世界の把握(2)
母は俺の四つ下である妹、リーナの世話で忙しく、その穴を埋めるように俺は畑仕事を必死で手伝うようにしていた。
その日、日が沈むまでに何とか今日の分の仕事を終わらせて、俺は木陰でお気に入りの本を読みながら体を休めていた。
お気に入りの本というのは、冒険小説だ。竜と剣士が殺し合うという内容のものだった。
こちらの世界の本、特に小説を読み出して困惑したのは、全てがファンタジー小説だったことだ。けれど、よく考えれば当然のことで、こちらでは世界自体がファンタジーなのだ。
元の世界で、現実社会をモデルにした舞台の小説ばかりだからといって、「現実小説ばっかりじゃないか」と文句を言う奴なんていないだろう。
単に、小説の舞台が俺にとってのファンタジーだから全てがファンタジー小説に見えるだけだ。
その舞台を抜きにすると、この世界での小説のジャンルは、そこまで元の世界のものと変わらない。
冒険小説、恋愛小説、文学作品、大体ある。
ただ、元の世界で言うところのSF小説はない。そして、何よりも。
我が愛する、ミステリ小説、推理小説の類が一切ないのには落ち込んだ。この世界に転生して、何よりもこれがショックだったかもしれない。
SFとミステリが一切存在しないことについて、俺はその理由が何となく分かる気がした。ただ、うまく言葉にはできない状態だ。
ともかく、俺は本を読みながら体を休めていた。
魔術を学ぶ話は、ここから始まる。
「ヴァン」
他の村人と喋っていた父さんが、にこにこと笑いながら戻ってくる。
「ああ、父さん」
俺は本を閉じて顔を上げる。
「相変わらず本の虫だなあ、お前は」
呆れたように父さんは苦笑してから、
「お前も、よく畑仕事を手伝ってくれて、助かるよ」
今更しみじみと言うので、
「な、何、突然」
俺は驚く。
「いや、身につければ畑仕事も楽になるし、体もできてきたみたいだし、そろそろだろうと思ってね」
いたずらをたくらむかのように、父さんはにやにやと含み笑う。
「え?」
まだ、意味が分からずに俺はぽかんとした顔をするだけ。
「魔術だよ、教えようと思ってね」
破顔する父さんを見て、ようやく俺にも意味が分かる。
やった。
やったぞ。
「お、ヴァン、そんなに嬉しかったか?」
口には出していなかったが、表情が明らかに変わってしまったらしい。
笑顔のままで父が俺の髪をくしゃくしゃと撫でてくる。
「うんっ」
子どもらしい口調にしよう、と思うまでもなく、嬉しさのあまり勝手に口調が子供っぽくなる。
「よしよし、じゃあ、危ないからあっちの方の広場にいくか」
俺は父さんに連れられて、人のあまり来ない草原に行く。
やった、ついに魔術が覚えられる。
嬉しさが抑えきれない。
「魔術について、どこまで知ってるんだい? 本は読んでるんだろ?」
うきうきとした俺に苦笑しながら、父さんが優しく問いかけてくる。
「魔術……ええと、体を流れる魔力を集中して、何かに働きかけることを総称して魔術と呼ぶって、そう書いてありました」
俺は今まで読んだ本の魔術についての記述を思い出す。
「はは、難しい言い回しだな。でも、それで合ってるよ」
「けど、父さん。そもそも、魔力っていうのが、よく分からないんですけど」
長年の疑問をぶつけると、
「うん、だろうね。ヴァン、魔力が何かは、実は宮廷魔術師のような偉い人たちにもよく分かっていないんだ」
「え?」
宮廷魔術師といったら、魔術のプロである魔術師の国のトップだ。
その人たちにも、魔力が何か分かっていない?
「つまりね、魔力が体を流れている、と思うのがまず大事なんだ。炎を出したいなら、その魔力を使って炎を出すところを想像すればいい」
「想像?」
つまり、イメージすればいいってことか?
