推理4
「つまり、この事件の最初の密室――あの聖域にハヅキがやってくるよりも前にできていた密室は、その仕組み自体は非常にシンプルで、ありふれたものだったんだよ」
唖然とする僕たちと、睨みつけているケイブを気にする様子もなくヴァンは語る。
「瀕死の人間が何とか部屋に逃げ込み、中から鍵をかけたところで限界がきて死んでしまう――まあ、密室のつくり方としてはとてつもなく簡単なものだ。最初に考えるくらいのものかもしれない」
「いや、だって、ヴァンさんの話、だと、イワンは人を襲った側なんじゃあ……」
「うん。だから、返り討ちにあった、というと違うか、まあ、相打ち、が一番近いのかな。イワンは例のナイフもどきと魔術を利用してケイブを殺した。本当は死んでいないけど、イワンからするとね。で、その時にイワンも反撃で刺された。致命傷になったのはそれだよ。ただ、その時点ではイワンはそれを致命傷だと思っていなかったんだ。それが、奴の命取りになった」
「ええっと」
分からないことが多すぎて、混乱する。自分の頭の中を整理するために、思いついた疑問を全部口に出していくことにする。
「それって、そもそもどこで起こった話なんですか?」
「あのホテル『ガレージ』の地下、ケイブの部屋かその近くで起こったんだと思う。じゃないと、これ以降の展開が不可解だからね。イワンからすると、ケイブに致命傷と思われるものを与えた後、大急ぎで逃げ出す必要があった。まず、ケイブを殺しきれていなかったというのが一つ。瀕死のケイブに反撃を受けたし、更に攻撃を受ける前に逃げないと殺されると思ったんでしょ。実際にはそもそも瀕死じゃなかったんだけど、それは置いといて。とにかく逃げ出した。もう一つ、ケイブを殺したとなると恐ろしい報復が予想される。なんたってケイブは犯罪組織の人間なんだからね。殺されるのは間違いないと思った。とにかく、死にかけのケイブから逃げ出して自分が犯人だとばれないようにする必要があったんだ」
睨むケイブをちらりと見てから、ヴァンは続ける。
「当然、イワンは人の目に触れないルートを通る。それが、地下からの例の裏道だよ。俺もまともに通るのが難しいような道だけど――炎と氷の専門家で、一流以上のイワンなら、あの道を通って例の屋敷まで辿り着くことはできる」
「致命傷を負った状態で、ですか? それ以前に、途中で力尽きそうな気がするんですけど……」
「発見時、イワンの血液や傷は凍りかけていたってメモされてる。まあ、気温的にそれはそこまでおかしなことじゃあないんだろうけど、最初から凍っていたって可能性もある。つまり」
「魔術で、凍らせての止血……」
「うん、で、それがうまくいきすぎてイワンはそれが致命傷だって気づかなかったのかもしれない。本当のところはイワンが死んでいるから分からないけど、とにかくそうやってイワンは屋敷まで逃げ出した。だけど、そこで傷もあるし、あの道を通るのに魔術を使用してそれで神経を使いすぎたこともあってだろうけど、屋敷の外まで逃げ出すほどの力が残っていなかった。ひょっとしたら、意識も朦朧としていたのかもしれない――そしてそれは一時的な疲れのためだとイワンは思った。ともかく、イワンは例の聖域にたどり着いて、追手を恐れていたから扉の鍵をしめた。これで、密室の完成だ。それから、最後の力を振り絞って凶器であるナイフもどきを囲いの中に隠して、そこにも鍵をかけた。もちろん、一時しのぎだ。いや、ひょっとしたら一時しのぎにすらなっていないかもしれない悪あがきだ。だけど、やらないよりはマシだとイワンはその鍵を飲み込んで、そこで意識を失った」
「いや、やっぱり無理がある気がするんすけど」
アオイが首をひねる。
「さすがに、その状況ではイワンは自分がどういう状況かって気づくんじゃないっすか? だってどんどん気が遠くなってるんでしょ? その状態で鍵を飲み込んでも意味ないことくらい分かるんじゃないすか? それくらいなら、ともかく助けを求めようとするんじゃないっすかね。医者を呼んでくれ、とか」
まあね、とヴァンはその指摘に逆らわず、
「ただ、イワンの想定だと、まず聖域に鍵をかけることで組織の追手は入ってこない。次に聖域に入るのは、ソラ、ギンジョ―、ハヅキの誰かだ、って計算があったはずだよ。で、彼らだったら、意識を失った自分を見つけたら介抱するなり医者を呼ぶなりするだろうって、そう思っていたんじゃない? さすがにそのまま殺されたり放っておかれたりはしない、と。ともかく、イワンはまさかそのまま自分が死ぬなんて思ってなかったんだ。想定が甘すぎるとは思うけど、そういう奴っぽかったからね、イワンって。無駄な自信家で前向き思考というか。で、そうやって介抱されていて自分の意識がない時に凶器が見つかるのはまずい。多分、ナイフもどきを隠して鍵を飲み込んだのはその程度の考えだったんだと思うよ」
「だけど、イワンはそのまま死んでしまった……」
ようやく、ヴァンが言わんとする筋書きが大まかにだがつかめてきた。
「おまけにそれを見つけたハヅキはパニックを起こしてそのイワンの死体にさらに攻撃を加えたんだけど、まあそれはいいや。で、そういうわけで胃の中の鍵の話も密室の話も解決したんだけど……何か反論、ある?」
