入学(1)
そして、月日は流れる。
十二歳になる頃には、俺の背は伸び、体つきもある程度がっしりとしてきた。
これは、ずっと畑仕事を手伝っていたためだ。
本当なら、魔術で筋力を強化できるから、もっと楽ができるのだが、父さんが「特に成長期には、肉体労働を魔術で楽しない方がいいよ」と忠告があったので、俺は魔術を使わずに畑仕事を続けた。
その結果、俺の元の感覚からすれば、十二歳にしてはかなりたくましい肉体を手に入れた。
魔術の鍛錬と勉強の方も、なかなかのものになったんじゃあないかと思う。
俺には愛読書ができた。
父さんが町で手に入れてくれた、分厚い本。革の表紙といい、内容量といい、明らかに高級品と思われるその本は、タイトルを「基礎魔術研究」という。
色々探した結果、一番分厚くて立派だったのでこの本にしたらしい。
俺はその本を、表紙の革が擦り切れるまで何度も読んだ。読んで、書かれている内容を実践して、身に着けていった。
タイトルに基礎と入っているだけあって、その本は魔術の基礎の基礎、魔力をどんな形状とイメージするのがメリットがあるのか、といったところから検証してあった。今まで読んだ他の本にはなかった特徴だ。父さんに訊いたら、父さんもそんなことまで書いてある本は読んだことがないらしい。
これは掘り出し物だ、と思い、その本を教科書代わりにして、畑仕事の合間に魔術の練習に励んできた。
そして今では本の内容はほとんど丸暗記できているし、実践もできる。
何より、俺には目的ができた。
将来の目標だ。
この国のことを調べていて、俺は胸がときめくような思いを抱いた。なりたいものが見つかった。
探偵だ。
シャークには、犯罪を捜査する警察組織というものがない。代わりに、国家資格を持った探偵が国から依頼を受けて事件を捜査するという制度になっている。つまり役人としての探偵が存在するわけだ。
驚くべきことに、これはシャークだけではなく、他の国でも大体同じような制度になっている。
何故、こんなことになってしまったのか。
その理由は俺が分析するに、魔術が存在するからだ。
魔術という個人によって大きく差がある、数値化できない感覚的な技術が社会の前提として存在している。犯罪にだって魔術が使われるから、殺害方法から犯人を割り出すのだって難しいのだろう。
その結果、どうも組織だって画一的な方法で犯罪を捜査する、という発想がそもそもこの世界では異端のようだった。犯罪の類型化や捜査技術の体系化、というのも全く議論すらされていない。
犯罪には、個別個別に探偵があたり、解決すればいい。それが今の制度だ。
俺からしてみれば、こんな素晴らしいことはない。
まさに、古き良きミステリー小説の世界の探偵だ。
士官学校を出て、名探偵となる。
それが、俺の目標となった。
そして、俺は、ついに出発の日を迎える。
「ほら、これ」
旅立ちの前、両親、妹はもちろん、村の人たちまで俺を見送りに来てくれる。
馬車(馬はもちろん例の六本足の馬だ)に乗り込もうとする俺に、母さんが布袋を渡してくる。
「ん、何これ?」
「お弁当。馬車の中で食べて」
「ああ、うん、わかった。ありがとう」
これで、俺の持ち物は筆記用具、着替え、弁当、そして両親がかき集めてくれた一家の半年分の生活費に相当する百八十万ギル、そしてもうぼろぼろになった「基礎魔術研究」だ。
「ヴァン、別に心配することないからな、もしダメだったら、さっさと戻ってこいよ」
心配そうな顔で父さんが言って、
「何言ってんだお前、縁起でもない」
「ヴァンはあんたと違って出来がいいから大丈夫だよ」
と周りのおっさん、おばさん達から突っ込まれている。
「ばいばい」
そんな大人達とは違って、リーナは穏やかな顔で俺に手を振る。
「おう、ばいばい」
俺も手を振りかえす。
多分、まだ俺が遠くに行くというのがよく分かってないんだろう。それならそれでいい。
リーナは八歳になった。
母さんに似た、金色の髪がまぶしい気の強そうな顔の美人になってきている。
妹がこれからどんな風に成長するのか、しばらく近くで見れないのは残念だけど、仕方がない。
「じゃあ、俺、行くよ」
そう言って、俺は馬車に乗り込む。
