10 新婚生活は波乱万丈Ⅴ
木枯らしが銀杏の木を揺らすようになった頃、ついに第三王女ソフィアのお披露目が行われる日がやって来た。
第二王女ユリーシアの婚前失踪という醜聞を払拭するべく、舞踏会シーズンに先駆けて執り行われる舞踏会は、いつにもまして豪華なものとなっていた。
「いいですか、オーリア様。片時も私から離れてはいけませんよ」
日が暮れ始めた頃、ぞくぞくと集まる貴族たちに混じってディオンも馬車で入城した。
普段はエドワールの護衛として舞踏会に顔を出すディオンだが、今回はサーヴェルト家の嫡男として両親やオーリアとともに参加することになっている。
女性と一切関わりのなかったディオンが妻の手を引く姿に周囲が目を光らせているが、当の本人はオーリアがドレスの裾を踏んづけてひっくり返るのではないかと気が気ではなかった。
やがて大広間にたどり着くと、ディオンは念のためもう一度オーリアに釘をさしておくことにした。
「誰かに声をかけられた場合、基本的には私が応対しますから、あなたは相づちをうっていてください。扇子で口元を隠しているとなお安全です」
「うん、わかった」
「それからお腹が空いたからと言って手当たり次第料理に手をつけてもいけません。私がお取りしますから、欲しいものがあれば耳打ちしてください」
「はーい」
「はーいではなく、はいと言うべきです」
「ディオン…なにもここまで来てそんなことを言わなくてもいいでしょう。それよりもオーリア様の装いを褒めて差し上げるべきですよ」
ラベンダー色のドレスで着飾った母に呆れた顔でたしなめられ、ディオンは口をつぐんだ。あれだけオーリアに振り回されていた母が、近頃妙に彼女の肩を持つようになった。時には息子であるディオンにもっとオーリアを労うべきだとせっつくこともあり、常々不思議に思っていたのだった。
まだ心配ごとがいくつかあったが、母に言われたので仕方なくディオンはオーリアに目をやった。屋敷を出る時に一度見ているが、舞踏会のことで頭がいっぱいになっていたのでほとんど気にとめていなかったのだ。
まず目を引かれるのは真紅の薔薇のようなドレスだ。小柄で細身な体は幾重にも重ねられた布地で女性的な婉曲を描いていて、いつになく色っぽい。
にんじん色の赤毛は綺麗に編み込まれて白い花の髪飾りでまとめられ、一房だけ垂らされた髪が夜風に揺れている。
既婚者(一応)らしく化粧は結婚式の時と比べて濃いめに施されていて、いつもの子供っぽさはどこにも見当たらない。
全体的に見て、今宵のオーリアはいつもよりずっと大人びている。
「…とてもお綺麗です」
「それだけなの?」
ずいっと身を乗り出す母の目がやけに怖い。もっと何か言いなさいと目で訴えられ、ディオンはたじろいだ。
「えっと…なんだかオーリア様ではないようで、目のやり場に困ります」
正直な感想を口にすると、母は小さくため息をついて父を睨んだ。どうやら息子の口下手の原因だと責めているらしい。
至近距離で睨まれても父は相変わらず仏頂面だったが、心なしか立派な体格を小さくしていた。
そんななか、オーリアだけはいつも通りにこにこと笑っていた。世慣れた貴婦人を演出する装いをもってしても、満面の笑みは幼く見える。
「ありがとう。ディオンは今日も格好いいね!ふふふ、ソフィアお姉様に自慢しちゃおっと。あ、ルディーにもみせびらかしちゃおっかなー。あたしの旦那様素敵でしょってみんなに言いふらしてやるんだから!」
あけすけに褒め言葉を連発するオーリアの豪胆さが、今だけは羨ましい。
今夜の舞踏会で注目の的の一つとなることは間違いないというのに、全く気負ったところのない妻はある意味王族らしいと思うディオンだった。
大広間に入ると、ディオンたちは案の定貴族たちに取り囲まれて身動きを取ることができなくなった。
ゆったりとしながらもまったく隙のない貴族たちは、待ちに待った獲物を見つけたかのように嬉々として話しかけてくる。
「ご結婚おめでとうございます。そちらがオーリア王女ですの?お目にかかれて光栄ですわ」
「急なご結婚でとても驚きましたよ。いやぁ、うちの娘たちが気落ちしてしまって大変でした」
「王女のご降嫁とはじつに誉れ高いことですな。いやはや羨ましい…」
「いつお決まりになったの?わたくしもぜひお式に呼んでいただきたかったわ」
