壊れていく世界(3)
倒れたリリーナは部屋で寝かされた。
ずっとリックが付き添っている。
二人が抜けたダイニングで、俺達は何をするでもなくただ座っている。
話し合いをしようにも、結論が出そうもないので疲れてしまった。
「そうだ、更に頭を痛くするような話題ならあるぜ」
ハウザーが手をぽんと叩く。
「何だ?」
胡散臭げなレイ。
「閂だ。今思い出したんだが、あの閂が今朝まで外されていないことは確実だ」
それはまた、事態を複雑化させるだけの話だな。
「どういうことだ?」
レイの追及に、
「いや、昨夜なんだけど。正直な話、ここにいる連中を心から信じる気になれなくてな、誰か夜中にこっそりと逃げ出したり、処置棟にいくかもしれない。だから、気が気じゃなくて、ほとんど眠ってなかったんだよ、というか眠れなかった。で、だ。あの馬鹿みたいに重い、金属製の閂は、一人で外すのは骨が折れる。床に降ろしたら響くし、床が揺れる。そうじゃなくても、外す時に金属がこすれ合う音を出す」
「ああ、そうね」
あの閂を全くの無音で外すことができるとは思えない。というかかなり騒がしいだろう。
納得する。
「あんな音がしたら起きていた俺が気付く」
「それに、寝ていたウォッチも飛び起きるでしょうなあ」
とハヤノシンが後押しする。
「そうだな。自信、いや確信がある。もしも昨夜、閂が開けられていたら、俺は絶対に気付いていた。今指摘されるまでそのことに思い至らなかったのは情けないが」
ウォッチは渋い顔をする。
「余計訳分からなくなっただけじゃねえか、おい、キリオ、お前死体とか調べたんだろ、何かヒントとかなかったのかよ」
苛立つボブに言われて、キリオは困った顔をする。
「って言われても、ええと、あっ、そうだ、薬品とか血でよく分からなかったけれど、どうもあそこで何か燃やされたみたいよ。燃え跡らしきものがあったわ」
「あん? 何が燃やされたんだよ」
「さあ? というか、色々な薬品が飛び散っていたから、ひょっとしたら混ざったらまずい薬品が混ざって反応が起きて、その跡かも」
キリオは自信なさげに語尾を弱める。
「役に立たねえな」
ボブの舌打ちで、またダイニングは沈黙に包まれる。
「しかし、大丈夫なのか、あれ」
やがて、ボブがぽつりと、誰もが触れようとしないことに触れる。
「リリーナか。どうだろうな」
レイが両手の指を組み合わせて、肘をテーブルに載せる。憂鬱そうな顔は演技には見えない。レイにしても、リリーナが心配ではあるのだろう。
「大丈夫だろ。死体や凄惨な場面を見せてないことが功を奏したな」
一方、楽観的なのはハウザーだ。
「あのレベルなら、うちに来た最初の頃はよくあった。安静にしてれば治ると思うぜ。まあ、治療できる奴がいなかったらまずいけど、リックがいるからな」
「そうか」
鉄面皮を崩し、レイが安堵する。
「この羅針盤を、さっさと判定したいものだな」
ずっと俺を指し続けている羅針盤を、ウォッチが槍の柄でこつりと叩く。
「そうすれば、話が先に進むな」
ボブも今の状況に飽き飽きしているようで、そうぼやく。
「もうすぐ到着するでしょ」
そうネイツが言ったタイミングで、ドアが開く。
その方向を全員が見ると、ちょうどリックが戻ってきたところだった。
何だ、リックか。俺は顔を元に戻す。
「リック、どうだった?」
「ええ、もう落ち着いたようです。とりあえず寝かせています」
ハウザーの質問に答えるリックが、俺の後ろを通る。
その気配を感じた次の瞬間。
「ぐっ、えっ?」
熱。
首に痛みと熱を感じる。
「おいっ」
「ちょっと」
視界の隅でボブとキリオが血相を変えて立ち上がる。他の全員も唖然とした顔をしている。
いや、動じていない奴がいる。
ハヤノシンだ。
すぐに、視界がぼやける。全身に力が入らない。
俺の頭が、勝手にテーブルに落ちていく。
「落ち着いてください。麻痺させただけです」
エコーがかかったようなリックの声。
「ハヤノシン様からのご依頼です」
「うむ、わしが頼みましたじゃ」
普段通りの、温厚なハヤノシンの声がどこか遠くから聞こえる。
「何のつもりだ!」
ボブの怒鳴り声。
「羅針盤が指している以上、最初からもっとも疑わしいのはヴァン殿ですじゃ。そして、もうすぐ判定される。もしも、その判定で、羅針盤がやはり聖遺物で殺人者を指すものだと証明されれば、ヴァン殿に逃げ道はなくなりますじゃ」
「だから、今、逃げるというのか?」
鉄のようなレイの声。もう、視界は暗黒だ。目を閉じているらしい。
「その恐れがある、ということですじゃ。緊急的な処置です。判定官による鑑定によって、疑いが晴れたら、正式にわし、そしてイスウとして謝罪しますじゃ。じゃから、この場は抑えてくれませんかのお。どうせ、もうすぐ来ますぞ」
その声を聞きながら、俺の意識が溶けていく。
時間の感覚がない。
さっきから意識が連続しているのか、していないのかも分からない。眠る直前、あるいは目覚める直前のような状態。繰り返し繰り返し、何度も意識の浅い覚醒と融解を繰り返す。
声。
「油断したわね。リックはともかく、ハヤノシンに心を許しすぎだって」
ネイツの声だ。何重にも声が聞こえる。
「あいつ、人の良さそうな顔してるけど、大貴族の当主を何十年もやってるのよ。信用していい相手じゃないわ」
喉がからからだ。辺りはまだ、完全な闇。
「あいつにとっては、問答無用であんたが犯人になった方がいいのよ。羅針盤は絶対で、ジャンゴは何も間違えてなかった。そうじゃないと困るもの」
困る?
