I Dreamed A Dream.
お星さまたちのやさしい光が、窓からさらさらと降り注いでいます。
銀とも青ともつかない色に光る部屋の中に、大きな二人用のベッドが置かれていました。二人の女の子がそこにちょこんと腰かけて、部屋の天井を見上げています。
窓辺の小さな机の上には、小さなクリスマスツリーがありました。壁にかかった日めくりカレンダーは、大きく『24』の文字を見せています。
今日は世界中の子どもたちが待ちに待った、クリスマスイブの夜です。
「今日ね」
少し背の高い方の女の子が、隣の子に話しかけました。英語で、です。
「アメリカンスクールでも、クリスマスのお祝いのパーティーがあったの」
もう一人の子の目が、うらやましそうに輝きます。二人の両の目は水色に透き通っており、髪の色だって茶色と言うか、琥珀みたいな色でした。
というのもこの二人は、日本人ではありません。今年の六月に日本に引っ越してきた、アメリカのハッブル家の子どもです。
「パーティーって、どんなことしたの?」
興味津々の小さな女の子に、大きな女の子は得意気に笑います。
「プレゼント交換だよ。私、新しい靴下をもらっちゃった」
「いいなぁ、Susannaおねえちゃんは……」
小さな女の子は、きらきらと目を輝かせながら答えました。大きな女の子の名前はスザンナ、小さな女の子の名前はエリザベスと言いました。
「みんな、寂しがってたよ。Elizabethがいないと何だか大事な部品が欠けてるみたいだねって」
ベッドをギシギシと揺らしながらスザンナは言いました。エリザベスは、スザンナの妹でした。二人は遊ぶときも一緒、寝るときまでずっと一緒なのです。
「行きたかったなぁ」
エリザベスはため息をふうと吐くと、足をぶらんぶらんと振りました。
二人の着ているお揃いの黄緑色のパジャマが、ベッドの上に静かに影を落としていました。
たくさんのお星さまに彩られた空の下、クリスマスイブの夜は更けてゆきます。
青、白、黄色。天球の上で輝くお星さまは色とりどりで、本当にきれいです。
「さっきまでね、ママと二人でクリスマスイルミネーションも見に行って来たんだよ」
スザンナは話題を探したかったのか、エリザベスにそう報告しました。
「うちからちょっと行ったところにあるやつ?」
「そう。えっと……そう、ハムラ。羽村動物遊園」
「日本語って言いにくいねー」
「ね。私たちが住んでるここも、ミズ……ホ? うん、そう。瑞穂町って言うんだって」
へえ、とエリザベスの反応が弱くなったので、スザンナは話を元に戻します。
「すっごくきれいだった。入り口の所を色んなライトが取り巻いていて、昼間みたいな明るさなの。でも中に入ると落ち着いてる感じで、サンタさんが一人、茂みの中で光ってるの」
「見たかったなあ」
「ベティはいつだって見られるじゃない」
スザンナは不思議なことを言います。しかしエリザベスには、その言葉の意味がすっかり分かっているようでした。
「むぅ。スーザンお姉ちゃんと一緒に見たいのに」
むくれるエリザベスを眺めていたスザンナの心に、そのとき少し、いたずら心が生まれました。
エリザベスに寄り添いながら、スザンナは言います。
「一ヶ月くらい前ね、ママとホームセンターに行ったの。そしたらその途中で、えっと──ハコネガサキ、だっけ? ──とにかく駅の近くでね、日本人の男の子に話しかけられたんだよ」
「えっ」
「本当だよ。きみ、かわいいねって言われたんだって。ママがそう言ってたんだ」
「…………むー」
頬をぷうっと膨らませるエリザベスの顔は、とってもかわいらしいのです。スザンナは、これが見たかったのでした。
少しはにかみながら、スザンナは頭の後ろを掻きました。スザンナだって、びっくりしたのです。突然そんなことを、町中で言われたのですから。
「私、最近は日本語の勉強もがんばってるの。どのくらい日本に住むのか分かんないけど、みんなの言ってること、言いたいこと、私も知りたいなーって思うの。そしたらきっと、楽しいよ」
エリザベスは不思議そうに首を傾げます。その目が少し、ほんの少しだけ、悲しそうにしていました。
しかしすぐに、にへっと笑います。
「うん。それも、楽しそう。楽しそうにしてるおねえちゃんを見るの、わたし、すき」
「良かった。私もすきだよ、ベティが元気にしてるのを見るのは……さ」
スザンナはふと、ベッドから立ち上がりました。
