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消失(2)

 俺も含めて全員が、処置棟のことを忘れていたらしい。


「ありえない話じゃねえな」


 椅子を倒すくらいの勢いで立ち上がったハウザーが、ダイニングを飛び出そうとする。


「ハウザー、落ち着いて。全員で行くわよ」


 ローズの言葉に、ハウザーは舌打ちをして動きを止める。


「ところで、処置棟に入る前に言っておくけれど、気分を悪くしないように、覚悟しておいてね」


 と、不吉なことを口にしながら、ローズが先頭となってダイニングを出て行く。俺達は全員でぞろぞろとその後をついて行く。


「ああ、リリーナ、お前は来るな。こちらに異常がないか見張っておいてくれ」


 振り返ってリックが言うと、


「ええーっ」


 ぷくっと頬を膨らませながらも、リリーナは言う通りに廊下でちょこんと立ち止まる。


「頼んだわよ」


 ローズが声をかけて、俺達はリリーナ一人をそこに置いて先に進む。


 ふと、研究所を出て行こうとしている時に、ジャンゴの消失について嫌な想像をしてしまう。


「なあ、リックさん」


 小声で確認をする。


「はい?」


「廊下で設備の点検をしている間にローズと出会ったって聞いたけど」


「ええ」


「ずっと廊下にいたわけ?」


「いえ、ジャンゴ様の二階に上がる姿をお見かけしてから、一度部屋に戻り、ダイニングを掃除した用具を片付けました。といっても、廊下に出て点検を始めるまで五分程度ですが」


 ということは、大体午後七時二十五分くらいから、ずっとリックは廊下にいたわけか。

 頭の中で計算をしていく。


「その間、ローズさん以外に誰かを見かけたりは?」


「さて」


 上品に小首を傾げ、目を閉じたリックは、


「午後七時半くらいだと思いますが、ウォッチ様が廊下に出られて、何をするでもなく立っておりました」


「え?」


 何だそりゃ?


 俺達は研究所を出て、ローズの火の魔術による明かりについて行く。


「今思えば、妙ですね。まるで、私を横目でちらちらと見ているような態度でしたが。その後、七時四十五分くらいでしょうか、ネイツ様が廊下に出て、立っているウォッチ様を見つけて驚いた後、二人で何やら話されておりました」


「それはいつまで?」


 後で一応、ウォッチとネイツに確認しないとな、と心に留めつつ続ける。


「お二人ですか? さて、ローズ様が私にジャンゴ様の居場所を知らないかとお尋ねになりますまでは確実にいらっしゃいました。その後、お二人が部屋に戻られてすぐに私も部屋に戻りました」


 とすると、夕食終了直後には大勢が自室に戻ったことや、ジャンゴとハウザーが廊下で立ち話をしていることを考えると、ローズが二階に上がるまでは常に誰かの目が廊下にあったと考えていいわけか。

 話がこんな大事になって、まさか何か怪しい動きをしている人間がいたのを見たのに言わないわけもないし。ローズとジャンゴ以外、ローズが二階に上がるまでに二階に上がった人間はいないと考えてよさそうだな。


 そんなことを考えながら、


「どうもありがとう」


 礼を言うと、リックは質問の意図が分からなかったのか、妙な顔をする。


 俺が考えてしまったのは、ジャンゴが既に殺されていて、死体が例の処分室で灰になるまで焼き尽くされているのではないかということだ。

 不吉な想像だが、姿がまるで消えてしまったとしたら、それくらいしか思いつかない。

 が、話を聞く限り、それはないようだ。いや、正確に言えば、ローズならできるわけだが。

 もちろん、それはありえない。ローズが殺して燃やしたのだとしたら、こうやってジャンゴの消失を騒ぎ立てるわけがないだろう。黙っておけば翌日の朝くらいまで分からなかったはずだ。


