二人目と三人目
ごつごつとした灰色のその壁におっかなびっくり手を触れる。感触は硬く冷たい。そんなところも、コンクリートにそっくりな気がする。
「合成壁? どうして、こんなところに」
後ろから壁を覗いていたシロナが呟くのが耳に入る。
「合成壁?」
振り返ると、
「ええ、ディガーがよく使う壁。原材料となる石の粉と水、それから土の魔術で即席で作る頑丈な壁。掘った穴が崩れないよう固めるのに使われるらしいけど」
ということは、これを作ったのはモーラか。けど、どうして? この先は一方通行の壁、つまりこの壁で密閉された空間となるわけだが、どうしてこんなことを。
「中に、二人がいると思う?」
シロナがため息をつきながら訊いてくる。
「そんなことをしたら、自分達を閉じ込めることになる。外からこの壁を作ったと考えるのが常識的だが」
俺はあまりにも意味不明な状況に歯軋りする。
「けどそもそも、ここにこんな壁を作る理由が『自分達を閉じ込める』以外に思いつかないな」
そして、自分達を閉じ込める理由は全く思いつきもしない。
「そうね」
シロナも考え込む。
「おい、聞こえるか? いるのか?」
俺は全力で合成壁を叩いて叫んでみるが、何の反応もない。
ならば、と剣を構えたところで、
「無駄。合成壁はかなり頑丈。どうしても壊したければ、火薬が必要だと思う」
「エニか」
今、この場に彼女がいないのが恨めしい。
「ひょっとしたら、向こうからなら中の様子が分かるかも」
「向こう?」
聞き返して、すぐに言葉の意味を察する。
一方通行の壁の向こう側だ。そちらからなら、壁が透けて見えるはず。
「よし、じゃあ」
今すぐ二人で上の階に登ろう、と言おうとしたところで俺とシロナの視線が絡む。
お互いがお互いを信頼していないことが、直感的に理解できた。
当たり前か。こんな状況下では、ブラドじゃあないが周りの全員が怪しく見えるのも仕方ない。現に、俺もシロナと二人きりで上の階に向かうことに危険を感じている。隙を突かれて殺されるんじゃあないかという疑念が拭えない。それはシロナも同じようだ。
一瞬のうちに、お互いの目を見ながら思考が進む。
だとすると、二人揃ってジン達のパーティーに知らせに行くか? いつジン達に出会うか分からない状況なら襲われにくいだろう。けど、時間がかかりすぎる気がする。一刻も早く、中の状況を確認するべきなんじゃないか?
下手したら、ハントもモーラも殺されて。
「コインあります?」
一瞬のうちに俺の結論は出る。
「コイン?」
「手分けしましょう。一人は上の階に登って向こう側から内部を確認。もう一人はジンのパーティーに知らせて一緒にここに来て、合成壁を破壊。ここのモンスターの強さなら、一人でも何とかなるはずだ。ダンジョンの構造は理解しているわけだし」
「なるほど、それでコイン」
すぐにシロナも理解して、コインを取り出す。ペース金貨だ。
「トスは俺がします。その代わり、どっちがどうかはシロナさんが決めてください」
言うが早いか俺はコインを受け取り、上に弾き飛ばす。くるくると回りながら落ちてくるコインを左の手の甲で受けてから、右手で隠す。
これで、コインが裏か表かは俺にもシロナにも分からないはず。
「表。ペース王城が出たら私が上」
「よし」
俺が右手をどけると、コインは十字架のマークの面を見せている。裏だ。
「じゃあ、俺が上に行きます」
「うん」
これで、この結果には俺の作為もシロナの意思も入りようがない。
すぐさま駆け出す俺、そしてシロナも逆方向に駆け出す。
やれやれ、まさかダンジョンで単独行動することになるとは。
嘆息と共に、現れたメタルクラブを爆風で吹き飛ばす。別に倒す必要はない。この辺りをじっくり探索する必要はないのだ。ただ、あの場所まで向かえばいい。上の階にある、透明な壁の向こうに階段が見えたあの場所まで。
スライムを剣で斬りつけつつ、身体強化で飛び越していく。もう床ではなく、壁、果ては天井までを蹴りつけて進んで行く。
しかし、本当に何が起こっているんだ?
