推理(3)
「ちょっと待て。これが計画犯罪ではないと考える根拠は何だ?」
ボブが髪をかきむしる。
「お前の言う通りだとしたら、相当に込み入った事件みたいだ。計画なんじゃないのか?」
「証拠はジャンゴの消失だ」
俺はその指摘にも慌てることなく、落ち着いて対処する。
「羅針盤の問題やその後のローズの殺害で目立たないが、あのジャンゴの消失事件だけを抜き出して考えれば、実はあの事件は非常に分かり易い」
「ふむ、あれは確か、ジャンゴ殿が二階に上がり、その後に誰も二階に上がった様子がないのに、ジャンゴ殿が消えてしまったという事件でしたな」
ハヤノシンが思い出しながら語る。
「あれは、ジャンゴさんが殺されて、偽物の羅針盤や衣服ごと、全て灰にされたと考えれば全て解決します。ただし、犯人がリックさんの場合に限りますが」
「そうか、そりゃそうだな」
目を見開いて、ハウザーが呟く。
「そう、最後にジャンゴさんを見たのも、その時間を証言したのも、全てリックさんです。つまり、そのリックさんが証言を誤魔化していれば、ジャンゴさんの消失には何の謎もなくなる。ちなみに、リックさん、確か焼却炉の灰はある程度溜まったら捨てるという説明でしたよね?」
目を閉じて、リックは答えない。
「ところが、ローズさんが消えたのに気付いたのは、灰を捨てようと思ったからだと説明されました。これは、どちらが正しいんですか? 今、あの焼却炉を調べたら、きっと中には大量の灰があるんでしょう。それを不自然に思わせないため、無理矢理に苦し紛れでねじ込んだ説明だったんじゃないんですか?」
「ジャンゴは、殺されているというのか? 殺されて、とっくの昔に死んでいると。あの、ジャンゴが」
どこか呆然としてレイが呟く。
「説明したように、ジャンゴさんの消失については説明がつきます。いや、それ以外に説明がつきにくい。更に、リックさんの説明にある矛盾。計画した上でこの有様なはずはない。間違いなく、ジャンゴさんの事件については突発的です。そして、このタイミングで突発的に起こった事件が、前の羅針盤の事件、後のローズさんが殺された事件と繋がっていないと考える方が無理があります。つまり」
「羅針盤の問題によってジャンゴの事件は突発的に引き起こされ、その流れでローズも殺された。そういうことだな。問題はない。それ自体は納得はできる」
それでも何か抗弁しようとするハヤノシンを片手で押しとどめるようにして、ウォッチが結んだ。
「話を次に進めてくれ。話全体が納得できるかどうか判断するのは、話が終わってからだ」
「ありがとうございます。そうしましょう。ローズさんの殺害に話を戻します」
俺はリックに目を向ける。
リックは目を開けようとはせず、ただ黙っている。
「誘導の話です。ローズさんは、翌日までに羅針盤をどこか別の場所に、それこそ暗黒森のどこかに埋めるくらいのことをしたくて仕方なかった。そこで、夜に人が出歩かない環境が用意された。もう、ローズさんとしてはそれに乗るしかない。ネイツさんにあえて夜中に鍵をチェックさせるようにして、自分のドアには、まるで中から鍵がかかっている、かのような仕掛けをする」
「仕掛け?」
ネイツが首を捻る。自分の確認に不備があったかと思い出しているのかもしれない。
「別に複雑なものである必要はありません。単純な、単純すぎる仕掛けでいい。いくつか考えられますが、一番考えられるのは、その後でも使用するスライムジェルを利用した仕掛けでしょうか。ドアを、スライムジェルで接着して開かなくする。ただし、量を調節して、本気で、全力で開けようとすれば開けられる程度で貼り付ける。そう難しいことじゃあありません。まさか、ネイツさんが確認する時にドアを全力で開けようとするわけはありませんからね」
「確かに、ちょっと押して引いて、開かなかったら、それでやめてたわね」
あっけらかんとネイツが言う。
まあ、反省のしようもないだろう。だって、鍵かかっているかどうか夜中に確かめるには、それくらいしかない。
「そうやって、万が一、夜中に誰かがキジーツの死体を弄ったことが明らかになっても、確実ではないがアリバイが手に入る。それがローズさんの考えだったんでしょう。だけど、それは実は誘導されたもので、ローズさんがそう考えるのも、そしてその先も読んでいた人間がいた。ローズさんと同じようにドアをジェルで貼り付け、先に三階の、物置で待ち構えていた人間が」
「物置? どうして?」
キリオがきょとんとした顔をする。
それにしても、今更だがこいつは性格が変わったな。出会った頃は、こんな無防備な奴じゃなかったんだけど。
「物置からでないと屋上に上がれないからです。閂のかかった出入り口を使わずに処置棟に行く。そのためのローズさんのプランはシンプルでした。屋上から、処置棟に向かう」
「どうやってだよ」
懐疑的だった雰囲気はいつの間にか消え、ボブは身を乗り出して質問してくる。
「単純に、ロープを使ったんでしょう。その方法が確実に使われたという証拠は残っていませんが、やはり簡単に考えればそれが思い浮かびます」
