予言は何故外れたか? 2
「少しよろしいでしょうか?」
ずっと大人しかったエジソンが口を開く。
「ココア様のお話、そもそもの最初から考えた方がよろしいかと思います」
「え? どういう意味ですか?」
ショックで頭がぼうっとしていることもあっていまいち意味が分からず聞き返す。
「つまり、そもそも予言は外れたのか、外れなかったのか、を考えた方がよろしいかと」
「いいね。素晴らしい意見だ」
にや、とヴァンは意味ありげに笑う。
「ええっ……でも、予言が外れなかったって、それって、つまり、0時をまわった瞬間からあたしたちが予言機に行くまでのあの僅かな間に、ニャンが両手両足砕いて通気口くぐって脱出した挙句に殺されるってことでしょ? さすがに無理でしょ、無理」
夫の提案をメアリはあっさりと否定するが、
「いえいえ、さすがにそういうわけではないよ、メアリ。ただ、もっと広く視野を持ってもいいんじゃあないか、と言いたかっただけだよ」
結局のところ、とエジソンは僕に顔を向ける。
「予言が外れた、と断言するのは早計ではございませんか? さっきメアリが言ったものだって、現実的にはともかく理論的には予言を外さないで事件が起こることは可能なわけでございますし、他にも予言は外れていなかった可能性はございます」
「あるか? ええっと、確か、ニャンが監禁状態から脱出するか、これ以上事件が起きないかどうか、について予言したんだろ? で、予言はどちらも否定。なのにニャンは脱出した状態で殺されてた……これは、予言外れてないとさすがに無理じゃないか?」
エーカーがもっともなことを言う。
「まあ、待て、エーカー」
首を捻り、思考に沈んだ様子を見せながら、ゆっくりとイースターが言葉を紡ぐ。
「そうだな、あくまでも、そこだけを考えるなら……少なくとも脱走については、予言が外れていない、というのはありうる」
「は?」
エーカーが口を大きく開ける。僕も心情としては同じだ。一体、どうやったらそうなる?
「簡単な話だ。ニャンが殺されてからあの倉庫から死体として運び出されたなら、それは脱出ではない」
少しの間、誰も反応しない。僕も反応できない。ゆっくりと、頭の中でイースターの説明を反芻してから、そうしてようやく疑問と衝撃がじょじょに襲ってくる。
「……ええっと、ちょっと待ってくださいよ。頼むから。ついていけない」
頭を押さえて振りながらディーコンが頼む。
「つまり、そうすると確かに、脱出の方の予言はクリアできる、けど……どっちにしろ、事件がもう起きないって予言の方があるから――」
「ディーコン、そっちの予言は外せるのよ、簡単に」
黙って話を聞き、おそらくはずっと考えていたであろうルイルイが口を出す。
「さっき、ココアが説明したようにね」
「ええっと?」
まだ理解できないのか助けを求めるようにディーコンがこちらを向くが、僕もいまいち理解しきれていない。
そんな僕たちの様子を見てため息をついてからルイルイが、
「さっき自分で言っていたじゃない。『事件が起こらない』という飽和予言を確認してから事件を起こす、そう決めていたら予言は外せるんでしょう? だったら、ニャンを殺す側が予言を外すことはできるじゃない」
「けど、ルイルイ、我々が10時くらいに念のために予言を聞いたという話は――」
ディーコンが反論するが、
「それでも話は大して変わらないでしょう。私かディーコンが犯人なら、そうやって自分の手で予言機を動かして『事件が起こらない』という予言を確認してから殺すと計画していれば問題なし。私たち以外なら、私たちが予言した後で忍び込んで自分で予言機を動かして予言を確認してから殺すと計画していればいい。とにかく、予言機に触ることが難しいニャン以外であれば、予言を外すことは可能ということ。そうでしょ、ココア?」
「ああ、そう、ですね……」
いまいち分かっていないけどとりあえずそう答える。
だがそれでは誤魔化しきれなかったらしく、ヴァンが苦笑いしながら、補足説明してくれる。
「つまりさ、どうして予言が外れたのかが問題になるか事態を整理して考えてみると、それはこういうことだよ。ニャンは予言を外すことができる立場じゃあなかった。予言を聞けないわけだからね。そして、ニャンは自らの意思で脱出したと思われる。だからこそ、予言がどうして外れたか、が問題になる」