そもそも、別れる寸前のハントの発言はおかしかった。それに加えてモーラが作ったらしい壁。一体、何が?
「……なに?」
疑問を自問自答しながら突き進んだ俺は、ようやく目的地に着く。そして、そこの光景に体を硬直させる。足が急ブレーキをかける。
透明な壁の向こうに階段があって、その先に合成壁がある。そして、その狭い空間にハントとモーラがいる。
それが、ぼんやりとだが俺が想像していた光景だった。
だが、その何もない。
透明な一方通行の壁があるべき場所には、真っ赤な壁があるだけだった。
赤い壁。その正体にもすぐに気づく。
血だ。透明な壁に、向こう側から血がべったりと塗りたくられている。いや、塗りたくっているわけじゃあないのか。向こう側で何かがあって、血が散ってしまっているのか。
ともかく、何かが起こっている。
血が塗られているだけなら、通ることができる。意を決した俺が一歩踏み出そうとしたところで、
「止まれっ」
叫びというよりも絶叫が聞こえた。
反射的に俺の体が固まる。
「ああ、誰だ、足音が、した」
すぐに苦しげに濁るその声がハントのものだと分かってからも、俺は金縛りにあったようにしばらく動けない。
ああ、一方通行の壁は声や音を通すんだな、なんてことをぼんやり考えたりした。
「誰だ?」
ぜろぜろという呼吸音の間を縫うようにして声が問いかけてくる。
「ヴぁ、ヴァンです!」
慌てて返事をする。口の周りだけ金縛りが解ける。
「探偵か」
赤い壁の向こう、苦しそうな声がそれでもちゃんと反応する。
「他には、誰がいる?」
「俺一人です。ああ、けど、すぐに全員来ます。そっち側の壁爆破して」
「エニか」
焦って支離滅裂気味な俺の言葉の意味をくみ取って、ハントが返事をする。
「い、一体、何が? 大丈夫ですか?」
「いいか、来るな、無駄死にだ」
ごぷり、と奇妙な音と共に言葉が途切れる。
例えば、血を吐き出したらそんな風になるかもしれない。
「シャドウだ、本当にいた、くそ、こんな馬鹿な。モーラの合成壁も意味がない」
「は?」
空間を自在に操るモンスター、シャドウ。本当にいたっていうのか?
「逃げ込んだのに、やられた。モーラはもうだめだ。俺も、くそ」
悔しがる、というより半分諦めているかのような静かな舌打ちが恐ろしい。
「助からない。逃げろ、いいか、シャドウのことを知らせて、逃げるように言うんだ。誰も敵わない」
今、今、あの赤い壁にぶつかるようにして進めば、あの向こう側の様子が分かる。ハントだって助かるかもしれない。
それなのに動かない自分の脚が、心底情けなくなる。
「ああ、来たぞ、黒い影が、あれがシャドウだ、見えるか、君にも」
うわごとのようなハントの呟きが終わらないうちに、爆音と衝撃が俺の体を揺らす。
「はぁ!? あっ、ああ!」
混乱で体を伏せるが、すぐに何が起きたのか分かる。
爆発。エニが、向こう側から壁を壊したのだ。
「おっ」
何かが起こっているから今動かなければ、という焦燥感からか、それとも壁が壊れたのならば皆がいるという安心感からか、ようやく体が動く。
そして、次の瞬間、自分でも意識するよりも前に、赤い壁に向かって勝手に体が突進していた。
「うわっ」
一方通行の壁を通り抜けようとした瞬間、視界が塞がると同時にべたべたとしたものが体にまとわりつく。
思わず叫んで顔を拭う。
考えてみれば当然で、血塗られた壁を通り抜ければ、当然その血が自分に付着する。
「くそっ」
顔についた血を拭い、何とか目をあけた俺は、初めにエニと目が合う。
そう、エニがそこにいた。崩れ落ちた合成壁の向こうに、エニが唖然とした顔で俺を見ている。エニの横には、シロナが、ウォッチが、ジンが、ヘンヤが、キジーツがいる。