王都行きの馬車が発車する。
「おいっ、頑張れよ」
「ヴァン、お前なら王様にだってなれるぞ」
「ファタ様のご加護があらんことを」
村の皆は、ずっと俺に向けて手を振っている。
家族は、と見ると。
いつもは気丈な母さんが、肩を震わせて泣いていた。
それを父さんが、俺を見送りながら慰めている。
リーナは何が起こっているのか分からず、両親の顔を困ったように見比べていた。
父さん、母さんに妹、そして村の皆に向けて。
俺も、見えなくなるまでずっと馬車から手を振り続ける。
皆の姿が小さくなって消えても、しばらく俺は手を振り続ける。
偉くならないとな。
俺はぼんやりと思う。
偉くなって、いっぱい金を稼いで、家族にも、村の皆にも還元しないと。
いくら金を積んだって返せないくらいの恩を、皆にはもらっている。
馬車は、半日をかけて王都に着いた。
母さんからもらった弁当を空にした俺は、御者に礼を言ってから馬車を降りる。
話には聞いていたが、王都を目にするのは初めてだ。
白く塗られた、建ち並ぶ石造りの建物。
大きく整備された大通りにはごった返すほどの人通りがあり、いくつもバザーが所狭しと出ている。
更に遠目からもわかる、街の中心部にあるいくつかの巨大な建造物。
見たものを威圧する真四角のあれが、多分裁判所だ。本で見た。そこから離れて、あれが王城。ゲームで見たことのある「お城」そのままだ。で、あっちにあるのが、俺が入学試験を受ける士官学校か。
おそらく初めて田舎からこの王都に出てきた人間は普通この光景に圧倒されるのだろうと思う。
が、俺の場合、前の世界の記憶がある。ビル群やドームなんかを見てきた感覚からすれば、別に動揺するほどのこともない。
とはいえ、バザーで本なんかが並べられているのを見ると、正直心が躍る。
が、ダメだ。
この金は全て、入学した後の生活費。一銭たりとも無駄にはできない。
ということで色即是空色即是空と唱えながら道を行く。
士官学校までは大通りを辿っていけばいいので、特に迷うこともなく到着する。
ううむ。
近くで見て、改めて士官学校の外観に気圧される。
学校というイメージからは違い、それはどちらかと言えば、牢獄を思わせた。
まず、敷地が高いレンガ造りの壁で囲まれ、更に壁の上に、乗り越えようとしたものを串刺しとするかのように尖った鉄柵が張り巡らされている。
門は巨大な金属製のものが一つだけのようだ。そして、その門の前には屈強な門番らしき男が五人、立ちはだかって先程から受験生を受け付けている。
受験生はやはり貴族が多いらしく、上等な朱色や金色の布を使ったきらびやかな服装の少年少女が多い。
そんな中では、俺の質素な麻のズボンとシャツという姿は少々浮く。
だが、まあ、知ったことか。
「お願いします」
多少緊張しながらも、俺は門番の一人に受験票を渡す。
いかつい男である門番は無言で受験票を受け取り、俺の上から下までをじろりと睨みまわしてから、受験票を返してくる。
進んでいいってことだろう。
俺はおそるおそる門をくぐる。
ふと視線を感じて振り返ると、他の受験生が珍しそうに門をくぐる俺を見ていた。
明らかに貴族でも金持ちでもない俺が受験するのが奇妙に感じられたのかもしれない。
門をくぐると広大な校庭、そしてやはり牢獄のような校舎が見える。
校舎は造りこそしっかりしているし、白い漆喰で塗られて清潔そうだが、まず形が何の味気もない四角形で、おまけに全ての窓に柵がしてある。
逃亡防止のためだろうか。ともかく、かなりものものしい。
と、観察ばかりしていられない。
俺は受験会場に急ぐ。
清潔だが、何の温かみもない白い廊下を急いでいると、
「相変わらずか。お前、気持ち悪いんだよ」
「へへぇ、こいつ、本当にそうなんですか?」
「信じられねえなあ」
嘲笑を多分に含んだ言葉の数々が聞こえてくる。
なんだ、この声?
まっすぐ進めば試験会場だが、どうもそこを右に曲がった先で何かもめごとらしい。
まだ試験までは時間あるし、行ってみるか。
野次馬根性丸出しで右に曲がって進むとすぐに、廊下の突き当たりに、同じ受験生らしき集団が固まっているのが見て取れる。
何だ、あいつら?
