消失(1)
もう寝ようとしているところに、ノックの音が飛び込んでくる。丁寧な、しかし緊急の要件と分かる強いノックだ。
「どうぞ」
鍵はかかっていない。
「失礼いたします」
と、つい二時間くらい前に一方的に気まずいまま別れたリックが部屋に入ってくる。
「リックさん、何かあったの?」
「ええ」
完璧な執事、といった態度を少しばかり崩して、リックの顔には焦りが見える。瞳の動きがせわしない。
「ともかく、ダイニングにお越しください。もう、幾人かお集まりになっていただいております。私は残りの方に声をかけてきます」
説明をする間も惜しんで、リックはそれだけ言ってすぐに部屋を出て行く。
ダイニングにつくと、そこには既にジャンゴとウォッチ、キリオそしてもちろんリック以外の全員が揃っていた。
「ああ、ヴァン」
と、桜色のパジャマ姿のキリオが現れる。どうやら完全に寝ていたらしい。
「なになに、何が起こってるの?」
まだ少し眠そうにキリオは瞼をこする。
「さあ」
俺としては言葉を濁すしかできない。
「なんだ、一体」
そこに、ついにウォッチが入ってくる。その後ろにはリックだ。
ウォッチは寝間着らしい、藍色の着流しを身に着けただけの恰好だが、やはり槍は担いでいる。常在戦場というやつか。
「皆様、お休みのところをお集まりいただいて申し訳ありません」
そしてリックが話し始めるので、俺は思わず、
「ジャンゴさんがまだだけど」
と口を出す。
その途端、空気が凍った。
「……問題はそのジャンゴだ」
重々しく、レイが口を開く。
「問題だと? そりゃそうだ、問題が起きてないのに寝ようとしたところを叩き起こされたんじゃさすがに温厚な僕でも怒る」
くせ毛を振り乱すように、大げさにボブが頭を振るう。
この場にいる全員で、温厚という言葉の意味について確認し合いたいところだが、状況が状況なので俺も皆も聞き流す。
「それで、問題というのは?」
キリオが聞き返した時に、顔を曇らせたのはレイ、ヤザキ、ローズ、ハウザー、そしてリック。
つまり、この五人は、何事かをある程度知っているわけか。
成り行きを見守りながら、密かに観察する。
「ヴァン、覚えているか?」
と、レイが突然口を開く。
「え?」
「俺がお前と語った内容だ。ジャンゴの目的が分からないと、そう言っていただろう」
「ああ、はい、そのことね」
「あの後、俺は一つ思いついた。単純な、そしてあの男らしい、目的だ」
「うん?」
何の話だ?
「おい、さっさと話まとめろよ」
苛ついたボブが的確に要求する。
「つまり、俺はジャンゴの目的が逃げることではないかと考えた。このアジトで全ての種明かしをすると言っておいて、逃げ出す。このアジトも、部下も切り捨ててな。その代わり、羅針盤とその秘密、そして自分の命と重要な情報は助かる。別のアジトのひとつやふたつくらい当然用意しているだろう」
「で?」
雇い主に対するものとは思えない態度でネイツが先を促す。とはいえ気持ちは分かる。
「そう思った俺は、この研究所の周囲を回って抜け道がないのを確認した後、ずっと出入り口の横に立っていた。部屋にも戻らずな」
「えっ、本当に? 凄い、仕事熱心ね」
ネイツが妙に感心して、
「ちなみに出入り口の横って、中? それとも外?」
「当然、外だ。万が一、発見できなかった抜け穴からジャンゴが逃げ出しても気づける可能性が高いからな」
「ひええええ」
とうとうネイツはのけ反る。
「それで、それがどうした?」
ウォッチはあくまでも冷静に話を先に進ませようとする。
「これは夕食が終わり、ヴァンとの話が終わってすぐのことだ。つまり、それからずっと、この研究所の出入り口は俺に見張られていた、そのことをまず頭に入れておいてくれ」
「お前の言うことが本当なら、な」
ボブが嘲笑混じりで混ぜ返す。が、確かにその指摘は正鵠を射ている気もする。
「そこから先は私が説明いたします」
そこで、リックが話をひきとる。
「私は、夕食の片付けをした後、最後までダイニングにいました。最後にヴァン様がダイニングから出て行かれて、十分ほどしてダイニングを出ました。廊下に出たところで、階段を上がっていくジャンゴ様を目にしました。その時は、上に何か用があるのだろう、としか思っていなかったのですが」
「私は、ジャンゴに研究のことで用があって、部屋を訪ねて、そこでジャンゴがいないことに気づいたの」
今度はローズが口を開く。
「それで、廊下で設備の点検をしているリックに聞いたら二階に上がったっていうから、上がって捜したんだけれど」
「途中からは、俺も手伝ってな」
いつもの数割増しで不機嫌そうな顔で、ハウザーが吐き捨てる。
「どこにもいないの。ジャンゴが」
そうして、ようやく問題が分かった。
「あらあら」
どこか能天気な声をリリーナがあげる。
「いないって、でもそりゃあ」
ボブが何か言おうとするが、
「この研究所の構造上、どこかで入れ違っている可能性はない。一本道だ。ローズはこの研究所の部屋の鍵を全て持っているから、全部の部屋を確かめながら最上階まで上がった。どこにもいない」
不機嫌な態度を崩さず、ハウザーが断言する。
「そして、万が一、どうにかして探しながら上がるローズ達とすれ違ったとして、だ。この研究所から出ることはできない。俺がいるからな」