「そう、想像だよ。どれだけ強く、具体的にイメージできるか。それが魔術の成否を分けるんだ」
予想外の話だ。
つまり、魔力っていうのも、「体が魔力が流れている」と想像した方がうまく魔術を想像できるから、そのために生み出された仮定上の力ってことか。
道理で、どの本にも大して詳しい説明が載っていないはずだ。
「魔力がどうやって炎を出すか、その過程を具体的に、真実味を持ってイメージできれば炎を出せる。だけど、どういう風にイメージすればいいかはアドバイスできないな。どうするのがいいのかは、その人の感覚によるからね」
「ああ、そっか」
小さく、呟く。
唐突に俺はこの世界にSFやミステリというジャンルが存在していない理由に思い当たる。
この世界を構成する基本となる技術である魔術、その魔術が極めて個人的かつ感覚的なものに依存する技術ならば。
なるほど、いわゆる科学が発達するのは遅くなるだろうし、SFやミステリなんていう、『共通して持つ技術知識体系』が前提となるジャンルが存在するはずもない。
「炎だけじゃない。例えば、回復魔法だったら魔力で傷や体力が回復するのをイメージする。過程も具体的に、そして何よりも自分がそれを信じるのが重要なんだ」
「へえ、じゃあ、父さんが魔術を使う時に唱えてるのは?」
「ああ、あれは呪文だけど、どんな呪文かも人によって違うよ。要するに、自分がイメージしやすいように口に出しているだけだからね」
「へえ」
自分で自分に言い聞かせるってことか。
「ちなみに、父さんはどんな風に炎を出してるの?」
「え、俺?」
恥ずかしそうに父さんは顔をしかめて、
「そうだな、俺はイメージとしては、空気中にある火の素みたいなのに、魔力を与えて炎を出すってイメージかな。だから呪文も……」
そこまで言って、父さんは虚空に向けて手を伸ばす。
「集え、火の素、集い、燃え上がれ」
それが父さんの呪文なのか、伸ばした手の先の空間を睨みながらそう言う。
ぱちぱちを火花が散り、そして父さんの掌に炎が出現する。
「おお」
感嘆の声を上げると、
「まあ、こんなもんだね」
と、父さんは炎を消して照れ臭そうに言う。
「へえ、じゃ、じゃあさ、うまくイメージできれば魔法って何でもできるの?」
「まさか」
父さんは笑う。
「無理だよ。いくら想像できてもできないことは当然あるし、逆にイメージしにくくても簡単にできる種類の魔術もある。特別な手順を踏まないと使えない魔術だってある。それは勉強しなくちゃあな」
そうか。また一つ謎が解ける。
魔術についての本で、魔術の方法ではなくて、どんなことが魔術でできるのかについて書かれていた理由。
そっちこそが、魔術にとっては重要なわけか。
「さ、とりあえず炎を出すのは基本中の基本だ。やってみろよ」
と父さんに勧められる。
「え、い、いきなり?」
「心配しないでも、失敗してもフォローしてあげるから大丈夫だよ。自分なりに、魔力が炎を出す過程をイメージして、それを信じるんだ」
「う、うん」
俺は、緊張しながらも、父さんがやったように手を出し、その空間を睨みつける。そこ以外が見えないくらいに集中する。
「まあ、そんなに緊張しないで。いきなり成功しようと思わないでいい。基本中の基本の炎を出すのでも、大体半年くらいかかるみたいだからね」
父さんの声が聞こえる。
さて、どうイメージしよう。
いや、待てよ。待て待て。イメージするのに、俺は、ひょっとして凄いアドバンテージがあるんじゃないか?
頭を過ぎる考え。
例えば、魔力。
血と一緒に魔力が流れているという風に考えたらどうだ? イメージは全然できる。だって、俺は前の世界から、人体の仕組みの大体の知識がある。血管や内臓、骨や脳の構造。魔力がどういう風に流れているのか、かなり具体的に想像することができる。
本当に前の世界と人体の造りが一緒かどうかは関係ないはずだ。要するに、過程をどれだけ詳細に具体的に、自分自身で信じられるくらいにイメージできるかどうかが大切なんだから。
炎だってそうだ。
炎って何だ? その知識が俺にはある。つまり、気体の燃焼のことだ。
酸素があって、燃える気体があって、そして温度が上がれば燃焼が起こる。
温度はどうすれば上がる?
あれ、確か分子運動が関係していたはずだよな。簡単に言えば、分子が激しく震えれば温度は上がる。
だから、まずは魔力を差し出した手に集めるイメージだ。
血管を通って、骨や内臓を越えて、手に魔力が集まっていく。
次に、その魔力を外に出して、酸素と燃焼系の気体が、掌に集まってくるイメージをする。そんなものが本当に存在するかどうかは分からない。でも、想像はできる。空気中を漂っているそれらを、俺の魔力が集めるんだ。
そして、その集まったものに対して、魔力を注ぐ。
魔力は、分子の運動を激しくする。激しく、激しく、激しく。
燃え上がるくらいに。
「嘘だろ……」
茫然とした父さんの声と、掌に感じる熱。
掌に炎が存在している。
掌の方が火傷しそうな気もするが、わずかに熱を感じるくらいで、痛みなんて感じない。
野球ボール大の炎は、俺の手のひらでめらめらと燃え続けている。
「いきなり、それも無詠唱で」
見れば、父さんは目を見開いている。
やばい、やりすぎたか。
そう心配する俺を尻目に、
「て、天才だ……ははっ、お、俺達の息子は、天才だっ。聖女ファタ様に栄光あれっ!」