 そして俺達は辿り着く。

 巨大な、鉄製の扉。魔術錠をローズが解錠する。この奥が処置棟内部だ。


「繰り返すけど、覚悟しておいてね」


 最後にまたそう前置きしてから、先頭に立つローズが扉を開く。


 夜の外気よりも尚も冷たい、ひやりとした内部の冷気が、開いた扉から流れ出る。


 ローズのすぐ後ろに立っていたレイが、たじろいだように一度体を震わせる。


 そうして、俺達はその内部に入った。





 入った途端にボブが気分が悪くなって外に出て行ったり、ローズとリックがランプをつけるのに手間取ったりして、結局処置棟がちゃんと見回せるようになるまで、十五分程度かかった。


「いないわね、ジャンゴ」


「ええ、そうですね」


「参ったな、おい」


 ジャンゴの姿はなく、それについてローズ、リック、ハウザーが会話をしているが、その三人以外はそれどころではない。


 想像はしていた。処置棟がどんなものなのか。そして覚悟していた。していたつもりだった。


 だが、目の前のそれはあまりにも禍々しい光景だった。


「何度来ても、慣れんな」


 目を瞬かせて、ハヤノシンが呻く。


 材質は研究所と同じだろうに、薄汚れて不吉な印象を持たせる壁。

 部屋の中央には、等間隔に三つの、金属製のベッドとでも言うべきものが並んでいて、そのうちの一つには何かが置かれ、その上に白いシートが覆いかぶされ隠されている。何か、というのは欺瞞的か。その処置棟の役割といい、白いシートの盛り上がりから予想される隠されたものの大体の形とサイズといい、つまり人間が、おそらくは死体がそこにあるとしか思えない。

 そして、部屋の隅には、金属製の椅子がある。ご丁寧に、革の拘束ベルトが付属されている。どんな用途で使うものなのか一目瞭然だ。

 所狭しと椅子とベッドを取り囲むように並べられている数多くの棚には、シロナが使っていたような金属製の注射器をはじめとする様々な器具、そして瓶詰めにされている薬品の数々。


 何よりも、その全てに、まだらに付いている赤黒い染み。ローズの白衣のものと同じ色の染みだ。何度拭き取ろうとも、繰り返して付着する血液が、その赤黒い染みを作っているのだろう。壁に床に天井に器具に、乾いた血が染み付いているのだ。

 そして死臭。そうとしか表現できない臭いが、部屋に充満している。この臭いが温度を下げているのかもしれないと思わせる。


「ひょっとして」


 何か思いついたのか、リックがふと目を見開き、シーツが膨らんでいるベッドに歩み寄ると、躊躇いなくシーツを捲り上げる。

 止める間もない。


「違いますか」


 そのシーツの下にあるものを見て、リックが落胆と安堵を一緒にしたような顔をする。シーツの下にいる、あるいはあるのがジャンゴではないかと思っていたようだ。


「これはっ」


 リックとは対照的に、呻き狼狽を露わにするのがウォッチ。


 そして、それは俺も同じだ。

 俺の場合は驚きすぎて、声すら出ないだけだ。


 明らかに生命のない、人形のような顔。痛々しい、全身についたツギハギした後のような傷。とてつもなく簡素な、布を巻いただけのような服装。どれも俺の記憶の中にある印象には反している。

 だが、シーツの下にあるその死体は、どう見ても。


「モーラ」


 呻く。

 新しいキジーツの死体、それがまさか、ここに保管されているだなんて。

 頭の何処かで予想していなかったではないが、それでも実際にいきなり知り合いの死体が、こんな異常な状態で見つかったことに動揺している。どうしようもなく。





「これが殺されたモーラ、もといキジーツ」


 再びシーツがかけられた死体を前にローズが説明する。


「今回、このキジーツの殺人の容疑があろうことかシャーク国の宮廷探偵団副団長補佐にかかっているから、証拠を処分することもできず、この処置棟でずっと保管してるってわけ。定期的に氷の魔術を使ってね」


