状況把握2
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全員をパーティールームのテーブルの周囲に集めてのエジソンの話は、耳慣れない単語から始まる。
「隔離壁です」
「……かくりへき? って、何ですか?」
誰も質問しないので、僕が仕方なく疑問を口に出す。
「先ほど申しましたように、万が一浸水が起こっても、この潜水館はそれを止めるような設計になっております。そのうちの一つが、隔離壁です。簡単に説明いたしますと、浸水を感知すると自動的に壁が降りる仕組みになっています」
「東西の廊下に壁があったのは、それが原因ね」
ライカは頷く。
「ええ。そして、実際に隔離壁が水の圧力を感知し続けている場合を除いては、手動で解除することができます。さきほど、わたくしが東のものは解除いたしました。これがなければ誤作動や隔離壁で人が閉じ込められる可能性もございますので」
安全対策ということか。
「……エジソンさん、あんたはさっき、東の隔離壁を見た途端、それが解除できる、というか解除しても問題ない、と判断した。少なくとも俺にはそういう風に見えたんだけど、間違ってる?」
ヴァンが口を開く。
「いえ」
「じゃあ、どうしてそう判断できたのか、その根拠を聞いても?」
「もちろんでございます、ヴァン様。といっても難しい話ではございません。皆様お気づきかもしれませんが、現在この館は傾いております。北西の方向に」
ああ、そうか。僕も当然傾いていることは意識していが、改めて言われて確かに方向的には北西の方向に下がっているのだと改めて意識する。
「そして、東西廊下の北側の隔離壁が作動していること、わたくしの部屋のガラスにひびが入り浸水しつつあったことを考えると、以下のように考えられます」
言葉を切ると、エジソンはテーブルの上の見取り図に線を書き加えていく。
全員の視線がその見取り図に集中する。
「まず、事故により北西側にこの潜水館は傾き、そしてそちら側が湖底に激突し破損、そこから浸水が始まりました。この階で言えばわたくしの部屋や物置です。地下にある調査室も北西の外壁が破損、浸水していると思われます。ともかく、この階においては、その浸水を北側に留めるため、隔離壁が作動しました。それが左右廊下北側のものです」
隔離壁を書き加えた後も説明は続く。
「ですが、緊急事態のための安全対策は隔離壁だけではございません。この館の設計自体が、万が一浸水が起こっても途中でストップするようになっています。ですから、現時点で浸水は止まっておりますし、想定される浸水量であれば北西に傾いているこの状況で、東側の隔離壁の向こうが水で満たされていることはありえない。そう考えたということです」
「ちょっと待ってよエジソン、ってことは」
メアリの不機嫌そうな顔が不安げに揺れ、一瞬年相応の少女のものになる。
「ええ、メアリ様。申し上げにくいのですが……逆に言えば、西側の隔離壁の向こうは水で満たされていると推測されます。わたくしはさきほど、それを確かめに行ったのですが、北の廊下を東から西に、少し進んだだけで足元が水に浸かり、それ以上進むことは危険でした」
そう言えば、と横のエジソンの足元を見ると、確かに足首あたりまでがぐっしょりと濡れている。
「つまり、北の廊下の東側から西側にかけて、この辺りは水没しているということです……北の廊下は東から西に進むにつれて歩行が困難になり、少なくともこの辺りは歩行不可能と考えていただいた方がいいでしょう」
エジソンが、今度は水没したエリアを見取り図に書き加える。どんよりとした沈黙が場に満ちる。しばらくは、誰も何も言わない。それはそうだ。多少浸水しているというレベルを超えて、明らかに一角が水没しているレベルの状況だと、突きつけられたのだから。
「ちょっと、いいかい? だとすると、キッチンからこのパーティールームに向けて、水が染み出してくるということはないかな?」
見取り図を見ながら、ディーコンがおそるべきことを言い出す。確かに、そうだ。北の廊下とキッチンは繋がり、そしてそのキッチンとパーティールームが繋がっている。全員の視線が見取り図からキッチンの扉へとつながる。
「ほんの少量ずつ水が染み出す、ということはありえますが、気にするレベルの水量にはならないかと存じます。この潜水館は、壁やドアも特別に設計されたもので、ドアを閉めておけば水が漏れだすことはございません」
そう言えば、防音機能が物凄いと感心した。音を漏らさないように、水も漏らさないということか。信用していい、気はする。