固まっている、というよりも三人が一人を囲んでいるような形だ。
囲んでいる三人は着ているものからして、全員がかなり上級の貴族らしい。
いかにも甘やかされて育ったボンボンって感じの小太りの少年達が、誰かを囲んでいる。
囲まれているのが誰かはよく見えないが、ともかく声も嫌な感じだし、三人で一人を囲んでいるという状況が穏やかじゃあない。
ということで、俺はもう少し様子を見ることにする。
「いいか、お前のいる場所なんてこの国にはどこにも」
そこまで言ったところで、そのリーダー格っぽい少年が、俺に気づいて顔を向ける。
つられるように他の二人も俺を向く。
リーダー格の少年は、背が低く小太りの体にきらびやかな衣装、丸い顔に性格の悪さがにじみ出ているような細く歪んだ目と口を持っている。髪は赤い巻き毛。
比較的ドワーフの特徴が反映されているみたいだな、と分析する。
「何だ、お前」
こちらを侮蔑しているのを隠そうともしない態度で少年が俺をじろじろと見る。
「迷い込んだのか、失せろ、平民」
俺の服装を見て、貴族でも資産家でもないと判断したらしく、憎々しげにそれだけ吐き捨てる。
凄い、嫌な貴族のボンボンのお手本みたいな態度だな。
怒るよりも感心してしまう。
「いや、何してんの?」
俺が質問すると、
「聞こえなかったのか、お前?」
リーダー格の男が顔を赤く染める。
「僕はメージンだ。ボブ・メージン。知らないのか?」
メージンの名は知っている。
「シャークの港町の半分を領地として治めている大貴族、メージン家か」
「ふん、知ってるのか」
ボブは得意そうに鼻を膨らませる。
「で、何してるんだ?」
俺がなおも訊くと、ボブは怒りで顔を真っ赤にして絶句する。
「何だ、こいつ、頭おかしいよな」
「ボブ君に、どういう口利いてるんだよ」
取り巻きの一号と二号が代わりに文句を言いだす。
「何だよ、文句あんのか」
俺はさっそく腕まくりをする。
同世代の、ましてやこんな奴らに喧嘩で負ける気なんてしない。
「なんだ、こいつ」
明らかに臨戦態勢に入った俺を見て、取り巻きの一人が不気味そうに一歩引いた瞬間。
「ぐあっ」
もう一人の取り巻きが、腹を押さえてうずくまる。
え、何だ?
別に、俺は衝撃波なんて出してないぞ。
すぐに何が起こったのか分かる。
三人に囲まれていた一人。その一人が、取り巻きの一人の腹に思い切り蹴りを入れたのだ。
「お前っ」
ボブが叫ぶが、
「黙れっ、てめぇら……」
甲高い声で、その一人が今にも爆発しそうになるのを必死で抑えているように言うと、気圧されたようにボブは黙る。
「お、おい、ボブ君」
「ちっ……行くぞ」
腹を抱えた取り巻きと無事な方の取り巻き、そしてボブは俺とその一人の方をちらちらと見ながら、憎悪を顔にみなぎらせながら去っていく。
残ったのは、俺とその一人。
去って行った三人と比べれば多少格は落ちるかもしれないが、地味ながら高級そうな服を着ている。中級貴族の子女として恥ずかしくない恰好という感じだ。
髪を肩まで伸ばした、美しい顔をしている反面、目つきが野良犬めいて鋭い、細身の美少年だ。髪と瞳は濡れた烏のように黒い。
細身のパンプスに、シャツとジャケットもぴったりと体に張り付くようなものばかりを着ている。動きやすそうな反面、まるで自分の体を締め付けているようにも見える。
「ありがとう」
目の鋭さを緩めることなく、高い声で礼を言ってくる少年。
礼を言っているのに、噛みつかれるかと錯覚する。その殺気に戦慄する。
案外、彼の服装が自分を締め付けているというのは当たっているかもしれない。自分の暴力性を封じ込めるために。
「ああ、いや、別に」
「いや、助かった。受験生?」
「ああ」
「キリオ」
「え?」
「キリオ・ラーフラ。吹けば飛ぶような弱小貴族ラーフラ家のキリオ」
ああ、名前か。
「ヴァン。平民のヴァンだ」
「ヴァン、ありがとう」
殺気を抑えることなく軽く会釈して、キリオは去っていく。
「あ、ちょっと」
何があったのか訊こうとして呼び止めたところで、
「何?」
振り返ったキリオの充血しつつある目の鋭さ、爆発寸前の殺気。
「え、な、何でもない」
やばい。
完全にビビった俺は固まってしまい、ようやくそれだけ言う。
しばらく、固まった俺を睨みつけていたキリオは、やがて何事もなかったかのように去っていく。
キリオの姿が完全に消えるまで、俺は金縛りにあったように動けない。
何だよ、あいつ怖すぎるだろ。