突然、喜びだすと父さんは走り出す。
「おいっ、ヴィトナ、ヴィトナ、見てくれ、ヴィトナ!」
母さんの名前を叫びながら、父さんは家の方に走っていく。
俺を置いて。
「おいおい……別にいいけど」
とりあえず炎を消して、俺は父さんの後を追うことにする。
家に帰った後、今度は母さんとリーナの前でも魔法を披露させられる。
そしてそれを見た母さんは跳びあがって喜び、父さんと抱きつく。リーナはぽかんとしている。当たり前だ。
夕食を食べながら果たして何がそんなに嬉しいのかと聞いたところ、いつも以上に笑顔に溢れる父さんはエールを飲みながら気持ちよさげに教えてくれる。
「いいか、ヴァン。この国で、立派な人になろうと思ったら、士官学校っていうところに入らないといけない」
「うん」
それは薄々知っていた。
どれだけ高貴な貴族であろうとも、全寮制の超エリート学校である士官学校を出ずにこの国、シャークのポストにはつけない。もっとも、貴族で金さえあれば士官学校に入学して卒業すること自体はそこまで難しくないみたいだけど。
士官学校に通うのは九割が貴族、一割が貴族からの覚えもめでたい資産家の子女、というのは有名な話だ。結局、コネと金の学校だ。
「でも、士官学校に入るにはお金か人脈、もしくはその両方がいる。俺達みたいな平民には何の関係もない話だ」
ただし、と父さんは早くも赤くなった顔で付け加える。
「入学試験だけは無料で受けられる。まあ、普通の子が合格しても学費が払えないから意味がないんだけどね。でも、その試験で優秀な成績を収めれば特待生になって、入学金や学費は免除されるんだ。ちなみに、入学試験っていうのは、主に魔術の適性を見る試験だよ」
ううん、そう考えると、この世界での魔術は単なる技術以上の意味があるのかもしれない。
「え、じゃあ、ひょっとして、俺、その特待生になれるかもしれないってこと?」
半信半疑でそう聞くと、
「もちろん。いきなり無詠唱で魔術を成功させられるんだから、これから入学試験が受けられる十二歳までちゃんと練習しておけば、絶対に特待生になれる。というか、今のまま受けても特待生になれるかもしれないけどね」
最後に付け加えられた父さんの言葉は酔っぱらいの戯言と聞き流すとして。
「母さん、本当に? 俺、特待生になれると思う?」
いまいち信用できないので、しっかりものの母さんに話を向けると、
「うん、ヴァンの実力なら、特待生になれると思うわ」
「けど、確か士官学校の特待生って一学年に一人だけって話じゃなかったっけ?」
「そうね。でも、ヴァンならなれるわ」
食器を並べながら母さんは断言する。
「でも、その」
そして、俺は最初から抱き続けていた違和感を口にする。
「そもそも、父さんも母さんも、俺に、その士官学校に行ってほしいの?」
俺が言うと、父さんと母さんはぽかんとして顔を見合わせる。
「そりゃあ、そうだよ。だって士官学校を出ればいい仕事につけるんだよ?」
父さんは当然のように言う。
「でも、俺は父さんの後を継ぐつもりだからさ」
ようやく手伝いにも慣れてきたところだ。
「ヴァン、あなた、本が好きでしょ?」
穏やかに母さんが語り掛けてくる。
「う、うん」
「その歳とは思えないくらいに賢い子。だから、士官学校は無理だけど、十二歳になったら、何とかしてヴァンを王都の商業学校にでも通わせてあげようと思ってたの、父さんも母さんも。本だっていっぱい読めるし、もし農家になるとしても、色々なことを知っていたり、偉い知り合いがいた方が楽になるわ」
商業学校だって、士官学校ほどではないが金がかかる。そして、うちはそんな裕福な家庭じゃない。
それを知っていた俺は、父さんと母さんが相談していたその内容を知って、
「な、何でそんな、俺に教えてくれなかったじゃないか」
文句を言う。
「だって、知ってたらお前、遠慮して断るだろ」
気持ちよさそうに酔いながら、父さんは母さんと一緒に笑いかけてくる。
「だから、直前まで秘密にしとこうと思ってたんだ。どう見ても、もっと色々勉強したそうなのに、新しい本を買ってくれとさえ言わないお前だからな」
「うう、ん」
俺は黙りこくる。
何と言っていいか分からない。
ただ、おそらく自分が感動しているのだ、ということだけは、目頭がじんわりと熱くなっていくことで分かる。
「おなか、いたいの?」
ずっと話に入ってこなかったリーナが、そんな俺を見て心配そうな顔をする。
「い、いや、大丈夫……でも、母さん、父さん。俺が学校に行ったら、畑が」
「ヴァンが十二歳になる頃には、あたしが畑仕事復帰してるわよ。もう、リーナもお姉さんになるもんね?」
「うん、リーナ、もう、お姉さんだよ」
そう言って、母さんとリーナは二人して笑顔を向けてくる。
「まあ、しばらくは畑仕事を手伝ってもらうけどね。魔術の勉強もすればいい。教えられることは教えるし、俺がいっちょ、町まで出ていい本を買ってきてやるよ。これでも元商人だからね。本のお金だって、学費に比べれば微々たるもんだ」
そう言って酔いが回ったのか、体を揺らす父さん。
家族を見ながら、俺は一つ気が付く。
どうやら、俺は、この上なく、恵まれた転生をしたらしい。
前世の記憶どうのこうのではなくて、この家族を持てたことが、恵まれている。
神様がいるなら、この家族の元に転生させてもらったことを、感謝しないといけない。
神と、聖女様にも。