霞がかった頭で考える。
何が困る?
「あの男は、ジャンゴと羅針盤を利用して、それで青い狼の連中を狩り出した。特にイスウ国内のメンバーを狩り出したのは、あの男の功績になってるわ。今頃、その羅針盤やジャンゴの捜査に問題があったなんてなったら、とんでもないことになる。イスウでヤザキ家を追い落としたい勢力が、これまでのあいつの功績を全部否定して、掘り返すわね。実際は無実の人間を処刑したんじゃないか、とか」
くすくすと笑う。
ネイツには似つかわしくない笑いだ。
「ねえ、聞いてる?」
「あ、あ」
ようやく、声が出る。
「あ、喋れるんだ。ってことは、さっきまでの私の話、ちゃんと聞こえてたの」
喋ろうとして声がうまく出ないので、頷く。
「じゃあ、ついでにサービスで教えてあげる。実は、私はイスウの影をやっていたの。あのワルズ事件の後、ハヤノシンに命令されたのよ。ウォッチを殺せって」
ウォッチが、関わっていたんだったな、ワルズ事件は。
「万が一にも自分の功績に傷がつくのが恐ろしかったんでしょ。それで、密かに始末しようとしたわけ。ま、それに乗るわけないでしょ。もし乗ったら、次は何かの拍子に自分が始末されるかもしれないし。だから、家族ごとイスウを逃げ出したのよ。両親は冒険者稼業だし、大して問題はなかったわ」
視力が、段々と戻ってくる。
薄暗い部屋。これは、物置か?
椅子に、ロープで全身を縛り付けられている。
「あたしが逃げたら、即座に方針転換して、ウォッチを保護して自分の影として使って恩を売るなんて、中々抜け目がないとは思うけどね。ま、あたしが昨日ウォッチに全部ばらしてやったけど。でも、あたしを見ても全然動揺してなかったし、何を吹き込まれてもウォッチが自分を裏切らないって確信でもあったのかな? 実際、ウォッチも特に変わった様子はないし」
どうなんだろうな、それは。
相槌を打ちたいが、
「は、あ」
息のような声しか出ない。
「人を印象で判断しないことね。結局のところ、他人の内心なんて外からじゃ絶対に分からないんだから」
「……おい」
ようやく、意味のある返事ができる。
全身が痺れているような感覚があるが、逆に言えば感覚が戻ってきているわけだ。
「何?」
「お、前、見張りか?」
「そうそう。あたしが見張り役にされたの。腕が立つし中立だからって。昨日からこんなのばっかり」
ネイツがぼやく。
「ふう」
息を吐く。
舌は、どうにか回るようになった。
「今、どうなってるんだ?」
「シャークの判定官とその護衛って名目の騎士が大量に来て、羅針盤があんたを指していることを確認してから、レイも交えて判定中よ」
「そう、か」
到着したのか。
だったら、話は進むな。
「半分予想できたことだけど、ことがことだけに、力の入れ方が半端じゃないわね」
「え?」
何だ?