「ロープ? しかし、屋上には何もない。ロープを引っ掛ける場所が」
「そこでもジェルか」
疑問を呈するウォッチに答えたのはレイだ。
「ロープの一方を、ジェルで屋上の床に貼り付けた。かなり大量のジェルで、絶対に剥がれないように執拗に」
「でしょうね。俺もそう思います。屋上から処置棟に行こうと思ったら、一番にそれを考える。そして、ここからが面白いところですが、ローズさんはおそらく、ロープのもう一方をスライムジェルを詰めた矢に結わいつけて、それをギミック付きの矢でも飛ばせる強力なボウガンで処置棟の内部に向かって撃った。ボウガンや矢はお好きなようでしたから、あの窓を通るように射ることは可能でしょう」
「可能だとして、どうしてそんなことをしたんだ? 意味があるのかよ。普通にロープで降りればいいじゃねえか」
ハウザーは呆れている。ローズの行動にか、それともそんなことを想像する俺にか。
「こうすることで、処置棟の床に矢が命中して、ジェルで固定されます。つまり、屋上から処置棟の床まで、斜めにロープが張られた形になります。ああ、もちろんロープの長さは結ぶなりなんなりして、ある程度ぴんと張られるように調節したと思いますよ。で、そんなことをした理由は、想像するに二つ。一つは、なるべく自分が研究所を出たという痕跡を残したくなかったから。要するに、研究所を降りてから処置棟に向かうまで地面を歩きたくなかった。足跡に代表される痕跡が残る気がしたんでしょう。実際にはそこまで意味があるとは思えませんが、感覚的には結構分かります。そして、もう一つ。おそらくはこっちが重要です」
ぴんと指を立てる。
「戻る時です。当たり前ですが、ローズさんは研究棟から、また屋上へ戻らなくてはならなかった。ロープをただ垂らしただけでは、帰り道、そのロープを昇るのがつらい。女性ですしね。いくら魔術で強化しても、きついものがある」
逆に、レオだったら片手で、強化せずに昇ってしまったかもしれないな。
ふと思う。
「斜めにロープを張ることで、昇り易くした。おそらく、そういうことだと思います。そして、その一連の作業をずっと見張る人間がいた。その人間は、ローズさんが屋上に来るように誘導しておいて、物置で待っていた」
「あん? じゃあ、物置で二人は出会ったわけか?」
ハウザーが質問してくるが、自分でも納得していないのか語尾が弱い。
「それは考えにくい、と思う。理由としては、まずローズさんの側も武器を持っている可能性が、特にボウガンを準備している可能性があるのに、出会いがしらに攻撃するのは危険です。ましてや、ローズさんは相当に警戒していたはずですからね。俺だったらそんなことはしません。ローズさんが隙を見せた瞬間に、攻撃します」
「けど、物置で待ち構えてたって……あっ、隠れてたのね」
質問しかけて自己解決するキリオ。
「多分。特に、怪しいのは無くなった木箱だな。例えば、木箱に覗き穴を開けて、中に入ってその木箱からローズさんが来るのを待ち構える。これは一例で、実際には棚に身を隠していたのかもしれませんね。ともかく、そうして待って、ローズさんに先に屋上に行かせた。後は、ちらちらと窺いながらローズさんが一番隙だらけになる瞬間を待つ」
「隙だらけになる瞬間?」
ネイツが鸚鵡返す。
「これも、パターンとしては二つ考えられます。一つは、ローズさんがロープを結わえた矢を撃った瞬間。処置棟の窓に意識を集中しているでしょうし、手に持っているのは矢が装填されていないボウガンです。ここで声をかけ、反射的に振り向いたローズさんを攻撃。二つ目は、処置棟でローズさんがキジーツの死体を切り開いている時に声をかけて同じように攻撃。しかし二つ目は現実的ではありません。その場合、ローズさんに気付かれずにロープを使って屋上から処置棟に向かうという難関をクリアしなくてはなりませんから」
「不可能だな。俺でも無理だ。俺の知る、どんな影でもな」
「じゃなあ」
ウォッチとハヤノシンが頷き合う。
「さて、この時、声をかける瞬間まで気付かれない、つまり遠く離れた場所から攻撃したことになります。そして、ローズさんに刺さっていたのは矢。ということは、素直に犯人が使った凶器はローズさんと同じくボウガンと考えていいでしょう。ボウガンと矢は腐るほどあるみたいですから、別におかしくはありません。そして、その矢にもスライムジェルが詰められていた。ただし、こちらはローズさんのものとは違い、致命傷を与えながらも出血を抑えるためです。もっと言えば、つまり殺害現場を誤認させるため。屋上で殺されたのではないと思わせるためです。そうして、ローズさんを殺してから、犯人はローズさんの死体を処置棟に運んだ。方法は、そうですね、例えばロープでローズさんの死体を自分の体に括りつけるという方法があります。ロープを使って下っていくなら、その状態でも可能でしょう」
「ちょっと待て。どうして、そんな手間までかけてローズの死体を移動させなきゃいけないんだ?」
