推理1
解答編開始です。毎日投稿の予定です。
大勢の探偵士によって部屋は確保される。
「なにせ相手はセイバーなんだ。生半可な包囲じゃあ、簡単に突破されるかもしれない。それで、まあ、こういうことになったんだけどさ」
でもやりすぎじゃあないかな、とヴァンはうんざりとした顔で部屋を埋め尽くす探偵士を見回す。
ホテルの一室にこれだけの人数が入るなんて想定されていないだろう。ひょっとして、床が抜けるんじゃあないかと僕も心配になってくる。
「相手は、セイバーです。念入りの上に念を入れるようにと、そういうご指示だったと思いますので、我々としても全力で事に当たらせていただきました」
探偵士の中の一人、おそらくは役職付きであろう探偵士が一歩前に出て敬礼する。背が高く、体格もいい。まだ若いようだが、有能さと生真面目さを全身で証明している。
「いやあ、まあ、そうなんだけど……部屋にここまで人を入れるとは思ってなかったからさ。普通、部屋に数人、その外の廊下にも数人、そしてホテル自体も数人で取り囲むとか、そういうことじゃない?」
「もちろん、廊下、そしてホテルの周囲にもこの部屋以上の人数の腕利きを待機させております」
「マジかよ」
「我がシャーク宮廷探偵団のおよそ一割を割いて今回の事件に対応しております」
「マジかよ」
もう一度繰り返してから、ヴァンはその生真面目そうな男から僕、そして集められた六人に顔を向け、気まずそうに頷くのと首を傾げるのとのちょうど中間のような動作をする。
「……ええと、そういうことです」
「そういうことって、どういうことよ!」
くってかかるのはメアリ。それはそうだろう。誰よりも事を穏便に運びたかったのは彼女なのだから。
「セイバー関連だから事件が少し大事になるのは仕方ないにしても――これはないでしょ、これは!」
「いや、俺もここまでになるとは……」
「ここまで大事にする必要があったの? せめて今回のパーティーが終わってから――」
「ああ、いや、それは無理だ」
そこでぴしゃりとヴァンが断言する。
「……どうしてよ?」
そのあまりに強い口調にメアリの勢いが削がれる。
「セイバーにとって、これは一時しのぎにしかすぎないからだ」
とヴァンは言って、まずは僕に話したのと同じ話を全員に向けてもう一度する。すなわち、この事件の犯人は本物のセイバーであり、自らの正体がばらされるのを防ぐために脚本を処分したのが今回の事件なのだ、と。
「で、そう考えるとセイバーはほぼ詰みなのが分かるでしょ? だってこの場で自分の正体が露見するのを防いだところで、また脚本家に連絡をとって新しく同じ脚本が届けられたら終わりだ」
「……確かに、そうですな。一時しのぎにしかならない」
エジソンが後ろから妻の肩に手を置き、同意する。
「そうなると、現時点で逃げ出していないであろうセイバーがこの事件の後にする行動は決まっている。二つだけだよ。一つ、アジトに戻ってやばそうなものを全部処分してから、逃げ出す。この場合、すぐに逃げなかったのは、ひょっとしたらメアリとエジソンが事件を隠蔽して、大事にならずに終わってくれる可能性が捨てきれなかったからだ。そのままの生活を続けられる可能性があったから、即座にこれまでの生活を捨てて逃げ出す決心ができなかった。こっちはまだ穏当な方だね」
二つ目、とヴァンは声と目を冷たくする。
「脚本家の正体をセイバーが知っていたとしたら――脚本家を殺す。これをすれば、もうセイバーの正体を知る者はいなくなる。これまで通りの生活が送れるから、現時点で逃げ出していない」
ぎゅっ、と心臓を掴まれるような感覚。
これまで殺人事件には何度か遭遇してきた。だが、今回は違う。人の死ぬ事件じゃあなかった。死ぬのは劇中だけだ。そう思っていたのに。まさか、ここでも人の死が関係するなんて。一気に暗澹たる気分になる。
「後で話すけど、おそらく犯人は逃げ出すつもりだ。何故なら脚本家の居場所を知らない可能性が高い。まあ、それはおいといて、今この場で逃げ出していない以上、これがセイバーをとっ捕まえる最大のチャンスであることに間違いない。この機を逃したら、セイバーは消える、まず間違いなく。そうなったら誰がセイバーなのかは簡単に分かるけど、それじゃあ意味がないんだよ」
黙ってしまったメアリに代わって、
「この中にセイバーがいると、そこまで自信があるわけね」
ルイルイが冷たい声を出す。
「それなら、さっさと指摘して、これを終わらせてくれない? 私はこんな厄介ごとからはさっさと解放されたいの」
「それはこっちも望むところなんだけど、どうせ先に誰がセイバーなのかを指摘したところで『何を根拠に』って反論されるに決まってるからね。先に根拠について説明しながら犯人の指摘といこう」
ヴァンは同意を得るように全員の顔を見回す。異論はない。一度頷いてヴァンは再び話し出す。
「セイバーの正体を知るためのルートは、三つある」
