宣戦布告1
よろよろと立ち上がったイースターは、その乱入してきた二人――ニャンとビンチョルにとびかかろうとしていたが、
「ああ、悪いけど、外の『荷物』を中に入れてくれない?」
と予想外のことを言われて毒気を抜かれたらしく、思わずといった様子で素直にドアの外、つまり警備室に目をやる。
そこにはエーカーが倒れている。死んでいる? 心臓がぎゅっと縮んだが、ひょこひょこと警備室に出ていったヴァンは傍でかがんで、
「気絶しているだけだね……さあ、イースター、とりあえず指示に従おうよ、ここはさ」
気絶させられたエーカーをヴァンとイースターの二人がかりで背負い運び入れ、僕と手錠をしたタリィはそのままに、端に移動させられる。
イースターはなおも明らかにとびかかるタイミングを見計らっている様子だったが、それをヴァンに目で制される。いや、それだけでなく。
「抵抗はしない方がいいと思うよ」
と言葉に出してしまう。
「ドラゴンイーターって言ってもピンキリだろうけど、仮に怨公レベルだとしたら――人間レベルで天才って呼ばれる魔術師、つまり俺ね、それから同じく人間レベルで最高峰の戦士が数人、それに準じた大勢の兵士、そして聖遺物。これらが揃っていてなおかつ不意打ちをして、結局倒せなかった。倒したのは別のドラゴンイーターだったからね。今この状況で、ドラゴンイーター相手に戦いを挑むのは無謀だよ」
「いやいや、怨公と比べられるとね。あたしなんて、へへへ」
にやにやとしまりのない顔したニャンは、
「ただ、そこの名探偵の発言で合ってることもある。この塔の中にいるメンバー程度じゃあ、どんな手を使ってもあたしを制圧なんてできないてところはね」
「いやあ、久しぶりじゃあないか、ニャン」
と、馬鹿みたいに大きく快活な声をあげて、タリィが喋りだす。
「済まないとは思っていたんだ。君の脚本通りに進めていた。凡庸な芸術家たちの死と引き換えに、君という至高の芸術家が復活する。劇的で、素晴らしい脚本。まさか、名探偵がそれをひっくり返すとは、このタリィも思わなかった」
「ああ、タリィ。別に責めはしないわ」
「ありがとう」
ぶんぶんと首を振るタリィ。忠犬みたいだ。
「それにちゃんとクロイツをぶっ殺してくれたしね。あいつ、ねちねちねちねちあたしの作品の批評風暴言を繰り返しやがって、在学時代からいつか機会があったらぶっ殺してやろうと心に決めてたからね」
「……まあ、そういうところがある男だったぜ。なにせ、陰口が芸術より好きな男だったからな」
声。見れば、頭を振りながらエーカーが体を起こすところだ。
「ああ、エーカー、久しぶりじゃん」
「ついさっき会っただろうが。目があった瞬間に気絶させられたがよ」
「騒がれたくなかったからね」
さて、とニャンはまだ開け放たれたままの警備室からのドアに目をやり、
「じゃあ、ええとそうね、タリィとエーカー、元学友のよしみで、悪いんだけど残りの塔の中にいる人間を全員ここに集めてくれない?」
「おいおい、船員連中を集めたら何人いると――」
エーカーの反応は、
「ああ、船員と潜水館は追い払ったから、元々ここにいる人間しか後は残っていないよ。潜水館は結構破損しちゃったから、また潜水しなおしてここに来るまで、そうねえ、どれだけ頑張っても一日はかかるんじゃない? あたしだったら数分で直すけど」
絶望的な、ニャンの説明にさえぎられる。
それはつまり、ニャン、そしてさっきから喋っていない餓えた獣のようなビンチョル、この危険な二人と一緒に湖底に閉じ込められたことを意味している。
顔色の変化を読み取ったらしく、面白いものを発見した顔でニャンがこちらを向く。
「あっはっはっ、心配しないでよ、大丈夫。さすがに、この塔を最終的に爆発であたし以外全滅、なんてことにはならないから安心してよ。観る人間がいないと芸術なんて虚しいものでしょ?」
それから、ぱんぱんと両手を叩いて、
「ほらほら、さっさとタリィとエーカーは他の人たちを呼んでくる。いい? もしここで誰かを匿ってこの部屋に呼び出さなかったら、そいつ見つけ次第殺すからね。ちゃんと全員呼んできてよ」
おそろしいことをさらりと言う。
