入学(2)
受験生はそれなりの数がいるらしく、複数の教室で同時に入学試験をするらしい。
硬直停止から回復した時には試験開始時間が迫っていることに気づいた俺は、急いで受験票に記されている試験会場の一つである教室に飛び込む。
よかった、まだ試験開始前だ。ぎりぎりだけど。
始まっていないとはいえ、すぐに試験開始する時間帯だけあって既に他の受験生は全員席についているようだ。前に座席表が貼ってあるが見る必要がほとんどない。何故なら一つしか席が空いていないから。
慌てて席に着く俺を、他の受験生が怪訝そうな目で見てくる。
そりゃあ、目立つ。他の受験生とは服装からして違う感じの奴が、時間ぎりぎりで試験会場に飛び込んでくるわけだから。
と、こちらを見てくる受験生の中に、見知った顔が二つあるのに気づく。
ひとつはあの美少年、キリオだ。
こちらを見る目からはもうさすがに充血していることはなく、目の鋭さも消えている。殺気だって発していない。その代わり、氷のような冷たさを感じる。美しいがゆえに、冷たい。日本刀を何となく連想する。
もう一人はあいつ、ボブだ。
憎たらしい目でこっちを見てきている。馬鹿にする目だ。
無視だ無視。
「よし、全員いるな」
教室に入ってきた試験官は両手にプリントを抱えている。
「よし、まずはこれからの試験の流れを確認する。まずは筆記試験だ。よもや、この士官学校を受けようとする君たちがこの筆記試験で落ちるはずはないと信じている。この筆記試験を通過したものが、午後からの校庭での魔術試験を受ける権利がある。以上だ」
事前に知らされていることと全く同じ説明をした後、試験官はプリントを配る。
「それでは、始め」
試験官が備え付けの砂時計をひっくり返す。
さて、それじゃあやるとするか。
といっても、正直なところあまり気合が入っているわけではない。というのも、試験官の言う通り、士官学校を受けに来て筆記試験で落ちるというのは、よほどの馬鹿でもない限りありえないからだ。
それは、別に問題がやけに簡単だ、というわけではない。
問題を見てみれば分かる。
第一問、次にあてはまる貴族の家名を答えよ。
第二問、シャーク国内法における相続の規定について説明せよ。
これらは、貴族にとっては当たり前、というか社交界や家督相続問題で絶対必要になる基本知識だ。
こんな調子で、貴族の家に生まれたならば自然に知っている知識を問うような問題ばかりのテストだ。
要するに、貴族ならば勉強しなくてもほとんど受かるような試験ということだ。
不公平だと憤る気持ちもないではないが、俺としても筆記試験がそういう形になっていることのメリットはある。
つまり、勉強すべき範囲と程度がはっきりしてるわけだ。
貴族が生きていくうえで知るべき最低限のところをきっちりと勉強しとけば絶対に受かる。
第八問、ファタの生まれ変わりとも称される現シャーク国王の娘の名を答えよ。
楽勝、答えはヴィクティー姫。
と、こんな感じで、筆記試験は楽々とクリアだ。
うちの教室は全員が魔術試験に進むことになった。
昼休憩を挟んで、校庭に集合、というところで受験生たちはぞろぞろと教室を出ていく。この校舎には大食堂があるらしいから、そこで昼食をとるのだろう。
が、まだそんなにお腹も減っていないし、午後からの魔術試験でただ受かるだけでなく特待生としての資格を得なければいけない俺は、食事をする気にならない。
もうぼろぼろになった魔術基礎理論を取り出し、何百何千と読んだ内容をまた読み直す。
といっても、もう内容は完全に頭に入っている。どちらかというと平常心を保つためのおまじないという色が強い。
「何だ、それ。平民はやっぱり持っている本も汚いな」
馬鹿にし切った声。
顔を上げると、ボブがいやらしい笑みを浮かべながら俺の机の前まで近づいてきている。
「何だ、用でもあるのか?」
わざと不遜な態度をとってやると、