「当たり前だ」
強烈な怒気を発しているケイブは、そのヴァンの言葉をきっかけに破裂するように反論しだす。
「まず、お前の言っていることはただの妄想だ。何の証拠もないだろうが」
それでもぎりぎりのところで激昂するのを抑えているのであろうケイブが口にしたのは、なかなかに真っ当な反論だ。僕もそう思う。
「それは否定できないけどさ、あー、俺が重視するのは鍵だよ。胃の中にあった鍵。あれ自体は、さっき説明したように大したことのない、悪あがきの産物だよ。けど、あれがあることによって、いくつか推測できる。まず、飲み込んだのはイワンの意思であろうこと。そうなると、あの聖域に入ったのも生きていたイワンのはずだ。外で鍵を飲み込んだイワンの死体をあそこに運ぶなんてなかなか想像できないからね。で、鍵を飲み込むくらい追い詰められていたことと、実際にあの場所が密室になっていたことを結び付けると、死にかけのイワンが聖域に自ら逃げ込んでから中から鍵をかけて密室にした、っていうのはなかなか有力だとは思わない?」
「……だとしてもよ。そりゃあ、俺以外の人間でも成り立つだろうが。どうして、犯人が俺ってことになるんだよ? まさか、さっきのショウトウとかいう小悪党が出頭したからってのが理由の全てじゃねえだろうな?」
「それは、まあ、あるよ。正直、最初はそれで目途をつけた。ただ、いくらなんでもそれだけで犯人確定はしないよ。それ以外であんたが犯人だと思った理由は、大きいのは二つ。一つは、イワンが裏道を通ったであろうことだね」
そう言えば、ヴァンは当然のようにイワンが通ったルートを裏道だと断言していた。
「探偵士諸君が必死で聞き込みをしてくれたらしいけど、この周辺で事件に夜に不審な人物は目撃されていなかった。致命傷――まあ、本人的には重傷くらいかな、ともかく、それをくらった人間が傷をかばいながら歩いたら、その目撃証言が出てきてもおかしくない。だけど、その証言が出てきていないということは、傷を負ったイワンは人の目につかないルート、つまり例の裏道を通った可能性が高い。でしょ? で、そうなると、一刻も早く逃げ出したいイワンがわざわざあんな通りにくいルートを選んだ理由は何か? 一番シンプルな理由は、そこが一番近かったからだ。ホテルの地下に部屋があるケイブが一番怪しいって考えるのには自然でしょ」
「てめえ、それは――」
「第二に」
反論しかけるケイブを、ヴァンが二本指を出して止める。
「イワンは相手を殺した、そこまでいかなくても命に関わる傷を負わせたと思っていた。そう思っていたからこそ、死んだ場合のことを考えて鍵を飲んだはずだよ。だから本来、深い傷を負っている奴を捜せばいいだけの話だった。ところが、そんなダメージを負っている人間は、少なくともアオイとココアが話を聞いた関係者の中にはいなかった。傷を隠していたとしても、顔色が悪かったり挙動がおかしかったりしてそうなものなのに、そんな話はなかった」
話の行く先がようやく見えて、うっと声を漏らしそうになる。
「だとしたら、イワンからすると致命傷を与えたはずなのに、実は致命傷でも何でもなかった。そんなケースが思い浮かぶ。だけど、どうやったらそんなことが起こるか――もう、分かるよね、『死にぞこない』のケイブなら。そう、多分、イワンは内臓を――ひょっとしたら心臓かな、そのあたりを突き刺した。ところが、そこに内臓がなかった。そういうことなんじゃない? だから、イワンからすると殺してしまった、と思うけど、刺された側は元気だった――致命傷を負わせたはずのイワンが反撃を恐れて逃げ出したのも、瀕死のはずの相手がぴんぴんして反撃してきたからじゃないかな」
にやにやと笑ったヴァンは、打って変わって顔を歪ませているケイブの体のあたりを指さす。
「だから、あー、身体検査させてほしいんだよね。そこで、真新しい傷がなければ、この話は俺の盛大な勘違いで終了だよ。どう、身体検査許可してくれる?」
「……断る」
脂汗でじっとりと顔の表面を濡らしたケイブが絞り出す。
「俺は、『職業柄』、傷が絶えないんだ。生傷があったからって、それでイワンって小僧に刺されたってことにされて、犯人だって言われたらたまらねえよ」
「あー、ははっは、まあねえ」
ずっとにやにや笑いを消さずに、ヴァンは同意する。
「じゃあ、もし傷があったとしたら、その傷がどういう経緯でできたのか、俺たちで裏どりできるくらいに教えてくれる?」
「いいや、そっちはそっちで別の暴力沙汰でぶち込まれることになるかもしれねえからよ、黙秘させてもらうぜ」
「黙秘したら殺人犯になるとしても?」
そのヴァンの揺さぶりにケイブは沈黙で答える。
「……んー、なるほど、じゃあ、別の方向から行こうか」
ヴァンはそう言うと、例の金属の棒を取り出す。中が空洞になって、歪んでいるあの棒だ。
そして、ヴァンがそれを取り出した瞬間、ケイブの顔が目に見えて蒼白になる。
「あの、結局、それって何なんですか?」
喋れそうにないケイブの代わりに、僕が質問すると、
「これ? これはつまり、『動機』だよ」