「死刑囚も一緒に連れてきてるわよ」
「何で」
と言いかけて気付く。
恐ろしい話だ。
この流れで死刑囚を一緒に連れてくるとしたら、もう「使い道」は一つしかない。
「胸糞悪い話だな」
「けど、仕方ないでしょ。どっちにしろ、シャークとしてはジャンゴ側の話を認めるわけにはいかないんだから、ルールを確認するしかないわ。ジャンゴとハヤノシンがした説明が正しいのかどうか。特に、全員が羅針盤がヴァンを指しているのを確認しちゃってるわけだから、後はルールが違うとしか主張しようがないでしょ、シャークとしては」
確かに、そうだ。
そしてルールの確認は、嫌な話ではあるが、実際にやってみるしかしようがない、か。
「ちなみにキリオちゃんは暴れるんで部屋に軟禁状態になってるみたいよ。まあ、ウォッチの奴が担当だから安心して」
「そうか」
俺がこんな目に遭うのに抵抗してくれたのは、純粋に嬉しいな。
「お目覚めか」
そこに、ドアを開けて入ってくる人間がいる。
ボブだ。
瞬間、俺は猛烈な悪い予感に襲われる。
ボブの顔を見て。
いつもの尊大さも、憎々しさも、何もない。
ローズやレイもかくやという、全くの無表情。声もそうだ。まるで機械だ。
じゃあ、この機械は、何をする為の機械だ?
「ネイツ、少し外せ」
いつもとは違い、凍えるような声でそうボブに促され、ネイツは哀れみの目でちらりと俺を見てから、肩をすくめて物置を出て行く。
「ヴァン、残念だ」
ナイフを取り出すと、ボブはそれを床において、滑らせてくる。
ナイフは俺の足元で止まる。
そして、するり、とボブは剣を抜く。
「お、おい」
「結果について、詰問しようとした俺の隙をついてナイフで反撃しようとする。俺は、やむを得ず剣で反撃、殺してしまう。そういうことでいいな?」
ボブの声にも態度にも、何の気負いもない。
だからこそ、分かる。
本気だ。
「ちょっと待ってくれよ、その、判定結果は……」
「羅針盤は聖遺物だ。どうやっても曲げ様がないくらいにな。そして、死刑囚を使った実験で、死刑囚に持たせた羅針盤は執行人を指した。他にもいくつか実験をしたが、ジャンゴとハヤノシンの説明したルールを裏付ける結果になった。シャーク国としては国のために何とかしたいが、どうしようもない」
ボブが、一歩近づいてくる。
まずい。
「残念だ。お前が青い狼の一員だとは」
「待て、誤解だ」
「真相は有耶無耶にさせてもらう。イスウとペースへの借りになるが、シャークが致命傷を受けるよりはマシだ。分かるか? これは政治だ。俺がここでお前を殺すことを、ハヤノシンもレイも分かっている。分かっているが、見てみぬ振りをする。ここが落としどころだからだ」
瞬時に自分を縛っているロープを見る。
中に金属を通してあるタイプの頑丈な奴だ。風の魔術じゃあ中々切断できない。燃やすか? いや、燃え尽きるまでに時間がかかるし、短時間に燃やすほどの火力では、俺が危ない。
足ならある程度は自由に動くが、もちろん椅子ごと歩いたりはできない。
「政治の歯車に潰される運命だったな、お前は。元々、お前もレオもそういうところがあった」
遠い目をして呟き、ボブが一歩踏み出す。
どうする?
考えはまとまらない。ただ、言葉で今のボブが止まらないことは分かる。
魔術、くそ、だが見えない場所に対して魔術は起こせない。縛られているせいで制限がきつい。
ボブに直接魔術を使っても、効果は薄い。察知され、避けられて、そして殺される。
魔術は決して戦闘向けに優れた技術じゃない。
もう一歩、ボブが近づく。
入り口の側にボブがいる。どうする? 逃げる方向すらない。いや、ある。だが、くそ、考えている暇はないか。
「革命家は、体制に潰されるのが筋だな」
ボブが、剣を振り上げる。
瞬間、
「悪いけど、俺は革命家のつもりはない」
風の魔術と蹴りで、足元のナイフをボブに向かって蹴り飛ばす。
「相変わらず、ふざけた魔術能力だ」
ぼやきながら、それをボブは難なくかわす。分かっている。
俺の蹴りは、ナイフを飛ばすと同時に、俺の縛り付けられている椅子を横倒しにするためのものだ。ゆっくりと、俺ごと椅子が倒れていく。
「貴様」
今度こそボブが剣を振り下ろすが、それよりも早く、俺はその空間に向かって魔術で爆発を起こす。
ボブと俺の、正確に言えば俺の椅子との間の空間。なるべく、俺の椅子側に。
「ぬっ」
察知したボブが飛び退く。
