仕事始め
短めの通路を抜けると、大きめの広場に出た。
地上の東京駅構内のようだ。
コンビニや弁当屋が並ぶ。
広場の一角には、出口らしき扉が並んでいてそれぞれ見覚えのある自動車会社や製薬会社の名前が並んでいた。
少しだけ進むと(株式会社ジャパンロボット)と書かれた扉が現れる。
細山が首にかけていた社員証らしき物を扉にかざすと、ドアが開いた。
二人もそれに続く。
てっきり大きな建物なんかが現れると思っていた楓だが、そこもまだ建物内だった。
再び大きなスペースが現れる。
今度はちょっとしたホテルのロビーくらいだ。
「寮はこっちです」
細山の後を付いていくと、大きめのエレベーターの前に出る。
「男性寮は右の、女性寮は左のエレベーターです。まずは食堂から案内します。女性寮から行きますね」
細山はそう言うと左のエレベーターのボタンを押した。
エレベーターを降りると、目の前に食堂までの案内の貼り紙があった。
それに従い進むと、食堂と書かれたドアがあった。
細山が社員証をかざすとドアが開く。
学校の体育館ほどの広さの食堂だった。四人がけや二人がけテーブルと椅子が並んている。
壁際にはカウンター席が並んでいるのを見て楓は少しだけ安心した。
これから夕食の時間なのかいい匂いがする。
「男性寮からはあっちのドアから出入りします。社員証をかざして出入りしますので、くれぐれも間違わないで下さい。もしも平野さんが間違って女性寮のドアから出ようとしたら大きい警告音が鳴り響きます」
「マジっすか〜気を付けます!」
細山の言葉に平野はおどけて言う。
細山はスマホをちょっと操作してから言う。
「後の設備は全て男女別になってるので、申し訳ないですが平野さんはここで待ってて下さい。人事から男性スタッフを呼びましたから」
「分かりました。松井さんまたね」
不安さの欠片もなさそうな顔で平野は楓に声をかけた。
「あ、はいまた・・・」
楓は細山と一緒に食堂を出る。
「ここをまっすぐに行くと大浴場です。残念ながら温泉という訳にはいかないけれど、浴槽は大きめですよ。個室のシャワー室は本当に小さいですから」
「シャワー室が付いているんですか!?」
「ええ。シャワー室の他にも洗面所とトイレ、一人用だけど洗濯乾燥機や冷蔵庫なんかもついてますよ」
それは引きこもりの楓には有り難い。
休みの日は部屋から出ずに過ごせそうだ。
「ここ七一四号室が松居さんの部屋です」
そう言って細山はネックストラップの付いたカードを渡してきた。
「これが松居さんの社員証です」
「ありがとうございます」
「寮の部屋も食堂も全て社員証がキーになっています。くれぐれもなくさないように」
楓は社員証を首にかける。
「食事は食堂でとって下さい。
明日は朝七時半にこの部屋まで迎えに来ますのでそれまでに朝食を済ませて部屋にある作業着に着替えて待っていて下さい。それでは明日また」
そう言って細山は去っていった。
残された楓は、もらった社員証をドアの真ん中にかざす。
ピッと音がしてキーが解除された音がした。
部屋に入ってみると、地球から送っていたダンボールが置いてあった。
小さめの机と椅子があり、その机の上に数枚の紙が置いてある。
手にしてみると、寮生活の手引きとあった。
それによると夕食は五時半から八時半まで、となっている。
あまり人と会いたくはないが、平野と一緒になるのも気が重い。
夕食は早めに行こうと思い、ダンボールを開けた。
五時半丁度に食堂に行くと、楓の他には四人しかいなかった。
そのうち二人はテーブルに座って定食のような物を食べている。
他の二人は料理が並んでいる場所に並んでいた。
見ていると、弁当の様な物を受け取っている。
楓はその後ろに並び、自分の番が来た時に聞いてみた。
「テイクアウトも出来るんですか?」
「もちろん」
食堂で働く女性は答える。
楓は当然、テイクアウトにした。
もらった弁当とペッボトルのお茶を持って部屋に戻る。
部屋に入り鍵をかける。
改めて部屋の中を見渡す。
ビジネスホテルの部屋よりも更に狭い。
楓が東京で住んでいた若者専用のマンションの部屋よりも狭い。
一応窓はあるが、見えるのは昨日今日で見慣れてしまった宇宙の風景だ。
基地の様子は見えない。
その窓際にシングルベッドがひとつ。
脇に小さな冷蔵庫。
向いの壁にペーパーテレビ。
テレビの脇にある。扉を開いてみると収納になっていた。
空っぽの透明な衣装ケースが三つ。
ハンガーが五つ。
取りあえず届けられていたダンボールを開け、中からの衣類を取り出して衣装ケースにつめていった。
冷蔵庫の脇にある小さなドアを開けると小さな洗濯乾燥機があり、ドアが二つ並んでいた。
それぞれ開けてみると、トイレとシャワー室だった。
全ての部屋が狭いが、楓は平気だ。
かえって落ち着くくらいだ。
備え付けの小さいテーブルで弁当を食べ、月で購入したシャンプー類を使ってシャワーを浴びる。
荷物に入れていたドライヤーで髪を乾かすとまだ寝るには早かったが寝ることにした。
明日は出勤初日だ。
