最悪の目覚め
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早く謎を解かなければ。これ以上、犠牲者が出る前に。気ばかり焦ってしまうが、成果がでない。頼みの綱のはずのヴァンは、何を考えているのか分からない。僕が動くしかない。そう思って、自ら調査に出る。霧の中を進み、目的地の塔へ。
その塔には入り口がない。あの少女の絵、もしくは絵の少女は一体どのようにして塔に入ったのだろうか? 不思議だ。ぐるぐると塔の周囲を回る。入り口はない。焦る。早くしないと。何を? 謎を解かなければ。そうやって結局何もできずにぐるぐるとただひたすらに回っていると、突然に地面が揺れ出す。大地震が起こっている。まずい。むしろこれまでちゃんと建っていたことの方が奇跡にも思える、そんな古びた塔が崩れ落ちてくる。がれきが覆い被さってくる。ああ、ダメだ。死ぬ。助けて。
「ううあ!」
そこで跳び起きる。ベッド。周囲を見回す。夢。ここは? 薄暗い、見知らぬ部屋。いや、違う。潜水館の部屋。そうか、そうだった。記憶が蘇る。さっきまでのは夢。自分は潜水館にいる。安心する。そう、さっきのは夢だ。衝撃を受けたから夢の世界にも衝撃がきただけ……衝撃?
また、部屋が揺れる。ベッドの上で跳ねてしまうくらい大きく。思わず悲鳴を上げる。
「おいおいおいおい、ココア、無事か?」
ヴァンも起き上がっている。青白い顔をしている。いや、普段から顔色はよくないが、明らかにそれにしても青白い。どう見ても、本気で動揺している。
「どっ、どどどどど」
うまく言葉がでない。
「どうし、どうしたんですか、これ、ヴァンさん?」
「俺が知るか」
二人して、ベッドの上で這いつくばるようにして互いの顔を見ている。
金属が軋むような音が聞こえる。聞こえるというか、壁、床、天井全てからそんな音が響いてきている。
「あのお、ヴァンさん、い、今って、いつですかね? 湖底に着いたんでしょうか?」
「ああ、ちょっと待て、待てよ」
ヴァンはよろよろとベッドからカーテンに向かい、そのカーテンを開ける。一面の水晶ガラス。ありがたいことにひびの類は入っていない。そして、ガラスの向こうには、薄明りに照らされた石造りの建物の数々。半壊状態の遺跡が、見渡す限りずっと遥か向こうまで続いている、薄く青みがかった光景。色とりどりの無数の魚が、我らこそこの町の住民だと言わんばかりに、その遺跡の中をいきかっている。こんな状況だというのに、その光景に一瞬、心奪われる。
この光景を見るためならば、命も惜しくない人間は、特に芸術家の類であれば、いくらでもいるだろう。そう思わせるほどの光景。
「おいっ」
ヴァンからの呼びかけに、僕ははっと我に返る。危ない。見惚れている場合ではない。
「ココア、俺の気のせいならいいんだけどさ」
「え?」
「その……なんだか、傾いていないか?」
不吉な言葉に冷静になって確かめると、確かに平衡感覚がおかしい、気がする。いや、何だか。
「傾いている、というか、どんどん、傾いていってません?」
「……うん」
二人で顔を見合わせる。
衝撃。軋む音。どんどん強くなっていく傾き。一面のガラス張り。外には大量の水。
「外、出るか?」
「そうです、ね」
二人でそろそろと部屋の出口に向かう。ガラス張りの壁から目が離せない。もし、もしも、あのガラスにひびが入ったら? もしも、割れたら? 想像しただけで、気分が悪くなる。
「――おい、どんどん傾きが強くなってきてるぞ」
止まらない。
「ちょっと、マジで勘弁してくださいよ。僕、まだ死にたくないんです」
「俺だってそうだ」
そうして、また再び猛烈な地震のような衝撃。
もう我慢できない。足をもつれさせながら、僕とヴァンは部屋を飛び出る。
