壊れていく世界(2)
気分悪い。
死臭に血の臭い、臭いだけではなくビジュアル面でも最悪だ。
血塗れの機材、ひび割れた瓶、飛び散った薬剤。
そして、ベッドの上にある、ずたずたになったモーラの死体。中央に転がる、矢に射抜かれたローズの死体。
気分が悪い、と言って何もしないわけにはいかない。
医術者であるキリオ、そして探偵である俺とハウザーは当然中で捜査することになった。レイも自ら望んで参加してくる。
ネイツはレイの護衛ということで出入り口で待機、リックとボブは研究所に戻ることになった。正直、俺も戻りたい。
あまりの光景に言葉を失い、茫然自失となった俺達をさっさと戻るメンバーと捜査するメンバーに分けて行動するように指示を出したのは、一番混乱するはずのローズの弟、ハウザーだった。
「気分悪いのも分かるけどよ、俺達はまだマシなんだ。死体探ってるキリオよりはな。さっさと捜査終わらせようぜ」
零れている薬剤を避けて歩きながら、手が止まりがちになる俺とレイをハウザーが叱咤する。
「冷静なことだ」
ぼそりとレイが言う。
「悪いかよ。これでも、ジャンゴの弟子だぜ。修羅場には慣れてる」
言い合う二人をよそに、さっきから黙々と死体を調べているのはキリオ。顔色一つ変えていない。どうも、ちゃくちゃくと死体慣れしている。マッドサイエンティストにどんどん近づいている気がして心配だ。
「ハウザー、ここらへんに転がっている薬剤って内容分かるか?」
俺は部屋中に撒き散らされている様々な薬剤を眺める。これが元からここにあったものなのか、それとも外から持ち込まれたものなのかすら判別できない。
「分かるわけねえよ。分かるのは、ローズかリックだけだな」
「じゃあ、どうしてリックを帰らせたんだ?」
もっともと言えばもっともなレイの質問に、
「あれでリリーナは鋭いところがあるから、いくら隠したってローズの死にすぐに気付くよ。だったら、フォローできるのはリックだけだろ。壊れる前に緊急避難だってできる」
そのハウザーの言葉にレイは黙るが、俺とキリオは何のことだか分からないから怪訝な顔をするしかない。
「ああ、そっか、二人は知らないのか。まあ、今回の事件に関係するかどうかは分からないけど」
と、ハウザーが説明を始める。
ワルズ事件のこと。その生き残りであるリリーナのこと。リリーナを助けるために、リックがローズの助手となったこと。
「今のリリーナの人格は殻みたいなもんらしいぜ。まだ滅茶苦茶な精神に、健全で明るい人格、リックの知る元のリリーナに近い殻を被せただけなんだってよ」
そういいながら倒れた棚の一部をひっくり返したハウザーは、
「お、ここに凶器らしきものがあったぜ」
その視線の先には、なるほど、確かにボウガンが転がっている。
だが、それよりも話の内容の方が気になる。
「殻って、じゃあ、あのリリーナはリリーナじゃないのか? そもそも、人格って作れるのか?」
「あ? 知るかよ、そんなこと。大体、人間の人格とやらがどんなものなのか自体、俺には分かってねえからな。お前、知ってんの?」
そう言われると、人格とは何か、について明確な答えは持っていない。
「とりあえず受け答えできるし、喜んだり怒ったりしてる、少なくともしてるように見える、ならそれでいいだろ。あれがリリーナだ。まあ、詳しい理屈は知らねえけどよ、殻でもずっと被ってりゃ、それが定着するらしいぜ。あれだ、形から入るって奴だ」
「が、かなり不安定な状態が続いているらしいな。だから、なるべく大きな衝撃を与えたくないし、与えた場合にはすぐにフォローできる態勢が必要。そういうことだろう」
レイが続ける。
その内容にあまりにも興味があるのか、死体を調べていたキリオはいつしか手を止めて、完全にハウザーとレイを向いてほうほうと何度も頷いている。
「おい、ちゃんと調べろよ」
もちろんハウザーが文句を言うが、
「調べたわよ。モーラ、じゃなかったキジーツも、ローズもね」
とキリオは血に塗れた手袋を脱いでいく。
「キジーツだけど、鋭利な刃物で全身ずたずたにされているわね。部屋に散ってる血の大半はキジーツのものだと思っていいわ」
「鋭利な刃物とやらは、おそらくこれだ」
そのタイミングでレイがさっきまで調べていた辺りの床を指し示す。そこには、血に塗れたメスが転がっている。
「刃の部分がべったりと血塗られているうえに、刃毀れがある」
「ああ、そりゃあ、確かここに備え付けのやつだな」
そのメスを見てハウザーが説明する。
「ほう、まあ、ここの用途を考えれば、人間を切開するための刃物があってしかるべきか」
薄ら寒くなるようなことを言ってレイは少し考えて、
「キジーツをずたずたにしたのは、ローズを殺した後だと考えるべきか」
「そりゃそうだろ。逆だったら、キジーツの体ずたずたにしてる時点でローズも逃げ出すっつうの」
ハウザーは呆れる。
確かに、それはそうだが。
「だけど、そもそもどうしてキジーツをずたずたにする必要があるんだ?」
根本的な俺の疑問には、誰も答えるものがいない。
実際に死体を調べたキリオならと顔を向けるが、黙って首を振る。
さて、妙だな。単なる猟奇趣味か?