ボブの質問は鋭いが、まだ早い。
「その疑問には後で答えます。ともかく、そうやって死体を処置棟まで運んだ犯人は、そこにローズさんの死体を置き、おそらくは一時的に白衣を取って、その白衣を使って返り血を避けながらキジーツをずたずたにします。そして、羅針盤を取り出す。後は、またローズさんに白衣を着せて、懐に羅針盤を忍ばせます。羅針盤を取り出すだけなら、キジーツをあそこまでずたずたにする必要はないのに、そうした理由はもうお分かりですね。血を飛び散らせて、そこにローズさんを転がすことで、ローズさんが処置棟で殺されたのだと誤認させるためです」
喉がからからだ。水で口を湿らせる。
「そうしておいて、犯人は処置棟から逃走します。ここで、犯人はまず床にロープと共に刺さり張り付いている矢、というよりそれを貼り付けている固まったジェルに魔術で火をつけます。可燃性のジェルは燃えて消え、そして、矢を回収します。現場に矢が残っていないので、おそらくこの手順を踏んだはずです。そうしておいて、ロープに燃え移った火を魔術で消し、今度はロープを直接手ごろな場所にジェルで貼り付ける」
「おいおい、どうしてそんな面倒なことをするんだよ」
想像しただけで嫌になる、というようにハウザーが顔をしかめる。
「その説明をするには、ローズさんの元々の計画について考えていかなければいけません。ローズさんは、処置棟に行ったら、キジーツの死体から羅針盤を抜き出し、そして傷口をなるべく目立たないように縫合。そしてロープを伝って屋上に戻ったら、火の魔術でロープ、そしてロープを貼り付けているジェルを燃やすつもりだったはずです」
「まあ、そうするのが一番後腐れはないな。全部灰になる、あ、いや」
そこでハウザーが気付く。
「そう、その場合、火の魔術を継続的に使うなり、予め油を染みこませておくなりしてロープに火をつければ両端まできちんと燃え広がるようにしたとしても、それでもやはり残るものがあります。ギミック入りの矢です。が、これは本来、そこまで問題になるものではありません。翌朝の調査で、死体の内部に羅針盤があったと気付かれ、そしてキジーツの死体が夜に切り開かれたと判明しない限り、妙な焼け焦げ気味の矢があってもそれは特別な意味を持たないし、他人が気付く前にローズさんがこっそり回収してしまうことだってできたかもしれません」
だが、それとは話が違う。
「しかし、この場合、あるはずのない処置棟にローズさんの死体があって、そして窓の傍に矢が突き刺さっていることになる。窓からの侵入、そしてそれが屋上からだ、と気付かれる危険性は充分にありました。だから、ロープを燃やした後で何も残らないように工夫しなければいけなかったわけです。つまり、これも殺害場所を誤認させる一環です」
全ては、それだ。
「では、どうしてそこまで、死体を運び、キジーツを切り刻み、面倒な手順を踏んで矢を回収してまで殺害場所を誤魔化さなければいけなかったか。これは、逆を考えればいいです。つまり、ローズさんが殺された場所が屋上だとすぐにはっきり分かったらどうなるか」
俺は答えを聞くように全員を見渡す。
「ふむ」
呟いて、リックが目を開く。だが、それだけ。後は黙って俺を見てくる。
答えは出てこない。誰もが、首を傾げている。
「いいですか、処置棟でローズさんの死体が見つかった時、俺達は不思議だったはずです。犯人はもちろん、ローズさんもどうやって処置棟まで行ったのかと。閂がかかっていたのに。実際には、音をさせずに俺が閂を外したって話に落ち着いたみたいですが。ところが、屋上でローズさんが殺されて、死体がそこにあったなら、何も不思議ではありません。ローズさんは物置の鍵を持っている。そして」
「犯人も鍵を使って屋上に上がったと考えれば、何の不思議もない。つまり」
言いながらレイは視線を向ける。全員の視線も同じ方向に向く。
未だに、ただ静かな目をして佇むリックに。
「そういう意味では鍵の関係ない場所、廊下やダイニングなんかに運んでもよかったんでしょうが、万が一出歩く誰かと鉢合わせしてしまうという危険があるし、どちらにしろ羅針盤を回収するため処置棟に行かねばならない理由があった。だから死体を処置棟に運んだんです。そもそも、ローズさんがこの研究所内で普通に殺されたなら、第一容疑者は決まりきっています。ローズさんが気を許すほど信頼関係があって、鍵のかかった部屋に出入りして凶器を準備できて、そしてある程度全員の動きをコントロールできる立場にある。そう、リックさんが一番に疑われていたはずです。リックさんを徹底的に調べて、それでも何も出なかったらようやく他に目を向ける、くらいの流れになったはずです。普通なら。だから、リックさんはできるだけ普通ではない殺人事件にしなければならなかった」
「なるほど」
ようやく、そこでリックが、この上なく落ち着いた声で口を開く。
「それで、証拠は?」
だが、その口調は、反論というよりも、ただ話を整理するように促しているように聞こえる。