「お前、いつまでも調子に乗るなよ」
一気にボブの顔が赤く膨らむ。
「この試験を落ちた後で、無事に家に帰れると思うな」
分かり易い脅しだ。
こいつ、緊張緩和剤としては優秀かもな。小物っぽさが俺を癒してくれる。
「心配するな、合格するから」
そして、自分を鼓舞するように俺は言う。
そうだ、俺は合格する。
「合格したところで、そんな服と本を持っているような貧乏人が学費払えるのか?」
「特待生で合格するから大丈夫だ。心配してくれてありがとう」
俺が言い返すと、ボブは一瞬きょとんとした顔をした後で、
「ははははっ、と、特待生!?」
と笑い出す。
「あのな、教えておいてやる。あまりに哀れだからな。士官学校の特待生ってのは、優秀な家系の貴族が、最高の環境で教育を受けてきた結果、自然となるもんなんだよ。例えば、僕みたいなね」
「あっそう」
もう関わるのが面倒になったので適当に流す。
こいつ、絶対に特待生になれない。こういうキャラは叩き潰されるに決まってる。小説におけるお約束だ。
「特待生は、毎年一人」
と、冷たい、氷のような声が割って入る。
キリオだ。
いつの間にか近づいてきていたキリオが、口を挟んだ。
教室には俺とボブ、キリオの三人しかいなくなっている。
「ボブ、あんたじゃ無理。今年は、『金色眼のレオ』がいるから。知ってるでしょ」
凍り付くような鋭い眼で、殺気をみなぎらせながらキリオが言う。
「レオだと、馬鹿が、あんな奴はぼ」
冷静なキリオのその言葉に、ボブは激昂して言い返そうとしたところで、
「俺の名前が、聞こえたな」
静かな、しかし圧倒的な重さの声に、その口を止められた。
教室が、一瞬、沈黙に包まれる。
俺もボブもキリオも、理屈抜きで、声を聴いただけで強制的に呼吸まで止められた。
するりとなめらかな動きで、教室に一人の男が入ってくる。
男というのは正確な表現ではないかもしれない。同じ受験生らしいのだから、少年と表現するべきか。
だが、同い年とはとても思えない。やはり、少年ではなく男と表現するのが正しい気がする。
かなり上級の貴族なのだろう。服装は金と朱色で過剰なほどに飾り立てられている。だが、その服に決して負けることのない、成人男性と同じくらいの背丈と、筋骨隆々とした体格。浅黒い肌に、大きな口からのぞく牙。
どうやら、オーガの特徴が強く反映されているようだ。
そして、獅子のたてがみのように揺れる金色の髪。意志の強さを表すような太い眉と鼻。
だが何よりも圧倒されるのは、その目だ。大きな目、その瞳は金色に輝いている。決して傲慢さはなく、純粋な自信だけがその目から溢れている。
神話における英雄が、こんな姿をしているのかもしれない。
前の世界で美術の教科書か何かで見た、ギリシャの石像を思い出す。
つまり、圧倒的な存在だった。
見ただけで気圧されるくらいに。
俺は見とれ、キリオは黙って唇を噛み、そしてボブは顔を赤くしたり青くしたりしている。
「誰かと思えば、ラーフラのとこのキリオとメージンの馬鹿息子か」
低く太く、そしてどこまでも通る声だ。
「だっ、誰が馬鹿息子だっ」
勇敢にも、ボブはその圧倒的な存在に食って掛かる。
「お前のとこの父親が、俺の家に来た時にどんな風に愚痴っているか聞きたいか?」
その一言でボブは押し黙り、
「……ふんっ」
しばらく顔を膨らませた後、憎しみを吐き捨てるように息を吐き出してそのまま教室を憤然と出ていく。
その後ろ姿を面白そうに眺めてから、
「キリオ。お前も、相変わらずだな。いくじなしめ。だが、絡まれていた彼を助けに出てきたところは評価してやる。多少は気概を持つようになったか」
今度は男が金色の目をキリオに向ける。
「うるさい」
それに動じることなく、再びキリオは殺気を発する。
目が赤く、鋭くなる。
充血した鋭い目と金色の自信に満ちた目が向かい合う。
教室の緊張感が高まる。
