推理、あるいはファンタジー
その発言に、場の空気がしんとなる。
「判明、したのか?」
恐れるように、ミンツ大司教が確認する。
「ええ、ただ、その前に一つだけ確認を。一週間前に聖堂の扉を新調したんですね? その際に式場やその付近のチェックはしましたか?」
「ええ」
もちろん、とヤシャは頷く。
「皆様に快適に過ごしていただくためにも、また危険なものが持ち込まれていないかを確認するためにも、その際にチェックをしました」
「警備は?」
「もちろん、その時から警備を開始している」
答えるのはアイス。
一週間も前から警備をしているというのは初耳だが、よく考えれば当たり前か。せっかく扉を替えて現場をチェックしても、その後に忍び込んで扉に細工されたり妙なものを持ち込まれたりされたら意味がない。
「その前は?」
「その前?」
訝しげに聞き返した後、
「無論、この場所は歴史的価値も高い。それなりの警備は以前からしてはいたが、ただ場所が場所だ。普段訪れる人間もいないから、正直なところ一週間より前には一日一回の見回り程度だ」
とアイスが答える。
「つまり、その時に忍び込むことは可能なわけですね」
「ああ、だが、その時に何か細工をしても、一週間前のチェックで暴かれるはずだ」
同意を求めるようにアイスはヤシャに目をやり、ヤシャも無言で頷く。
「さて、それはどうでしょう? チェックといっても限界がありますから」
ゲラルトはステッキを回し、
「結構です。確認は終了しました。では事件を終わらせるとしましょう」
と宣言する。
そして、彼の口から答えが語られる。
「犯人は外部犯です。おそらく、他国の刺客。ヴィクティー姫を殺害し、教会と王家を疎遠にすることで、シャークの衰退を狙ったのでしょう」
自信に満ちた態度で語られるその言葉に、場の空気が弛緩するのを感じる。
外部犯、というその結論に誰もが安心したのだろう。
だが、何か違和感がある。外部犯だと言われたその安心に、何か居心地の悪いものを感じる。
「まず、その犯人は一週間よりも前に、ここまで忍び込みました。そして、式場のすぐそばに穴を掘ったのです」
「穴?」
あまりにもいきなりの発想に、俺は思わず聞き返す。
「そう、穴です。深い穴を掘って、犯人はそこに入ります。そして、魔術を使ってその穴を中から埋める。どうです? そんなことをされれば、一週間前のチェックでも見つからないんじゃないですか?」
「確かに、チェックといっても壁を引き剥がしたり、地面を掘り返したわけではない」
チェックに協力したらしい、ミンツは悔しげに認める。
「けど、そんなことをすりゃ、息もできないし飯も食えないだろ」
ジンが当然の疑問を投げかけ、
「もちろん、おそらくはプロの暗殺者ですから、そこは準備をしているでしょう。呼吸を抑える方法も、食事をせずともしばらくは動ける訓練も受けていたはずです。その上で、少量の空気を入れた皮袋、水、携帯食糧を穴に持ち込んでいたのでしょう。爆薬と時計も」
「時計?」
意外な単語だったらしく、アルルが眉を寄せる。
「ええ、時間を知るというより、日付を知るためにね。表彰式の情報はかなり隠されていたらしいですね?」
「ああ、情報漏洩した場合を考えて、細かい部分については直前に我々とミンツ大司教で相談するまで決定しなかったくらいだ」
アイスが言い、ミンツも頷く。
「わしのところにもあまり情報は下りてこんかったぞ」
そしてマーリンも同意する。
「ですが、開催する日付くらいは密偵でも使えば知れたはずです。その開催日までのカウントダウンをするための時計ですよ」
この世界の時計はねじまき式で、小型のものになればそこまで性能はよくない。ましてや狭い穴の中に置いていれば、その性能は信用できるものではない。
だが、そんなふうに日付を知るためであれば、小型のものをそんな状況で使用しても十分役目は果たすだろう。
