はじまり
私はデパートでボーっと販売員をしていた。
競合店が連なる激戦区で一番駅から遠い松●屋は閑散としていた。
「こんにちは」
浅黒い肌で作業用の帽子をつけたおじちゃんが声を掛けて来る。
「いらっしゃいませ!入鹿さん!」
彼の下げている紙袋に目が行ってしまう、今日はなにかなぁとはやる気持ちを顔に出さないように抑える。
「はい、コレどうぞ」
案の定、彼は持ってきた紙袋を店のカウンターに差し出した。
デパートには裕福なお客様が多い。こうやって差し入れを持ってくる事など日常茶飯事だ。
しかし、中身はタダのお菓子ではなく、一応デパートの一流洋菓子など、絶品のものばかり。
仕事はのんびりでやる気も出ないのだが、たまにはやっていてよかったなぁとおもう。
「最近忙しくてねぇ・・・」
上品なお客さんはこうゆう世間話を大事にしている気がする。
私たち店員はソレを大きなリアクションで聞いてあげるのも仕事のうちだった。
うちの店は40代のおばさんマネージャー
30代前半の美人の店長
20代後半の仕事の速い副店長
20代前半で新人の私、の4人で回っている。
なのでお客様からすると常に知っている顔がいる状態。そこが少し休憩していく身としては都合が良いらしい。
朝と閉店間際になると、スタッフが一人になるからさらに込み入った話も出来るというわけだ。
ちなみに隣は女性専用のサロンで美人ぞろいなのだが、いかんせんピリピリとしていて雰囲気が異なる。お客さんが親しげに手土産を持ってくる様子をちらちらとこちらを伺って噂しているらしい。
入鹿さんはその中でもおおらかで、面白い話をしていく男性だ。
お菓子のセンスがよく、常に笑顔だが目だけはギラギラと鋭かった。外国の話が多く、お土産もその手のエイの鱗で作ったさいふ~みたいに不思議なものが多かった。
私は海外も行った事がないし、未国お土産や、話に夢中だった。
「入鹿さん!今日もお仕事だったんですか??」
「も~いそがしっくっていそがしくって・・・」
彼は想像以上に小柄だ。体は分厚く浅黒く、髪も黒々としていた。
ソレもそのはず、彼は私の知っている男性の中で誰よりも”冒険家”であり”芸術家”世界をまたにかけて活動している人だから。話していても年をあまり感じないのだ。
身長は165cm、体重は75~80kgじゃないかと思う。
英語・スペイン語・フランス語・インドネシア語・などを話し、大きな分厚い手で常に半そででチョッキをつけている。
寒くないのだそうだ。
そんなおじさんの話を私は始めは興味本位で聞いていたのだが、最後のほうは映画を見ているような気持ちで聞いていた。自分の中に止めておけず、家族や兄弟に伝えたほどだ。
彼こそ、日本がまだまだほかの国交をかわしていないときに、世界におり、人とふれあい交流をしていた人なのだ!
つたない言葉で書きとめようと思う。すべてなどとおこがましい事はいえないのだが、出来る限り忠実に、彼の驚くべき半生を残したい。
☆誕生
彼、一は体が弱く、親は片親だった。
父は立派な画家で、母は自分の家を女性ながらにして持つ夢を追い求める気丈な女性だった。その分周りにもあたりが強く、わが子ですら「邪魔だ、邪魔だ」と罵られたそうだ。
彼は常に医者にかかっていて、働かねばならない母にとっては邪魔な存在なのだと感じていた。母は母で彼に立派な暮らしを、と躍起になっていたのかもしれないのだが、親子の間にはほとんど交流が生まれる事はなかった。
親戚や近所の家に何ヶ月もほうって置かれた。遊ぶ相手もなく、山中でぼーっとすごしていた。、
母が職を変えるたび引っ越しては別の家にあづけられた。
その中のひとつが、当時米軍基地のあった近くのアメリカ人家族の家だった。
一はココでの生活が己の中にある核を明確に作ったのではと思っている。
大きな体で蒼い目の子供の中に混ざってすごした。基地の中でも勢力争いがあったが、体の小さな一は目をつけられて何度も危ない目に会い戦った。
そうして、いつの間にか蒼い目の子供たちが「イチ、イチ!」と助けを求めてくるような、腕っ節の強い存在になっていった。
それから彼らと別れ、日本人学校に通うのだが街中で外人の友達とイングリッシュで話す様は、同世代のなかでも異様に映りなかなかとけこめなかった。一匹狼でそれでもなんとも思わなかった。
ある日、学校の先生から呼び出された。
「入鹿!お前絵の学校に行け。」美術の教師から自分は人並み外れた絵の才能があると推薦されたのだ。
父親は有名な画家だ、絵が嫌いなわけでもない。
しかし一の心には”飛行機”が写っていた。
アメリカ人家族と過ごした基地での生活。そこでみた戦闘機の操縦者、パイロットになりたかったのだ。
「18歳までにパイロットで世界に飛ぶつもりです」
先生に伝えると残念そうに顔をゆがめ「それもお前らしい」とつぶやいた。
パイロットになるための学校を教え、手引きしてくれた恩師になる。
美術の先生は最後まで絵の道に行かせたかったと無念を手紙でおくってきたが、心は決まっていた。
高校生になる前から、パイロットになる学校に行き、勉強を始めた。
ソコではネイティブな英語力と、遠くを見渡せる目力、機械に強いところを気に入られ、将校や上の人から可愛がられた。
そんなある日、飛行機に乗っていてもいろんな国にはいけないことを知る。
パイロットは命令どうりに機体を飛ばすだけなので、世界に行きたいという夢と欲望は満たされる事はなかった。
そうして一が目をつけたのは船だった。
船であれば、港に泊まり何日もすごすことが出来る。
迷っていた。パイロットまであと少し。
機体の工事中に大きな貨物とぶつかり意識不明の大怪我をした。
一週間の間。自分が誰かも分からず、何一つとして理解に困難な状態になった。
病院にいて、治療する傍ら同時に、彼は休みを利用して日本の”船の会社”に入ろうと計画していた。
面接を受け、ここでも英語力を買われて入社した。
この貨物船の会社に入ることによって誰も成し得ない、一の世界をまたに駆けた大冒険が始まるのだった。