「続けていい? 当然だけど、ずたずたにされたのは死後。あと、見れば分かると思うけど、顔にも一応傷はあるけど、判別できないほどじゃない。これは間違いなくキジーツね。ずたずたにして別人の死体なのを誤魔化そうとはしてないから」
発想がミステリ的だな。俺の影響かもしれない。
「次に、ローズさんの方。矢が心臓に刺さっていてそれが致命傷だけど、出血はそこまでじゃないわ。理由は、刺さっている矢」
そうしてキリオが指差す矢に、なにか見覚えがある気がする。いや、転がっていたボウガン本体の方も、そう言えば見覚えがある。
「ああ、ローズのコレクションか」
見学中に、見せてもらったボウガンと矢だ。
そう、確かあのボウガンはギミックのある重い矢を飛ばすためのボウガンだ。刺さっている矢も、あの部屋で見たような気がする。
「これは、中に何か詰めてから撃ったら、刺さった後に中の詰めたものが噴出するつくりになってる矢みたいね」
あの、ローズが呪い病の血液をばら撒いた時に使った矢か。
「どうも少量だけど、スライムジェルが詰まっていたみたい」
スライムジェル。その名の通り、モンスターであるスライムの肉体から作り出されるジェルだ。粘着力が高く、空気に触れると途端に固まる性質がある。要するに、瞬間接着剤だとでも思えばいい。
「刺された瞬間、それが吹き出て、傷を塞ぐように固まったから、だから血が出てないみたいね」
それは、どう考えたらいいんだ?
「ええと、レイさん、ボウガン使います?」
「俺か? 騎士の時に習いはしたが」
「スライムジェルを矢に仕込むのは、良くあることなんですか?」
「さて、そこまでは」
「単体では聞いたことないかな。発火剤と混ぜてなら使うことがあるわ。スライムジェルは可燃性だからね」
出入り口から声をかけてきたのはネイツだ。
「さすが炎術師」
思わず感心する。
「けど、中々面白い使い方ね。ジェルだけを矢に詰めて射抜く。傷口がふさがるから、ほとんど血が出てこない。暗殺に使えるかも」
血の臭いに嫌気がさしたのか、顔を外に出してネイツが言う。
暗殺か。確かに、血が出ないというのがこの矢の特徴ではあるからな。
ふむ。そう考えると、どうしてこんな矢を使ったのか、色々と考えられるか?
「それより、とんでもないものがローズの懐にあったわよ」
と、キリオが俺達の話に割り込む。その手には、布に包まれた何かが握られている。
「何だそれ?」
俺は何か見当もつかないが、
「ほう、そこにあったか」
心当たりがあるのか、レイは目を細める。
ゆっくりと、キリオが手の中の布を広げる。
そこにあったのは、血に塗れた、それでも未だ黄金に輝く羅針盤だ。
「げっ」
そして、忌々しいことに、その針は相変わらず俺を指し示している。
「って、ちょっと待てよ、これは」
呻く。
冷静に考えれば、ここで羅針盤が俺を指しているのはこれまでとは意味合いが違っている。それは、ローズの懐にあったわけだ。死んだローズの懐に。
ということは、素直に考えれば、その羅針盤はローズが持っていたもので、つまり指し示す殺人者は。
「俺が、ローズを殺したってことか?」
口に出して質問してみるが、当然答えは返ってこない。
むしろ、他の全員が俺にそれを質問したそうに見てくる。
「さあて、とりあえず、調べるものは調べたし、帰るか」
ぽん、といつの間にか近寄ってきたハウザーが俺の肩を叩く。軽く叩かれたはずなのに、妙にその手が重い。
「今のところ、暫定犯人はお前だぜ、ヴァン」
不機嫌の極致のような目で、ハウザーが言う。
「また消えたら大変だ。キリオ、お前が羅針盤は保管しておいてくれ」
レイが、そんな俺達を横目に指示を出す。
ハウザーのあの不機嫌そうな三白眼、冷ややかなレイの目を見て、気付く。
レイもハウザーも、俺を疑っている。それも、たちの悪いことに、俺を疑うのはごく当然の流れなのだ。
研究所に戻った俺達は、
「あっ、お帰りなさーい」
と、これまでと変わらない明るい声のリリーナに迎えられる。
その、明るさが逆に不安になる。さすがに、もうローズが死んでいることは知らされているはずだ。だというのに、ここまで変わらないことがありえるのか?