「あとは、その日が来るのを待つだけです。その日が来れば、地面の振動から何が地上で起こっているかは大体分かるでしょう。そういう訓練も受けているはずです。そこで、犯人はタイミングを見計らい、穴から飛び出して爆薬を投げつける」
ばん、とゲラルトは口から擬音を出す。
「同時に、今までいた穴を魔術で跡が残らないように埋める。そして蜘蛛のように式場の外壁を駆け登り、爆発で空いた穴から中に侵入。そして素早くヴィクティー姫を攫いながら、ジンさんとライカさん、お二人から鍵をすり取ります」
「あたしも?」
驚いたライカが、懐から鍵を取り出す。
「そうです。あなたが今持っているそれは、犯人が代わりに入れた偽物です。まあ、続きを聞いてください。犯人は魔術で肉体を強化し、凄まじい速さで聖堂に向かい、そして二つの鍵で聖堂に侵入します。そして、この国に少しでもダメージを与えようとシャークの象徴であるヴィクティー姫を、ことさらに辱めるような殺し方をした」
話がそこに差し掛かったところで、ウラエヌス王が呻き出す。
それを気にせず、いや笑みすら浮かべてゲラルトは続ける。
「さて、後はその場から脱出すればいい。他国では姿を隠す新しい魔術が開発されたのかもしれません。犯人は聖堂から、そして騎士が集まるこの場から逃げ出す。爆発が起こりヴィクティー姫の失踪が明らかになったその時なら警備隊も混乱している。逃げ出すのは不可能ではないでしょう」
姿を隠す新しい魔術、というフレーズに、マーリンは反応しない。
俺はその態度に驚く。
「あなた方は聖堂の扉を開ける時、扉が開かないのは鍵が一本しかないせいだと考えました。そして犯人も持っていたとしても鍵は一本だと。だから、自分達も聖堂の扉を開けられないが、犯人だって開けられない。そう考えて、混乱し、疑心暗鬼に陥らせることこそ犯人の狙いだったのでしょう。これが、事件の真相です」
満足げにゲラルトがしゃべり終わっても、しばらく誰も口を開かない。
奇妙な、本当に奇妙な沈黙が場を支配する。
「それで、どうすべきだと思う?」
やがて、アイスが口を開く。
「まず犯人は外部犯ですしもう逃げていますから、今から警備網を張っても無駄でしょう。そして、このことを公表すれば戦争になりかねません。まずは、口止めをして、ヴィクティー姫のご遺体を秘密裏に葬り、しばらくは姫が亡くなったことを隠すのが最善かと」
「そうか、そうだな」
自分を納得させるようにアイスが言う。
誰も、何も文句を言わない。
どうなってるんだ?
俺は、混乱する。意味が分からない。
だって、ゲラルトのあれは、推理なんてもんじゃない。
まず証拠がない。それに、犯人に特別な能力を、いや、もっと言えば彼の推理に都合のいい能力を、無根拠に持たせている。そして魔術を都合よく使い過ぎだ。姿を消す新しい魔術? そんな、今までにない魔術を使って説明していいなら、なんでもありじゃないか。
だが、それなのに誰も何も言わない。
誰よりも魔術の不便さを知っている、マーリンすらが黙っている。
何が、何が起こっている?
「ヴァン」
囁き声。
いつの間にか、レオが横に立っている。
「覚悟はあるか?」
「え?」
意味不明だ。
「言い方を変えるか。この解決でいいと思うか?」
「思わない」
無意識に、気づけば即答していた。
そうだ、こんな解決でいいはずがない。俺の買ったミステリ小説がこんな解決だったら、俺は本を壁に投げつけてる。
「ならよし、覚悟を決めろよ」
そんなことを言って、レオはにやりと久しぶりに見る気がする牙を剥くような笑みを見せる。
「ゲラルト」
そしてレオは大声で言う。
「ヴァンが、お前の推理に不満があるそうだ」
全員が、俺を向く、
一瞬で頭が熱くなり、喉がからからになる。
そんなやり方あるか?