それは僕に話したことと同じだ。ルートのうち、脚本家のルートは使えそうもない。だから、残る二つのルートを使う。第二部までの脚本からセイバーの正体を探る方法と、今回の事件の妥当性からセイバーを見つける方法。
「じゃあ、脚本からのルートをまずは考えてみる。そのうち、俺が驚くほど重要だと思った情報は――」
ちらりとヴァンが目をやると、ハルルは顔を一瞬強張らせた後、肩をすくめてため息を吐く。
「ああ、そうね、そうよね。まあ、事、ここに至って秘密にしておくのは無理よね」
諦めたように力なく言い、そこでハルルは自分が脚本家とやり取りをしていること、そして今回の劇にはプロットがあったことを告白する。
驚いた様子を隠さないのはルイルイとマカロン。特に脚本を書きもするルイルイは複雑らしく、唇を噛んでいる。ムニルはのほほんとしている。メアリとエジソンは特に思うことはないようだ。
「さて、このプロットの情報から、脚本からセイバーの正体を探るためには、舞台がどこなのかさえ分かればいいことになる」
「ちょっと待ってよ」
マカロンがちらちらとハルルを見ながら口を出す。
「その、プロットの話とかって本当なの? だって、もしもハルルが犯人だったらその情報自体疑わなきゃいけないじゃない。プロットだって適当に自分で後から書いたものかもしれない。あ、いや、ハルルが怪しいって話じゃなくて、あくまで可能性の話よ?」
「そんなに慌てなくても怒らないわよ、ったく」
ハルルはまた肩をすくめて、
「そのあたりはどうなの、ヴァン?」
「俺は今回の事件はセイバーが犯人だと思っている。そうなれば、もしも偽物のプロットを掴ませてきたのであればそれはハルルがセイバーだったってことになる。これからの話の中で、もしもハルルがセイバーだという場合については考えるよ。けどその時まで、とりあえずプロットを正しいものとして仮定する。これでどう?」
異論は出ない。
「じゃあ、これから脚本の問題に――」
「その、良いですか?」
だがそこで、意外な人物が口を出してくる。例の真面目そうな若い探偵士だ。
「ああ、いいけど、えっと――」
「はっ、自分はイースターと言います」
「イースター君ね。で、何?」
「いえ、少し話が前後するのですが、今回の事件が一時しのぎに過ぎないということです。そうならば、その時点で犯人が絞られると思うのですが――」
「おお、鋭い。さすがは探偵士」
ぱちん、とヴァンは指を鳴らす。
「妥当性の話に入るけど、まあ、先にそっちを解決しておくか。この事件が脚本家を殺すかもしくは全てを捨てて逃げ出すか、事件が終わったら即座にしなけりゃならない一時しのぎにしかすぎないのなら、イースター君の言ったように、事件の後動きにくい人間であればあるほどこの事件を起こす意味がなくなる。まあ、それでも悪あがきをしたってことも考えられるけどね。そういう意味では――既婚者は難しい」
「え、あたしたち?」
メアリがぽかんと口を開ける。
「ああ。特に新婚だから今回の旅が終わった後もやらなきゃいけない予定がぎっしり詰まっているだろうから、なかなか動けないでしょ。かといって、全部を捨てるには重すぎる。離婚するつもりで嫁さんとか旦那ごと全部捨てて逃げ出すっていうなら別だけど」
「新婚になんてこと言うのよ」
口を尖らせるメアリを見ながら、僕はヴァンの命令でやった質問のうちの一つ、結婚離婚の質問の意味がようやくじわじわと分かってくる。それを確かめたかったのか。
「逆に月華劇団の四人は――まあ、基本的に結婚の予定はないようだ」
「ココアを通じて訊いたのはそれね」
舌打ち混じりでハルルが応じて、
「四人とも独り身で悪かったわね」
「悪くはないよ、全然。ただ、事件の後にすぐに動いて脚本家を殺しに行ったりとか、さっさと逃げ出したりし易いのは確かでしょ? これは別に、確定的な話じゃあない。この一点でもってメアリとエジソンを犯人候補から完全に外すこともなければ、月華劇団の四人の方が怪しいなんて言うつもりもない。ただ、要素のうちの一つだよ。そっちの四人に犯人がいる方が妥当だ、というね。これを積み上げていくしか、今回の事件を推理する方法はなかった。まったくもって、俺の好みじゃあない」
最後の方は、ただの独り言のようになっている。言い終えて我に返った様子のヴァンははっと周囲を見回してから気を取り直し、
「あ、ああ、悪いね。話がずれた。さあ、それでは、脚本の話にいっていいかな? あの脚本には、大きな謎がある。舞台がどこなのかを知るためには、その謎を解かなければならない。さあ、その謎が何か分かる?」
問いかけて見回すヴァンだが、誰からも返事はない。
分からないわけではないだろう。むしろ、当然すぎるから、当惑しているのだ。その問いかけに。
仕方なく、僕が相槌のつもりで口を開く。
「殺人の犯人ですよね、それはもちろん。剣だらけの場所で絞殺し、噴水の中で焼き殺し、最上階で墜落死させた。あまりにも奇妙な殺害方法で三人を殺した犯人が――」
「ああ、違うよ」
「えっ」
当然だと思っていた内容を否定されて、僕は動作も思考も停止してしまう。
違う?