確かに、ここまでは、ついてこれる。
「で。ニャン以外が予言を外したのであって、ニャンは結局脱出していなかった、という話になると、途端に予言を外すのは簡単な話になるわけだよ。まあ、実際にはいくつもハードルはあるだろうけど、ニャンが予言を外したって考えるよりははるかにね。ニャンの脱出に関しては予言は外れず、事件の方だけ犯人が外した。そう分けて考えると難易度が下がる」
「そういうことね」
ルイルイが満足げに頷く。
「いや、おかしいです」
だが、その説明を聞いて、考えるよりも先に、僕の口からは否定の言葉がこぼれ出る。ほとんど反射的に。
「そんな方法なんかじゃあないはずなんです。そんなことは――犯人は予言を外した。それは問題ありません。だけど、ニャンの脱出、そっちの予言も外れたはずなんです。そう、この事件では、犯人は予言を完全に外した。それで――それでドラゴンイーターを殺したはずなんです」
何故かは分からない。だけど、僕には確信がある。
フラッシュバックする。あり得ない光景。予言を外し、それで虚を突いてドラゴンイーターを刺し殺した犯人。床に突き刺さっているナイフ。予言機のボタンが押される。そんな、一連のイメージ。それが僕にそう言わせている。
「いや、そう言われても……」
ルイルイは戸惑っている。当たり前だ。おかしいのは、僕の方だ。
恥ずかしいが、だがどうしても、脳裏のイメージから、予言は完全に外された、という確信が消えてくれない。主張を変えられない。
「まあ、俺もルイルイの説はちょっと同意できないけどね」
だが、意外にもヴァンがそう言ってフォローしてくれる。
「それは、どうして?」
ルイルイは冷静だ。
「まず第一に、誰もが思っていることだけど、ニャンを閉じ込めていたあの倉庫1に入ってニャンを殺す方法が分からない。それから、殺した後でニャンの死体を倉庫2に運ぶ方法も……犯人もドラゴンイーターだったらいけそうだけどね、同じように両手両足砕いて通気口通って」
他にドラゴンイーターいないか皆で腕の一本くらい折り合ってみる? とヴァンが言って笑う。どうやら冗談のようだが誰も笑わない。そりゃそうだ。
「第二に、もしそうだった場合、ニャンのやろうとした意味が分からない。何度も言うけど、ニャンは頭がおかしいから俺に挑戦ってことで今回乗り込んできたんでしょ? それが、予言を破る方法を持たずに逆に殺されておしまいって、あいつなんのつもりだったんだってことになるじゃん」
「確かに、その二つの点について、合理的な説明は現在ではできません」
潔くイースターは認める。
「しかし、それを言うなら、予言を外す方法もまた、現時点では合理的な説明はできないでしょう? だったら、こちらも検討の余地はあると思いますが」
「まあ、ねえ」
ヴァンはとりあえず、といった感じで認めて肩をすくめる。
「ちょっといいですか?」
ディーコンがおずおずと声を出す。
「非常に失礼かもしれませんが……率直な意見を」
何が言いたいのか、と全員の視線がディーコンに集中する。
「ヴァンさんは、その、態度からして、何か……あまり本気でこの事件を解決しようとしていない気がする、の、ですが……」
かなり言いにくそうにディーコンが言い放つ。
「ああ、正解正解」
だが、あっさりとヴァンはその問題発言を肯定する。
「そりゃそうでしょ。だってあいつが死んでもはっきり言って何の問題もないし。最初の方で言ったけど、この事件はどうせ闇に葬られて終わりなんだ。潜水館が修復されて迎えに来るまでの間、皆の精神衛生上この推理の話し合いをしてるだけだよ、はっきり言って」
はっきり言いすぎだ。
「解決しなくても、いいと? それは、本心ですか?」
信じられないのか、唖然とした顔のイースターが言う。
「本心、本心。だって面倒なだけじゃん」
探偵の風上にもおけないことを言ってる。
「そういうわけにはいかないわ。この事件がこれで終わるかどうか分からない以上、犯人が突き止められるならそうすべきよ」
