集う剣士(3)
「望むところだ」
即答したウーヘイが木刀をスライスに向かって放り投げる。
無言でスライスがかわし、木刀は壁に当たって鋭い音を立てる。
その時には、既にウーヘイがスライスに迫っている。さっきとまるで同じ。ただ一つ、さっきと違うのは、足元からは木刀の剣先が見えていないことだ。
一方のスライスは体を折り曲げ、咳き込みながら凄まじい目つきで迫るウーヘイを睨みつける。
するり、とスライスの着流しの袖から、奇術のように抜き身の刀が現れる。
「さすが元影」
横でライカが暢気に感心する。
ウーヘイのマントの奥から、太刀筋の読めない斬撃が放たれる。やはりマントの内側に武器を持っていたのか。
かわすのではなく、スライスは手首だけを動かして刀を操るようにして、その斬撃を逸らす。
バランスを崩したウーヘイが、片脚一本だけの力で跳び、壁を蹴る。そして体を捻りながら、もう一撃。
スライスはするすると両足を床につけたまま、滑るように後退してそれをかわす。
着地したウーヘイは即座にスライスを追い、もう一撃。いや、二撃。同時に二つの斬撃が繰り出される。
「小太刀二刀流っ」
アオイが小さく叫ぶ。
そうだ。さっきからあまりにも攻撃の回転が速いと思っていた。
ウーヘイがマントの奥で握っていたのは、長い刀を一本ではなく、小太刀を二本。それによる連続攻撃か。
スライスの後ろには壁。かわせない。
不意を突かれ、防ぎきれないはずのその攻撃を、スライスはかわす。それも、思いも寄らない方法で。
跳んだ。それも、真上に。
「うわっ」
叫んでしまう。
その跳躍は、もはや浮遊と言うべきものだ。魔術による身体強化も行っているのだろうが、その場の跳躍でスライスは自分の身長の二倍以上高く跳ぶ。天井まで。
そしてそのまま、刀を片手に持ち、両足と片腕を天井に貼り付けて。
「ぬうっ」
ウーヘイの表情が初めて変わる。驚愕へと。
蝙蝠のように、スライスは天井に張り付いて、ウーヘイを見下している。
「げっ、俺の得意技パクリやがった」
後ろで、ヘンヤが恐ろしい内容のことを呟いている。
「そこまでそこまで」
と、突然大声をあげて道場の扉を開け放つのはマサカドだ。
「やっぱりアオイじゃとめられなかったか。おい、遊戯室まで殺気が伝わってきたぞ。お遊びは終わりだ」
さもないと、とマサカドは腰に差していた巨大な剣を、野太刀を抜き放つ。長大なそれは、刀身が赤く、わずかに脈打っているようにも見える。
「道場ごと燃やし尽くすぞ、阿呆共」
それまでとは質の違う重圧が、俺達を襲う。
これまでの緊張感や殺気が気体だとすれば、これは固体。実体のある殺意であり迫力であり、重圧。
今すぐにでも、マサカドは剣を振るう。そして、剣を振るえば、誰も彼も無事では済まない。
それが感覚として理解できる。いや、させられてしまう。そういう重圧だ。
「下手だなあ、相変わらず、ひひ」
笑うのはヘンヤだけで、アオイは腰を抜かし、スライスは天井に張り付いたままマサカドを睨み、トウコは腰の刀の柄に手を添え、そしてウーヘイはマントの奥から剣先を二つ出現させる。
「上手いも下手もあるか。俺は好きにやらせてもらうぜ、兄弟子殿」
「ほらほら、結局止めにいったあなたが喧嘩をしていたら詰まりませんぞ」
なおも凄むマサカドの後ろから、ヒエイが顔を出す。
「さ、もうすぐセキウン様の準備が終わりますから。早く全員遊戯室にでも戻ってくだされ」
ぱんぱん、と子どもの遊びを切り上げさせるように手を叩くヒエイに毒気を抜かれ、全員、何となく武器を納める。スライスも降りてくる。
「まったく、いつまで経っても、どっちが強いと意地を張っている餓鬼のままですな」
「ひひ、ヒエイさんだって同じようなもんだろ」
「もうその舞台からは降りましたぞ。さ、戻った戻った」
ヒエイに促され、誰もがぞろぞろと道場を出て行く。
「あっ、まっ、待ってください」
腰を抜かしていたアオイも、マサカドの後を慌てて追う。
後に残ったのは、俺とライカ。
ライカは、呆然としている俺をじろじろと見ながら、
「馬鹿みたいでしょ」
と言ってくる。
「え、な、何が?」
「このやり取りが、よ。まあ、剣士なんて基本的に馬鹿よ。特に、極めようとする奴なんてね。もう趣味の域だし、ヒエイの言うように子どもの頃から全然成長してない感じでさ」
「ライカさんも?」
「もちろん」
何故か胸を張る。
「ところで、ヴァンは剣士じゃないからアドバイスしてあげるけど」
「ん?」
「今さっきのやり取り、信用しない方がいいわよ。まあ、マサカドだけはそのままだろうけど」
「え?」
どういう意味だ?
「例えば、トウコ。見た目も、性格も、そして剣術のスタイルも、真っ直ぐで生真面目で杓子定規。そうでしょ?」
「ああ」
そうとしか言い様がない。
「でもあれは、そういうアピールなのかもしれないってこと。いざという時、相手の不意を突いて奇を衒った技を使う、その伏線かもしれないのよ」
「そんな馬鹿な。それはありえないでしょう」
思わず半分笑ってしまう。
だが、ライカは真顔で、
「そう? あたしだったら、それくらいはするわね。スライスも、ウーヘイも、あれが本当の実力、本当のスタイルだと思わない。それを見た相手といつか戦う時のために、偽りを見せたのかもしれない。あるいは、間違った噂が広がるのを期待しているのかもしれない」
「そんな、まさか」
反論しながらも、俺はだんだん自信がなくなってくる。
本当に?