「まあ、確かに不思議な状況で起きている殺人だ。だけどさ、それ自体は、脚本としては不思議でも何でもない。そうでしょ? いくら謎に満ちた物語でも、最終的に解き明かされればいいだけだ。いい? 『脚本の中の物語の謎』じゃない。俺が言っているのは、脚本自体にある『謎』だ」
なるほど、確かに、いくら起きていることが不思議でも、第三部の脚本でその謎解きがされるとしたらそれは脚本としての不審点ではない。ヴァンが言っているのは、脚本としての不審点、謎、あるいは不備か。だけど、そんなものあっただろうか?
首を捻っているのは僕だけではない。誰もが、自分以外の誰かは分かっているのではないかと疑って視線を交わしている。
「ああ、そんな難しい話じゃあない。ココアが言ってくれたことも近いと言えば近いんだ」
「え?」
「そう。確かに不思議な事件だった。不思議な事件で次々に死んでいった。劇団員はどんどん減っていって、最後には――」
ヴァンはハルルに顔を向け、
「彼女一人になった。だが、その時の彼女の反応は不自然だ」
「おいおいおい、よく分からないけど、まさか、それであたしが犯人とか言い出すつもりじゃないでしょーね」
ハルルが即座に口をはさむが、
「そんなわけがない。そもそも、脚本通りに演じていただけのはずなんだから、問題は脚本家にあるんだ。それに俺が言いたいのは、ハルルだけの問題じゃあない。思い返せば、それまでの全員の反応も奇妙だった」
何が言いたいのか本当に分からず、僕は他の人々と顔を見合わせる。全員、ヴァンの言いたいことがよく分からないらしい。
「もったいぶるのは面倒だからずばっと言うよ。俺があの劇を見て異様だと思った点――それは、ココアが言うようにあまりにも不思議な状況で人が死んでいくのに、『誰も不思議がっていない』ところだ」
意味が浸透するのを待つようにヴァンは一呼吸おいて、
「次々に一緒に来た仲間が不可思議な状況で死んでいくのに、リアクションが薄すぎる。死ぬことを目的としているから、死んだこと自体に騒がないにしても、その状況の奇妙さにはもっと反応していいはずだ。そうでしょ? あそこまで反応が薄いのは不自然だよ。おまけに、これは劇だ。何か奇妙な出来事が起こったなら、それをむしろ強調させてもいいくらいでしょ、普通は。天才脚本家が敢えて逆を突いた、というのも考えられるけど、それにしては大した効果があるようには思えない」
「ああ」
思わず声が漏れてしまう。確かに、劇中の彼女たちは、基本的には何が起こっても平然としていた。それはそもそも死を望んでいる精神状態だから、と思っていたが、よくよく考えれば死そのものについてはそうでも状況自体の奇妙さを不思議がっていなければ妙だ。
「もちろん、大前提として脚本家は天才だ。そこの不自然さに気付かない馬鹿じゃあないはずだよ。とすると、この謎――脚本的な欠陥は意図的なものだ。もっと言うなら、あの不可思議な状況を登場人物が不思議がらないのは自然なんだ。つまり、登場人物と観客の俺たちの間でその部分にズレがある。俺たちにとって不思議なことは、登場人物にとっては不思議じゃあない。どうしてそんなズレが存在するのか」
「抽象化――省略――なるほど」
僕を含む他の人々よりもそれに早く気付いた様子で呟いたのは、ルイルイだ。脚本家だからだろうか。
「ああ、そうそう。そういうこと。あの劇はかなり抽象化されていた。小道具も衣装もない。観客が想像で補わなければならない。だから、劇中の人物の見ている光景と、観客の想像した光景が同じとは限らない。いや、それが大きく違っているからこそ、ズレは生まれている。俺はそう考えた。劇の登場人物には、俺たちからすると奇妙なあの状況が自然に思えるような、そんな光景が見えているのだと」
登場人物たちにだけ見えていて、僕たちには見えていなかったもの。
一体、何の話だろうか?
「美術館の中に、何かあったってことですか?」
あまりにも訳が分からなすぎて、おずおずと訊く僕に対してヴァンは、
「違うよ――そもそも、この劇の舞台は美術館じゃあないからね」
ちなみに活動報告にも書きましたが書籍化しますのでよろしくお願いいたします。