「なるほどな」


 考えてみれば当たり前の話で、俺を名指しで殺人犯呼ばわりしているのに、その重要な証拠である死体を処分なんてしていれば、まずゲラルトあたりが思い切りごねる。ボブも食らいつく。


「しかし薄気味の悪い場所ねえ。ハヤノシンさんは、結構ここに来るわけ?」


 さすがにネイツといえどもこの部屋は堪えるのか、眉をしかめている。


「いや、数えるほどですじゃ。そう、青い狼の下っ端の、尋問に参加した時にのお」


「尋問、か」


 ウォッチが呟く。どんな尋問だったのか想像しているのだろうか。


「拷問、じゃねえ、尋問やらお前らのいかがわしい実験やら、後はその、キジーツの改造にここが使われたってことは分かったけどよ」


 ボブが口を尖らせて、


「研究の資料類がねえな」


「ああ、それを手にするのもシャーク側の狙いなわけね」


 ローズは一切表情を変えず、声に笑いを含ませて、


「研究者にとってはその類は命よりも重要だから、何が起こったって見せるわけにはいかないわ。まあ、秘密の場所に保管してるとでも思ってちょうだい」


「その秘密の場所にジャンゴがいたりしてな」


「ひょっとして、それが狙い? それで、ジャンゴを誘拐したわけ?」


 敵意をあからさまにするボブと無表情のローズが睨み合う。


「ジャンゴはともかく、羅針盤はそこにあるかもしれないな」


 そんな二人をそっちのけで、さっきからずっと室内を隅から隅まで、モーラの死体をまさぐってまで羅針盤を探していたレイが手を休めずに言う。


「あら、レイ、あなたも研究資料が狙い?」


 そこで、レイはようやく手を止め、ゆっくりとローズを振り返る。


「かもしれない」


 その鉄のような眼差しからは何も読み取れない。


「レイ様」


 そこで、静かな声でリックが割って入る。


「化かし合いは、この際なしにしましょう。このままでは、お互いに都合が悪いはずです。今、この場で、話を詰めておくべきです」


「なるほど、そうかもしれないな、リック」


 一瞬目を閉じて思案した後、レイは頷き、


「ローズ、お前は助手に比べて状況がよく分かっていないようだ」


「どういうことだよ?」


 ローズをかばうように、ハウザーが前に出る。


「いいだろう、説明しよう」


 羅針盤探しを切り上げ、レイは俺達に向き直る。


「明日の昼になれば、シャークの連中が来る。おそらく、それなりの大所帯でな。俺と聖遺物判定についてもめて、シャーク国の判定官を呼ぶという話になったが、おそらくどちらにしろ何か理由をつけて援軍を呼ぶつもりだったのだろう?」


 レイの視線に、ボブは鼻を鳴らして目を逸らす。


 え、そうなのか?

 俺はキリオと顔を見合わせる。

 全然知らなかった。少なくとも俺達は。


「場を支配するためには当然の話だ。シャーク国の重要人物を犯罪者と告発した以上、それに絡むことでの増員をジャンゴ側としては認めないわけにはいかないだろうしな。絵を描いたのはゲラルトか?」


「さあな、僕には何のことやら」


 そっぽを向いたまま、ボブは憎々しげにもう一度鼻を鳴らす。


「そうか、まあいい。だがそれについては、はっきり言って俺も、おそらくジャンゴも、そしてそこにいるハヤノシン・ヤザキも、折り込み済みだ。ジャンゴ側とハヤノシン側、というよりイスウ側が団結してそのシャーク国の数に物言わせての強制捜査に抵抗するつもりだった。違うか?」


「確かに、そうでしたのお」


 ハヤノシンがあっさりと認める。


「疑いをかけられた立場であるシャーク国が、ある意味で一番立場が強くなり、それを利用してなし崩し的に要求を通そうとするのは目に見えておりましたじゃ。ペース国の庇護もなくなったわけですしの。じゃから、最初からわしとジャンゴ殿は協力してそれに抵抗するつもりでしたじゃ」


