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5 王女様の降嫁Ⅴ

「…では、失礼いたします」


王女の気をそらすためにできるだけ時間を稼ごうと、ディオンは少しずつ丁寧に髪を拭き始めた。鮮やかなにんじん色の髪はすでに癖がつきかけているため、できるだけまっすぐ伸ばすように乾かしていく。

黙々と髪を拭いている間、幸いにも王女は大人しくしていた。思えば女性の髪を触ったのは彼女が初めてかもしれない。

そういえばいつだったか、友人が『女性の髪を触ることが許されたら、それは身も心もゆだねられているということだ』と言っていた。


(ということは、やはり王女ご自身も初夜に臨むおつもりなのか!?)


すでに王女が自ら寝台に横たわった以上、あからさまに拒むわけにはいかない。

これは政略結婚ともいえる結婚なのだから、個人的な感情を持つべきではないのかもしれない。愛のない夫婦など王侯貴族には珍しくもないことだ。むしろ、ここで王女を拒むほうがよほど彼女の名誉を傷つけることになる。


(だが、本当にそれでいいのか?それに…好きかもしれないと言ってくださった王女に、いい加減な気持ちで向き合いたくはない)


うまく立ち回れない自分に苛立ちを覚え、深くため息をつく。すると王女が不思議そうにこちらへ目を向けた。


「ディオン?どうかしたの?」


「…私は至らない男です。とても王女のお相手にふさわしくありません」


自分らしくない弱音を吐いているとディオンは思った。

だが、不器用なディオンはこれ以上うまく気持ちを伝える言葉を見つけることができない。

一方王女はディオンの意図が分からなかったのか、きょとんとした表情で首をかしげていた。


「それはあたしの台詞でしょ。生まれ育ちが良くて顔もいいディオンとあたしみたいな下町育ちが結婚できるなんて奇跡以外のなんでもないなーって思ってるよ?」


「正直に申しますと、私にはその違いを受け入れきる自信がございません。騎士として恥ずべき狭量です」


申し訳ありません、と膝をついてディオンは頭を下げた。王女の育ちの悪さにばかり目を向けていた自分が愚かしく、とても合わせる顔がなかった。


すると、王女が寝台から降りてディオンと同じ目線に座り込んだ。


「じゃあ、まずあたしのことはこれからオーリアって呼んでね」


「…は?」


唐突な言い分に思わず顔を上げると、王女はさも当然といった様子で胸を張った。


「だってあたしたち夫婦になったんだから、名前で呼び合うべきでしょ?敬語だって必要ないし」


「はぁ…。ではオーリア様とお呼びさせていただきます」


「呼びすてでいいよ。あと敬語もいらないってば」


「それはできません。王女に無礼をはたらくことは、騎士としての私自身が許せません」


「でもあたしは普通の王女様と違うよ。それなのにあたしを王女として扱おうとして、徹底できなくてディオンは悩んでるんでしょ。だったら普通の夫婦になればいいじゃない」


「普通の夫婦…ですか?」


「ええっとつまりね、王女と騎士とか貴族と平民って考えるんじゃなくて対等な関係になるってこと。ディオンはあたしを王女として扱わずに、ただのオーリアとして扱ってくれればいいんだよ。だから様づけと敬語は禁止!そのかわり、あたしもディオンと対等な妻になれるように頑張るから!」


