イースター大いに語る3
今更傷が痛むのか、イースターは顔をしかめて傷口を触っている。
「自分は、ずっと、ここに自分以外に諜報員はいないと確信していた。ニャンの死体が発見された、あの瞬間までは……奴が殺された以上、自分は囮にしかすぎず、本命の暗殺者が存在していたとしか考えられない。鈍い自分がそこまで考えが至ったのは、ジエリコ混入について話し合っている最中でした」
「あっ、そうだ、ジエリコの混入はイースターさん関係ないんですか?」
あまり考えずにした僕の質問にイースターは呆れた顔をして、
「当然。ジエリコを混入させる理由がない」
そりゃそうだ。
「ともかく、自分がただの囮だと気付いた後は、ただ大人しくしておこうと思っていました……手紙を見るまでは」
「手紙って、何? そんなものあったの?」
「燃やして証拠隠滅しましたからもう残っていないですが、ありました」
「どこに?」
「タリィの縛っている縄に、目立たないように挟んでありました」
「ああー、なるほど、うまいこと考えるなあ」
心底感心したらしくヴァンは唸る。
あのごちゃごちゃとした研究室でタリィに近づくこと自体は可能だろうし、そうやってそこに手紙を挟み込んだのならタリィの持ち運び係であるイースターが気付く。
「その手紙っていうのは、もちろん犯人からですよね?」
一応の僕の確認にイースターは頷き、
「おそらく。とにかく、そこに書かれていたのは一方的な提案――いや、指示だった。例の予言機の爆弾を爆発させて、予言機を破壊しろ。そして、その隙にタリィを殺害せよ。端的に言えばそんな内容だった」
「で、それに従ったと? 従うか、普通?」
非常に真っ当なヴァンの呆れを含んだ疑問に、
「今回の作戦は特別なものでした。自分にも計画がほとんど明かされず、その挙句実は囮だったというように。そこまでしなければニャンは殺せない、それがインコグニートの判断でした。だからこそ、自分は現地で自分で判断することが求められた。その意味で、自分はその指示に従うことを選択しました。どう考えても、その手紙の書き主は自分がインコグニートだと知っている。つまり、ニャン殺害の実行犯でありその指示はインコグニートの指示だと考えられる」
「いくらそうだとしても、そんな無茶苦茶な指示に従う?」
なおも首を捻ってヴァンは食い下がる。
「目的自体はそこまで理不尽ではありません。ニャンの抹殺が元々の目的ですが、予言機の破壊も意味は分かる。予言機は役に立たない聖遺物であるためにその研究でシャーク国の予算を食いつぶしており、かといってもしも研究によって予言機を応用することができれば、それによって世界のバランスが崩れるかもしれない。ニャンを釣る餌の役割が終わった後に後腐れがないように、正体不明の犯人によるものとして予言機を破壊すること自体は理解はできる」
そして、とイースターはふっと息を吐き、
「タリィの殺害に関しては、元々は自分の提案です。逆らう筋はない」
「うーむ、見破られた時に死を選ぶことといい、諜報員の考えはいまいち理解できないなあ」
腕組みをして首を振りながらヴァンは愚痴り、
「まあいいや。ええっと、だから爆弾のことは知っていたんだよね?」
「タリィとニャンのやりとりを分析した際に、導火線と爆弾の情報は入手していました。ただ、あれはあくまでもニャンにとっては最終手段であり、あれの使用が計画に組み込まれている、といった様子ではかった……もちろん、我々に情報を分析されていることを分かっていたニャンが、敢えてそう判断するように我々を誘導したという可能性もありますが」
「それはとりあえずどうでもいいや。どうせ考えても堂々巡りだし。とにかく、あの爆弾を爆発させたのはイースター君でいいんだよね?」
「ええ。これでもプロです。無詠唱で魔術を使用する訓練等は受けていました。あなたとは違い、威力はたかが知れていますが」
「それって何の役に立つの?」
「例えば爆破の魔術で気を逸らしておいて、その間に工作したりとか」
「ああー、なるほど。はは、確かに無詠唱で前兆無しに魔術使ったら皆無茶苦茶びっくりするよね」
「はい。自分がそれができると思われていない状況では、特に」
妙なところで盛り上がっている。
「いや、二人とも。そんな話はいいから、続きを……」
「ああ、申し訳ない」
律儀に謝罪してからイースターは続ける。
「ともかく、ここしかないと思い、自分は爆破して煙に紛れてタリィを殺した……あのタイミングでそれをしたのは、手紙のこともありましたが」
静かな目でイースターはヴァンを見る。
「やはり、あなたが怖かった」
「俺? 俺が何の関係があるの? だって事件は解決されないって予言されてたじゃん」
「確かにあの時点では、そうです。しかし自分はそれを判断材料にはしてない。あの予言機を聞くことで、我々の行動が変化する。そしてその変化した行動が間接的に影響して、あなたが事件を解決するかもしれない」