父母もろとも包囲網に巻き込まれたディオンは、失礼に当たらない程度に適当な返事をするので精一杯だった。ぐいぐいと質問責めをするのは主に中高年の貴族たちで、特に女性陣は目が血走らんばかりの勢いの者までいた。
(予想はしていたが、やはりとんでもない騒ぎになったな…)
ただでさえオーリアは生まれてからずっと公表されていなかった国王の庶子として注目されている。そのうえ王城にはいってすぐに降嫁したとなれば貴族たちが黙っているはずがない。
表向きオーリアに対する態度は王女として丁重に扱うものだが、胸の内では何を考えているか分かったものではない。
せっかく綺麗に飾り立てた衣装をお互い押し合うようにしている貴族たちに揉みくちゃにされいい加減嫌気がさしてきた時、それまで大人しくしていたオーリアがこちらを見上げた。ディオンの言いつけ通り扇子で隠された口元が「大丈夫?」と小さく動く。この騒ぎの中でも平然としているオーリアは、やはりいつもの彼女とは別人のようで、不覚にも心を動かされる。
思わずぎくしゃくと頷き返した後、ディオンはオーリアの腰に手を回して人の波を突き進んだ。
幸いなことに、その先にはエドワールと護衛のマリスの姿があった。さすがに宮廷燕たちも王子の前で騒ぎ立てるわけにはいかず 、そそくさと大広間に散っていった。
「やぁディオン。そんなに寄り添って、ずいぶん妹と仲睦まじいようだな。兄としては一安心だ」
綺羅綺羅しい容姿にふさわしい華やかな夜会服のエドワールが、『兄』をやたら強調して微笑む。相変わらず義兄弟ごっこがお気に入りらしい。
「オーリアは久しぶりだな。どうだ、ディオンと結婚した感想は」
エドワールの問いにディオンはひやりとした。周囲の貴族が素知らぬ顔をして聞き耳をたてていることは分かり切っているのに、わざわざオーリアに話を振る主君の意図が分からない。
しかも感想となれば言葉の選び方が難しくなる。オーリアが何を言い出すか、ディオンは固唾をのんで見守った。
「ふふ、嫌ですわお兄様。今のわたくしたちをご覧になればお分かりでしょう?」
にっこりと、だが上品に口元を隠して微笑むその姿はまさしく王女にふさわしかった。
癖になっている早口も抑えて聞き取りやすい速さになっていて、東部特有の訛りもほとんどなくなっている。
(誰だこれは)
もはや影武者でも雇ったのかと思うほどの別人ぶりだ。衣装と化粧だけでこんなに人は変わるものなのだろうか。
口をぽかんとあけて呆然としてしまったディオンに対し、エドワールはかすかに片眉を上げただけだった。さすがは生まれながらのお世継ぎである。
「これは失礼。私としたことが野暮なことをしてしまったな。お詫びといってはなんだが、今宵は楽しんでいってくれたまえ」
爽やかな笑みで周囲の令嬢たちの頬を赤く染めると、エドワールは満足したように立ち去っていった。その後ろに従うマリスが、一瞬こちらを見てにやにやと笑ったのは見なかったことにした。
その直後国王の臨席が告げられ、ようやく大広間が静まった。
国王のそばへ近づくふりをして貴族たちから距離をとると、ディオンはオーリアにこっそり耳打ちした。
「さっきはすごかったな」
「うん。みんな目がギラギラしてたね」
やれやれとため息をつくオーリアに、違うとツッコミを入れる。
「すごいのはあなたのことだ。まるで別人みたいだったぞ。たった半月でこれほどの立ち居振る舞いを身につけるとは、正直思っていなかった」
「ディオンって変なとこが素直だよね」
まさかオーリアに変と言われる日が来るとは思わなかった。だがそう口にしたオーリアの顔が嬉しそうにほころんでいて、なにやら毒気を抜かれた。
「実はね、あの問答は絶対あるから押さえておくようにって雷夫人ーーあ、先生に言われてたんだ。だからあたしは台本通りにやっただけだよ。でもびっくりした?上手くできてた?」
「ああ、さすがと言うべきだな」
やはり噂に違わぬ凄腕の家庭教師だったのだな、とほっと胸を撫で下ろす。毎日オーリアの愚痴につき合った甲斐があったというものだ。
オーリアはというと、誇らしげに鼻息を荒げてにんまりとしていた。
「あたしだってやればできるでしょ?じゃ、次はダンスだね」
折しも国王の挨拶が始まり、そこで会話が途切れてしまった。今回の舞踏会に方々から集まった貴族たちを労う国王の声にかぶせて、ディオンはひっそりとため息をついた。
「…お手柔らかに」