間の腸を食べると、獣人は力を得ることができる――。
アルガルから聞いた言葉は、フェリクスの頭から離れない。
その人間を食らった犯罪者は、既に力を手に入れてしまったのだろうか。フェリクスらの力が及ばないほどの、大きな力を。
(そんなの、狂言に決まっている)
フェリクスが頭を振ったタイミングで、コンファスが再び口を開いた。
「それはそうと、あんたらはよくその人間形態を維持できるよねー」
「まぁ、昼間は寝ているからな」
感心するコンファスに、適当に相槌を打つフェリクス。彼らが人間形態を維持できているのは、きちんとした拠点があり、食事も取れているからに他ならないのだが、当然そんなことを正直に話すわけにもいかない。
「それだけー? 実はあんたらも既に人間を食っちゃってる、なんてないよねー?」
「それはない」
硬い声で否定したのはイルメラだ。単純で正義感の強い彼女は、こういう冗談が苦手だ。フェリクスは爆発だけはするなよと、心の中でイルメラに釘を刺す。
「お腹が減ってるからって、そんなに不機嫌に答えなくてもいいじゃんー」
イルメラの機嫌が悪いのはそれが原因ではないのだが、説明する気などさらさらない二人は、小さく嘆息することしかできなかった。




