過去への導入
詳しい話はヴァンに聞けばいいから、ということで先に現場の捜査を進めようという話になった。僕としては今すぐその被害者の過去やヴァンとの関係を知りたいところだが、とはいえ死体をさっさと片付けなければいけない状況では先に現場の捜査をしておきたいのも確かだ。もっとも、捜査と言っても実際の正式な捜査は現地の探偵士がやっている。僕のやるのは、非公式な、ヴァンに後から質問された時のための情報収集としての捜査だ。
「それにしても、どうしてイスウの事件でシャークの、しかも引退してる探偵のヴァンさんが呼ばれてるんですか? それも、僕みたいな民間人を現場に入れてまで」
現場の簡単なスケッチをメモに描きながら訊いてみる。
「そっちがそれを言うんすか?」
アオイは眉をひそめる。
「正直、こっちだって嫌っすよ。民間人を現場に入れるなんて、そんな要望を聞き入れてまで、ヴァン・ホームズって引退した他国の探偵に協力してもらういわれは本当はないはずっすからね。ただまあ、この件についてはよく分からないんすけど、とにかくマサカドさん――いや、うちの上の方からそうしろって話が降りてきてて」
「政治的判断ってことですか?」
スケッチ、それに備考のメモを書き込んで、ひとまず完成させる。
「さあ? 個人的な感触で言うと、政治的ってよりはむしろ、そうしなきゃ事件が解決できないって話になっちゃってるって感じっすけど」
「ふーむ」
そのあたりもヴァン本人に訊いてみたいとなあ、と思いながら触れないように気を付けて死体を観察していく。死体にある程度慣れてしまった自分が悲しい。
頭などに強く打ちつけた跡。首に深い切り傷。腹からも血――おそらくは刺し傷。どれが致命傷なのかは分かりにくい。死んだ後の傷かどうかなら出血の量で分かる、というのは素人でも聞いたことがあるが、傷が凍っているため判別しにくい。
しかし寒い。心理的なものなのか、それとも現実に体が冷えてきたのか。おそらく両方だろうが、少し震える。
箱の中。例のナイフもどき。よく観察して見れば、柄にあたる部分には薄く血痕がある。
「……被害者、ええと、イワン・ディーでしたっけ。彼が持っていたんですかね、このナイフみたいなの」
「どうっすかね。もちろん調べてはみますけど、結論はでないかもしれないっすね。ただ、可能性としては高いでしょ。さっき言ったように、その中にはご神体しかなかったはずなんすから。それが、事件後に死体と一緒に出現したとしたら、考えられるのは二つ」
「被害者が持ち込んだか、それとも犯人が持ち込んだか、ですね――そういえば、この箱の扉の鍵はどうしたんですか?」
さっきアオイは力づくでこじ開けたといったようなことを言っていたが。
「それが今のところ見つからないんすよ。本来の保管場所はほら、そこの壁にかかってたはずなんす」
なるほど、確かに壁にはフックが付きだしている。ここに鍵をかけるはずなのか。というか。
「ここに鍵があるんなら、そもそも錠をかける意味ありませんよね、ここ」
「そりゃそうなんすけどね。聞いた話によると、結局この場所――聖域って呼ばれてるんすけど、この聖域に来れる人間が限られてますから、ほら、例の扉があるし。なもんで、その先にあるこの箱についてはあくまでも一応、みたいな感じらしいっすね」
「ふうん」
いいながら今度はこの聖域とやらと外のトンネルを隔てている壁を内側から調べてみる。やはり、内側から見てもこの壁はまともな方法では通るのは難しい。土の魔術を使って、この壁を迂回するようにすれば外から中に入ることは――いや、無理か。一流以上のディガー(穴掘り職人)でなければ、崩落が恐ろしすぎてそんな真似はできないだろう。
ミスリル合金の扉の方は――なるほど、内側からは施錠も開錠も可能、か。それ以外は、特に気になる点はない。ともかく、この扉も壁も、この聖域が厳重に隔離されていることを意味している。
「もう、現場はいいっすか? そろそろ、死体の方を――」
「ああ、はい、大丈夫です」
あとでヴァンに文句を言われたとしても知ったことじゃあない。来ないのが悪い。返事をしてから、アオイに向き直る。
「さて、それじゃあ、現場以外を見せてもらうか、もしくは関係者の方々の話を聞きたいんですが――あの、その、ここまでの話からすると、関係者の方々って、ひょっとして何らかの宗教の関係ですか?」
ご神体、だの、聖域、だのいう単語からしてそうとしか思えない。
「ああ、そうっすよ。比較的新しい宗教団体っすね」
さらりと答えるが、新興宗教か。なかなか厄介そうな感じだ。
「名前は、『歪杯の会』っす。聞き覚えないっすか? そう、なんとあの、ソラを教祖とする――あっ、そっか、何も知らないんですっけ」
つまらなそうな顔をしてアオイは途中でやめる。どういうことだろう? ソラ? それが、誰なのだろう? 話からすると、さっきのイワンやヴァンと関係があるのか?
「上の部屋に関係者の人たちには集まってもらってるんすけど、そうっすねえ。やっぱさすがに、簡単に説明しとかないと難しいっすかね」
うんうんと一人で納得したアオイはその聖域から出ていきながら、
「じゃあ、ちょっと話しながら歩くっすよ。昔、名探偵ヴァン・ホームズが引退する前に解決した、ある盗難事件についてっす。諸事情があってあまり一般には知られていない、黄金の瞳盗難事件って呼ばれてる、不思議な事件っすよ」
僕は慌てて後に続きながら、その話をメモする準備を進める。