ぽかんとしているエリザベスをよそに、すたすたと部屋の窓辺に歩み寄ります。クリスマスツリーに巻き付けられた飾りたちが、かちゃかちゃと音を鳴らしました。
スザンナは悲しくなったのでした。自分で言ったはずの、言葉に。
背後で笑っているエリザベスには、とある秘密があります。
本当はこのかわいい妹は、スザンナの望むような元気な生活とはもっとも遠い場所で暮らしているのです。それをスザンナは、知っていたのです。
「スーザおねえちゃん」
気がつくと隣に、エリザベスが来ていました。
「どうしたの? 元気ないの?」
とんでもない。スザンナは首を振りました。
「ううん。ちょっとね、寂しくなっちゃって」
ふうんと鼻を鳴らしながら、エリザベスはスザンナを押し退けて窓の外を見上げました。今にもこちらに落ちてくるのではないかと思うくらいに、お星さまがまたたいています。夜も眠らない彼方の大都会の夜景も、何キロも西まで来たこの町までは届きません。
「ねえ。あの星、わたしとおねえちゃんみたいじゃない?」
不意に言われてスザンナはまごつきました。エリザベスの指差す方向に目をやると、満天の星空の中に、ひときわ目立つ星座が見えます。
オリオン座です。
「わたしがあの右下のベテルギウスで、おねえちゃんが左上のリゲル!」
「なんでベテルギウスがいいの?」
エリザベスは無邪気な声で答えます。
「おねえちゃん、いっつもわたしのこと“Betty”って呼んでるもん。なんか、似てるから!」
「そっかぁ……」
スザンナは、じっとオリオン座を見詰めました。
オリオンも、アンドロメダもカシオペアもみんなみんな、今日のクリスマスイブを楽しんでいるのでしょうか。そうだといいな、とスザンナは思いました。
待ちに待ったはずの、クリスマスイブの夜。
スザンナたちの家のあるこの地区──米軍住宅の他の家々でも、きっとみんなクリスマスのお祝いをしていることでしょう。
いつもならひっきりなしに飛行機が飛び交う、少し向こうの空軍横田基地も、今日は心なしかしんとしています。軍人さんたちもみんな、静かにお祝いしたいに違いありません。
日本もアメリカもどこもかしこも、キリスト教の浸透しているすべての地域では、今日と明日はお休みなのです。イエスキリストの誕生を祝い、自分のお願いを叶えてもらうために。
なのに、スザンナたちの家では今年は誰一人、お祝いしようとは言い出しませんでした。
「……パパに会いたいなぁ」
スザンナはつぶやきました。
「パパ、ずうっと家にいないんだもん。今日でもう、一ヶ月近くになるよ」
「パパお仕事?」
幼い妹の問いかけに、スザンナは静かに頷きます。
「パパはね、遠くの国まで飛行機に乗ってお仕事に出かけてるんだって。軍人さんは忙しいのよって、ママが言ってた」
エリザベスは目をぱちくりさせます。軍という仕事が、エリザベスにはまだよく解っていないのでしょう。
「……クリスマスなんだから、みんなでお祝いしたいのにね」
窓枠にしがみつきながら、エリザベスは言いました。
彼女は決して、「祝おう」とは提案しません。分かっていることでしたが、スザンナはまた、ため息を吐き出しました。その拍子に、言葉までもが口をついて出ます。
「最近、ママも元気がないの。いっつも暗い顔して、キッチンに立ってるの」
「うん……」
「今年はもう、クリスマスのお祝いをするような空気じゃないねって、ママとは話し合ったの。でも私、せめてお願いくらいは聞いてほしかったから、クリスマスツリーがんばって倉庫の中から引きずってきて、置いてみたんだ」
スザンナの言葉に、エリザベスはツリーをじいっと見つめます。
「……独りで、やったの?」
「うん」
「わたしがいたら、二人でできたの?」
「ううん。ベティがいたら、三人でやってたよ。祝わない理由なんて、どこにもないもん」
うん、とエリザベスは首を垂れました。
スザンナだって本音では、お祝いする気など今日はほとんど起きていませんでした。
パーティーには参加しましたが、心から楽しめたようにはどうしても思えません。なにかが、足りない。その思いはずっと、イルミネーションを見に行っている間も離れることがなかったのです。
今は、ただ。
静かに祈りたい気分でした。
二人は空を眺めていました。
どのくらい、そうしていたか分かりません。天の光は変わることなく、身を寄せあって見上げる二人をほのかに照らし続けます。
その時でした。
ゴーン、ゴーン、ゴーン。
どこからか、重苦しい鐘の音が響き始めました。
