ホテル2
もし待たれている方いらっしゃいましたらお待たせしました。
書き溜めできましたので投稿再開します。
シンダイで唯一のまともと言えるホテル、ガレージは何度か改装と増築を行っている。その結果、最初期から残っている部分は古く不便なことから、そのまま従業員用の控室や用具入れに利用されているらしい。
「で、地下もそうなんすよ。昔はこのホテル小さかったんで地下の客室使ってたらしいんすけど、地上で客室足りるんなら地下使わないでしょ、普通」
「余程安かったら考えますけどね」
取材での出張のことを思ってそう返すが、普通の宿泊客は確かに外の景色が見える部屋が空いているなら地下の部屋には泊まらないか。
「その地下に昔使っていた出入口があるっていうのは、どういうことなんですか? 地下でしょう?」
アオイの後ろをついて歩きながら気になったことを尋ねる。いまいちイメージが浮かばない。
「ああ、そうっすよね。ええとですねえ、ほら、この辺山が多いじゃないっすか。急な斜面だらけで。このホテルも、裏は斜面で地面が下がっているんすよ」
「はいはいはい」
ようやく頭の中に具体的なイメージが形になる。
「つまり、裏から見るとこのホテルの一階が二階で、地下が一階に見えるってことですね」
「そうそう、そうっす」
喋っているうちに、目的地に着く。フロントに話を通して、案内されたホテルの支配人室だ。そうは言っても大したことはない、何の変哲もない扉だ。
ドアをノックすると、すぐに貧相な男が顔を出す。
「はいはい、どうしました?」
支配人、というよりも御用聞きといった方が正しい風体と態度の男に、アオイは簡単に自分の身分を紹介する。それから、目的も。敢えて僕の説明はしないようだ。何も説明しなければ、僕のことも探偵士だと勝手に勘違いしてくれる、という目算なのだろう。
「はあはあ、なるほど……で、地下を見たい、と」
「構わないっすか?」
「ええ、そりゃあ、まあ。事件があったのは知ってますからなあ。でも、もうここは別の方がチェックしたと思いますが。いや、まあ、へへへ、お上に逆らうつもりなんぞありせんよ」
卑屈な笑みを浮かべて男は部屋から出てくると、
「ついてきてください」
と支配人らしからぬ腰の軽さでさっさと歩き出す。
隅の方にある、「従業員以外立ち入り禁止」の札のかかった明らかに後付けの扉を抜け、その先にある薄暗い階段を降りていく。
「しかし大変なものですなあ」
「いやあ、そうなんすよ。一度調べたところをまた調べるっていうのが日常茶飯事で。ご主人には申し訳なく思ってるんすよ、本当に」
階段を続いて降りながら、アオイがおそらくは口だけの謝罪をすると、
「ああ、いやいや、へへ、あれですよ、『歪杯の会』のことです。本部であんな事件があって、ソラも大変でしょうなあ」
妙に気安い、それでいて心底心配しているというよりかは皮肉な口調に、僕はちょっとひっかかる。だが、
「ああ、そうっすねえ。支配人としても心配っすよね、知らない仲じゃあないんだし」
アオイはそんな風にごく当然に応対している。何だ?
そんなことを考えているうちに、とうとう地下に着く。
客用ではないからだろう、薄暗い。そして古びている。さすがに壁がひび割れたりはしていないし、一応清潔にはしているのだろうが、それでも壁紙や床は変色しているし、地下なこともあってか空気自体が湿っぽい。元々客室だったこともあって廊下にもそれなりに調度品は揃っているが、そのどれもが趣味が古い。
「こっちです」
「あの、すいません、支配人。いくつかドアありますけど、従業員の控室ってどれですか?」
湿気のせいか多少べたつく感じのある床を踏みながら、気になったことを問う。
もしこのホテルの地下から現場の裏口のルートが使われた場合、怪しいのはこの階を出入りできる従業員ということになる。この、支配人を含めて。
「ああ、ええと、こちらとこちらは物置。従業員の控室――休憩とかで使っているのはそこの奥の扉になりますよ」
元客室だけあって整然と並んでいる扉を指さしながら支配人が説明をしてくれるが、
「あれ、そこの部屋は?」
一つ、扉を飛ばして説明しているので気になる。
「あっ、ああ……そこは空き部屋ですよ。そこも物置だったんですけど、物が少なくなってただの空き部屋になったんです。へへ」
とってつけたような言い訳に引っかかる。怪しい。今度、こっそり調査してやろうと心に決める。
「こっちです、ほら、これが今は使われていない出入口」
そう言って支配人が案内したのは、地下階の隅、扉が存在すること自体を隠すかのようにごちゃごちゃと何か中身の入った木箱や樽の置いてある区画だ。なるほど、よく見ればどす黒く変色した木製の扉が木箱に隠れるようにしてある。使用禁止の旨が書かれた紙が貼りつけられている。
持ってみると木箱は多少重い。とはいえ、少し横にどけてこの扉を開けることができるくらいのスペースをつくるのはそこまで手間ではないだろう。僕とアオイ、支配人でさっさと邪魔な木箱をどける。このくらいの障害なら、事件でこの扉が開けられた可能性はある。
「ええっと……うーん」
だが、アオイはその扉のノブに手をかけたまま、唸る。
「やっぱ、報告通りっすねえ」
「え、何がですか?」
その問いに、アオイは無言でこちらを見てから扉からのく。やってみろ、ということだろう。代わって扉の前に立ち、ノブを回そうとするが、
「うっ……むむむ」
全然動かない。いや、何してるんだ?
「支配人、鍵を」
「かかってませんよ。かける必要がないんで。普段箱とかで防いでますしね」
「え? いや、だって」
現に閉まっているじゃあないか。まるで動かない。
「この季節は、こうですよ。湿気が多い上に、構造上、上から水が流れ込んでくるんで、向こう側で扉が凍り付いているんです。影になってるから夜中に凍ったら一日中溶けない」
「えっ、じゃあ、これ、どうやって開けるんですか?」
「支配人、確か炎の魔術が得意なんすよね?」
「まあ、比較的は」
隠さず嫌そうな顔をしてから、支配人は僕をどかして扉の前に立つ。
「じゃあ、ちょっと時間をもらいますよ」
ため息をついてから、支配人は両手を扉にかざす。
何をしているのか、理解する。魔術だ。炎の魔術で、氷を溶かしているのだ。実際に炎を出現させている、というのではなく、扉の温度を上げているのだろう。
「焦がすわけにもいきませんからな、かなり、その、『弱火でじっくり』やっていくしかないんで、申し訳ありませんが時間がかかりますよ」
「まあ、ちょっとくらい待ちますよ、ねえ、アオイさん」
「そうっすね、ちょっと待つくらい。こっちが無理を言ってるんすから」
会話が途切れる。支配人は、完全に魔術に集中しているようだ。こちらを気にしていない。今しかない。
「あの、アオイさん」
こっそりと耳打ちする。
「ん? 何すか?」
「いや、支配人って、さっき会話でありましたけど、『歪杯の会』の関係者なんですか?」
だとしたら、かなり有力な容疑者になる気がするけど。
「ああ、そのことっすか。ほら、例の、昔の事件の話、あったじゃないっすか。『黄金の瞳』の」
「ああ、はいはい」
「あそこで名前は出たと思うんすけど」
「え?」
思わず、扉の前で集中している冴えない男を見返す。
「支配人の名前は、ホージョウっすよ」
結局、扉が開くまで一時間弱かかった。