誰もが、唖然とした表情で俺を見ている。
いや、違う。
俺じゃあない。俺と彼らの間にある光景、それを凝視しているのだ。
一方通行の壁と合成壁に囲まれた狭い空間、その空間は血に塗れていた。そして、そこには、誰の姿もなかった。
いや、ただ一つ。
「お、おい、これ」
俺のすぐ足元にあるそれを、震えながら目で示す。
「これ、は」
誰か俺の代わりに言ってくれないかと期待するが、誰も答えない。
「これって、あれだよな」
仕方なく、怯えながらそれを説明する。
「腕、だよな」
二の腕の辺りから切り離された男の腕、いや、はっきりと断言はできないが、これは。
「ハントの腕、じゃないか?」
俺の投げかけに応える人間は誰もいなかった。
「状況が状況だから、確実なことは言えないけど」
と前置きした上で、小一時間程度の調査を終えたシロナが所見を口にする。
「ここにある血液は二種類。その証拠に、混じって凝固している部分がいくつかあるわ」
「モーラとハント、か。計算は合うな」
ジンが顎鬚を撫でる。
「その腕も、ハントか?」
あまり興味なさそうに訊くウォッチに、
「多分、としか言いようがないわ」
肩をすくめるシロナ。
エニは大量の血液に気分が悪くなったのか、壊された合成壁の向こうで壁に寄りかかっている。
「しかし、妙な話だな。シャドウが実在するとはよ」
陰湿な笑みを含んだ目で、掬い上げるようにしてヘンヤが俺の顔を見てくる。
その気持ちは分かる。
あまりにも突拍子がないし、その発言を聞いたのは俺一人だ。俺が疑わしく見えるのも理解できる、が。
「シロナさんが言ったと思いますけど、俺がこちら側に来たのは完全な偶然ですよ」
俺がそう言うと、鼻を鳴らしてヘンヤは目を逸らす。
こういう時のためにコイントスをしたのだ。
「が、しかし、妙なのは確かだ。ハントの言うことが確かだとすると、ここでモーラとハントがそのシャドウとかいう化け物に殺されて、ハントの腕だけを残して死体が消えたってことだ」
ジンが簡潔にまとめる。
「実際に空間を操る化け物がいたら、死体が消えようが何が起ころうが不思議でもなんでもないが、逆に本当にそんなものがいたとしたら、手の打ちようがないな」
絶望と嘲笑を混ぜたような笑みを口の端に浮かべるジンに、
「ハントが死の寸前に嘘をつく意味もないだろう」
冷静にウォッチが言う。
「でもさ」
ようやく喋れるようになったエニが、青白い顔で会話に入ってくる。
「逆に言うと、そのシャドウって奴が犯人なら、私達で協力すればいいじゃん。私達全員が協力して警戒すれば、何とかなるんじゃない?」
その楽観的な観測はしかし、ある種の真理ではある。犯人が外部にいるのなら、この全員が一致団結すればいい。全員が一流のこのパーティーならば、それによってどうにかなるかもしれない。
問題は。
「そうだな」
ジンも、
「ああ」
ウォッチも、
「そうね」
シロナも、
「ふん」
ヘンヤも、
「……」
キジーツも、そして、
「そうだな、とりあえず、協力しないと生き残れない状況なのは確かだ」
俺ですら、犯人が外にいて、ここにいる全員を信頼して一致団結するべきだと、心底から信じられていないところにある。
「とにかく、何がどうなるにしろ、だ」
ジンがそのままばらばらになりそうな俺達の視線を集める。
「ともかく、これ以上ダンジョン探索できるわけもない。戻るべきだ。トレジャー家に恨まれるとしてもな」
誰もが納得するしかない答えを出す。
「ひとまずキャンプに戻るべきだ、違うか?」
異論は出なかった。
発言の主の、ジンを誰しも心から信頼していないにしても。