恨めしくレオを見るが、レオは明後日の方に目をやって黙っている。
「大丈夫よ」
小さな励ましの声が聞こえる。キリオだ。
ふっと、俺は全身の力が抜けるのを感じる。
そうだ、大丈夫だ。俺は、間違ったことは言わない。
意外なことに、レオの言葉にも、ゲラルトは少しも動じることはなく、微笑みを浮かべている。
「ヴァン君、僕の推理に不満があると。大いに結構。是非教えてくれ」
「その、不満というか、疑問が」
途端に、俺の声は勝手に小さくなっていく。
やっぱりダメだ。萎縮してしまう。
「疑問?」
「ええと、まず、ヴィクティー姫の首はどこに行ったんでしょう?」
俺はとりあえず、比較的穏便なところから攻める。
「首か。持って逃げたんじゃないかな。犯人は暗殺者だ。任務成功の証拠として依頼人に見せるのかもしれない」
「依頼人は、その首を見たところでヴィクティー姫だと分からないでしょう」
その依頼人とやらが他国の人間なら、そもそも素顔を知らないだろう。
「ふむ、確かに」
問答を楽しむように笑顔で首を傾げたゲラルトは、
「では、何か魔術で消滅させたのかもしれない」
そこで、俺は我慢できずに叫ぶようにして言う。
「さっきから、魔術や殺し屋の特殊能力とかに頼りすぎですよ、推理が!」
自分達でも、何故こんなに興奮しているのか分からない。いや、本当はどこかで分かっている。憧れだった名探偵の推理に、失望して、そして憤っている。好きなミステリというジャンルを穢されたようで。
「先生も何か言ってくださいよ、姿を隠す魔術なんてないって、魔術はそんな万能なものじゃないって!」
俺の懇願に、
「うむっ……」
マーリンは苦しげに呻くだけだ。
マーリンだけではない。アイス、ウラエヌス、ミンツ、アルル、ヤシャ、ジン、ライカ、そしてキリオまでもが、俺の言葉に苦しげな表情をする。
平然と見返すのはレオとゲラルトのみ。
「言いたいことは分かる」
優しげにすら聞こえる穏やかさでゲラルトが反論する。
「けど、そんな魔術が存在しない。そんな特殊能力を持っている人間はいない。そんなこと、断言できるかい?」
「確かに断言はできません。絶対はこの世にない」
脳裏に、レオとの問答が蘇る。
そう、それはミステリの、いやこの世の全てに通じる真理だ。
だが、同時にそれに対する答えも持っている。
俺が論文に書いた全てだ。
「けど、推理する場合には、まずは一般的な常識や根拠のある範囲内で推理していかなくてはいけません。初めから無根拠に常識外れの技術や能力、存在や現象を認めてしまえば、結局のところ推理がなりたたなくなる。検討すべき選択肢が無限に増えてしまいます」
そう、無根拠に常識外の事象を使って推理していいのなら、推理は意味をなさなくなる。極端な話、神が事件を起こしたというのと、さっきのゲラルトの推理は本質的には変わりがない。どちらも無根拠に一般常識外の存在を肯定しての推理だ。そんな推理、いくらでもできる。
「根拠があって常識範囲内の推理、まずはそこから始めるべきです。そして、それでどうしても推理が成り立たなければ、少しずつ範囲を広げて行く。それが、正道のはずです」
気付けば俺は立ち上がり、論文の内容をそのまま喋っていた。この上なく必死に、熱を込めて。それは、この話が俺にとってのミステリ論であるからかもしれない。
そして、誰もがそんな俺を唖然として見て、俺の話を聞いていた。
「素晴らしい。あの本の内容も感動したけれど、それを著者の口から生で聞けるなんて」
気を取り直したように笑顔になって、ゲラルトが言う。
「けど、素晴らしいけど、机上の空論だ。君のその方法論で、捜査で、推理で、この事件を解決できるかい?」
初めて、ゲラルトの目に挑戦的な光が宿る。
「もちろんだ」
それに答えるのは何故か俺ではなくてレオだ。
もちろん、俺にはそんな自信はない。
「素晴らしい。確かに僕の推理には根拠がない。ヴァン君がもっと素晴らしい推理を披露して、事件を解決してくれるならこれ以上ない喜びだ。ただ、ことがことだけに時間はあまりかけられないよ」
ちらりとゲラルトはアイスに目をやり、
「今が午後七時、午後九時には結論を出さなければならない。そこから明朝にかけて、あらゆる対策を打つ必要がある」