ルイルイがかなり核心を突いた発言をする。
「まあ、ねえ。だから、俺も、一応は犯人を突き止めようという努力はしてるよ、努力は。でもさ、逆にこうやって推理をしていって犯人を追い詰めて次の事件が起きる可能性だってあるじゃん。それを考えると、推理に全力投球って感じには、なれないんだよねえ」
ヴァンは伸びをする。
「あと寝てないのもあるか。頭があんまり働かない」
そしてあくび。
「……実際、犯人が大人しくしてるつもりなら、マジで何もせずに迎えが来るまで待っていておしまいにしたいよ。犯人が何をするか分からないから、一応はこうやって推理してるけど。ねえ、何度も言うけど犯人名乗り出てくれない? あんな危険人物殺したからって罪には問われないしさ」
反応は、やはりない。
「……おい、ビンチョル、どう思う?」
いきなりエーカーに声をかけられて、青白い顔で黙っていたビンチョルは縛られたままびくりと体を震わせる。
「え、あ?」
「お前さっきから全然喋ってねえけど、ニャンの協力者だったお前からするとどうなんだ、この事件、更に人が死ぬと思うか?」
「わ、分かるわけないだろ」
当然の反応をしている。
「じゃあ、お前はどうだ、タリィ。お前は何か思うところはないのかよ」
同じように縛られて黙っていたタリィにも声をかけるエーカー。
「……いくら天才でも、そんなことは分からない」
「タリィ、何か言いたいことあるんじゃないの? 気になることとかさ」
そこで、ヴァンが更に突っ込む。
「……どういう意味だ?」
「そこのビンチョルよりもよっぽどニャンのことを知っているし、予言機にだって詳しい。はっきり言って、この事件について一番理解してそうなのはお前だろ、タリィ。その割にあんまり推理も情報も出さないから、ひょっとして何か黙ってるんじゃあないかと思って」
周囲の疑心暗鬼を煽っているとも思えるヴァンの発言にタリィは短く呻いた後、首をぐるりと回す。
「無茶な話だ。俺だって、何も分からない。それでも敢えて気になることを言うなら――」
「言うなら?」
いつしか、ヴァンはタリィの前にかがみ、その目を覗き込むようにしている。
「――……ジエリコの混入、これが、予言されなかったのは、少し違和感がある。これくらいか」
「え? ジエリコを服用すること自体は日常的なことだったんですよね。だから、特筆すべき事件には該当しない。そういう話だったんじゃあないですか?」
思わず僕は口を出す。
「ああ、そうだ。だが、こういう考え方もできる。ジエリコの服用自体は事件ではないが、ジエリコの混入は特筆すべき事件に該当してもおかしくないはずだ。だから、俺たちがジエリコを飲むことを事件としてカウントしないにしても、誰かがジエリコを混入したことを事件としてカウントしてもよかったんじゃあないか、とは思う。微妙なところだが」
「何言ってるんだよ。それは、簡単な話じゃん。要するに――」
何か言おうとしたヴァンの顔が固まり、視線が宙を彷徨う。
「――ああ、そうか」
何かに納得したヴァンは頷き、そして首を傾げる。
「あれ? いや、だとすると――まあ、いいか。で、他は?」
「他?」
「他に何か言いたいことはないの?」
僕が少し鳥肌が立つくらいに冷たい目をして、ヴァンはタリィを見下ろしている。
「……ない。心当たりは、ないな」
「だったら、事件がこれ以上続くかどうかは、タリィにも分からないわけだね」
そう言ってヴァンはタリィから離れる。
何となく、全員がほっとして安堵の息を吐く。ヴァンがタリィにじょじょにかけていたプレッシャーが、周囲にも波及していたようだ。
「あれっ」
そこで、素っ頓狂な声が上がる。メアリだ。
「ちょっと、ちょっと! 超いいこと考えた。超いいこと。どうして今まで思いつかなっかんだろ、不思議」
興奮して飛び跳ねている。
「落ち着きなさい、メアリ」
エジソンが宥めるが、興奮は冷めやらない。
「いいことっていうのは?」
ディーコンが促すと、メアリはぶんぶんと両手を振りながら、
「事件がこれ以上続くかどうかが知りたいなら、予言機に予言してもらえばいいじゃん」
しばらくの沈黙の後、僕たちは全員が一斉に顔を見合わせる。
そういえば、そうだ。