二人のよく知っている、明るい鐘の音ではありません。
この辺り──東京都瑞穂町の米軍住宅には、教会は経っていないはずです。それにこんな夜中に、教会やお寺が鐘を鳴らすわけがありません。
スザンナとエリザベスは、顔を見合わせました。
スザンナは、はっとしました。
エリザベスの顔が、透けています。顔のみにとどまりません。細いその腕も、痩せた身体も、あらゆる部分が透き通り始めたのです。
「ベティ…………」
その声で、エリザベスも自分の異変に気づいたようでした。
しかしエリザベスは、幼けない笑みを決して揺るがしません。
「もう、そろそろ……ばいばいしなきゃいけないみたいだね」
エリザベスは他人事のように言いました。
そのはかない笑顔が、柔らかな唇が、お星さまの光を浴びて冷たく輝いています。
スザンナは納得できません。そんな、まだ話し始めてから二時間も経ってはいないのに。
「もう別れなきゃ、いけないの……?」
エリザベスは頷きます。
「神様と、そうお約束したの」
ああ。
神様は残酷です。
スザンナは知っています。
エリザベスは本当はもう、ここにはいないのです。
このかわいらしい少女、エリザベス=ハッブルは、つい二ヶ月前、病気でこの世を去っているのです。
肺結核でした。幼子ゆえの身体の弱さから、それはどんどん悪化し、やがてお医者さんも手がつけられないほどになってしまいました。
苦しみながら、あがきながら、それでも見守る家族を見つめ続けながら、エリザベスは息を引き取ったのです。わずか二ヶ月前、十歳の若さで。
「あのね、おねえちゃん」
透き通る腕を伸ばしてスザンナの頬に触れながら、エリザベスは言いました。
「わたしね、おねえちゃんのこと、だいすきだよ」
スザンナも、返します。
「私もだよ。ベティのこと、世界で一番、大好き。誰にも、負けないよ」
小さな手のひらから、ほんわかと蒸気のような熱が伝わってきます。
「よかったぁ。わたしのこと、忘れちゃだめだよ?」
そう言って笑うエリザベスは、やっぱり悲しそうなのでした。安心させてあげたくて、あるいは自分も安心したくて、スザンナはエリザベスをそっと両腕で抱きしめました。
あたたかい。目をつむれば眠ってしまえそうなぬくもりに包まれて、スザンナはただそう感じました。
父が軍人のハッブル家は、属する基地が代わるたびに昔から引っ越しを何度も繰り返してきました。
だから、二人には長い付き合いの友達がほとんどいないのです。いたとしたって手紙のやり取りをしようにも、スザンナたちの行き先が日本ではどうしようもありません。
その代わり、スザンナはエリザベスを、エリザベスはスザンナを、唯一無二の友達や恋人のようにあつかったのです。二人はいつも一緒、いつも仲良しでした。何をするのも、二人組でした。
けれどエリザベスは、もういません。スザンナはこれから、独りになってしまうのです。
そんな事情を、エリザベスもスザンナも、よくよく分かっていました。
スザンナの腕の中で、もごもごとエリザベスは言います。
「あのね、おねえちゃん」
「なあに」
「おねえちゃんに彼氏ができたら、わたし、すっごくうれしいよ」
スザンナはさすがに驚きました。顔を赤くして、俯いてしまいます。
「おねえちゃんがたっくさんお友達をつくって、彼氏を見つけて、そしたら天国に来てもいいよ。それまでは、来ちゃダメ」
「……ベティは、どうするの?」
「わたしはおねえちゃんがいてくれれば、それでいいの」
ささやくようにそう言うと、エリザベスはスザンナをぎゅっと抱きしめました。スザンナがするよりもずっと、強く、強く。
二人は離れたくありませんでした。
いつまでも、いつまでも、時間が許してくれるのならば、永遠にそのまま抱きしめあっていたかったのです。
けれど、残りの時間はどんどん短く、短くなってゆきます。
「おねえちゃん、ありがとう」
エリザベスは、言いました。
「今までありがとう。なんて言えばいいのか分からないけど……、ありがとう」
力がいっそう強くなるのを感じながら、スザンナも訴えるように答えました。
「もっと、もっと会っていたいよ、ベティ……。私、ベティに何を言えばいいのか、ぜんぜん分からない……。時間がもっとあれば、……」
いえ、本当は分かっているのです。何を言うべきか、言えばいいのか、スザンナは知っています。でもそれを言葉にするのはとても、とても難しいのです。
「おねえちゃんの気持ち、私も分かる。わたしもあの時からずっと、分かんなかったから……」