重々しく頷くアイス。
つまり猶予は二時間か。
冗談じゃない、無理だ。
「それだけあれば十分だ、ヴァンならな」
だが、何故かまたしてもレオが勝手に答える。
「お前っ」
俺が文句を言う前に、
「では、一刻も早く捜査を始めないとな」
と、ゲラルトが俺を促す。
「ちょっと待て!」
叫んだのは真っ赤な顔をしたボブだ。
「そいつが犯人かもしれない、そいつ一人で出歩かせるなんて危険だ!」
「ああ、もちろん」
即座に、涼しげにゲラルトは答える。
「僕が一緒について行くよ。それで問題はないだろう?」
その言葉に、ボブは黙ってしまう。とてつもなく悔しそうではあるが。
「さて、それではまずどこから見に行く?」
考える間もなくゲラルトに訊かれ、
「じゃ、じゃあ、爆発した現場に」
と答える。
単に、あの聖堂に、血に塗れていて、首無し死体の存在する聖堂に行く心の準備ができていないからだ。
こうして、俺とゲラルトは連れ立って大広間を出る。
玄関ホールでは、騎士達が慌ただしく走り回り、報告をし合っている。
「あの……」
生意気な口を利いたことを謝ろうとしたところで、
「悪いね」
ゲラルトの方から謝られて、俺は目を丸くする。
「え、な、何がですか?」
「僕は静かなゲラルトと呼ばれている。その理由を知っているかい?」
階段に向かいながら、ゲラルトは質問を質問で返す。
「い、いえ」
「事件を静かに解決するからさ。大多数の関係者が満足するようにね。だから、誰からも重宝される。この歳で出世もしたし、パンゲアの六探偵なんて言われる」
「それは、つまり」
俺は息を飲む。
「うん、皆にとって都合のいい解決をするってことさ」
何の躊躇いもなくゲラルトは言って、
「今回の場合、ことがことだから誰もが早い解決と、そしてできれば外部の人間が犯人って答えを望んでいた。そうなればその誰かさんのせいにして、王側と教会側が協力して早々に対策を練ることができるからね。何せ被害者がヴィクティー姫だ。うまく対策しないと下手をすれば国が壊れるかもしれない」
滅ぶではなく、壊れるという表現を使った。
さすがに国自体が滅びることはないと踏んでいるのだろう。
「だから僕はそういう答えを出してあげたんだけど、政治的にはそれが正しくても、心情的にはね。特に両親である王と王妃、二人の世話係は納得しつつも認めたくなかったんだろう」
ゲラルトの推理を聞いた時の場の空気を思い出す。
あれは、この解決に乗ってしまうべきかどうか、誰もが葛藤していたからか。
「だから、悪いけど君が噛み付いて来たのを利用させてもらった。君が成功しようと失敗しようと、ともかく少しは彼らの気持ちは収まるはずだ。あのバアル卿は、そこまで全部読んだ上で行動したみたいだけどね、いやはや、恐ろしい男だよ」
首を振るゲラルトに、
「それで、それでいいんですか、探偵なのに」
思わず質問する。
ゲラルトはきょとんとした顔をして、
「探偵って、そういうものなんじゃないの? 少なくとも僕はそう思っているよ。探偵とは、大多数の人間を納得させて、事件を終わらせる存在だよ。他に何がある?」
そう言われて、俺は反論ができなくなる。
確かに、そうかもしれないからだ。
ミステリにおける名探偵も、結局のところ、関係者と、そして何より読者が納得する推理を提供して事件を終わらせる存在と言える。
けど、けどそれでいいのか?
「真相を、真相を知りたいとは思わないんですか?」
苦し紛れのような俺の言葉に、階段の直前でゲラルトは足を止める。
「君が言っていた、この世に絶対はないという言葉、あれは正しい」
初めて、ゲラルトの顔から穏やかさが消え、代わりに冷え冷えするような冷たい光が目に宿っている。
「その通りだ。この世には、絶対に正しい事実も、唯一無二の真相も存在しない。そんなものはない。どんなに根拠があろうと理にかなっていようと、あらゆる推理も解決も」
そして、再びゲラルトの足は動き始める。
「物語だよ。夢物語、幻想、ファンタジーだ」
ステッキをつきながら、ゲラルトは二階に上がって行く。
俺は魅入られたように、しばらく階段の前から動けない。




