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エッセイ

絶好調で書けたかと思うと、ある日突然パタリと小説が書けなくなってしまうあの感覚

 なんなんだろうか?あの感覚…

 バリバリと絶好調で書けたかと思うと、ある日突然パタリと筆が止まってしまう、例のあの感覚のことだ。

 長く小説を書いている者なら、誰しも1度や2度…いや、何十回も何百回も味わったことがあるであろう、あの感覚。

 その秘密が解ければ、全く休みなく、間断なく、ひたすらに、ただひたすらに小説を書き続けられるのではないだろうか?


 もちろん、これまで身につけてきた能力と経験を使いさえすれば、ひたすら小説を書き続けるだなんて芸当は、それほど難しいことではない。

 あるいは、一切の感情を排し、冷酷無比に淡々と小説を書き続けるという手もある。

 どちらも、“それなりの小説を量産する”ことくらいはできるだろう。


 けれども、それだと限界が生じてしまう。おのずと書ける作品が決まってしまう。全てはシステム化され、パターン化されていく。そうして、わくの中に閉じ込められ、決してそこから抜け出せなくなってしまう。

 普通の仕事ならば、それでもいいだろう。ただ、お金を稼ぐためとか、責任感からとか、そういった理由でひたすらと同じ作業を繰り返し続ける。あるいは、家事だとか受験勉強だとか、なんらかの必要に迫られて続けなければならない場合にも。

 だが、小説というのはそういうものではない。少なくとも、そういうものではない部分がある。“ただ続ければいい”というものではない。やはり、そこには質が求められる。ある種のパターン化をしつつも、どこかでそれを破壊し、脱却しなければならない時が来る。

 それができなくなった者は、残りの人生を同じ作品を作りながら生きていくだけだ。昨日と同じ。一昨日と同じ。明日も明後日も大した進歩はない。大きな変化もないまま、似たような作品を量産し続ける。


 そういうコトを考えれば考えるほど、書けなくなってしまう。そうして、パタリと筆は止まる。そうして、何日か何週間か(場合によっては、何ヶ月以上も)何も書けなくなってしまう。

 ここであきらめてはいけない。あきらめたら、そこで終わり。“ただ単に小説を書けない”だけ。“何もできずに、無為むいに時間を過ごしてしまう”だけ。

 そうではなく、考える。悩み、苦しみ、考え続ける。かの夏目漱石も言っていたではないか。「悩みの中から新しいモノは生まれる」と。


 結局、これらは必要な行為なのかも。


 バリバリと書く → パタリと筆が止まる → 悩み考える → 再びバリバリ書けるようになる


 卵から生まれたイモムシが、植物の葉を食べ成長し、やがてサナギとなり身動きが取れなくなり、ある日突然、羽を広げて大空へと飛び立つ。やがて、その蝶も卵を産み、イモムシとなり、サナギとなり…同じ行為が繰り返される。

 そのルーティンの中で、作家は成長し、さらに素晴らしい作品が書けるようになっていくようにできているのかもしれない。

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