ね、いい考えでしょ?とオーリアが簡単に言ってのける。彼女の単純な思考はいっそうらやましいほどだ。


「…対等な妻になる、とは具体的にどうなさるおつもりですか」


「貴族のディオンと対等な妻ってことは、貴族の奥方らしくなることだと思うの。だから礼儀作法の勉強をして、ディオンにぴったりの奥さんになってみせる!」


「あなたはそれでよろしいのですか?その…失礼ですが苦労されるのはオーリア様のほうだと思われます」


「うーんたしかに。でも頑張るよ。せっかく結婚できたんだから、ディオンにふさわしい奥さんになりたいんだ」


屈託なく笑うオーリアの言葉に、ディオンははっと瞠目した。

それは呑気で安直な言葉だったが、まるで自分に足りないものを埋めていくようにディオンの中に深く浸透していく。

あなたの妻になりたいと言われたことは何度かある。けれどオーリアが口にすると、今までのものとはまったく違って聞こえた。


「…私には、もったいないお言葉です」


らしくもなく声が小さくなってしまう。だがオーリアの耳にはしっかりと届いたようだ。


「もー、だから敬語は禁止だって。へりくだるのもダメ!二人の時くらいいいでしょ」


「そうですね…。では、二人の時だけはそうさせていただきます。…ありがとう、オーリア」


敬称と敬語を外して話すと、不思議と照れくさくなって口元がゆるんだ。

すると今度はオーリアが菫色の瞳を丸くした。


「ディオンが…ディオンが笑った!」


「そんなに驚くことではないで…じゃない。驚くことはないだろう?私だってあなたほどではないが喜怒哀楽はある」


「だって今までずーっと胃が痛そうな顔してたじゃない」


「なっ…!?誰のせいだと思ってるんだ!」


思わず強く言い返してしまったことに気づき、ディオンははっと我に返った。

だがオーリアは気を悪くするどころか満足そうににっと歯を見せて笑った。


「じゃ、改めて。これからよろしくね、ディオン!」


「…こちらこそ、よろしく」


勢いよく頭をさげるオーリアにつられ、ディオンもぎこちなく頭を下げた。


「よし、今日したかったことはできたし、もう寝よっか!」


ぱん、と手を叩いてオーリアが立ち上がる。つい『寝る』という単語に反応しそうになったディオンだが、オーリアの言葉に疑問を感じた。


「ちょっと待ってくれ。したかったことということは、あなたの目的はもうすんだのか?…これからではないのか?」


「うん。だってずーっと気になってたんだよ。いつまで王女様扱いなんだろって。だから侍女さんたちにも相談したの」


「あぁ…そういうことか…」


やはりこの王女は深くものを考えていないのだ。

深読みして悩みあぐねていた先ほどまでの自分がひどく滑稽に思えて、ディオンは肩を落とした。てっきり王女は自分との初夜を望んでいるのかと思ったのだが。


(待て、これでは私が期待していたみたいではないか!)


それは断じて違う。自分はそのような不埒なことを考える男ではないはずだ。


「どうしたのディオン。すごい勢いで頭振ってるけど、寝る前の体操?あたしもやろっかなー」


「やらなくていいですから!…あ、いや。…もう休もう」


「うん。じゃあおやすみー」


さりげなく部屋の外へ誘導しようとしたのだが、オーリアはお構いなしに寝台へ潜り込んでしまった。

いくら対等な関係(を目指している)とはいえ、さすがに女性を寝台から無理矢理引きずり出すことは気が引ける。

結果、再びディオンは頭を抱えることになった。子供じみたオーリアが相手とはいえ、必要もなく異性と同衾することにはどうしても抵抗があるのだ。


「…ここで寝るのか?」


「だってあたしたち夫婦でしょ。同じ寝台で眠らないのは離婚寸前の証って聞いたことないの?」


あっけらかんとした物言いには色気も何もない。そのうえ寝そべって頬杖をついたままこちらを見上げる姿は、とても妙齢の女性とは思えないほど所帯じみている。こうなったら何を言っても動きそうにない。


「…分かった。では私がむこうの長椅子を使おう」


「心配ないって!あたしこう見えても寝相はいいから大丈夫だよ。あっそれともディオンが寝相悪いの?こんな広い寝台なのに二人じゃ寝られないくらい」


「なんでそうなる!?だいたい私の寝相は悪くない!」


「じゃあいいじゃない。はい、どうぞー」


ディオン渾身のツッコミをさらりと聞き流し、オーリアは布団をめくって手招きした。一般的には扇情的とされる光景だが、やはりそこに色香は一切なかった。

もはや躊躇していることが馬鹿馬鹿しくなり、ディオンは渋々寝台に身を横たえた。


(なんだか…彼女には一生敵わない気がしてきた)


明りを消して部屋が闇に包まれると、今日一日のめまぐるしい出来事がよみがえってきた。

オーリアはああ言っていたが、実のところディオンは彼女が貴婦人になれるとはあまり期待していなかった。

あの天性の破天荒ぶりは、ちょっと礼儀作法を学んだくらいでおさまるものとは思えない。多分、これから先も自分はこの名ばかりの王女に振り回されるのだろう。


(だが、それでも…)


もともと夜目が効くディオンはすぐに暗闇に慣れ、隣ですでに寝息をたてているオーリアの顔を見ることができた。

まだあどけない寝顔は安心しきったように緩んでいる。きっといい夢を見ているに違いない。


(この先どんな目にあおうと、私はオーリアと添い遂げよう。彼女が笑うと居心地がいい…こともある)


明日の朝、目を覚ましたオーリアが自分に笑いかける姿を想像し、ディオンはふっと微笑んだ。



それから数分後。

寝ぼけたオーリアの頭突きがみぞおちにはいった瞬間、ディオンは少しだけ自分の決意を後悔したのだった。


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