エリザベスはぎゅっとスザンナの服を掴みました。
腕の中で、エリザベスの姿はどんどん薄くなり、光の像のようになります。
くすん、と鼻を鳴らすと、エリザベスは最期に、にっこりと笑いました。
「おねえちゃん、元気で……ね……」
それはまるで、あの空に見えるお星さまのように。
エリザベスの身体は、ぱっとたくさんの光に分かれて、宙へと散ってゆきました。
スザンナの腕は、むなしく空気を掴んでいました。
「ありがとう、ベティ。私の妹でいてくれて……」
スザンナは、やっと言えました。
もうそこに、エリザベスの姿はありません。けれどその声は、エリザベスに届いている。スザンナはそう思いました。
スザンナはクリスマスイブの夜、エリザベスに会いたいとお願いをしたのです。
エリザベスの死は、あっという間でした。スザンナはエリザベスの今際に、胸がいっぱいになって何も言葉をかけてあげられなかったのです。
もう一度、一度だけでいいから、会ってこの口で伝えたい──スザンナのそんな願いは、叶ったのです。クリスマスの奇跡は起こったのです。
思えば、楽しい日々でした。
友達がいなくてもエリザベスがいれば、スザンナがいれば、それは幸せな時間に変わりました。くっついていられる時間は温かくて、気づけば眠くなりました。それは、安心できる存在であったことの何よりの証拠なのでした。
けれど時間は戻りません。
ベティはちゃんと、別れを告げて逝ったのです。私も、とスザンナは願いました。
「さよなら…………ベティ」
スザンナは腕を下ろすと、俯きました。
その勢いで、ツリーの土台にのせてあった紙に、しずくが跳ねました。
ベッドの奥の方が、暗くなっています。
エリザベスがかつて寝ていたその場所までは、お星さまの光も届きません。すっかり落胆したスザンナは、ベッドにどさっと座り込んでしまいました。
ぽん、と何かが暗闇で跳ねました。
「…………?」
何か、ベッドの上に乗っています。
スザンナは手探りでそれを見つけました。さっきまではなかった一つの箱が、そこに落ちています。
何でしょうか。母には何もせがんでいないので、クリスマスプレゼントなんて誰もくれないはずなのに。包装もなされていないその箱のふたを、スザンナはぱっと開けました。
何という事でしょうか、そこには人形が入っていたのです。
黄緑色のパジャマを着た、金髪で蒼い目の女の子でした。握った手からは、なぜか冷たさを感じません。
「……ベティ?」
スザンナはその時、悟りました。
エリザベスは最期に、置いていってくれたのでしょう。スザンナが少しでも寂しくならないように、自分とそっくりの人形を用意して、プレゼントしてくれたのです。
ええ、きっとそうに決まっています。
スザンナは無意識に、人形を抱きしめました。やっぱり冷たさなど、これっぽっちも感じません。
人形を抱きしめたまま、スザンナは窓際まで行きました。
そして、人形を天高く、掲げました。
「ごらん、ベティ。あれがオリオン座だよ」
銀色に輝く人形の顔が、笑っています。あの日のエリザベスのような、柔らかな笑顔で。
「あの右下のオレンジの星はね、ベテルギウスって言うんだよ。
あれが────ベティの、星だよ」
『Let God, I really wish I meet the last Betty...It is my only dream.
(神様、どうかあの世のベティに会わせてください。──それが私の、たった一つの願いです)』
そう書かれたあの紙に、
もう一度、涙が跳ねました。
本作は、「クリスマス」「百合」「童話」の三つをお題にして書いたものです。
クリスマス作品とはなりましたが、果たしてこれのどの辺りが百合百合しいのか……。漢字も多いし、童話ともかけ離れている感があります。作者の童話力が垣間見えますね、申し訳ありません……。
ともあれ「冬の童話祭」参加作でありますので、皆様投票よろしくお願いします!
原案はスーザン・ボイル「夢やぶれて」。タイトルは完全に一致してるけど、大丈夫でしょうか……。元はミュージカル「レ・ミゼラブル」の曲なのですが。
舞台は瑞穂町ですが、羽村市も一応登場しています。米軍横田基地は上記の二市のほか福生市、武蔵村山市にも跨る巨大な施設であります。
なお、主人公が外国人という設定は本作が作者史上初となっております。
スザンナの幸福が、どうか続きます様に。
蒼旗悠
2014/12/24