スマホのタイマーをセットして部屋の灯りを消す。
楓はそのまま深い眠りについた。
ピピピピピ
スマホのタイマーで目を覚ます。
早めに寝ていおいたお陰で多少スッキリしていた。
今日から仕事だ。
楓はまず寝癖を簡単に直すと、部屋を出る。
向かったのは食堂だ。
手引きによると朝食は、五時から八時まで。
ちょっと早めにタイマーをセットしておいたので、五時になったところだ。
食堂につくと、調理パンと牛乳を選んでさっさと部屋に戻る。
それから身支度を始めた。
七時二十分。
部屋に用意されていた作業着を着た楓は食堂の隅に座って待っていた。
少しすると、作業着を着た平野もやってきた。
「松居さん、おはよう」
「おはようございます・・」
「眠れた?」
「いえ、あんまり・・」
本当は昨日今日とぐっすり眠れたのだが、神経が太いと思われたくなくて思わずそう答えた。
「そうだよね。僕もワクワクして眠れなかったよ」
ワクワクか・・薄々気づいてはいたが私とはだいぶ違う人種だ。
技術者である平野はこの大きな企業で働くのが楽しみなのだろう。
「ここだけの話、夢があるんだ」
「聞いてもいいですか?」
楓は初めて平野に興味を持って聞いた。
「イシのあるロボットをつくること」
「石のロボット?」
「違う違う。意志のあるロボット!心があるロボットをつくりたいんだ」
希望溢れる表情でそう語る平野を見て思った。
この国はこんな技術者によって発展してきたんだろうな、国を発展させる側の人間を初めて見たな、と。
そうこうしているうちに一人の作業服を着た中年女性がやってきた。
「松居楓さんですね。私は副工場長の福井です」
「よろしくお願いします」
「技術部のもすぐ来ると思うから」
福井は平野にそう声をかけると、
「じゃあ行きましょうか」
と楓にも声をかけた。
福井の後を付いて、女性側通路から進む。
工場は寮よりも厳重で、寮では細山の社員証で後ろから付いていって入れたが、工場はそうではなかった。
必ず各自の社員証が必要なようだ。
福井の後ろについて社員証をかざす。
だだっ広い部屋にビッシリとレーンが前後左右、高さまで不規則に並び、ロボットの部品らしきパーツが次々と流れている。
人はポツポツとしかいない。
「瀧澤さん」
「はい」
若い女性が返事をした。
「一週間前に入社した瀧澤さん。彼女と一緒に働いてもらいます」
福井は続ける。
「松井さんはここのレーンに入ってもらいます」
滝沢の隣のレーンだった。
そこには三つのレーンがトライアングル型に重なっている。
「まず松井さんはこのトライアングルの中に入ってもらいます」
楓は言われたとおりの位置につく。
「ここにデジタル時計があって秒まで分かるようになっています」
確かに狭いスペースに秒まで表示されているデジタル時計がある。
「まず〇〇秒に目の前一番高いのレーンに流れてくる部品にズレがないかチェックしてもらいます」
「次に二十秒に横の次に高さのあるレーンに流れてくる部品が曲がって置かれていないかチェックしてもらいます」
「最後に四十秒に後ろの一番低いレーンに流れてくる部品に傷がないかチェックしてもらいます」
「これをそれぞれ十秒間でやってもらいます。目の前に来たらレーンは十秒間止まります。残りの十秒で次のレーンの位置に着いてもらいます」
簡単なようで難しい。
一瞬たりとも気を緩められない。
「質問はありますか?ないですね。では始めましょうか」
えっ?もう???
「何かありましたら滝沢さんに聞いてね。
後、時計の隣りにあるスイッチを押せばレーンは三つとも止まります。再びスタートする時もそのスイッチです。
長時間でなければ何回止めても平気なので心配しないでね」
そう言うと福井は、行ってしまう。
覚える事はあまりなさそうだ。
しかし、単純作業✕3。
慣れる前にパニックを起こすかもしれない。
「じゃあやってみましょう。私もまだ一週間だけどすぐに慣れたから大丈夫ですよ」
滝沢が悪気なく言う。
いや、これ無理かも・・・
甘くみていたかもしれない。
よく聞いていたこういう仕事って一つのレーンだよね?
三つなんて無理でしょ。
すぐ目の前で滝沢がニコニコしながら見守っている。
楓がモタモタしているとすぐにレーンを止めて、「大丈夫ですよ」と言ってくれる。
それが最高にいたたまれない。
何十回もレーンを止めてしまい、やっと少しは慣れたか?という頃になって学校の様なチャイムが鳴った。
やっと昼休みだ・・・
単純作業と聞いていたのでアクビが止まらなかったらどうしようと思っていたのだが、アクビどころではない。
ひとつひとつの作業は確かに簡単だし、次から次へと流れてくる、という訳でもなく十秒ほど余裕がある。
しかし、三つのレーンを交互にやるのは頭が混乱し、神経がすり減る。
慣れれば時間も作業も流れていくのだろうが。
「レーンを止めるスイッチを押してお昼に行きましょう」
瀧澤が楓に声を掛ける。
レーンが止まるとホッとした。
早くこの場から離れたい。
瀧澤と食堂に向かう。