「それから、そもそもあのドアは現在開きません」
「え?」
「どうやら、内部で食器棚の類が衝撃で全て倒れ、向こう側でドアに引っかかってしまっているようです。かなりがっちりと引っかかってしまっているらしく、びくともしません。こちらから開けようとすれば何らかの方法でドアを破壊するしかないですが――破壊されますか?」
そのやり取りが終わり、また沈黙。よし壊そうという声が出るはずもない。もしもドアが壊れたらそれこそこのパーティールームに水が殺到するかもしれないのだ。キッチンが現時点でどういう状況なのかは確信が持てない。もしも、既にキッチンが完全に水没していて、そこをドアを破壊してしまったら……考えるのも嫌になる。
「……肝心の、主人はどうなりましたの?」
今度は沈黙を破ったのはティアだ。
「ああ、そうでした。そのご報告もしなければ」
エジソンは咳払いをする。
「旦那様の部屋に行きました。ドアを叩き、叫んでみましたが返事はありません。ただ、部屋は防音がしっかりしているので例えば寝ておられたら気付かない可能性はあると思います」
「あの衝撃があったのに眠り続けてたら病気よ、病気」
メアリが薄笑いを浮かべる。
「……そして、ドアには鍵がかかっておりました。念のための確認でございますが、ティア様、お部屋の鍵は?」
「主人が持っているはずです。わたくしは昨夜はメアリの部屋に泊まりましたので」
意味ありげにティアとメアリの視線が交差する。
「……やはり、そうですか。そうなると、わたくしの部屋にあるマスターキーを取って来るしか部屋を開ける方法はございません。ただ、現在わたくしの部屋に行く方法が……」
水没により歩行不可能なエリアだ。確かに、難しい。
それに、この衝撃と浸水の中で、果たしてマスターキーがそこにそのままあるかどうか。
「おいっ、そんなことどうでもいいだろう!」
張りつめていた糸が切れたように、さっきまで黙って、少なくとも表面上は冷静だったクロードが突如として金切り声に近い叫びをあげる。
「パパゲアがどうこう言っている場合じゃないだろう、違うかっ? 俺たちは湖の底で閉じ込められていて、おまけにこの館も水没しかかっている! どうするんだよ、おい、どうしてくれるんだ!」
「落ち着いてくださる、クロード?」
ティアが宥めようとするが、
「落ち着、落ち着いていられるか! お前ら全員、おかしいんじゃないのか! おい、死ぬかもしれないんだぞ」
「だからこそ、でしょう。これからどうにかしようとするには、設計者であるパパゲアの力が必要なのよ、クロード君」
今度はライカが宥めようとする。
「そん、そんなことを言っているうちに――」
「少し、いいですか」
くぐもった声を出すアオ。さっきまでずっと黙っていた仮面の男の発言に、何となく場はしん、となりアオに注目する。
「そろそろ、はっきりとさせておかなければならないと思いまして」
「何をでしょうか、アオ様?」
対するエジソンは、どこか諦観を感じさせる静かな表情をしている。まるで、何を言われるか分かっていて覚悟を決めているようだ。
「さっきからのあなたの説明を聞いていて、おかしいと思うところがいくつもあった。私以外にも、何人か気付いている人はいると思いますが……エジソンさん、あなたは何者です?」
沈黙、だが今度はどんよりとしたものではなく、緊張で場の空気が張りつめている。
「何者、とは? わたくしはモネ家に雇われている執事ですが」
「単なる執事にしてはこの潜水館の機能に詳しすぎる。そう思えてなりません。そして、この状況にも冷静すぎる。状況を分析して、浸水してきた大体の水量を推測できるのもおかしい。専門知識と高度な計算が必要なのではないですか?」
エジソンはすぐには答えず、ちらりと視線をティアに向けるが、彼女はどこか上の空でその視線に気づく様子も見せず、何かを考えいるようだ。それを見て、エジソンは顔をアオに戻し、
「……なるほど、アオ様の疑問はもっともかと存じます。わたくしはパパゲア様の秘書も兼ねておりますので、専門知識が自然と身に付き――」
「アオ、状況が状況だ。もっとはっきりと訊いた方がいい」
ずい、とヴァンが一歩エジソンに寄る。
「エジソンさん。要するに、訊きたいのはこういうことだよ。『この潜水館を発明、設計したのは一体誰なのか』、だ。今更、パパゲアが全部やったなんて言うなよ。正直なところ、誰もそんなこと信じてないんだからさ」
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