本当に、そんなことありうるのか?
「一つ、教えておいてあげるけど、あの偉大なるシジマがいたじゃない」
「ああ、セキウンの師匠の」
「そう。あのシジマが、三対三でホウオウ流の遣い手と戦った試合、知っているでしょう?」
「シジマ流とホウオウ流、二つの流派の転換点になった試合ですよね」
「そう。それまで、シジマはどんな試合の時も、真剣勝負でも、両手でしっかりと握った刀による、重厚な一撃を持ち味としていたのよ。ところが、その一戦、相手が当時のホウオウ流最強と言われるマガとの決戦で」
ライカは右手を前に出す。
「シジマは片手打ちで勝負を決めた。それも、今までシジマが繰り出した攻撃の中でも最速かつ最も鋭い一撃でね。意味が分かる? シジマは、おそらく一番得意だったのは片手打ちなのよ。けど、それを敢えてどんな場面でも使用せず、ただ一人黙々と磨き続けた。絶対に勝たなければならない一戦、その時に突然に繰り出すために」
「そんな」
そこまで、するか?
二の句が継げないでいる俺を見てライカはにやりと笑うと、
「ね、馬鹿みたいな連中でしょ、剣士っていうのは。自分が一番強いってことを証明するためには、どんなことだってするんだから」
そう言って道場を出て行く。
俺は、しばらくその場から動けない。
というか、凄い帰りたくなってきた。
遊戯室に戻って、五分もしないうちにダイゼンが現れる。
「お待たせ。そんじゃあ、セキウン様が来るからよお。皆さんにまずは挨拶ってことでなあ」
というか、ダイゼンがいなかったことに気付かなかった。さっきの道場でのやり取りやライカの話が衝撃的過ぎたせいだ。
「おい」
ひょいとヘンヤが寄ってきて、俺に囁く。
「師匠を見てどう思ったか、俺に教えてくれよ」
「え?」
どういう意味だ?
「剣士以外から見たらどう見えるのか、興味があるんだ。あの剣術の化け物がな」
「俺にとっては、あんたら皆剣術の化け物だけど」
「涙ぐましい努力ってのが必要だ。ひひ。さりげないところから、演出したりしてな」
「何の話だ?」
「化け物に見えるって話だよ。そう見えた方がいいんだ。いざ戦いになりゃあ勝手に呑まれてくれるし、門下生だってそっちの方が増える。誰だって、化け物みたいに強い奴に教わりたいだろ?だから、皆、努力するんだ。聞いたことないか? 昔の剣豪は、神通力を持っているなんて嘯いた奴が多かったし、それを信じてた奴も結構いたみたいだぜ」
言いたいことは、何となく分かる。
「さっきのマサカドの一言だって、さりげなかったけど、無意識の領域に楔を打ち込もうとしたんだぜ、気付いたか?」
「さっき?」
「ほら、止めに来ただろ、スライスとウーヘイの真剣勝負を。娯楽室にいても殺気が伝わってきたとか何とか言って」
「ああ」
そうだった。
「お前、あれをそのまま鵜呑みにしたんじゃないだろうな? いくらなんでも、部屋の中から離れた場所の殺気を感じ取って止めに来るわけねえだろ。ありゃ、多分廊下に出て耳を澄ましてたんだよ。で、道場からの音を聞いて、中の様子を推測してちょうどいいタイミングで踏み込んできたんだ。自己演出だよ。あれで、殺気なんてものを遠く離れていても感じられる達人だ、と無意識のうちに刷り込まれればと思ってやったんだろうぜ。ひひ。あいつ、昔からそっちはうまいんだ。自分を大きく見せるのはな。小さく見せるのは苦手、というか全くやらないが」
「う、う」
言われてみればその通りで、殺気なんて曖昧なものを感じた、という言葉をそのまま信じるなんてどうかしていた。他があまりにも衝撃的だったし、場の雰囲気に呑まれて思考停止していた。
いかん、探偵としてまずい。
「まあ、そんなわけで、自己演出だとか、手練手管を使って、皆、自分を怪物のように見せたがる。剣士ってのはな。けど」
そこで、ようやく気付く。
ヘンヤの声が震えている。僅かではあるが、確かに。
緊張しているのか。これから現れるであろう、人物に。
「師匠は、紛うことなき化け物だ。剣術の怪物。それが、お前からも怪物に見えるかどうか、知りたいんだ」
そうして、遊戯室の扉が開く。
静まり返った遊戯室の中で、誰かが唾を飲み込む音がやけにはっきりと響く。
その中を、一人の老人が入ってくる。
第一印象は、いやに体つきのしっかりした老人だ、ということだった。
真っ白い髪が腰まで伸びている。そして、口髭と顎鬚も同様に白く腰の辺りまで伸びている。まるで仙人だ。
作務衣のような荒い麻でできた簡単な服に身を包んだ老人の体つきは、筋骨隆々とまではいかないが老人とは思えないがっしりとしたもので、肌は赤茶けて固く厚そうにひび割れている。乾いた大地を思わせる肌だ。
何よりも手首と指が太く、特に指は節くれだっており、そして爪が猛禽類のように尖り伸びている。
そして、閉じられた目。瞼が下ろされたその顔は、世界の真理を探る哲学者のようでもあり、象牙の塔に住む学者のようでもある。少なくとも、剣士と思わせる荒々しさはその顔から見てとれない。物静かで、内向的な孤独な老人のように見える。
「諸君」
その老人、剣聖セキウンは言う。
「このよき日に、よく来てくれた」
静かな遊戯室に響くその声は、生徒を教え諭す教師のようだ。