廊下に出た途端、あちらこちらから叫び声や怒号が聞こえる。どうやら、部屋の防音はかなりしっかりしていたようだ。それにしても、さっきから傾きが酷い。おまけに薄暗い。メインの照明が消えている。作動しているのは、おそらくは非常灯だけだ。
「って、あっ」
傾きが酷い上に、何やら床が濡れている。つるりと滑って転びそうになったところを、ヴァンに抱きとめられる。
「おい、気を付けろよ」
「あっ、す、すいません」
そうこうしていると、
「ああ、ご無事ですか!」
「くそっ、どうなってるんだ」
転んだのか、全身を濡らした姿のエジソンとクロードがやってくる。
「え、エジソンさん、何がどうなって――」
僕の言葉を遮り、
「とにかく、今は話は後です。まずは、なるべく広い場所に――パーティールームに避難しましょう。クロード様、ヴァン様、ココア様で……最後です。他の皆様はもういらっしゃってます」
一瞬言い淀みながらも、エジソンが言う。
逆らう理由もない。余裕もない。僕たちは全員で、転ばないように気を付けながらパーティールームに向かう。
パーティールームに入った途端、先にいたメアリがエジソンに食ってかかる。
「ちょっと、エジソン、そろそろ説明しなさいよ、どうなってるの?」
一応は可憐な少女のものとは思えない、絶叫に近い声だ。
「メアリ様、落ち着いてください」
「これが落ち着いて――」
「メアリ」
異様なほどに冷静な声がかけられる。この状況下でも、顔面は蒼白ながら一切取り乱していないティアだ。その声を受けて、メアリは黙り唇を噛む。
パーティールームの机は壁際近くまでずれているし、椅子も動き、いくつかは倒れている。全員が壁の近くで、寄りかかりながら立っているような形だ。床は廊下と同じく濡れている。
「無事でしたか」
声の主はディーコンだ。ライカと身を寄せ合っている。
妻であるライカを守っている、というよりもむしろライカの方がディーコンを心配そうに見ている。それはそうだろう。もともと船酔いだったディーコンは事態がこうなったら当然ではあるが顔色が紙みたいになっている。ライカはディーコンに気を取られて僕やヴァンに気が付かなかったらしく、
「ああ、あなたたち……大変なことになったわね」
と、ディーコンに遅れて声をかけてくる。
「ええ、その……大丈夫ですか、ディーコンさん」
「ん? ああ、まあ……」
明らかに大丈夫な顔色じゃあない。
「それで、パパゲアはどこにいるのです? 彼が責任者でしょう?」
くぐもった声にそちらを向くと、アオがメアリ、ティア、そしてエジソンの三名に向けてそう詰問している。
「……それが」
エジソンが口ごもる。
そう言えば、と周囲を見回す。主人であるパパゲアがいないではないか。
「お母様」
ぞっとするような冷たい声を出すメアリ。
「部屋は、お父様と一緒でしょう? お父様はどうされたのかしら?」
先妻の子にそんな声を出されたというのに、ティアはまるで表情を動かすことなく――さすがは元女優といったところか――優雅な貴婦人のまま、
「部屋は、確かに一緒でした。けれど、昨夜はそうではなかった。『メアリは知っている』でしょう?」
「だから、それが怪しいと――」
「ちょっと待ってくれ」
寒々とした母娘の言い合いが始まろうとしたところで、ヴァンが割って入る。
「とりあえず、誰か、誰でもいい。今起こっている『これ』を説明してくれ。特に――」
ヴァンは濡れた床を靴でこすり、
「この水、ひょっとして、そんなことはないと信じているが、ひょっとして……湖の水がこの館の中に漏れてるなんてことは……ない、よな?」
パーティールームに、奇妙な沈黙が満ちる。
そうして、やがてぽつり、と。
「誠に残念ながら」
エジソンが言う。
「ヴァン様が言うように、『それ』が起きていると考えられます」
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