普通なら、純粋な魔術だけによる爆発など致命傷足りえるはずもないが、俺の魔術だ。ボブも警戒する。
そして、その爆発は、俺を椅子ごと吹き飛ばす。
普通なら、俺の体にも結構なダメージを与えかねない爆発。だが、倒れつつあった椅子が、ちょうど俺の盾代わりになる。
「うっ」
ボブとは正反対の方向、つまり入り口とは逆方向に俺は吹き飛ぶ。
だが、それでいい。
「いっ、てぇ」
衝撃で俺は転がる。椅子がばらばらになる。
よし、計算どおりだ。
「ヴァン!」
叫びと共にボブが駆け寄ってくるが、それよりも先に俺は痛む体を無理に動かして立ち上がる。椅子に縛り付けていたロープも、椅子が砕けたことで緩む。
いける。
体の不自由さに難儀しながらも、俺はロープを体に巻きつけたまま、物置の片隅へ、屋上への梯子に飛びつくと、一気に扉を開けて屋上に這うようにして上がる。
「うわっ」
屋上は水浸しだ。そういえば、リックとレイがそんなことを言っていた。
「死ね」
すぐにボブも俺を追って屋上に上がる。
だが、ここまで来れば。
屋上を走る。
向こう側の処置棟、その窓が見える。中に人影。おそらく、捜査の名目で研究資料を探しているうちの国の連中だ。ということは当然、それを抑制するためにレイとハヤノシンもいる。
「うおっ」
ぬるり、と足が滑る。濡れた足元が妙にぬめっている。
だが、ちょうどいい。
そのまま、俺は転ぶようにして、屋上から、落ちる。
「ばっ」
馬鹿な、というボブの呻きが後ろから聞こえる。
俺はまっさかさまに地面へと落ちていく。
ここだ。
最後のギャンブル。
叩きつけられるまでの一瞬の間に、俺の目が何とか落下地点を捉える。
魔術。風。空気のクッション。そして、土と水の魔術で、激突する地面を柔らかい泥に。気休め程度かもしれないが、激突の瞬間まで、地面を睨んで魔術を使い続ける。
頭を腕で庇う。体を丸める。歯を食いしばる。魔術、最後まで魔術を。
「うっ」
激突。
衝撃で息ができない。世界が回って、両腕が自分の意思とは無関係に踊る。
泥に塗れながら、地面をバウンドする。耳鳴り、視界が点滅する。
ああ、でも、意識がある。
痛い。痛いが、死んでいない。
両脚が訳の分からない方向に曲がって、左腕も明らかに限界以上に捩れている。
死にたいくらいに痛い。
それでも、生きている。
音を聞きつけて、処置棟の中の連中がばたばたと外に出てくる。
これで、俺を闇に葬ることはできないだろう。
やった。
安堵と激痛で、気が遠くなっていく。
不思議なことに、薄れていく意識の中で、がちりがちりと、シェイクされた頭の中で、バラバラの記憶の中に入っていた要素がいくつも噛み合っていく音が聞こえる。
問題は、この事件をどこから考えるべきか、だ。
いや、そうだ。この事件は、俺なら、いや俺にしか解決できない。俺だけが持っている情報がある。
だとしたら、何て下らない、どうしようもない答えなんだ。けど、それしか考えられない。こんな、馬鹿みたいな答えだとは。
気付きを抱いて、俺は意識を失う。
次に目覚めた時、俺は服を着替え、全身に包帯を巻いた状態だった。
「ああ」
俺が声を出すと、
「あっ、起きた」
すぐ傍にいた、キリオが騒ぎ出す。
ばたばたと、部屋にボブ、そしてレイが入ってくる。
「ああ、よかった。詰問中に逃げ出して、地面に墜落するなんてな。お前にはまだまだ聞きたいことがあるんだ。死んでもらっては困る」
悔しさも怒りも見せることなく、淡々とボブが言う。
こいつは、本当に変わった。いい意味でも悪い意味でも、怖い奴になった。
ああ、しかし。
こいつの計算高さ、冷静さが今はありがたい。話す余地があるということだ。
「頭を強く打って思い出すって話、本当にあると思うか?」
俺が質問すると、意味が分からないらしくレイとボブが顔を見合わせる。頭がおかしくなったと思ったのかもしれない。
「地面に落ちた衝撃で、ピースが嵌ったんだ」
そして、一番最初のとっかかりだけに気付いたら、後は意識を失っている間に頭の中が整理されていた。
もう、俺には既に分かっている。
ここで解決しておかないとな。このまま、拘束されて国へ連行されてはやってられない。
「何を言っている?」
怪訝な顔をしたボブに、俺は微笑んでやる。
絶体絶命のピンチだからこそ、名探偵は余裕を見せて、自分の話を聞かせるのだ。
「犯人が分かったってことだよ。俺が殺人者じゃないってこともな。ボブ、関係者を呼んでくれ」