「リリーナ、他の連中はどうした? ダイニングか?」
動揺を見せないレイはそう質問する。
「んにゃ、ボブさんだけね。ローズさんが死んだのが堪えたのか、いらいらしながらお茶飲んでます」
ローズの死を、さらりと言う。
「他の三人は?」
「二階か三階に。どうも、さっき研究所に戻って部屋を確認したら、ハヤノシンさんの部屋から私物が消えてたんだって」
「何?」
レイは眉を寄せ、顔を俺に向ける。
俺も同じように眉を寄せてみる。
私物?
「手提げ鞄がなくなってたんだって。そういうわけで、どこかにあるんじゃないかってことで、二階と三階の確認に行ってます」
そうなのか、と思ったところで電撃的に連想が繋がっていく。二階と三階の部屋。リックが一緒。鍵がないと部屋に入れない。鍵の束。
「そうだ、ローズの鍵束が見つかってない」
思わず口にした俺を、全員が見る。
「ちっ、そうだ、そうだったな」
一番最初に反応したのはハウザーだ。
「うっかりしてたぜ。下手したら、それが動機ってのも考えられるな」
「鍵束が? どうしてそんなものが、あー」
言いながら気付いたようで、ネイツは目を少し見開く。
「そうか、研究資料ね」
「なるほどねー、確かに、人を殺してでも欲しいわよね、それは」
うんうんと頷いているキリオが恐ろしくて仕方がない。
「ともかく、俺達も追うぞ」
と全員で階段に向かって進んだところで、ちょうど降りてきた三人組と鉢合わせする。
「おお、これはこれは」
俺達を見つけて、ハヤノシンが顔を綻ばせる。
「リック、どうなってる?」
レイのいきなりの質問に、
「こちらも同じご質問をさせていただきたいところですが、ちょうどいいです。ダイニングで情報交換をいたしましょう」
冷静なリックの提案。
全員でダイニングに入ると、そこには苛立たしげに空のカップを弄んでいるボブがいる。
「遅いぞ、全員座れ」
何でこいつにそんなことを言われなくてはいけないのか分からないが、とはいえ立っているつもりもないので言葉に従って座る。
「それで、一体何がどうなっている? 僕に報告しろ」
「お前の命令を聞くつもりは毛頭ないが、ここで何が起こったのか、情報は共有するべきだろうな」
レイがそう言って、まずは処置棟で分かったことを報告する。
特に全員が声をあげて動揺したのは、羅針盤が見つかったという話だった。
「ほら、これ」
とキリオが布に包まれた羅針盤を差し出すと、
「うむ、確かに、それはあの羅針盤ですのお。しかし、どうしてなくなった羅針盤がそんなところに?」
ハヤノシンはしきりに首を捻る。
それは俺も疑問だ。いや、羅針盤だけでなく、ローズの死体があそこにあるのもよく分からないが。
「ふん、確かに針はヴァンを指しているな」
ぴくぴくと目尻を痙攣させながら、ボブが必死で冷静さを装う。
シャークの立場が急転直下で悪くなりつつあるのを感じているのだろう。
「この羅針盤については置いておこう。どうせ、すぐにシャークの判定官が来て、合同で判定することになる。それよりも、ハヤノシンの私物がなくなっていたとは、どういうことだ?」
「ああ、そのことですのお。さっき、ここに戻って自室に入った時に気付いたんですじゃ。わしの手提げ鞄がないことにのお。じゃが」
そこで、ハヤノシンは首を振る。
「いつなくなったのか、については自信がないですじゃ。昨日の夜から、かなりばたばたしておりましたからな」
確かにジャンゴ消失の時から、落ち着くなんてことができない状況だった。
「それで、中身は? 何がその鞄には入っていた?」
「いやいや、身の回りのものですじゃ。本当に、どうでもいい生活用品だけが入っておりました」
「さあて、どうだか」
小さな声で、しかしはっきりと誰にでも聞こえるような言い方で挑発するかのような物言いをしたのはネイツだ。
「盗まれて困るようなものは何もなく、だからこそ不思議ですのお」
まるで聞こえてないかのようにそれを無視して、ハヤノシンが続ける。
「結局、見つかったのか?」
「ええ、それが、妙なことに三階の物置の片隅に置かれていました」
答えたのはリックだ。
「特に中身がなくなることもなく、不思議ですのお」
「何だ、妙な話だな」
俺は腕を組んで考える。
どういうことだ? 何の意味がある?