「全然予言信用されてないな。本気で意味のない聖遺物だなあ」
ヴァンは非常に苦い顔をする。
「何よりも危惧していたのは、あなたがタリィが内通者だと辿り着いていたらしいことだった。そこでタリィを絞り上げた結果、自分たちインコグニートのことが明るみに出るかもしれない。解決できないという予言を聞いて気の緩んだタリィが口を滑らす。それが一番ありうると思った。だから、指示に従ったんです、正直なところ」
「俺が解決したらやっぱりまずいの?」
別に自分が殺したわけじゃないじゃん、とヴァンは理解できないようで何度も首を傾げるが、
「無論です。自分たちはインコグニートだ。本来、存在が表に出てはいけない。それくらいなら」
イースターが押さえていた傷から手を離す。凍っていた血は少し溶け始めていて、赤い血の細い筋が流れ落ちつつある。
「死を選ぶ。これは、我々インコグニートだけではありません。他国の諜報機関も同じようなものです。だから、事件が解決するのはまずい」
「で、やっちゃった、と。ナイフまで用意して。ところが、煙が晴れたらビンチョルも死んでた。やっぱりびっくりした?」
「無論です」
でしょうね。僕でも超驚くだろうな。
「で、今更タリィの持ち物の検査を徹底的にやろうと俺が言い出して、それに付き合っていたらお前がタリィ殺したんじゃない、と言われちゃったわけだ」
「それで死のうとしたのを、止められてこうやって生き恥を晒しています」
視線をやり、自らの傷を魔術で凍らせ直してイースターが息を吐く。
「あのー、別に死んだ方がいいとは全く思っていないんですけど」
多少言いにくいので僕は言葉を選びつつ、
「どうして一度阻止されたくらいで自殺を諦めて、そんなぺらぺら喋ってくれるんですか?」
「あっ、それは俺も疑問」
対するイースターはこれまでの自嘲のものとは違う、自然な苦笑を浮かべて、
「ああ、確かに不自然だろう……事前に、インコグニートの上から言われていたんだ。自分がこの研究塔に来る前。ニャン抹殺の命令が下った時に。やるからには全身全霊でやれ。インコグニートの関与はおろか存在自体、誰にも悟られないように全力を尽くせと。ただし――」
少し面白がっているようなイースターの瞳は苦り切っているヴァンに向き、
「ヴァン・ホームズが関わってきたら、ある程度のところで諦めた方がいい。あの名探偵相手に隠したり出し抜いたりするよりも、正直に事情を明かして協力を請え。学生の頃から謎解きを趣味でやっていた筋金入りだから、謎があると実利抜きでずっと考える酔狂な男だから、考えないように頼むしかない……こんな感じの指示を」
「失礼な評だな」
思い切り不機嫌になったヴァンはそれでも頷き、
「まあ、けど、分かったよ。とりあえず、このまま事件が解決せずに終わるならこれ以上死体が増える可能性は低いわけだよね。オッケーオッケー、そうする」
名探偵にあるまじき発言をしてヴァンは会話を終わらせようとする。
「うえええ、ちょっと、ちょっと待ってくださいよ、それでいいんですか!?」
思わず僕が突っ込むと、
「いや、だって……解決しようとすると困る奴はいるけど、解決しないでも困る奴はいないでしょ。まあ、迎えが来るまでは不安だろうけど、これ以上事件が起きないなら大丈夫でしょ」
「いやいやいや、事件が解決しないと皆もやもやしたままじゃないですか!」
「まあ、地上に出て落ち着いたくらいに、『実はドラゴンイーターを抹殺しようとする秘密組織があってそいつらがやったらしいよ』って教えてあげれば?」
「いや、そんな……」
「よーし、まだまだ眠いから、死ぬほど寝てやろう」
ようやく背中を壁から離したヴァンは、大きく伸びをする。
「それで、ヴァンさんはいいんですか?」
「あのね、事件を解決して嫌なことが起こるよりは、事件を解決しないでハッピーな方が誰にとってもいいでしょ、そりゃ」
身も蓋もないことを言ってヴァンは去っていく。
残されたのは、途方に暮れた顔をしているであろう僕と、苦笑しているイースターだ。
「ココアは、どうする?」
「……これで、僕は一人でも事件を解決しますって言ったら、殺されます?」
一応確認しておく。
「自分は殺さない。ただ、犯人が殺さないとは保証できない」
「ですよね」
どうしよう。
そう悩んでいると、いきなりヴァンがエリアの外から急に顔だけにゅっと入れてくる。戻ってきたようだ。
「そうだ、最後に訊きたいんだけどさ、イースター君、これは個人的な印象とか意見で構わないから教えて欲しいんだけど」
「はい」
「『不死殺し』のナイフの運送屋と殺し屋は別だと思う?」
「おそらく」
「だよね。そこまで徹底しないと意味ないだろうしね」
何度か頷いた後、ヴァンは顔を引っ込めて消える。
「今の、どういう意味ですか?」
だが、イースターは黙って首をすくめるだけだ。