息苦しい。
今にも殺し合いが始まりそうな雰囲気の中、
「バカバカしい」
ふいに、キリオは殺気を消して視線を男から外すと、俺達から離れて自分の席に戻った。
そして俺達に背を向けたまま弁当を食べ始める。
「弁当か。慎ましくてなによりだな」
なおも男はキリオに向かって声をかけ、
「うるさい、馬鹿にするな」
振り向きもせずにキリオは返す。
「馬鹿になんてしていない。本当だ。感心しているんだよ。それ、お前の手作りだろう? 素晴らしいことだ」
全くの本心から言っているとしか思えない口調で答えてから、男はゆっくりと俺の方を向く。
くそ、何だ、この展開。
あの目が自分を向くだけで、体が固くなるのを感じる。
気圧されっぱなしで、たまるか。
俺は腹に力を入れて睨み返す。
「こんにちは」
それに対しての、男の第一声がそれだ。
「え、あ、ああ、こんにちは」
うろたえながらも、何とか挨拶を返す。
男の大きな口は緩み、微笑を浮かべている。だが、微笑を浮かべていても一分の隙もない。
息苦しくなる。
「俺はレオ・バアル。バアル家の人間だ。初めまして」
「ああ、どうも。ヴァンだ。平民の、ヴァン」
卑屈にならないように、平然とした様を装いながら俺は返す。
本心では、さっさとこの場を逃げ出したい。
「知っているさ」
レオは会釈をしてくる。
その様に俺は衝撃を受ける。
平民に、この大貴族が? とても信じられない。
そう、レオ・バアルは大貴族だ。
俺ですら知っているほどの。何せ、貴族が知っているべき最低限の知識の中に、この男の名前は入っているのだから。
レオ・バアル。
シャークの国土の四割を領地に持つ筆頭貴族、バアル家の当主。
そう、大貴族の当主だ。当主本人だ。
両親を早くになくし、唯一の子どもだった彼が当主となった。もちろん、後見人として何十人、何百人という親戚が名乗りを挙げたらしい。もちろん、レオを傀儡としてバアル家の実権を握ることが彼らの目的だったのだろう。
当主になった当時のレオの年齢は十歳。好きなように操れると思ったのだろう。
だが、パンゲアでは珍しい黄金の目を持ったその少年は、ただの少年ではなかったということだ。
実権を握ろうとする親戚達を派閥ごとにコントロールし、争わせて、自身が家の主導権を握り続けた。罠や危機を己の機転と力で乗り切り続けた。そして、家の外、王族や他の有力貴族とも人脈を作り、広げていった。
最終的にレオは、バアル家はもちろん、シャークという国にとって自分が絶対に必要不可欠な存在であると国に認めさせたのだ。
立志伝中の人物、それがレオ・バアル。
今回の筆記試験には登場しなかったが、来年にでも問題に彼の名が登場しても少しもおかしくない。
「金も人脈もない平民が受験すると言うのは事前に知っていてな、俺以外の誰も気にしていなかったが」
そのレオ・バアルが俺の前で喋っている。
ただ、堂々と話しているだけなのに、その人間としての圧力に気圧される。
「俺からすれば無能としか言いようがない。何の後ろ盾もない人間がわざわざ貴族連中の不興を買うのを承知で士官学校を受けるんだ。何か、隠し玉があるんだろう?」
「ああ、いや……」
「特待生として合格すると言っていたな。楽しみだ」
何の嫌味もなくそう言うと、ふっとレオは俺の耳元に口を近づけて、
「それに、見る目もある。短期間でキリオと仲良くなったようだな。俺も社交界で何度か会っただけだが、あいつは中々面白い。大切にしろ」
囁くと、こちらの返事を待たずにくるりと背を向けて巨体とは不釣り合いな軽い足取りで教室から出て行く。
俺は固まってしまう。
やっぱり、貴族連中は魑魅魍魎ばかりだ。
今日だけで二回も固まってしまった。
教室には俺とキリオだけになる。
ああ、くそ、落ち着け。落ち着かないと。
けど、あんな化け物に勝って、特待生になれるのか?
俺は落ち着くためにまた本を読みなおす。