ダメ押しのようにレイが言う。
「先程、皆様に声をかけながら一階の部屋を回りましたが、やはりどこにもジャンゴ様はいらっしゃいませんでした」
リックの言葉に、ついに全員が黙り込む。
要するに、だ。
「ジャンゴが、消失したわけだ」
俺が結論を言う。
「その最終確認を、これから皆様と行いたいのです。ないとは思いますが、私やローズ様が見逃していたという可能性もゼロではありませんから」
「更に大きな問題は」
声を大きくして、レイが言う。
「ジャンゴと一緒に、羅針盤も消えている、ということだ。あいつが肌身離さず
持っていたらしいからな」
全員で、時には手分けをしながら、研究所内をしらみつぶしに調べていく。見学ツアーの時は入ることができなかった、様々な薬品を納めた保管室や、見たこともない器具が並べられた実験室まで。
だが、ジャンゴの姿は影も形も、痕跡も何もない。
特にレイは、ジャンゴというよりも羅針盤の行方が気になるらしく、隅々まで調べ尽くしていく。
探索をしながら、全員の証言をまとめていく。
正確な時間を確認している者はいなかったが、それでも大体のジャンゴを巡るタイムスケジュールは完成していった。
午後七時、夕食が終わる。ほとんど全員がその場でダイニングを出る。俺とキリオ、レイが残る。
五分程度遅れて、レイとキリオがダイニングを出る。入れ違いのようにしてリックが掃除に来る。レイとキリオから五分くらい遅れて、俺がダイニングを出る。
ちなみに、この時点でレイは研究所の外に出てぐるりと周った後、出入り口に待機する。
その十分後、つまり午後七時二十分頃、リックもダイニングを出る。そこで、階段を上がるジャンゴを目撃する。夕食終了時からそれまで、他にジャンゴを目撃した人間はいない。
午後八時頃、ローズがジャンゴの部屋を訪ねて、いないことを確認。廊下で設備点検をしているリックと会い、ジャンゴが上の階に行ったことを知る。
ここからローズが二階に上がり、部屋を確認しながら進んでいく。この研究所の全ての部屋の鍵は、ローズとジャンゴが持っているので、ローズとしては全ての部屋を確認していかざるを得なかった。
午後八時半頃、最初の全ての探索が終了したので、ローズはいったん一階に戻り、ジャンゴの部屋が空なことを確認した後、リックとハウザーにジャンゴのことを知らないか部屋を訪ねて確認。ジャンゴが訪ねている可能性も含めて、ハヤノシンの部屋にも訪ねたが誰も知らない。
念のために外に出たところで、外にレイが見張っており、そしてレイもジャンゴの行方を知らないという話になる。
午後八時四十五分頃、今度はローズ、リック、ハウザーの三人で二階、三階、屋上まで徹底的に調べる。
午後九時半頃、最後の確認として全員をダイニングに集めつつ、リックが全ての部屋を確認していく。
そして、今にいたる、というわけだ。
「屋上から下に飛び降りたって可能性は?」
ダイニングに戻って、リックが熱いお茶を入れてくれる。
そのお茶を飲みながら、キリオが確認する。
「あの高さからか? 無傷で降りるのは難しいだろうし、音や気配に俺が気づかないというのも考えにくいな」
「音をたてないように、壁を伝ってゆっくり降りたのかも」
「あの掴む場所のない壁をか? そんなことができる人間がいるのか?」
その言葉に、キリオはゆっくりと俺を見てくる。俺も見返す。二人で顔を見合わせる。
少なくとも一人、俺とキリオはそんな規格外のマネをする、超人的な身体能力と魔術能力を持っていた男を知っているが、まあ確かにあれは規格外中の規格外だろう。
「しかし、だとすると、文字通り姿も形も消えたことになるな」
ウォッチは槍を担ぎ直し、
「レイが研究所を一回りして出入り口が死角になっている間に、こっそり抜け出したんじゃないか?」
「二つの理由から、それには反対させてもらう」
ハウザーが指を二本立てる。
「一つ、夕食後に俺はオヤジさんと廊下で少し立ち話をして、そしてオヤジさんの方が先に部屋に戻った。俺とオヤジさんが立ち話をしている間に、レイさんが研究所を出るのは目にした。それから俺は自分の部屋に戻ったから、多分タイミング的に俺が部屋に戻った後ですぐオヤジさんが研究所を飛び出したとしても、もうレイさんは出入り口にいたんじゃねえかな」
そこでハウザーは指を一本折る。
「もう一つは、単純に、夜の暗黒森をどこかに行くというのが考えられない。知っての通り、夜の暗黒森は馬が走るのを嫌がるぜ。かといって、徒歩で行くわけにもいかない」
「松明やら目印やらで盛大にマーキングしながらなら、また話は別だが、そうなれば俺が気づく」
駄目押しとばかりにレイが指摘する。
ふむ、と黙り込むウォッチに変わって、
「あのさ」
おずおずとネイツが手を挙げる。
「何だ、どうした?」
雇い主であるレイが不審な顔をする。
まあ、いつもとは違って何か遠慮しながらのネイツの態度は確かに違和感がある。
「あの、凄い馬鹿で、当たり前の質問かもしれないけど、いい?」
「どうぞ」
リックが促すと、
「隣の、あの建物は調べたの?」
その言葉に、全員が顔を見合わせて、そして一瞬の間をおいて、全員が立ち上がる。