「そして、俺、というよりペース国は、その対立を利用して、隙を見て横合いから殴りつけるつもりだった。漁夫の利を狙っていたわけだ」


 淡々と、レイは己の、自国の狙いを解説していく。


「だが、もうその話も崩れた。俺にとっても、そちらにとっても都合の悪いことにな。ジャンゴがいなくなり、羅針盤も消えた。分かるか、ローズ? この状況でシャーク国が乗り込んできて、自国民、それも重要人物を救うためにこのアジトを隅から隅まで徹底的に捜査するのを、一体どんな名目があって止められる? イスウ国も、ペース国だって不可能だ」


「ちっ」


 ハウザーは舌打ちして、


「つまり、明日の昼がデッドラインってことかよ」


「そういうことだ。ローズ、いいか、研究資料を根こそぎ奪われるような目に遭いたくなければ、是が非でも羅針盤を明日の昼までに出せ。そうでなければ」


 そこでレイは感情のこもっていない目で俺、キリオ、そしてボブを見る。


「ペース国が受け渡し、イスウ国が協力し、お前らが進めてきた研究結果、そして捜査情報の全てが、シャーク国のものとなるかもしれんぞ」


 死臭漂う部屋を、沈黙が支配する。

 いつしか、互いが互いを、疑心暗鬼の目で見まわし合っていた。





 処置棟を出ると、ようやく死臭から解放され、俺達は救われたような気分になって、しばらく夜の外気の元、深呼吸していた。


 あの棟に慣れているローズ、リックは深呼吸する必要があるはずもなくさっさと研究所に入っていく。

 自分達がいない間に何かするんじゃないかと疑ったボブもそれに続く。


「はあ」


 横を見れば、俺達と同じくらいに顔色を悪くしたハウザーが何度も深呼吸している。


「何だよ?」


 俺の視線に気づいたハウザーが、不機嫌そうに睨んでくる。


「いや、つらそうだから」


 意外だった。てっきり平気だとばかり。


「悪いか。俺は未だにあそこには慣れない。オヤジさんに命令されなきゃ、自分から入ることもないしな」


「へえ、どうして? あそこ、慣れれば結構面白そうだけど」


 キリオが恐ろしいコメントをする。さすがは未来のマッドサイエンティスト。


「合わないんだよ。別に研究してるわけでもないしな。ただ、オヤジさんは、俺に拷問紛いの尋問とかのテクニックを身につけさせたいみたいで、何度もあそこに呼び出されて特訓を受けたけどよ」


「すごい、有望株ってことじゃん」


 ネイツがうりうりと肘でハウザーをつつく。


「やめろ」


 うっとうしげにそれを払って、


「というより、俺は探偵としてのテクニックはほぼねえからな。何かしら身に着けさせようとするのも当然だ」


「そうなのか?」


 驚く。

 だって、ジャンゴの三人の弟子の一人じゃないのか? まあ、そのうち一人は改造人間だけど。


「ああ、元々、俺は単なる護衛だ。そこのウォッチさんやネイツさんと一緒だ。そういう意味じゃ、まともな弟子はローズ一人だな」


「妙だな」


 ウォッチが突っ込む。


「元々、ジャンゴはダンジョンの奥深くまで潜っての事件解決といった、腕っぷしで売っていた奴じゃないのか?」


「ああ、そうだぜ。だから、俺はオヤジさんの護衛じゃねえよ。ローズの護衛だ、元々な」


「その言い方も正しくなかろう」


 何か知っているらしいハヤノシンが、微笑む。


「ハウザー殿は、姉想いだというだけですじゃ」


「おい、よしてくれよハヤノシンさん」


 ハウザーが顔をしかめる。


「姉?」


 ってことは。


「そうだよ」


 がりがりとハウザーは頭をかきむしる。


「ローズは、俺の姉貴だ」

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