「それと、物置の備品がいくつかなくなっているのが分かりました」
リックが説明する。
ということは、備品の数を全部ちゃんと把握していたのだろう。几帳面だな。
「無くなったのは、スライムジェル二瓶、ロープ四本、空の木箱が一箱です。それから、樽が壊れていました」
「樽?」
何だそりゃ。
「ああ、水の入った樽の底に穴が開いていたらしくてな。物がなくなったのに気付いてリックが異変がないか探している時に、その樽を持ち上げた瞬間に水がどぼどぼと零れだした」
ウォッチが言う。
「ええ、大変でした。物置を水浸しにするわけにもいきませんので、とりあえずその樽は屋上に運びました。あそこなら多少水が漏れても大丈夫ですから」
珍しくリックはため息をつく。相当焦ったらしい。
「しかし、ハヤノシンさんの私物を盗むタイミングなんてないぜ。夜は鍵をかけてただろうし、あるとしたら今朝か」
がりがりと頭をかいて、ハウザーが考え込む。
「今朝はばたばたしていたからな。特に最初は、全員がばらばらにローズを探していた。あの時にハヤノシンの私物をこっそりと盗むことはできなくはない。ところで、俺達はあの時、一緒に二階から上に昇った。覚えているか?」
レイが目をやると、ハウザーとウォッチ、ネイツが頷く。
「三階の物置も当然調べた。あの時、ハヤノシンの鞄があったか、物置に異常が起こっていたか分かる奴はいるか?」
誰も答えない。
一番そういうことに気付く可能性が高いであろうリックも無念そうに目を閉じている。
「申し訳ありません。あの時は、ローズ様がいるか、それともいないかだけしか考えていませんでした」
リックは謝るが、誰もそれは責められないだろう。ローズがいなくなって大騒ぎしている時に、そんなことまで気が回るわけがない。
「ああ、そっか」
と、突然リリーナが立ち上がる。
あまりにも突然なので、全員がリリーナを見て、そしてどうしたのか分からず、無言。
「ローズさん、いなくなったんだっけ」
そのリリーナの言葉は、ずれている。
おかしい。
だが、おかしさを誰も指摘できない。
恐ろしくて。
「……違う、リリーナ」
しばらくの沈黙の後、そのずれたリリーナに向かい合おうとするのは、兄であるリックだ。
「ローズ様は、死んだ」
「ああ、知ってるわよ、死んだのよね、ローズさん」
明るい声でリリーナは言う。
異常なくらいに明るい声と態度。
「そうだ。だから、もう見つかったんだ」
「え? 見つかったの?」
「ああ。死体がな」
「死体? ローズさんの?」
「そうだ。ローズ様は、死んだ」
「そっか。ローズさんの死体は、いなくなってないのね」
「ああ」
「じゃあ、どうしてローズさんの死体はここにいないの? 全員集まっているのに」
話が噛み合わない。
それでも、リックはただ説明し続ける。
「死んでいるからだ」
「ローズさんの死体って、死んでるの?」
「違う、死んでいるのはローズ様だ」
「知ってるわよ。ああ、そっか、つまり」
ぽん、と手を叩く。
「ローズさんは、いるのね。けど、死んでる」
「そうだ」
「つまり、ええと、死んでいるってことは、ええっと」
ぐるり、と笑顔のままリリーナは首をぜんまいのように回して、
「兄さん、死んでるって、どういうことだっけ?」
そのまま、テーブルに額を打ち付けるようにして、リリーナは倒れる。