「殺すつもりなら全員この場で殺してる。一応、今のうちは従っておいた方がいいと思うよ」
どっちの味方なのか、ヴァンが言い添える。
こうして、研究室でお茶を飲んでいたルイルイ、そしてディーコンがつれてこられる。どこまでタリィとエーカーから聞いたのかは分からないが、二人とも青い顔で。
「まず、皆さんが気になっているだろうことから解決していこうかな」
予言機の前に立ち、全員を睥睨しながらニャンが語る。
「あたしの目的はただ一つ、そこにいる名探偵と決着をつけることだけ。だから、他に不必要な危害を加えるつもりは全くないわ」
じゃあ、必要だったら危害を加えるつもりじゃないか。
そう内心突っ込みながら、周囲を観察する。明らかにヴァンは静観の構えだけれど、他の人はどうだろうか。特に怪しい動きはない――いや。
発見する。斜め前に座ったエーカーの後ろポケットが、異様に膨らんでいる。さっきまで、立っていたからシャツに隠れて見えなかった。明らかに、ルイルイとディーコンを呼びに行く前にはあんなものはなかった。警備室かどこかから、武器を調達したのか、抜け目ない。
そしてもう一人。ディーコンも後ろ手に何か液体の入ったボトルを握っている。あれは研究室からだろうか? なるほど、やはり黙って従ってたまるかという反骨心はあるらしい。
「んで、皆さんには、これから世紀の大芸術家ニャンと、名探偵ヴァンとの対決を目撃して歴史の証人になって欲しいのよ」
「芸術家と探偵は普通対決しないでしょ」
小声で、しかし吐き捨てるようにメアリが言う。命知らずな。
笑顔のニャンがメアリの方を向き、おそらくはそれを受けて反射的にイースターが立ち上がる。守ろうとしたのだろう。だが、立ちあがった瞬間、まるで両足が棒か何かに変わったかのようにぎくしゃくとした動きで二度三度足踏みした後、そのまま倒れるように座り込む。
「心配しないでよ、ああっと――イースター君だっけ? ともかく、ちょっと口ごたえされたからって怒りはしないって。むしろ、素晴らしい意見だしね。そう、芸術家と探偵は対決しない。けど」
「お前は芸術家じゃなくて犯罪者でしょ」
侮蔑を隠さない口調でヴァンが言う。
「ちょっと、先に言わないでよ。まあ、そうそう。あたしはニャン。犯罪芸術家のニャン。へへ、犯罪芸術家って凄く頭悪い肩書ね」
自分で言っておいてニャンは自分で笑う。
「まあ、実際に自分の手を汚したのはそこのヴァンの眼球を奪ったくらいで、他はほとんどプロデュース業だけど。怪盗セイバー、それから、ほら、ここにいるビンチョルが所属していた犯罪組織みたいなのを手足にして、色々と暗躍してきたのよ」
タリィにも脚本通りに殺してもらったりしたね、とニャンはタリィに微笑んでから、
「ああ、潜水館の事件についてはイレギュラーだけど。まさか、あそこであんな連鎖殺人が起こるとは全然思ってなかったもん。沈めたのはあたしだけど」
いきなり、聞き捨てならないことを言う。
「そ……それは」
驚愕の面持ちでエジソンがふらふらと立ち上がる。
「ああ、だからあれはエジソンさん、あんたのミスじゃないって。あたしがやったのは、欲にまみれた人間に適当な犯罪の脚本を提供して竜玉を取らせること。それから、破壊工作をしておいてその時に潜水館が破損するようにしておいたのよ。部下にね。部下っていうか、このビンチョルに」
「ビンチョル? 何の関係があるんだ、そいつに」
ヴァンの質問は、おそらくは部屋にいる全員の疑問を代表したものだ。
いきなり名前が出たビンチョルは、やつれた顔ににやり、と凶暴な笑みを浮かべると、懐に手を入れて、取り出した『それ』をゆっくりと自分の顔に持っていく。
『それ』は、記憶にある仮面だ。
「――お前が、アオか」
唸るヴァン。
メアリ、エジソン、ディーコンの、あの事件の関係者である三人も言葉もなく驚愕している。
「この潜水館で気軽にカルコサ湖への潜水を楽しまれるようになったら、すぐにこの研究塔が発見されちゃうでしょ? そしたら、色々と楽しい実験ができないじゃない。せっかく、そこの名探偵の目をえぐってまで鍵を開けたのに。まあ、さすがに今回のは国を挙げて調査されちゃったから諦めたけど」




